CROSS ROAD ディール急襲 第2部 4章 3話
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 クレスト領家の先代とその嫡男が急逝した二年前、空席となった領主の座に残る兄弟の何れを据えるかで、貴族らは激しく争った。
 兄のチェスター候を擁したのは、当時の待遇に満足し、現状維持を主張していた面々である。一方、弟ダドリーを擁したのは、当時何某かの不満を燻らせていた一派──具体的には、辺境に領土を持つサザーランド伯、収益の上がらぬ痩せた所領をもつアクトン子爵等の少数派だった。その不遇をかこつ例外はラッセル伯くらいのものであったろうか。かの家がダドリーを推したのは、新進気鋭の当人の気質に一目置いた為だった。そして、かつての遊び相手である現当主もダドリーとは懇意である。
 きかん気が強く独立心旺盛なダドリーは、まだ幼い時分に商都に出奔、他家の使用人を夫人に迎えるなど、変化を嫌う保守的な貴族からしてみれば、先鋭的な思想の持ち主、いわゆる異端児とみなされてきた。つまり、目端は利くが、過激に走るきらいがあるとして問題児の烙印を押されていたのだ。若気の至りの改革思想で何を始めるものやら予測がつかない、不利益を招くような一大変革をやってのける等、急進的で傍迷惑な事態も十分ありうるということだ。
 それに比べてチェスター候はおっとりしていて趣味が良く、落ち着いた教養人である。屋敷の下働きをさえ家族のように労わる寛容な気質で、往々にして卑屈になりがちな使用人から敬愛され、慕われている。誰に対しても人当たりが良い為、貴族の大半に人気があり、彼を支持する者も多い。もっとも、貴族のそれは裏を返せば、彼の温和な人柄ならば、領主に据えても高圧的になることはなく、同輩に不利益をもたらすような馬鹿げた真似は決してしないだろう、との損得勘定の思惑がある。ところが、その計算がこの日狂った。
「──いやはや呆れたものですな」
 退出した議場を振り向き、フロックコートの面々は苦い顔で眉をひそめた。公邸の長いアプローチを、従者を待たせた正門方向に向かいつつ、彼らはやれやれと嘆息する。
「大公様に続いてチェスター候までもが、ああした事を仰るとは。やはり、血は争えぬということですかな」
 国軍北上の凶報を持ち帰ったチェスター候は、すぐさま貴族を招集し、翌朝、早速議会に諮った。だが、対策を練るも議会は空転。不毛な議論のその末に、先の戦で粗略にされ、面目を潰された貴族らにとっては信じがたい提案を持ちかけたのだ。曰く、前回同様、遊民の力を頼むべきだと。当然、猛反発が湧き起こった。
 白髪の紳士アクトン子爵がサザーランド伯に頃合を計るように目配せし、嘆ずるように口を開いた。
「まったく、あの方もわからない。賤民どもには散々煮え湯を飲まされたというのに」
 それを聞き澄ました痩せぎすの紳士も、ここぞとばかりに非をならす。「あの無礼な連中を何故ああも高く買うのか、私には分かりかねますな。賤民に媚びるなど恥知らずな!」
「──いや、そもそもあの方の方こそが、公衆の面前で面目を潰したのではなかったですかな」
 まんまと釣られた陰口を、サザーランド伯は抜かりなく拾い上げた。
「さよう。いやはや、まったく情けない。あの方に矜持はないのですかな。ああした臆病者の言うことに追従するのは如何なものか。そうは思われぬか、ラッセル伯」
 嘆ずる調子で大いに息巻き、後ろの青年に意見を求める。ラッセル伯は苦笑いした。
「──さて、臆病と括るのは如何なものでしょうか。まあ、お手並み拝見というところですね」
 サザーランド伯は鼻白んだ。確かにこの青年は今回の密約には加担していない。爵位を継いだばかりの駆け出しの若輩故、日頃から軽んじるきらいはあるものの、しかし、当主擁立で歩調を合わせた同輩にしては、これは存外に気のない返事だ。青年の反抗的な態度をやり過すべく夏の太陽を忌々しげに仰いで、糊の利いたハンカチを取り出す。太い首の辺りを拭きながら、別の紳士へと話しかけた。
