■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 4章5話9
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庭の隅──いや、鉄格子の向こうからだ。
木漏れ日落ちる裏路地に、短髪の男が立っていた。呆気に取られた一同に、笑って視線を巡らせる。
「よく集めたじゃねえかよ、大したもんだ」
相手を認めて、チェスター候が口を引き結んで進み出た。
「皆が力を貸すと言ってくれた。君が提示した条件を、この通り私は満たした。さあ、これで──」
「ちょっと待った」
ギイは素気なく遮った。
「その前に、確認しておくことがある」
訝しげに見やった一同の前で、突っ立ったローイに目を向ける。
「お前らは、それでいいのかよ」
どことなく詰問口調だ。ローイは不貞腐ったように見返して、渋々応えた。「いいって何が」
「無条件で引き受けちまっていいのかよ」
ギイは舌打ちして言い直す。
「──条件だァ?」
ローイは大仰に嘆息した。「なにシケたこと言ってんだ。要らねえよ、そんなもん」
「言っておくが、強制する気は、俺にはない。それでも参加するのかよ」
「──おう、するさ! 決まってんだろ」
弾かれたように見返した。「あんたらに命令されたから、やるんじゃない。この参加は俺の意思だ!」
だが、食ってかかったその後に、不興を買うことを恐れるように、視線をそっとギイから逸らす。ギイは眉をひそめて小首を傾げ、真意を測るように目を眇めている。
二人を怪訝そうに見比べて、チェスター候が進み出た。「これで君も文句はなかろう。我々を助けてくれるな」
「承知した」
ギイはぶっきらぼうに即答した。視線をさばさば振り向ける。「仕方がねえな。雇われてやるよ。これで交渉成立だ」
「……引き受けて、くれるのか」
チェスター候は面食らった。あまりに呆気ない受諾の言葉だ。あんなにも苦労したというのに。ギイはかったるそうに首を回す。「俺は今、そう言ったろ。あんたの人柄は多くの者に擁されるに足る」
「では守ってくれるのだな、この街を」
「守る? あんたはなんか勘違いしちゃいねえかな」
短髪の頭をやれやれと掻いて、一同の顔を見渡した。
「街を守るのはあんたらだ。俺はその力添えをする。だから義勇兵を募ったんだろうが。言っておくが、命の保証はしねえから、そのつもりで」
ざわり、と一同がざわめいた。それに構わず、ギイは続ける。
「あんたらには、殺し合いをしてもらう」
ぎょっ、と一斉にギイを見た。庭に不安が蔓延し、血の気が引いた一同が動揺して見交わしている。ギイは呆れた顔で腕を組み、やれやれと嘆息した。
「なに驚いてんだ。これは戦だ、遊びじゃない」
おろおろチェスター候が顔を見る。「し、しかし、君──」
「おっさんよ。庇護するばかりじゃ、自分の陣地は守れやしないぜ」
ギイは素気なく吐き捨てて、青ざめた面々を見回した。「たく。大丈夫かよ、こんなんで。あんたら前にも戦ったことがあるんじゃねえのか」
顔を強張らせていたチェスター候が、気を取り直して、凍り付いた一同を振り向いた。「い、いや、諸君、大丈夫だ。神のご加護はある。これは正義の戦いなのだからな」
「──正義」
ギイは鼻先であざ嘲笑った。
「水さすようで悪いんだけどよ、"正義の戦い"なんてものはねえよ。戦ってのは、どっちが良い悪いの話じゃない。どっちが生き残るか、それだけの話だ。それについちゃ、人も獣も変わりはない。潰し合いは本能だ。その是非を問おうなんざ馬鹿げてる。獣の生存競争なんざ、そもそも誰にも裁けはしねえ。ちなみに、勝った奴は常に"悪"だ。より多くの同胞を殺して、てめえが生き残ったって話だからな。なのに"正義"を名乗れるのは勝ち残った者だけだ。この耳障りの良い小奇麗な言葉がどれほど白々しく胡散臭いか、これで少しはわかったかい? もっとも、降伏すれば全てが終わりだ。聖なる土地は根こそぎ奪われ、大事な家族は蹂躙される。敗れた街には血の川が流れ、幾代にも渡って搾取される。──さて質問だ、勇士諸君」
食い入るように見つめる顔を、挑発するようにギイは見回す。
「この戦いに正義はない。あるのは残忍な現実だけだ。一たび戦が始まれば、祈っても縋っても、神は何もしちゃくれない。自分の力と機転だけが頼りだ。それでも他人を押しのけて、生き残りたい、と貪欲に願うか」
一同が口を引き結んだ。
おお! と力強く気勢を上げる。真面目に見返す面々を見渡し、ギイは頬を緩めて苦笑いした。
「上等だ。歓迎するぜ、勇敢なる戦士諸君。ついては、各自用意して欲しいものがある」
