CROSS ROAD ディール急襲 第2部 4章5話5
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 女子供と年寄りは、公邸や官舎に既に避難を終えていた。避難所に入りきらなかった男達以外で居残っている者がいるとすれば、店を補強しに来た女房か、少しもじっとしてはいられない腕白坊主くらいだろう。
 先の戦でも、街の男達は不承不承駆り出されたが、今回もやはり、動員されることをしぶとく渋った。いや、むしろ今回は、かの隊長の一喝のような問答無用の強制力が全く存在しないが為に、その説得は一層困難を極めている。
 傭兵達の協力を得るには市民の動員が不可欠である旨、チェスター候は声を枯らして訴えた。だが、市民はまるで聞く耳を持たない。現に付近の草原には、今も部隊が駐留しており、捕虜が収容された倉庫街付近でも、傭兵の姿をよく見かける。つまり、彼らさえ街にいれば、前回同様どうにかなると高を括っているようなのだ。高々三十の少数で一千の軍勢を打ち破った圧倒的な彼らの強さは、今も市民の目に焼きついている。むしろ、今、草原に詰めている方が、人数は余程多いのだ。もっとも、市民はそれを知らない。草原にいる駐留部隊は、件の精鋭が出払った後の留守番部隊であることを。
 そして、街道各所の"鳥師"から随時飛び込む連絡によれば、国軍の打ち鳴らす軍靴の音は、刻一刻と迫っていた。無防備極まりないこの街に。
「しかし、刺客ってのは、どういうことすかね」
 ぶらぶら隣を歩きつつ、ギュンターは怪訝そうに顎を撫でた。ギイもあくびをしながら首を回す。「……ああ、俺も、どうも、その辺りが解せなくてよ」
 広場を早々に立ち去ったギイは、とある場所へと向かっていた。街の石畳を歩きつつ、ギュンターは腑に落ちなげに首を傾げる。「誰かに恨みでも買ってたんですかね。とてもそうは見えないすけど。だってあの人、貴族の大半に支持されてた筈でしょう。あの不甲斐なさだから見限られたにせよ、けど、それが刺客を放つほどのことすかね。──ああ、でも、裏では案外嫌われてたりなんかして? なんか、ありそうっすよね〜、そういうどろどろした化かし合いとかって──」
「静かにしな。今、考えをまとめてるんだからよ」
 煩そうに遮って、ギイは咥えた煙草に点火した。肩をすくめた隣をよそに、しばし無言で足を運ぶ。刺客の雇い主にしてみれば、チェスター候を襲撃するには、取り巻きが離れた今が好機だ。だが、このギュンターも言うように、仲間が刺客を放つには動機がいささか弱すぎる。
「……誰かの邪魔になっちまったかな?」
 咥え煙草で呟いて、ふと、隣を振り向いた。「長兄の未亡人に、ガキはいたか」
 ギュンターは上目使いで首を傾げる。
「あ、──ええと、確かいましたね、男が一人」
「巻き返しを図ったか」
 ギイは空に紫煙を吐いた。領主は敵に捕縛され、この地への生還は望み薄。それを知っているのはクレスト領家の血縁者。そして、実にこのタイミングで、後を継ぐべき嫡子が失踪。当主の長兄も既に亡い。となれば、領家を継ぐのはチェスター候の血筋になる。そのチェスター候が狙われている。彼が死ぬことで莫大な利得が転がり込んでくるのは──。
 次兄を今更排しても、当主の血縁に利益はない。つまり、子を失ったサビーネに利益はない。当主のチェスター候を排してしまえば、夫人や嫡子に益するところは無論ない。むしろ致命的な損害だ。となれば、残るこの件の利得者は長兄の未亡人とその子供。ギュンターもそこに気付いたようで「──なるほど。お家騒動ですか」と得心顔で呟いた。
「たく。傍迷惑な話すよね、よりにもよって、こんな取り込んでいる時に」