「今年の暑さは格別ですな。こう暑くては、まったく敵わん。海水浴でもして、しばらく涼んでこようかと思うのですよ」
「ほう。というと、レーヌですかな。いや、あそこは閑静でいい」
 保養地の話題に興味を示し、左前を歩く紳士が振り向く。最後尾で眺める青年が肩を軽くすくめたが、白けたようなその仕草に気づいた者はないようだ。さも、今思いついた、というように、アクトン子爵が賛同した。「私もそろそろ戻ろうかと。不穏な情勢がこうも続くと、民の様子も気になりますしな」
 おお、それもそうだ、と同調の声が、今それに気付いたように方々で上がった。一同の意見を取り纏めるかのように、サザーランド伯は威厳をもって顎を引く。
「まったくもってその通り。これは、うかうか留まってはいられませんな」
 誰からともなく足を止め、青空に聳える煉瓦の議場を振り仰いだ。
 
 
 お日様さんさん降り注ぐ天幕群の入口で、サビーネは楚々として頭を下げた。
「アルドさまか、ベルナルディさまか、シモーネさまをお願い致します」
 見張りについていた三人は、呆気に取られて口をあんぐり開けている。
「……ア、アルドさまか、ベルナルディさまか、シモーネさま?」
 誰だそいつらは──と、しばし顎を突き出して固まった後、ようやく目配せ( もしや、あいつらのことか? )と合点した。耳慣れぬ敬称で告げられて、とっさに結びつかなかったものらしい。
 隣に目配せされた見張りの一人が怪訝そうにサビーネに見つつ、敷地の奥へと踵を返した。天幕の向こうに姿が消え、ややあって俄かに慌しくなる。人影が三つ、天幕の向こうから転げ出た。瞠目し、両手を振って、ばたばた慌てて駆けてくる。
「サビーネちゃんっ? どうしたのっ!」
 全力疾走で辿り着くなり、突っ立っていた見張りの手から彼女の体をすぐさまもぎ取り「触んじゃねえ!」とギロリと牽制、「ささっ、こっちへ」と大木の下に避難させる。でかい鉢植えを両手で抱えて後をのこのこ付いてきたフロックコートの中年紳士に、ベルナルディがふと気づいた。
「──なに、あんた」
 怪訝そうに腕を組み、上から下までジロジロ見やる。紳士があんぐり口を開けたその横で、サビーネがにっこり片手を広げた。「こちらはチェスター侯爵です。わたくしの旦那様のお兄様さまなの」
 両手で抱えた金魚鉢型の素焼きの鉢では、中央が黄色、花弁が白の、マーガレットに似た花達が頭でっかちな頭をゆらゆら揺らして、林檎の香を振りまいている。鈴を振るような声で、サビーネは続けた。「本日は突然伺い、恐れ入ります。首座の方とお会いしたいのですけれど」
「しゅざ?……族長代理? いや、今は《 ロム 》の方かな」
 ぱちくり瞬いた三人は、少し考えるように首を傾げる。恐らくは主要な客であるらしきチェスター侯に、アルドがジロリと目を向けた。「で、なんの用?」
 サビーネの時とは打って変わって、ぞんざいな訊きようだ。チェスター候はいささかむっとし、しかし、威厳を示して、おほん、と一つ咳払い。
「協力の要請にきた、と取り次いでもらおう」
 金魚鉢で花が揺れる。
「……ようせい?」
 ぽかんと三人は口を開け、怪訝そうにじろじろ見た。とうに終戦したのに何で今更、と言いたげだ。だが、門前払いをされるなど想像もしないらしいサビーネが、にこにこしながら待っている。三人は困惑顔を見合わせた。実のところ、余程の事でもない限り、あの指令棟には近付きたくない。物騒な《 ロム 》が館内に詰めているからだ。だが、彼女がこうして頼ってきたのに、むざむざ顔を潰す訳にもいかない。
 他の二人に目配せされて、ベルナルディが奥へと走った。後に残った二人の男はへらへらサビーネに話しかけている。サビーネも笑顔で返している。必然的にチェスター候は、大型の鉢植えを両手で抱えて、歓談の輪から取り残された。楽しげな様子を、ちら、と見る。内気な彼女にこんな伝手があったとは何やら少々意外だが、どうやら親しい知り合いらしい。
