CROSS ROAD ディール急襲 第2部4章 最終話1
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 あの短髪の指揮官が、駆けまわる子供の腕をつかまえ、防護服の背をかがめた。わらわら集った子供らに何事かさとして言いきかせている。親の目を盗んで出てきたらしいが、一戦をひかえた街中を子供が平気で駆けまわるなど、隣国であれば、ありえない話だ。子供たちは口を尖らせ、不満そうな顔で聞いている。それでも不承不承うなずくと、両手を振って駆けだした。彼はやれやれと背を起こし、市民の集まり具合を眺めつつ、ぶらぶら人込みを歩きだす。指揮官自らこんな世話まで焼かねばならぬのは、人手が圧倒的に足りないからだ。いや、頭数だけは揃っている。
 早朝の街の広場には、五千人もの市民が集結していた。もっとも、勇んでつどった顔ぶれを見れば、頭髪の薄くなりかけた、屈強な国軍とやり合うにはいささか心許ない中年以降がほとんどだ。過疎地の者は職を求めて都会に出るのが常なので、この北端の街でもご多分にもれず豊富な戦力は望めない。こうした戦時に有用な若者となれば尚のことだ。指揮官ギイは、いささかくたびれた面々を若い方から順に選り、最前線に配する精鋭部隊を即席で組んだ。 
 ギイは口の端で煙草を噛み、わいわいがやがや落ちつきのない市民の様子を、たるそうな顔で眺めている。その喧騒の中の横顔を眺めて、ローイは思いがけなく気の毒に思った。使い慣れたロムならともかく、傍目にも素人とわかるこんなしょぼいおっさんを率いて、訓練された本職の軍隊とやり合おうというのだ。そりゃ誰だって協力を渋りたくもなる。その上、決起から一夜が開けて未だ興奮冷めやらぬ市民らは、浮き足だったお祭り気分だ。それでもこれらを取りまとめ、なんとか勝たせてやろうというのだから、ギイの酔狂には恐れいる。
 広場の随所に寄り集まり、武器を手に手に興奮気味に話しているのは、この暑いさなかにずんぐりと着ぶくれた男のみだ。乾物屋の女房らの一団もまなじりを決して鼻息荒くやってはきたが、ギイは彼女らを見た途端、「やー、どーもどーも、すいませんねえ」と平身低頭へいこらしつつも問答無用で追い返した。案の定、黄色い喚声で抗議され、理由は色々つけていたようだが、要するに「やりにくい」というのが本音らしい。異質なものは統率しにくい。それが(ことによると旦那衆より、よほど威勢のいい)カミさん連中とくれば尚のことだ。ちなみに、何も怖いものなどないように見える不遜きわまりないあの男でも、敵に回してはならない相手はよくよく心得ているらしい。
 ロム八十名の内の半数は、先兵もしくは連絡にあたり、残りの半数四十名で捕虜収容所を警備している。今は大人しい捕虜たちも、街のきな臭い雰囲気を嗅ぎつけ、味方の接近を察知すれば、やかんの水が沸騰するかの如くに騒ぎだすこと請けあいだ。六百もの捕虜が蜂起すれば、本職でなければ太刀打ちできない。仮に、獄を破った大群が背後から大挙して押し寄せた日には、ど素人の即席軍などあっという間に武器を奪われ、木っ端微塵に玉砕するのは目に見えている。よって、今は沈黙している不気味な一大勢力を、いかに御すかが勝敗を分ける鍵になる。
 近隣の農場の者だろうか、腰の曲がった初老の男が、干し草を扱う大きなフォークの柄に両手をのせて、隣の者とカカと笑って話している。あのピッチフォークが彼の得物であるらしい。参戦する市民の大半は、そうした農具や鍬(すき)やら鋤(くわ)やら自前の武器をたずさえている。武器なら捕虜の軍刀があるが、その総数は六百にすぎず、相手が五千もの大人数では、さすがに全員には行き渡らない。市民は兜の代わりに鍋をかぶり、着脹れした上着の下には、鍋釜の蓋だの食品トレイだの、スノコだの看板だの砂落しマットだのを胸当ての代わりにくくり付けている。
 サビーネの庭での決起の後、ギイは市民にそれらを各自持ち寄るよう指示していた。刃から身を守る防護服については、例の"地下倉庫"からあるだけ出して前方に配する者から順に貸し与えたようではあったが、ロムが日頃使用している得物については一振りたりとも出さなかった。理由はたやすく想像できる。"あれ"を扱うには市民は非力だ。うかつに渡せば、思わぬ事故が起きかねない。