 げんなりぼやき、人けなく静かな住宅街を見回して、隣を思わせ振りに一瞥する。「軽く潰しておきますか」
「ああ、任せる」
 ギュンターが了解の意で肩をすくめた。この日の午後、件の未亡人宅に黒幕告発の怪文書が送りつけられることになる。「──で」とギイを振り向いた。「どこ行くんすか、俺らはこれから」
 ギイはかったるそうに首を回した。「なに。ちょっと布石を打ちにな」
 重たい扉をガタンと開けて、だだっ広い建物へ躊躇なく踏み込む。怪訝に振り向いた一同を見渡し、ギイはにやりと口の端を上げた。
「ここのボスは、いるかい」
 
 
 件の遺言未遂事件が災いし、聴衆はすっかり失せ果てていたが、チェスター候は今日も一人で、張り切って演説を続けていた。痩せた体をぐいぐい捻って準備体操をしていたから、張り切っていることは間違いない。
 目の前で主が襲われて震え上がったチェスター邸使用人一同は、今日も屋敷から出張っていた。パーティー好きの奥様が子供共々レーヌへ避暑に行ったので、そもそも暇を持て余していた訳でもあるのだが。前よりも尚、いっそう冷ややかになった市民の視線を見渡して、一同、途方に暮れた溜息をつく。日頃から神経質なチェスター候は、そうした気質のご多分にもれず打たれ弱そうな痩身であるので、無念のあまりにペシャリとへこたれ、地の果てまで沈みこむものと思われたが、これが案外、しぶとかったようなのだ。そして、今日も今日とて、広場では閑古鳥が鳴いている。
 往来の向こうの街角から、甲高い可愛らしい声が聞こえてきた。「チェスター候! チェスター候!」と親しげに名を呼び立てている。
 わらわら街角から駆けてきたのは腕白坊主の一団だった。がなる口を、あむ、と閉じ、チェスター候は顔をほころばせて振り返る。
「おお、君達は先だっての」
 危険物を手に手に掲げ、懐に突進してきた子供達の一団だ。チェスター候は高貴な生まれ故、下々が暮らす下町などには滅多に出向きはしないので、ましてや街の子供らと親しく言葉を交わす機会などは皆無であったが、このモテモテぶりから察するに、何かやたらと子供に懐かれる質であるようだ。そして、チェスター候当人も彼らを大いに気に入った様子で、子供の低い目線に合わせて姿勢の良い背を直角に屈め、眦(まなじり)下げて目を細めている。気難しげな見かけによらず子供好きであるようだ。
 子供達は慌てふためき、チェスター候を取り巻いた。華奢な両手を一杯に伸ばして、我先にと話しかける。たどたどしい彼らの話を、チェスター候はふんふん機嫌よく聞いてやる。
 そして、主を含むチェスター邸一同は、顔面蒼白で唾を飲んだ。子供が無邪気にもたらした話は、大人達の度肝を抜く予想だにせぬ凶報だったのだ。そう、あろうことか、廃倉庫街の捕虜収容所で、騒ぎが持ち上がっている、というではないか。
 チェスター候は慄然と、件の倉庫街を振り向いた。捕虜収容所で騒ぎが起きた、つまり、それが意味するところは──
「暴動か!」
 とる物もとりあえず急行した。
 わっせわっせと駆け急ぐ視界に、捕虜を収容した件の倉庫が見えてくる。チェスター候は息を呑んだ。
「待て、君達! 早まっちゃいか──っ!」
 後ろから口を塞がれた。
( ──何をするのだ、セバスチャン! )
 何故だか声を潜めて厳重抗議。犯人は執事のセバスチャンである。背の低い小太りの執事は、諌めるように声を潜める。
( 旦那様! あれ! あれっ! )
 指をさされた方向に、チェスター候は眉をひそめて目を向けた。言われてみれば、何やらくぐもった物音がする。捕虜を収容している目的の廃倉庫の、一つ手前の倉庫の裏手だ。重い物を落とすような、壁に何かをぶつけるような、鈍く荒々しい不穏な物音──。