「──これが、天幕群か」
 暇に飽かして、天幕犇く北の草原を物珍しげに眺めやった。朝からの経緯が蘇り、そっと気鬱に嘆息する。
 進軍の報を伝えると、議会はたちまち紛糾した。だが、打開策は出てこない。昨日のステージでいたく感動、遊民への偏見を払拭していたチェスター候は、拳を握り、熱っぽく捲くし立てた。
『 困窮する領民を守り、弱者を庇護し、邪悪を退け、正義を実行することこそが、我々貴族たる者の崇高なる使命。そして危機迫る今、彼らを取り立て、その力を頼ることも、やぶさかではないのではないか! 』
 前回のように遊民の協力を仰ぐべし、との提案だった。熱意余って、対立する数々の意見を少しばかり強硬に排したかもしれない。すると、嫌悪の表情で聞いていた彼らは、憮然と目配せ、ガタンと次々椅子を鳴らして、冷ややかに席を立ったのだった。
『 まったく、お話になりませんな 』
 説得するも彼らは頑として聞き入れず、議会はそのまま決裂した。
 チェスター候は心身共に疲れ果て、官吏の詰める政務棟に赴こうとした。その矢先、緑梢揺れる心地良いあの庭をふと思い出し、街外れの館に足を向けたのだった。同胞に総スカンを食い、今夜はとても寝付かれそうにもなかったので、安眠に効用のあるというハーブでも分けて貰おうと思ったのだ。通された庭で思わず愚痴ると、サビーネは無邪気ともいえる柔らかな笑みで、いとも容易く言ってのけた。
『 やはり、あの方々のお力を借りるより、方法はないのではありませんか 』
 そして、彼らの何を知っているというのか「大丈夫。きっと助けてくれますわ」と自信満々請け負った。そう言われて再考するも、確かに他に手立てもなく、こうして赴いた次第なのだった。
 伺いをたてに行ったベルナルディが、やがて天幕の間から戻ってきた。途中で足を止め、中に入るよう腕を振る。了解が取れたらしい。シモーネがその旨見張りの所に言いに行き、一行は天幕群へと踏み込んだ。
 北の草原は不統一な天幕で埋め尽くされていた。チェスター候とサビーネはアルドら三人に誘導されて、荒んだ風情の天幕群を見回しながら歩いていく。しばらく行くと、敷地の最奥に四角い建造物が現れた。
 商都の《 異民街 》等の特別区を除いては、カレリア政府は遊民の定住を認めていない。どこから資金を得たものか今でこそ幌馬車興行などを行なっているが、かつての遊民には現在のような職はなかった。そうかといって彼らを雇い入れる先もなく、彼らは慢性的に貧しい生活を送っていた。浮浪者のような成りで街をさまよい、盗みやスリ、かっぱらいなどを日常的に働いた。そうした迷惑な遊民を、市民は卑賤民と蔑んだ。また、文化や風習の違いから近隣住民とのトラブルが絶えず、納税もなく土地を占有する遊民達に、市民の不満は次第に昂じた。そうした問題が立て続き、ついに政府は国土への居住を彼らに禁じた。よって、容易く撤去できる天幕ならばともかく、こうした建物の建造は、本来違法である筈だった。
 だが、近年、遊民の参加する豊穣祭は、港湾の廃れた北の街に活気と巨利とをもたらしていた。また、開催の都度、北の草原を占拠する場所代として多額の金銭が上納されるという表沙汰にし難い事情もあり、クレスト領家は特別に、この建造を認可したという経緯がある。
 アルドら三人は建物の前で立ち止まると、館内に声をかけて取り次ぎを頼んだ。中から出てきた荒っぽい身形の若い男に、何やら媚びるように説明している。取り次ぎの男は顔触れを確認するように一瞥すると、「少し待て」と引っ込んだ。暗い廊下の先を曲がり、いずこかへと姿を消す。そのまましばらく玄関で待たされ、ややあって先の取り次ぎが戻ってきた。
「お待たせしました。お話を伺います。どうぞ中へ」
 チェスター候に向かっておもむろに頷き、館内へと道を開ける。意外にもきびきびした所作で、軍人のように礼儀正しい。ほう、と密かに感心しつつも、チェスター候は後に続いた。