一通りの指示を出してしまうと、ギイは部下を呼びつけた。耳打ちされたアルチバルドは、チラと目を上げ、にやりと笑う。
「例のアレすね。ひとっ走り行ってきます」
駆け去るその背を見届けて、ギイは高揚した面々をぐるりと見渡す。倒した椅子を引き起こしていたローイを見つけて顎をしゃくった。「──ああ、お前はちょっと来い」
緑の庭のあちらこちらでは、一同が言葉を交わしている。シャツの胸に手をやりながら、ギイは鉄格子越しに笑いかけた。「よお、裏切り者」
「……うっせえな、いかさま詐欺師」
ぶらぶら庭を横切ってきたローイは、片隅に呼びつけられ、不貞腐った顔でそっぽを向いた。鉄格子の前で首を傾げ、まじまじと腕を組む。「しかし、よくも手ぇ貸す気になったよな。あんたみたいな冷血漢が」
ギイは庭の様子を眺めつつ、苦々しげに舌打ちした。「冷血漢は余計だぜ。非力な市民を、まさか見殺しにはできねえだろ」
「うっわあ。嘘っぽい」
「いいのかよ」
「何が?」
「あんな石ころ一つで引き受けちまってよ」
ローイがむっと眉をひそめた。ギイは冷ややかに顔を見る。「一人で勝手に決めちまって、仲間はそれで納得するのか」
「──いや、たぶん平気だろー?」
ふい、と目を逸らし、ローイは頭を掻いて肩をすくめた。「なんだかんだ言ったって、前にもちゃんとやったしよ」
「市民の為なら協力する、か。どこまでお人好しなんだ、お前らは」
ギイは煙草を咥えて点火した。
「有利な条件で交渉するには、こいつは又とないチャンスだろう。お前らの悲願を今こそ突きつけてやればいい。椅子の数は限られてんだ。なら押しのけてでも分捕れよ。俺達なら、そうするぜ」
「……交渉は、しねえよ」
ギイは胡散臭げにローイを見る。「やられて、何故やり返さない。知恵も力もあるくせに。相手の弱みを握ったら、屈服させて成り代われよ!」
「それでも俺達は、人殺しにはなりたくないんだ!」
ギイが胡乱に目をやった。苛烈な視線に射抜かれて、ローイは戸惑ったように目を逸らす。「……悪りィ。あんたらのことを言ったんじゃない。そういうことじゃ、ないんだ」
「言っておくが、お前がしようとしているのは、掛け値なしの殺し合いだぜ」
淡々と釘をさし、一服吐いて、目を戻す。
「お前に人が殺れるのかよ」
視線の鋭さに、ローイは怯んだ。
「大事なところだから、おちゃらけねえで真面目に答えろ。他人を殺す覚悟はできてんだろうな」
「……あ、……あ、いや、俺はその……」
ローイは声を呑み、戸惑い顔で目を逸らす。ちら、と愛想笑いで目を向けた。「で、でもよ、何も殺さなくても。この前の時だって、なんとかなったし──」
「何かを守るって事はつまり、他人を押しのけ、排除することだ。そこに自分の陣地を確保する。相手は力づくで奪いにくるんだ。一旦始めちまったら、戦闘員の一人一人が仲間の命を背負うことになる。その時になって、できません、じゃ済まされねえんだよ」
疑わしげに眺めやり、ギイは目を眇めて語気を強めた。
「やれるな」
ローイは追い詰められたように目を逸らした。頑なに眉をひそめている。やがて「──ああ」と苦々しげに横を向き、自らを叱咤するように舌打ちした。「……ああ、やれるさ。決まってんだろ」
「その言葉、覚えておけよ嘘つきが。こき使ってやるからな」
嘲るように嘆息し、ギイは足を踏み替える。
「たく。そうまでするかね、仇の為に。剣はこれまで、どうあっても取ろうとしなかったくせに。本当にお前らは不可解だ。──まったく、いじましい限りだぜ。お前の大事なお仲間が、これで死ぬかも知んねえなあ。あの連中の盾になってよ」
むっとローイが見返した。ギイは鋭く視線を捉える。
「気紛れに恵んでくれるのを、そうしてずっと待っているつもりか。卑屈に顔色うかがって。犬ころみたいに尻尾を振って。今はあの群れ、お前が率いているんだろう。お前が引っ張って行く先は破滅への道じゃねえのかよ」
「俺は、あのおっさんに、もう一度賭けてみたいんだ! 俺を買ってくれたおっさんに」
「だからゲームに勝てねえんだよ。そうやって馬鹿みたいに尽くした挙句、何度奴らに裏切られてきた。何度道化を演じてきた」
「──ケリはついたさ」
「そんなんだから、なめられんだよ!」
「あんたらロムにはわからない」
叩き付けるように言い返し、ローイは堪えるように目を瞑った。もどかしげに嘆息し、煩悶するように首を振る。「……確かに、又、裏切られるかも知れない。いいように利用されて、馬鹿にされて終わるかも知れない。そんな事を俺達は嫌というほど繰り返してきた。期待し、裏切られ、落ち込んで──ああ、ガキの頃からそうだった。あんたの言う通り、ずっとずっと、そうだった。次こそは、って期待して、いつかは認めてくれるんじゃないかと何度も何度も期待して、その都度何度も裏切られてきた。夢なんか、二度と見ないと誓ったよ。それでも──」