「……何を、しているのだ?」
 古い煉瓦の壁の向こうで、誰かが何かを蹴りつけていた。引いた足の勢いから、そうとう強い力で蹴り上げているらしい事が辛うじて分かる。そろそろそちらに向かいつつ、チェスター候は眉をひそめた。若干背伸びして向こうを覗く。
 驚くべき光景が飛び込んだ。日陰になった建物の裏に、傭兵姿の一団がいた。足元に男がうずくまっている。青い軍服。収容所の捕虜だ。
 傭兵達が取り囲み、力任せに蹴りつけていた。密かに捕虜を甚振って憂さ晴らしをしているらしい。今、壁の向こうでは、暴力の嵐が吹き荒れている──。チェスター候は眦(まなじり)を決して足を踏み出す。「なんと愚劣な! あやつら許せんっ!」
「──だ、駄目でございますよ、旦那様っ!」
 慌ててセバスチャンが取り付いた。
( あれは、あの気の荒い傭兵の仲間ですよ。前にも広場で、賊を斬って捨てたではありませんか。手に負える相手ではありませんてば )
 革ジャンの胴を両手で掴んで、主をこそこそ引き止める。つまり、触らぬ神に祟りなし。
「ええい、放せ! 放さんかっ!」
 ステッキの手を振り回し、ふんぬ! とチェスター候は振り払った。隠れ見ていた壁を出て、つかつか一団に闊歩する。大人の身長二人分の距離を開けて立ち止まり、両手を腰に押し当てた。
「そこで何をしておるか!」
 止める間もなく渾身の一喝。見て見ぬ振りなど、鋼鉄の良心が許さない。使用人一同、諸手上げて震え上がるも後の祭り。拳を上げかけた傭兵が、ふと、叱声を振り向いた。
「……あ?──やべ!」
 慌てた様子で踵を返し、ほうほうの態で逃げていく。怒り心頭に発して真っ赤にのぼせたチェスター候は興奮しすぎて酸欠状態。だが、
「逃がすか、外道っ!」
 後を追うべく果敢に踏み込む。
「駄目ですってば! 旦那様っ!」
 むず、と自由を拘束されて、憮然と声を振り向いた。忠義の執事セバスチャンであった。必死に睨んで首を振り、後ろから羽交い絞めで制止している。急展開についていけず取り残されていた一同が、奮闘中の太っちょ執事に( とっとと来い! )と顎をしゃくられ、はた、とようやく我に返った。
「だ、旦那様っ!」
 遅ればせながら、わらわら駆け寄り、チェスター候に四方から取り付く。「ささっ、こっちに!」とすかさず逆方向に押しやった。主に対してこうした捕獲は無礼であろうが、それを論じる暇はない。
 あっという間に人壁に埋もれ、揉みくちゃにされたチェスター候は、良好な視界を確保すべく、ぴょんぴょん飛び跳ね、不届き者の様子を覗こうとする。「ええい! 放せと言ったら放さんか! あやつらが逃げてしまうではないか!」
「──駄目ですってば旦那様っ!」
 無謀な殿を、むぎゅ、と使用人スクラムが押し返す。「暴動を止めに来たんでしょっ!」
 はた、とチェスター候は我に返った。
「おお、そうであった」
 ぴた、と抵抗を取り止める。正気に戻ったらしい。ほー……と息を抜いた従僕が、逃げ去る傭兵団の背を眺め、頬を引きつらせてビクビク笑った。「い、意外とちょろい連中でしたね」
 それが二つ目の角を曲がるまで、ふんっ、と憎々しげに睨み付け、チェスター候は背筋を伸ばして、革ジャンの前立てを整える。ふと、傍らを見下ろした。
「大丈夫かね、君」
 今更捕虜に気付いたらしい。壁に積まれた雑穀袋に尻もちをつくようにしてもたれた捕虜は、殴られたらしき頬を拭って薄汚れた顔をしかめている。ほんの僅か目を眇め、傍らに立ったチェスター候をしげしげ仰いだ。「……シルクハットと革ジャン、て、なんだその変な成り
 使用人一同は飛び上がった。この阿呆はあろうことか、
 ──核心に触れ(やがっ)た!?