 見知らぬ建物を怪訝に物珍しげに眺めつつ、木造の廊下を進んでいく。夏日が突然遮断され、館内はいやに薄暗かった。先頭に立った案内の男と似たような身形の荒っぽい男が廊下を無造作に闊歩している。外でたむろす芸能者らとは、明らかに雰囲気が異なっていた。この彼らの風貌には常人にはない鋭さがある。彼らに対しどこかへつらうようなこのアルドら三人とは、明らかに一線を画していた。同じ遊民にも二種類あるのだということを、ここへきてようやくチェスター候は理解する。
 取り次ぎの男がドアを開けたその先は、昼の酒場のような雰囲気だった。数組の円卓と無数の椅子、部屋中、無造作に置かれたそれらが、向かい一面の窓からの日差しを白々と浴びている。窓を開け放った明るい窓辺で、短髪の男が背を向けていた。取り次ぎの男と似たような身形、外を眺めているようだ。肩越しに振り返り、じっと目を眇めて一行を見た。
「連絡は行ったかい」
 開口一番チェスター候へと声をかける。芝居の天幕に凶報を持ってきた男の身形を思い出し、チェスター候は合点した。この彼が連絡を寄越した本人らしい。ふと、窓辺の男は苦笑いした。
「──なるほど。これが"傾国"か」
 独り言のように呟いて、取り次ぎの男に軽く手を振る。「そこの彼女は別室に」
 慌てて見返すサビーネの腕を、取り次ぎの男はすぐさま取った。驚いて取り付くアルドら三人に構うことなく、有無を言わさず連れ出そうとする。チェスター候は堪りかねて振り向いた。「おい、君。無礼だろう。サビーネは──」
「女の同席は話の邪魔だ。大事な場面で判断が鈍る。ああした女は、、、、、、特にね」
 音を立てて扉が締まった。入室するまでもなく四人の連れを追い払い、男はおもむろに向き直った。「さてと。お話を承りましょうか。まあ、聞くまでもないんだが こっちの意向も伝えなけりゃならねえし」
 窓辺を離れて歩み寄り、手近な椅子を無造作に引く。上着の懐を探りつつ向かいの椅子を相手にも勧め、煙草を咥えて点火した。「しかし、まさか、あんたとはね」
 苦笑いしている向かいの顔を、チェスター候は怪訝に眺める。「──はて。君とは初対面だと思ったが。以前にどこかで会ったかね」
「いいや。あんたは知らないだろうさ」
 年の頃は三十前後といったところか。どこか不遜な短髪の男は、ここを統轄する「ギイ」と名乗った。大事そうに抱えたままのチェスター候のカモミールの鉢に、ギイは怪訝そうに顎をしゃくる。「──土産かい?」
「これは私のだ」
「──相変わらず頓狂だな」
 ギイは苦笑いした。チェスター候は訝しげに見返す。「どういう意味かね、相変わらず、とは。たった今、初対面だと言った筈だが」
「ああ、いや、失礼。なんでもない」
 ギイは面倒くさそうに切り上げた。チェスター候は憮然としつつも、鉢を置いて向かいに座る。
「どうぞ、ご用件を」
 ギイはさばさば促した。うむ、と頷きはしたものの、チェスター候は居心地悪く黙り込む。用件を切り出しかねていた。得体の知れぬこの男に、ゆめ弱みを握られるようなことがあってはならぬ。交渉事は初めが肝心。どう話を切り出せば、事を有利に運べるか、どう話を持っていけば、こちらが優位に立てるのか──。恐らくは十歳とうも年下であろう若造のその風下に立つなどと、万が一にもあってはならない。
 ギイは土足の脚を腿に上げ、その膝で紫煙を燻らせて、じっと観察するように眺めている。ふと小首を傾げて戸口を見た。「ところで、なんで女連れなんだ? ああ、議会の了承を得られなかったか」
「──な、何故、君がそれを!」
 何を合点したものか、おかしそうに苦笑いする。「孤立無援か。大変だな、あんたもさ」
 図星を指されて、チェスター候は絶句した。ギイは目を眇めて、にやりと笑う。「そう警戒しなくていい。なに簡単なことさ。議会に意見を容れられていれば、お偉いさんを引き連れて、堂々と正面から来ただろう? だが、あんたは一人きりだ。いや、あのがいたな。伝手を辿って入り込んだ、が正確かな」