 装備に関するそうした細々とした事柄の他にも、ギイはいくつか行動に関する指示を出した。といって高邁で曖昧な理想をかかげて発奮させるというのでもなければ、一人あたり何人しとめろ、というような無理難題を押しつけるというのでもない。内容は至極単純だった。それらはおもに隊の配置や合図の仕方、緊急時には誰にどう連絡し、どこへどう逃げればよいのか等々、いわば戦場での基本的な身の処し方だ。
 その点、ギイはさすがに手慣れていた。先の国軍との戦闘では、訳もわからず放り込まれて、敵を見ただけで舞いあがり、あるいは震えあがってうろたえてしまい、行きあたりばったりで闇雲にやりあわねばならなかったが、その時々の対応の仕方を事前に的確に指示してくれる。次に何をどうすべきか各々慌てて悩まずとも、指示された通りに動けばいい。そうすれば、多分どうにかなる。いや、ギイがなんとかしてくれる。戦局を俯瞰し、策を弄し、自軍に有利に展開すべく必ずや采配してくれる。
 その堂にいった話し振りを見ているだけで、勝利へ道筋をイメージできる。ギイの描く具体的な構図を各々納得することで、群れの一員としての自分の立ち位置、成すべき役割が自ずと明確になってくる。進むべき道が決まってしまえば、あとは障害を突破すべく全力で努力するだけだ。思いわずらう必要はなく、むしろ勝手気ままな行動は群れの利益を阻害する。この境地に辿りつく頃には、そのあたりの分別もついている。方向性の異なる個々の矜持をかなぐり捨てて、群れの力を最大化する。それがそのまま生き残り確率を押し上げる最も有効で効率的な手立てとなるのだ。そしてギイは、集団の力を最大化すべく方策を尽くす。
 こうした承服の手順を踏むことにより、殺しあいなどという破滅的な状況に放り込まれて尚、不安にささくれ立った気分が落ちつき、のぼせ上がった頭も冷えて、日頃の平静さを取り戻せる。不退転の覚悟と割りきり。そして、寄せ集めの烏合の衆が、曲りなりとも統率された戦闘集団へと変貌をとげる。組織の中に参謀がいるとは、実にこういうことなのだ。
 広場に詰めかけた市民らは、高揚した顔でざわめいている。その光景に既視感を覚えて、ローイはふと振り向いた。
「そういや近頃、あっちの奥方見てなくね?──ほら、あの生きのいい奥方さ。つか、なんであんた、あののこと嫌ってんだ? サビーネにはあんなに親切なのに」
 この"奥方"とは、つまり、口から先に生まれてきたようなあの彼女のことだ。領主の正妻エレーン=クレスト。隣でたたずむ白銀の鎧が、ピクリ、と頬を引きつらせる。口を苦々しげにひん曲げた。「あれは、我が麗しのジュリエンヌを折りおったのだ」
 チェスター候は憮然と顔をしかめている。ちなみに、重たそうな鎧を着ているが、兜の方はつけてない。
「折った? 殺ったじゃなくて?」
 ローイは一瞬考えて、耳に手をあて、ひそひそ声で顔を寄せた。「でなに。そのジュリエンヌってのは、どこの女?」
 チェスター候は嘆息をもらして、悲嘆にくれて首を振る。「私のかわいい青薔薇だ」
「……ばら?」
 ぽかん、とローイは見返した。さも当然というように言いきったが、今の形容、一般人にはそこはかとなく微妙だ。呆気にとられて説明を待つが、憤慨しているらしき白銀の騎士に言葉を補う気配はない。ローイはやれやれと後ろ頭をかいた。「なんつーか……あんたって、ほんと変な奴だな」
 古風な鎧の白銀の騎士が、ギロリと睨んで振り向いた。
「そんなことより、君も早く用意をしたまえ。いつまでもそんな格好で。そろそろ集合すると使いの者が来ただろう」
 ふん、と不機嫌に踵を返す。どこへ行くのか、ガチャガチャ騒がしく去って行く。用足しかも知れない、三度目の。
 他人をかき分ける白銀の後ろ姿に肩をすくめて、ローイはぶらぶら歩きだす。「──しかし、なんて暑苦しい格好だよ、このくそ暑いのに」
 金銀装飾つきの板金よろい小手こてをした手は長い両手剣をつかんでいる。完全武装のあの鎧を倒すには、戦斧でもなければ無理だろう。全身ピカピカしてるのに、兜はつけようとしないのは、周囲に顔でも売りたいのかもしれない。
 "私もちゃんとここにいる!"
