CROSS ROAD ディール急襲 第2部 4章5話4
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 現場向かいの乾物屋の店主が、上擦った怒鳴り声を張り上げた。
「い、医者だ医者っ! 誰か早く連絡してやれ!」
 街は一転、騒然とした。道行く者は足を止め、店主はことごとく表へ出、店の戸締りに来ていた女房は眉をひそめて立ち尽くし──通行を妨げる見物人の顔の中には、街をぶらついていた芸妓団一行も混じっている。
 降って湧いた異状を察して、子供が甲高い声で泣き出した。一気に騒がしくなった街の広場は、切羽詰った、それでいて腰の座らぬ奇妙な高揚感に包まれている。護衛でついていた警邏でさえも、おろおろ浮き足立っている。地面に転がる賊の肩を靴の裏で踏みつけていたギイは、賊の手から刃を取り上げ、点検するように眺めている。
「──シケてんな」
 興味なさそうに放り出し、二人の警邏に目をやった。「おい! あんたら来てくれ」
 賊を取り押さえたギイに気付いて、警邏が慌てて駆けてくる。賊の身柄を引き渡し、ギイは黒山の人だかりを振り向いた。現場を取り巻き囁き合っている群衆を、ぞんざいに両手で掻き分ける。「どいてくれ。通してくれ。──おい、あんた、大丈夫か!」
 チェスター候は我が身を抱いて、うつ伏せになっていた。遠巻きにする人垣を見回し、ギイは眉をひそめて足を止めた。路上にしゃがみ、足元の石畳を睨んでいる。何かを調べているようだ。広場は重苦しく騒然としている。転がったままのチェスター候は、倒れ伏したまま動かない──いや、うう、とうめいて身じろいだ。
「だ、旦那さまっ!」
 硬直していたセバスチャンが上擦った悲鳴で駆け寄った。チェスター候の痩せた体を、脇目もふらずに抱き起こす。「すぐに医師が参ります! お気を確かに!」
 魂が抜けたように立ち尽くしていた使用人達が、弾かれたように駆け出した。眦(まなじり)を決し、口々に「旦那様!」と呼びかけながら、ばらばら二人を取り囲む。抱き起こされたチェスター候の、薄い瞼が微かに震えた。うっすらと目を開ける。一同、食い入るように乗り出した。
「旦那様っ!」
 チェスター候は顔をしかめて苦しげにうめいた。「……もはや、私もこれまでか。……皆、よく聞くのだ。いや、君達に送る最期の言葉を、心して聞いて欲しい」
 震える声で言葉を紡ぎ、視線を弱々しく巡らせる。「私はいくじのない馬鹿者だ。見るべきものから目を背け、耳を塞いで生きてきた。それがどれほど愚かなことか、今の私には身に沁みて分かる。──ああ、そこの君達、こちらへ来てくれないか」
 力ない手を持ち上げて、緩々と手招きした。訝しげな視線が集中する。
「……俺ら、かよ」
 芸妓団の一行が困惑顔を見合わせた。だが、行きがかり上やむを得ないと思ったようで、背を向けるでも逆らうでもなく、ぞろぞろ人垣から歩み出る。仲間と目配せした彼らの一人、アルドが戸惑った顔で身を屈めた。
「なに。俺っちになんか用?」
 前屈みになった上着の裾に、たぐり寄せるようにして縋りつき、チェスター候は遠巻きの市民を振り向いた。「君達は、彼らの声を知っているか。彼らの心を知っているか」
 顔をしかめて唾を飲み、必死で視線を巡らせる。
「君らのその目をよく開けて、彼らの顔を見て欲しい。耳を澄まして、彼らの声を聞いて欲しい。君らと彼らの違いなど、どこにもありはしない筈だ。巷に流れる風聞のみで、君らは彼らを嫌っている。だが、それは大きな過ちだ。彼らはとても優れている、私は先日それを知った。愚かなことに私は、是が非でも先に見るべきものを見ようとしてこなかった。どれほど人生を無駄にしたか、まったく悔やんでも悔やみきれない。こうとなっては如何にも遅いが、胸に燻る忸怩たる想いを、後から来る者に伝えねば、私は死んでも死にきれん。だから、せめて残していく。親愛なる君達に、私が手に入れた、ありのままの真実を」
 誰も一言も発しない。聴衆は水を打ったように静まり返り、今にも途切れそうな弱々しい言葉と、苦しげで荒い息遣いだけが広場を切々と満たしている。女はハンカチを口元に押し当て、痛ましそうに頷いた。男は頭から帽子を取り去り、厳粛な面持ちで立ち尽くしていた。散々罵声を浴びせた店主は、しかめっ面で腕を組み、じっと耳を傾けていた。やっとのことで紡がれる彼の言葉の一つ一つを取り零すまいとするように。今まさに燃え尽きんとする目の前の彼の生き様を見届けようとするように。喘ぐように顔をしかめて、チェスター候は訴えた。