 からかわれたことに気がついて、チェスター候は眉をひそめる。気を取り直し、腹を括って切り出した。
「君達を雇おう」
 ギイは苦笑いで肩をすくめた。「──そう言われてもね」
「金なら出す!」
「気前がいいのは知ってるよ」
「──ならば!」
「本隊は出払っている」
 横を向いて紫煙を吐く。素気ない答えに面食らい、チェスター候は返事に詰まった。「……ならば、私はどうしたら」
「降参するんだな」
 瞠目して見返した。
「そんな事ができるものか! 既にディールを叩いている! 今更降伏なんぞした日には、領民がどんな目に遭わされることか!──何とかしろ。金が欲しいなら幾らでも出す!」
「手駒がない」
 ふっと短く紫煙を吐いて、ギイは椅子の背にもたれかかった。「いくら積まれても、勝算はねえよ。ここに居るのは、哀れな吟遊詩人と、能天気な曲芸師ばかりなり、ってね」
「君達がいるではないか!」
「生憎と俺達は、頭脳労働専門なんでね。だから言ってんだろう、哀れな吟遊詩人、、、、、、、、てよ。戦争するには理屈だけじゃ話にならない。ああ、ちなみに曲芸師ってのは、外にうじゃうじゃいるあいつらのことだが」
「私は領民を守らねばならんのだ!」
 ふざけた言い草に業を煮やして、チェスター候は卓を叩く。ギイは揶揄の口笛で見返した。「勇ましいな。なら、俺に一体どうしろと?」
「決まっている! 軍の連中を叩きのめして──!」
 鋭くギイが目を向けた。
「ぶっとばせ、だの、やっつけろ、だの、高みの奴らは気楽に言うが、敵だって獣じゃねえんだぞ。兵も同じ人間だ。家族もいれば生身の体だ。首を掻っ切りゃ血が吹き出る。そこのところを分かっているか」
 とっさにチェスター候は自分の首に手を当てる。息を呑んだ蒼白な顔を、ギイは確かめるように凝視して、やれやれと嘆息した。「わかればいい。悲愴な顔して固まるなよ。その様子じゃ、考えた事もなかったらしいな、戦の現実がどうなのか。──そういや、あんた、お偉いさんを前に一席ぶったって? 俺達と組むべきだと」
 チェスター候は不意を突かれて戸惑った。「──な、何故、君が知っている」
「なんだって知っているさ。見くびってもらっちゃ困る」
 おかしそうに笑って、ギイは探るように小首を傾げる。「偉ぶった成りのわりには、案外見る目はあるようだな。それにしても解せねえな。どういう風の吹き回しだ。前の時には震えて引き篭もっていたくせに」
 むっ、とチェスター候は顔を上げた。
「失敬な! 断じて私は引き篭もってなどおらん! いつでも出られるよう準備はしていた。それをこまっしゃくれた小娘が!」
 ギイは小首を傾げて委細説明を待っていたが、チェスター候は憤然と口を引き結んだまま、もう梃子でも話しそうにない。この先は沽券に関わるらしい。
「……なんか色々ありそうだな」
 計算が狂ったというように、ギイは後ろ頭を軽く掻いた。肩をすくめて目を返す。
「済んだ話はどうでもいいか。今後の話をしよう。結論から言えば、実働部隊がなけりゃ、どうにもならない。ついては、俺達はあんたの力にはなれない。──悪いな。俺はあんたを気に入ったんだが」
 苦笑いする向かいの顔を、チェスター候は怪訝に見つめた。「……君は、私を試したのかね」
 なだめるように手を上げて、ギイは椅子を立ち上がる。
「癖でね。悪く思わないでくれ。手を組む相手は見極めねえとな。こちとらの商売、途中で裏切られちゃ命に関わる。だが、あんたの連れのお姫さんは、ちゃんと外に出したろう?──ああ、俺達はこれで手を引くが、捕虜の処遇に関してだけは、早急に連絡を寄越してくれ」
 呆気に取られたチェスター候の肩を叩いて、ぶらぶら戸口に歩き出す。はっ、と我に返って、チェスター候は振り向いた。
「そんなものは決まっている! 今、放り出したら、たちまち飢える。動けない怪我人もいるんだぞ」
「了解。所轄の移管を《 バード 》に伝える。──あんたは甘いな。健闘を祈るよ」
 苦笑いで戸を引き開け、ギイは軽く手を振り、出て行った。
 
 
