■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 interval 〜業2 〜
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窓枠の影が落ちる木床で、白刃が鈍い光を放っていた。細い手首を掴み取った腕を、鮮血が伝い落ちていく。月光差し込む木賃宿の一室、深夜のことで明かりもない。
細い手首を捕えたままで、ケネルは寝台から身を起こした。詰めていた息を吐き出して、捕えた手を突き放す。投げ出された相手は、ずるずる床にへたり込んだ。俯き、骨張った肩を震わせて、荒く息をついている。
深夜の刺客は女だった。ひどく痩せこけた若い女だ。あちこち破れた薄汚れた身形。とうに手入れを放棄したのか、背を覆う腰までの髪は、塵と埃とで所々固まってしまっている。
「……どうしてくれんのよ……どうしてくれんのよ……」
食いしばった奥歯から、か細い呪詛が漏れ聞こえた。床に這いつくばった女の拳が、無念をぶつけるようにざらついた床を力なく叩く。長い髪を振り乱し、鋭く顔を振り上げた。
「こんな体で一体どうやって働けっていうのよ! あんた達のせいで、あたしの一生、目茶苦茶よ!」
顔に落ちかかった髪の間から、鬼気迫る眼が睨めつける。ふと、ケネルは見返した。
「──あんた、もしや、あの時の」
一目でそれと分からぬ程に、女は変わり果てていた。顔に落ちた髪の中、眼だけが獣のようにギラついている。痩せこけた顔、薄汚れた青白い頬。面相が大分険しくなったが、以前、仕事場に抗議に来たあの娘に違いなかった。当時から既に子供のように痩せていたが、更に肉が削げ落ちている。
「あんたになんか、わかんないのよっ!」
女は肩で息をつき、憎々しげに喚き散らす。
「世間からどんな目で見られたか。どんなにふしだらな女と思われているか! その上、混血の子供なんか生まれたりしたら!」
ケネルはようやく気がついた。歯を食いしばって毒づきながら、女は突き出た腹をさすっている。唇を噛んで俯いた。「こんなもの一体、どうしたらいいの。……子供なんか抱えたら、この先どうやって生きていけばいいのよ……」
途方に暮れたような涙声。我が身を抱き、細い肩を震わせて、女は小さくしゃくり上げ始めた。痩せ細った体の中で、腹の子だけが育っていた。宿の床の暗がりには、もぎ取り、投げ捨てた鋭い凶器。ケネルは嘆息した。
「せめて道連れにしにきた、という訳か。まあ、苦情の持ち込み先としては、あながち間違ってはいないが」
サランディーの酒場で会った際、手持ちの金を渡した筈だが、日々の飲食にも事欠いて全てを費やしてしまったらしい。それで首が回らなくなり、首魁の寝首を掻きにきた。女は泣きじゃくっている。寝台の脇に手を伸ばし、ケネルはザックを取り上げた。
「飯、食うか」
女が面食らって顔を上げた。一瞬たじろぎ、厳しい視線で睨めつける。じりじり身を引き、明らかに警戒している様子だ。ケネルは構わずザックを漁った。「ま、そうは言っても、こんな時間じゃ、こんな物しかないんだが」
ようやく探し当てて掴み取り、女に向けてそれを差し出す。女は手を伸ばしかけ、はっ、としたように引っ込めた。おどおど身を引き、睨み返す。騙されない、という顔だ。
「心配するには及ばない。ただの携行食だよ、明日食おうと思っていた」
女は、ごくり、と喉を鳴らした。目の前に差し出された紙包みと向かいの顔とを切迫したように交互に見る。だが、やはり手は出さない。
座り込んだ膝元に、ケネルは包みを放り投げた。素早く女が引ったくった。薄い包みをバリバリ破き、中身をすぐさま口に入れる。幾日食べていないのか、獣のような食いっぷりだ。だが、すぐに激しく噎せた。慌てて頬張って喉を詰まらせでもしたらしい。ケネルはザックから水筒を取り出し、咳き込む女に差し出してやった。女はすぐさま引ったくり、水を喉に流し込む。ケネルはおもむろに声をかけた。
「腹の子は俺が引き取ろう。当面の居場所も確保する」
ビクリと肩を震わせて、女が怪訝そうに顔を上げた。
「出産して身軽になったら、あんたは街でやり直せばいい」
女の細い眉が戸惑ったようにしかめられた。少し開いた唇が震え、凝視した瞳が瞬いて、涙が頬を滑り落ちる。腹にいる子の父親を、女がケネルと言い触らすまで、長い時間はかからなかった。
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