「君達は同じ轍を踏んではならない。同じ過ちを繰り返してはならない。彼らを拒絶して生きるのは、途方もない損失だ。それは大いなる罪であり、大きすぎる過ちなのだ。手に手を取って助け合い、仲良く有意義に生きてゆけば、得るものはきっと、少なくはない。君達の未来は、より豊かに広がる筈だ。それが先に逝く私の、残していく君達への、親愛なる君達へのせめてもの──せめてもの、願いだ」
 かったるそうな溜息が漏れた。聴衆は眉をひそめて、不届きな輩を憮然と探す。犯人はすぐに見つかった。しまった顔つきの短髪の男だ。不遜にも舌打ちしている。
 ぶらぶら足を向けた男を見て、芸妓団の一行が、脇に飛びのき、道を開けた。上着の裾を握られたアルドだけが、逃げ遅れて取り残される。いよいよ近づく短髪の男とチェスター候を忙しなく見やり、しがみつく指をあくせく外して、アルドはじりじり後ずさった。
「わ、悪りぃんだけどさ。俺ら、もう行くからさっ!」
 お愛想笑いで断るなり、飛び上がって踵を返した。逃げるその背に構うことなく、ギイはぶらぶらそのまま進み、チェスター候の前で足を止める。胸の隠しから煙草を取り出し、げんなりしたように見下ろした。「──たく。いつまで浸ってんだ。ほれ、立った立った!」
 路上に投げ出されたチェスター候の脚を、靴の爪先で無造作に小突く。セバスチャンが目を剥いた。
「な、な、な──っ!」
 だが、あまりの無体に二の句が継げない。口をぱくぱく開閉し、ぶんぶん指を振る執事の傍ら、呆気にとられて硬直していた使用人一同が、はっと一斉に我に返った。
「なっ、何をするんだ! お前は!」
 くたっと仰臥したチェスターをあたふた慌てて引ったくった。眦(まなじり)吊り上げ非難の眼差し。
 ギイは面倒そうに眉をひそめて「……あー?」と構わず煙草を咥える。整った顔立ちの従僕が血相変えて立ち上がり、ギイの胸倉を憤然と掴んだ。煙草を口から引ったくる。「旦那様に何をするっ!」
「……いや、何をするも何もよ」
 ギイは投げ捨てられた煙草を眺め、あーあー、勿体ねえことを〜、と恨みがましく嘆息している。ふざけた態度の不遜な男に、従僕は噛み付かんばかりに吠え立てた。「旦那様のお体に、万一の事があってみろ! お前が蹴ったせいだからなあっ!」
 むっくり、チェスター候が起き上がった。
「──だ、旦那様っ?」
 ぎょっ、と使用人らが硬直した。いや、瞠目して怯んだのは、遠巻きにしていた人だかりも然りだ。
 石畳に直に直角に座り込んだチェスター候は、おもむろに我が身を見下ろして、両手でぱたぱた点検している。ぽかん、と口を開けて、ギイを仰いだ。「……切れて、ない?」
「だよな」
 ギイはやれやれと肩をすくめる。
「し、しかし私は、確かにあやつに──」
「安心しな。血なんか、どこにも飛び散ってねえよ。見たとこ、服にも付いてない。つか、くたばる直前の人間が、あんなにぺらぺら喋るかよ」
 あんたらも、いい加減気付けよな、と愕然とした聴衆を眺め、胸倉を掴んだ従僕の手をうざったそうに払いのけた。
「どうなって、いるのだ……」
 事態の説明を乞うように、チェスター候はおろおろ見回す。だが、見物人も使用人も呆気にとられて立ち尽くすばかりだ。斬り付けた当の賊でさえ、二人の警邏に両腕を掴まれ、顎が外れんばかりに、あんぐり口を開けている。目をこすって何度も見直し、唖然と絶句したその賊に、ギイは苦笑いで顎をしゃくった。「あんたの手際は悪くない。だが、狙った獲物が悪かったな」
「ち、違う──違うぞ! 確かに私は斬られたのだ!」
 チェスター候は弾かれたように首を振った。「そうだ、そんな筈はない。そんな馬鹿な話があるものか! 私は本当に痛かったのだ。いや、今でも痛いぞ、ジンジンと!」
 そうだ。一時軽く気絶していた。
 放り投げるように、ギイは答えた。「胸の辺りをぶっ叩かれりゃ、大抵の奴は痛いだろうさ」
 ぽかん、とチェスター候はギイを見た。
「……ぶったた、かれりゃ?」
「ああ。ぶっ叩かれりゃな」
 毒気を抜かれて、シンと固まる。理解の限度を超えたようだ。思考を止めた昼の広場に、困惑と戸惑いが蔓延する。沈黙した人垣のどこかで、はー……と気の抜けた溜息が落ちた。
「ばっからしい」
 はっ、と弾かれたように見物人が我に返った。しばし、ざわつき、そそくさ足早に四散していく。ハンカチでグスグス鼻を啜っていた女房が、立ち去る肩越しにキッと睨んだ。「な、なによ! 人騒がせはよしてちょうだいっ!」
「ち、違うぞご婦人! 違うのだっ!」
 チェスター候は瞠目した。