 子供でも慈悲で遠慮したのに。
 なに? と振り向いた主の視界を、両手を振り回してあたふた塞ぎ、わーわー喚いて声の余韻を消去する。チェスター候は、ぽかん、と見た。「はて。今、何か言われたような──」
「なんでもありませんなんでもありませんなんでもありませんっ!」
 使用人一同、一丸となって、即刻、断固否定する。
「そんなことより、急ぎませんと!」
 おお、そうであった、とチェスター候が動きを止めた。うむ、と素直に踵を返す。わりあい素直なのが、このご主人様の取り柄である。一同、胸を撫で下ろす。ふと気付いたように、チェスター候が首を傾げた。「そういえば、君達も一緒に来るのかね」
「お供しますとも! 旦那様っ!」
 使用人一同、眦(まなじり)吊り上げ、ずい、と詰め寄る。ちら、と互いに目配せした。下々の暮らしが珍しくて珍しくて仕方のないご主人様は、何にでも首を突っ込みたがる。だが、この怖い物知らずの世間知らずをこの調子で野放しにしたら、命が幾つあっても足りやしない。
 主を中央に押し込めた押しくらまんじゅう状態で、目指す現場ににじり寄る。こうした場合、本来ならば、捕虜の方をこそ厳重に捕らえて然るべきではあるのだが、生憎そこまで手が回らない。もっとも、ほったらかされた軍服の捕虜は、ぶらぶら手持ち無沙汰そうについてきたので、逃げるつもりはないらしい。
 廃倉庫改め臨時捕虜収容所の古く頑丈な鉄扉を前にし、ぬぬ……と一同は足を止めた。見張りに開錠させている間も、じぃっ、と穴が開くほど件の扉を凝視する。一同は、ごくり、と喉を鳴らして唾を飲んだ。この扉を開けたが最後、戦闘準備を整えた兵が各々拳を振り上げて、わんさと飛びかかってくるかも知れないのだ。
 顔を引きつらせた従僕が、誰に言うともなく振り向いた。「せ、説得したら、思い止まってくれますかね……」
「なんとしてでも阻止せねばなるまい」
 へっぴり腰で身構えた引きつった顔の面々を、チェスター候は端から見渡す。「いざ往かん!」と重たい鉄扉を引き開けた。
 
 天井付近の高窓から倉庫に差し込む麗らかな日差しが、だだっ広い床板を明るく照らし出していた。扉の向こうで訝しげに見やった彼らはしかし、「……なに。もう飯〜?」などと大あくびをかましている。
 車座になって雑談に興じている者、ベッドで昼寝をしている者、雑誌を暇そうに眺めている者──大半は着替えとして支給した丸首シャツと綿ズボンというくだけた格好だ。もっとも、上半身裸のままでうろついている者も中にはいるが。この収容所に怪我人はいない。火傷を始めとする負傷者も当初は大勢いたのだが、打撲等の軽症を除く要治療の負傷者は、街の幾つかの病院で、随時手当てを受けている。
 扉の向こうは、のんびりざわめき、寛いでいた。様子を仔細に観察するも、暴動の気配などカケラもない。ピークに達した緊張が弾けて、一同へなへな戸口の床にへたり込む。
 建物の裏で甚振られていた件の捕虜は、呆然と固まった一団の横を、ぶらぶら気負いなく通過した。足を止め、チェスター候の放心顔をしばし眺め、戸口で呆けた面々を肩越しに振り向き振り向き、歩いていく。
「……なるほど。まったく頓狂だ」
 頬に苦笑いをうっすら浮かべ、日なたで寛ぐ仲間の元へと、捕虜はぶらぶら戻っていった。
 
 
 
 
 

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