弱々しく首を振る。
「それでも、奴らがくれる喝采だけが、俺を解放してくれる。呪縛から解放してくれる。口笛、喝采、囃し声、普段は見向きもしないのに、芸をしている時だけは注目してくれるんだよ。好奇でもなく蔑みでもない、純粋に羨望の眼差しで。舞台に立った時だけは、俺らはあいつらを支配できる。その時だけは対等になれる」
ギイは辟易したように嘆息した。「──それっぱかしじゃ引き合わねえだろ。損得ってもんをもっと計れよ」
ローイは振り払うように首を振った。
「おっさんだけが褒めてくれたんだよ。初めて褒めてくれたんだよ。いけ好かねえ貴族のくせに"感動した"って言うんだよ。──笑っちまうよな。今期の出し物の題材はガキの頃の立ち退きの話で、俺達を追っ払った連中に皮肉でぶつけてやってるってのによ。なのに、役人を差し向けた上の野郎が"感動した"って泣くんだよ。他人に向けて発した声は、必ず声は、」
縋りつくように目を上げた。
「声は、届くんだよ」
ギイが気圧されたように口をつぐんだ。苦々しげに嘆息する。「──腰抜けが。なんでそんなに意気地がねえんだよ」
盛大な溜息で顔を上げた。
「役割を指示する」
くだけた調子が様変わり、ローイは面食らって硬直した。「な、なに?」
「だから、お前らの役割だ。参加すんだろうが」
「──あ、ああ。さっきのやつ、ね」
「逃げんなよ」
ギロリ、とギイは釘をさす。ローイは目を泳がせて、揉み手の上目使いで一瞥した。「あ、いや、できれば、あの……お手柔らかに頼みたいな、なんて」
「怯えんなよ」
ギイはうんざりした顔で頭を掻いた。
「確かにお前らは気に食わねえし、現に俺達のお荷物だが、この機に乗じて殲滅しようなんてセコい考えは持っちゃいねえよ」
鉄格子に手を突っ込み、ローイの肩のシャツを掴む。その手を手荒く引き寄せた。耳元で策を授けられ、ローイはふむふむと頷いている。ぱちくり瞬き、ギイを見た。
「もしかして、けっこう俺達、要じゃない?」
「逃げたら殺す。わかったな」
ちゃらけた口を、ギイは煩わしげに黙らせる。
「──あい、了解」と両手を上げて降参し、ローイは、ちら、とギイを見た。
「脚色していい?」
「てめえ。俺の話を聞いてたか?」
ギイは苦虫噛み潰す。「ぶち壊す気か。調子に乗って、おっ死んだって知んねえぞ」
「心配してくれんの?」
ギロリ、とギイが目を向ける。ローイは頬をにんまり緩めた。
「安心したよ。大事な仲間、あんたになら任せられる」
実に嫌そうにギイが睨むが、ローイは構わず視線を下からすくい上げる。
「だってほら、せっかくの見せ場なんだしさ! あ、実は俺、とっても乗り気よ? だからいいだろ? 俺好みにしても」
ギイはげんなり、俯いた額を片手で掴んだ。
「……好きにしろ」
首を緩々、くたびれたように振る。お前と話すと頭痛がする、といった顔。
「ん?」とローイが視線を下げた。見れば、黒い頭が右の脚に張り付いている。それが口を尖らせて顔を上げた。
「まだあ?」
石をくれた、さっきの子供だ。ほったらかしにされたので、ついに痺れを切らしたらしい。(あー、そーだったっけな……)とローイは口約束を思い出す。子供を押し付ける手下の三人を探していると、子供は脚に張り付いたまま、ちら、とギイの顔を見た。
「おじちゃんもあそぶ?」
顔は嫌々だが、一応は誘う。子供なりに気を使ったらしい。ちなみに、ローイの呼称は「おにいちゃん」である。この差別待遇はあんまりだとギイは思ったらしかったが、苦笑いしただけで手を振った。「……おじちゃんはいいよ」
「──すっかり遅くなってしまいましたわ」
場違いな明るい声が滑り込んだ。軽く高い声に気づいて、庭の高揚したざわめきがやむ。一同が振り向けば、居間の扉を入ってきたのは館の女主サビーネだった。両手でトレーを掲げ持った三人が後ろに付き従っている。
「ごめんあそばせ。さあ、クッキーを召し上がれ……」
笑顔で庭を振り向いて、「──まあ」とサビーネは停止した。きょろきょろ不思議そうに見回している。招いた覚えなど全くないのに、お茶会の客の人数が数十人に膨れ上がり、庭中に集って歓談しているというのだから、驚くのも無理はない。
同じく事情の分からぬ前掛け姿の三人と、女主は瞬き合い、呆気にとられて一同を見回す。そうして彼女はにっこり笑った。
「まあ、賑やかですこと」
そういう話では、多分、ない。
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