 壁一面の天井までの本棚には、分厚い革の背表紙が一部の隙もなく並んでいた。カーテンの向こうは深い宵闇、机のランプを一つ灯して、革張りの肘かけ椅子に腰を下ろす。
 人けない公邸の書斎の中で、チェスター候は溜息をついた。ギイに協力を拒絶され、打ちひしがれて公邸に戻れば、幾通もの暇乞いが冷ややかに彼を待っていた。それは議会構成議員のほぼ全員からだった。理由は何れも、情勢不穏な折柄、所領の様子を見に戻る、というもので、つまりは体よく見捨てられたのだった。
「──何故、私がこんな苦労を」
 封書を机に放り出し、こめかみに指を押し当てる。チェスター候は深い溜息で目を閉じた。孤立無援に陥っていた。父や兄が生きていれば──と愚痴らずにはいられない。
 一人取り残された公邸の書斎で、チェスター候はしばらくじっと目を閉じていた。薄暗い中、柱時計が時を打ち、のろのろ椅子を立ち上がる。書棚に歩いて、革表紙の綴りを手に取った。それは分厚い記録簿だった。公邸が扱った過去の事案が記されている。打開策を求めて、綴りの頁をめくっていく。
 処理日と概要をまとめただけの事務的で単調な完了報告が続いた。思わず、チェスター候は嘆息する。これでは参考になりそうもない。やむなく書棚に戻そうとし、バサリ、とそれを取り落とした。慌てて床から拾い上げ、開いたままで表に返す。とある記録で目を止めた。そこだけ膨大な記載があった。大分以前の記録だ。月日の欄には凡そ二十年前と記されている。
「──青い髪の民族、か」
 チェスター候は記録簿の紙面を苦々しげに凝視した。そう、忘れもしないあの事件。二十歳間近の血気盛んな若者の心に疑念の種を植え付けた、あの恐ろしくも忌まわしい──。
 当時、大陸北端を覆う樹海には、長身痩躯の風変わりな民族が住んでいた。彼らは無論人間なのだが、付近の住民からは「エルフ」などと呼ばれて遠巻きにされていた。それは肌の色が抜けるように白い美しい容姿のみならず、彼らの長い頭髪が瑠璃のように青かったからだ。
 納税の当否を巡り、領家は彼らと対立した。強制執行に踏み切るも、彼らは抵抗、武力蜂起した為に、当時取引のあったザメールの軍に騒乱鎮圧を要請する。クレスト領家は武装組織を待たず、兵力が少ないカレリアでは、国境軍を動員できない事情があった。
 ザメールの軍は大挙して渡航し、着任した。森に慣れた青い髪の民族は軍を翻弄、膠着状態に陥った。だが、ここで、クレストの想定外の事態が起こった。旗色が悪くなったザメールの軍が最新鋭の火器を使い、森ごと彼らを焼き払ってしまったのだ。
 それは一帯の樹木は元より遺体さえも残らぬほどに強力で残忍な武器だった。生存者の捜索が連日続いた。だが、ついに一人も発見できぬまま、捜索は打ち切られ、彼らの全滅が確定した。
 要請した領家にとっては、これは予期せぬ結末だった。軍の責任者を詰問した結果、どうやら内部で手違いがあり、一部の暴発が招いた惨事とのことらしいが、詳細は明らかにされていない。さすがに外聞が悪かったらしく、領家は関係者に緘口令を敷いた。周囲にも念入りに隠蔽した為、長い年月が経った今では、土地の者でも若い世代には知らぬ者も多く、事件は風化しつつある。また、現場が大陸北端であったことが幸いし、中央までは話が届かず、人権にうるさい商都からの非難は回避できた。
 折悪しく、街全体が殺伐としていたさなかに起きた惨事だった。当時は、不法占拠を続ける余所者に対し、いささか過敏になっており、この少し以前にも、別の暴動が起きていた。それは、とある事故に端を発した遊民居住区の焼き打ちだった。荷馬車の下敷きになった商人夫妻を遊民が一人で救出し、その尋常でない怪力ぶりに市民が恐れたなしたのだった。発生場所は商都へ向かう街道、怪力の遊民の名はガライ、いわゆる"異民狩り"と呼ばれる事案だ。
「──遊民?」
 ふと、チェスター候は眉をひそめた。先日の芝居小屋で叩きつけられた激しい非難を思い出したのだ。ローイという青年が激昂して語った過去。二十代半ばと思しき青年が子供の頃というのなら、丁度この辺りの時期ではないか。役人が関与したのなら、記載が残っていて然るべきだ。