「私は確かに斬られた筈だ! この目で確かに凶刃を見たのだ! げ、現にああして、吹っ飛ばされてしまったではないか! な、そうだろう?」
 うろたえつつも、事実をもどかしげに訴える。だが、現に無事では、説得力はない。目に涙さえ溜めて見守っていた市民はしかし、一刻も早く立ち去りたい、とでもいうように、きまりの悪そうな憤怒の顔で散っていく。
「……変だよなあ」
 向かいの乾物屋の店主だけが、悲鳴を上げた女房と共に、腕組みで首を捻っていた。
「だってさ、確かに、あの人」
 チェスター候を指さして、顔を不思議そうに見合わせる。「斬られた、よな?」
 誠心誠意、身振り手振りで訴えるも成果は虚しく、チェスター候は、白け切った空気の中、一人ぽつねんと取り残された。周囲の使用人一同も、途方に暮れて突っ立っている。近年稀に見る間抜けな事態に、どう言葉をかけてよいやら分からない、そんな面持ち。だって、大恥もいいところだ。真夏の寒風吹き荒ぶ針のむしろの只中で、ちら、と従僕が盗み見た。
「……あー……なら、刃じゃない方で、切ったんですかね……」
 地べたに呆然と座り込んだ痛々しい主の肩を、へらへらつたなく慰める。「ま、まあ、無事で良かったじゃないですか。──ね、ねえ?」
 突如同意を求められ、使用人一同、ぎこちない笑みで、必要以上にぶんぶん頷く。「そうですとも!」の大合唱。
 冷ややかに散りゆく市民の姿を、チェスター候は成す術もなく見回していた。朦朧とした視界の隅で、ギイに斬られたあの賊が、傷の痛みに顔をしかめて、警邏に引っ立てられていく。地面に引きずる脚からは未だ鮮血が流れている。平穏に暮らすチェスター候には馴染みのない、ひどく生々しい光景だ。だが、賊を斬った当人には、あの時、一瞬の躊躇もなかった。チェスター候は呆けたようにギイを見る。「……強いのだな、君は」
「──本職だぜ、俺は」
 ギイは困ったように苦笑いした。首をコキコキ回しつつ、煙草を新たに胸から取り出す。「にしても──あー危ねえ。間一髪のところだぜ。あんたみたいに運の良い奴は見たことねえよ」
 チェスター候はうなだれた。深い溜息で肩を落とす。「……茶番だったな」
「いい演説だったさ」
 ギイはきっぱり断言し、頬を歪めて苦笑いした。
「連中のあの顔、見てたかよ。ここで本当に斬られていれば、今頃は案外、あんたの弔い合戦にでもなだれ込んでいたかもな。あんたとしちゃあ、惜しいことをしたんじゃないか。──しかし実際、大した器だ。人間、いざとなれば、見苦しい本音が出ちまうもんだが、いまわの際の遺言で、財産かねのことを言うでもなく、家のことを託すでもなく、"親愛なる君達に告ぐ"ってんだからな。まったく、あんたには恐れ入る。赤の他人の行く末が、あんたにはそんなに大事かよ」
 チェスター候はじっと地面を睨んだままで、憮然と応えを絞り出した。「……無論だ」
「そんなこそばゆい口はばったい台詞は、今日日まずは聞けやしねえよ。人として立派だと思うぜ」
 遺言し損ねたチェスター候は、赤面で苦虫噛み潰している。これで最期と思うからこそ、てらいもなく言える言葉も人にはあるのだ。しょぼくれ果てたその様を、ギイは点火越しに眺めやり、空に向けて紫煙を吐いた。荒涼と乾いた声音で目を眇める。「──ああ、本当に、いい演説だった」
 別の含みを口調に感じて、チェスター候は訝しげに仰ぐ。一服しているギイの背後から、わらわら何かがやって来た。両手を振って駆けてくるのは警邏達の一団だ。瞬く間にぐるりと囲み、両手を開いた肩越しに、決死の形相で振り向いた。
「お怪我はございませんか! チェスター候!」
 我が身を盾に、じりじり不審者を警戒している。実に今更な護衛の顔を、チェスター候は、むむっ、と仰いだ。お怪我がないから困っているのだ。憮然としつつも、ギイを見る。「そんなことより、一体これはどうなっているのだ。君は知っているのだろう。さっきも何か妙なことを──」
「悪いが、ちょっと行く所がある」
「……え?」
 抗議を素気なく遮られ、チェスター候は面食らった。恐る恐る見返せば、ギイはもう、少しも笑ってはいなかった。散りゆく市民の気の抜けた顔を、思案するように眺めている。
 賊の片割れを引き渡し、ギュンターが広場に駆けてきた。要人を取り巻く面々を、ギイはおもむろに振り返る。「後のことは任せたぜ」
 ギュンターの肩を促して、ぶらぶら通りを歩き出した。
 
 
 
 
 

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