 胸に冷ややかなざわめきを覚えて、チェスター候は頁をめくる。思わぬ攻防の歴史が紐解かれた。露わになる遊民との確執。虚空を見つめる青年の顔を脳裏に浮かべ、眉をひそめ、のめりこむようにして記録を漁る。当該事案は見つかった。どんな言い訳が書き連ねてあるのかと憤然たる思いで紙面を見つめ、チェスター候は息を呑む。
 " 強制執行 不法占拠者を撤去 "
 綴られていたのは、ただの一文。青年の悲憤とは裏腹に、詳細は素気なく綴られていた。
 " 北の草原にて、遊民の工作物を撤去 "
「──野蛮な」
 チェスター候は吐き捨てた。この" 工作物 "とは、つまり彼らの住居のことだ。その冷徹なまでの無関心さに、やりきれない怒りを覚える。元はといえば、他家へ早々に転出したのも、まさしくこうしたことが原因だった。
 幼少時より、何事にも敏感なチェスター候グレッグは、領家の子弟に生まれながらも、そうした理不尽さに義憤を感じる質だった。子供の頃こそ苦々しい思いで見て見ぬ振りもしていたが、とある事件がきっかけで、心の内に秘め続けたそれが、ついに爆発したのだった。それは、森に住む領民が、秘匿していた《 夢の石 》についての引渡命令を拒み、掃討された、というものだ。
 その事件を聞きつけて、多感な青年グレッグは、当時の当主であった父親に憤然と抗議した。実際に手を下したのはラトキエ領家の配下ではあったが、己の土地の領民をクレストが見殺しにした事実に変わりはない。掃討された者達は樹海深くで細々と暮らしていた人々で、都度きちんと納税もあり、落ち度があるとは思えなかった。どう考えても、それは領家のエゴでしかなく、そこに彼の掲げる正義はなかった。だが、先代の領主である父親は、それも当主の務め、とグレッグの抗議を突っぱねた。グレッグには到底納得できず、家督相続権の放棄を宣言、早々に他家へと転出した。利権の見え隠れするどす黒い思惑に魂までをも汚されそうで到底受け入れることができなかったのだ。
 先代の当主である父親は経緯を表沙汰にしないまま、グレッグの名を相続権者から除外した。領家はいやしくも騎士の末裔、臆病者との不名誉な謗りは断固として回避せねばならない。それは親心から発した配慮でもあったろう。領家に名を連ねる限り、そうした事例は嫌でも目にする。まして当主になったなら、自ら手を下す必要にも迫られる。だが、己の手を血で汚すことに彼の繊細な神経は耐えられない。家族の仲はすこぶる良く、妾の一人も持たなかった父は三人の息子を愛していた。だが、その父親も今はない。
 父を亡くした二年前の事故を思い出し、チェスター候は溜息をつく。それは今にして思い出しても、どうにも奇妙な出来事だった。街外れの館の世話を予てよりしていた長兄が、突如「サビーネを欲しい」と言い出したのだ。
 厳格な父は激怒した。彼女は既に兄弟の嫡子をもうけている。だが、長兄は聞く耳を持たなかった。人目を避けて公邸裏手の防風林の陰で密かに行なわれた話し合いは、やがて激しい掴み合いになり、二人は勢い余って断崖から転落。荒れ狂う内海に滑落し、帰らぬ人となってしまった。
 相談があると兄に呼び出されていたグレッグは、彼に突き飛ばされて滑落を食い止めることさえ叶わなかったが、一部始終を目撃していた。やむなく原因を伏せて事故を発表、その後、慌しく代替わりとなる。夫と嫡男を同時に失い、母親は直後に自殺した。
「──"傾国"か」
 あの邪気のないサビーネのどこに、そんな魔力があるのだろう。本人にはその気はなくても、彼女の笑みは男達を酩酊させる。彼らを惑わせ、狂わせてしまう。手の施しようがない程に。楚々とした彼女を思い浮かべて、チェスター候は溜息をついた。
 
 
 
 
 

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