 白馬を連れた鎧姿は、チェスター候を含めて、広場に三人。つまり、貴族の参加は三人ということだ。むしろ、それしか出てこなかった、と言うべきか。ローイはふと立ち止まり、へえ、と片眉つりあげた。がやがやざわめく人込みの中に意外な顔を見つけたのだ。彼も目立つ鎧だが、兜はやはりつけていない。若く小奇麗なその顔が薄汚れた周囲から浮いている。口笛で囃して足を向けた。
「あんた、逃げなかったのか」
 見るからに貴族然とした青年が眉をひそめて見返した。ラッセル伯爵ことエルネスト=ラッセル。サビーネの庭で言いあいをした青年だ。チェスター候のいかめしい鎧に比べれば彼の装備は簡易だが、それでも鍋釜の蓋を腹にくくった街の者とは比ぶべくもない完全武装だ。こんな上品そうな青年がゴミゴミしたこんな所に、なぜのこのこ出てきたのやら──ローイはズボンの隠しに手を入れたまま、顎を突きだし、小首をかしげた。「はは〜ん。大方、狙いはサビーネか」
 ラッセルは迷惑そうな顔をして、銀の小手で額をつかんだ。「──まったく君は。だしぬけに何を言うのかと思えば」
「とぼけんなよ。いい格好したくて出てきたんだろ。それとも狙いはガキの方、、、、?」
 ぴくり、とラッセルの眉が動いた。
「図星だな」
 ローイは冷ややかな笑みでほのめかす。「あの坊主、ゆくゆくは領主だもんな。母親の方を手なずけとけば、後々何かとやりやすい、だろ?」
 未だ行方不明ではあるものの、サビーネの子クリードは、相続権を持つただ一人の嫡子だ。
「下世話な勘ぐりはやめてくれないか」
 ラッセルは憮然と眉をひそめる。
「前の時には、びびって屋敷に引っこんでたくせによ」
「つまらない中傷をどうも。あいにく私は帰郷したばかりでね」
 ローイの嫌みをにべもなく突っぱね、ラッセルは広場の民衆にその視線をめぐらせる。
「これはいわば私の使命だ。危急存亡の折りには、先頭に立って解決にあたるのが貴族たる者の務めなのでね。それに、この戦──」
 苦々しげに言葉をきり、厳然と続けた。
「"見届ける者"が必要だ」
 突き放したような硬い声音に額面以上の含みを感じて、ローイは怪訝に振り返る。集合を命じる号令が、晴れ渡った空にとどろいた。
 
 
 〜 最終話 譲れぬもの 〜
 
 
 街を出て、商都方面に街道を進むと、ゆるい起伏の野道の左に、野草おい茂る原野が開け、古びた道しるべが現れる。それを越して更に進むと、山肌と原生林とに挟まれた細い道にさしかかる。つづら折りの山道だ。薄暗く、狭いその道に、ギイは敵と対峙する防衛線を築いた。この最前線は街からだいぶ離れている。先に侵攻を受けた際、街からつかず離れず布陣して、街への侵入を南壁から許した不手際を踏まえての措置でもあろうが、この不遜な指揮官の思惑は、どこか別のところにあるようだった。
 私語厳禁を言い渡され、不安を発散できない現場の空気は密かにささくれ立っている。仲間であるらしき風体の男がギイのそばに歩み寄り、耳打ちして去っていく。何かの報告にきたようだ。
 鳥の声がかしましい。黒く湿った土道に、木漏れ日がチラチラ揺れている。うっそうと茂った樹海の木々が野道にいくえも枝を投げかけ、トンネルのように覆いかぶさり、待機場所は薄暗い。それでも、気温のあがった正午は暑い。
 ギイは視線を野道の先に据えている。待機中の市民がしきりに額をぬぐっているのとは対照的に、この真夏の炎天下というのに暑そうな顔ひとつしない。こんな修羅場をいくつも潜り抜けてきたのだろう。さすがに肝が据わっている。傭兵を生業にしているだけのことはあり、立ち姿も体つきも市民のそれとは歴然と違う。普段は意識もしないそうした差異が、こうした現場では際だった。
 顎の先を汗が伝い、白馬の手綱を操りながら、不快なそれを片手でぬぐう。チェスター候は鎧の肩越しに振りむいた。
 祭用のやぐらを倒して、街道の随所をふさいであった。この巨大な障壁で軍勢の進撃を食い止めると同時に、遮蔽板の裏に自軍が身を隠すという寸法だ。
 敵の対面になる盾側は、街の商店から看板をはがして打ちつけた為、大書された屋号やら、やたらと威勢のいい勧誘文やらで、なんとも取り留めのない、ふざけた図柄になっている。更には「熊に注意」などと書かれたかわいい似顔絵つきの注意書きまで入り混じっているような有様だ。これから一戦交えようという殺伐とした現場に置くには小馬鹿にしたように滑稽で、力が抜け落ちるように親密で、意味合いとしては真逆でさえあるのだが、然るべき板を用意している暇はないので、いささか場違いだが致し方ない。ちなみに、この盾の出入り口は端の方に目立たぬように作ってある。
 戦の拠点となるこうした砦は、この最前線の陣、街までの道のりに二箇所、そして、街の入口付近と街中と一定間隔でしつらえてあり、そこにはそれぞれ一千の市民兵が待機している。砦に隠れているのは全員歩兵で、こうした戦にふさわしい見栄えのする装備で騎乗しているのは、チェスター侯爵、ラッセル伯爵、ベイリー子爵の三名のみだ。
 ギイは樹幹にもたれて腕をくみ、何かのタイミングを図るように指で腕を叩きつつ、道の先を眺めている。仮に取りやめるよう哀願しても取り合わぬだろう冷徹さが、"殺し合いをしてもらう"そう言い放った通りの無慈悲さが、その横顔には厳然とある。
 しばし待機を命じられ、ざらざらとすさんだ時間が流れる。意識してゆっくり呼吸をしないと、叫び出してしまいそうなほどの緊張が無言の体内に充満している。汗がしたたり落ちるほどの暑さというのに、体はどこか底冷えしていた。恐怖の念は具体的な形をとらず、真綿がいくえにも挟まった分厚い壁の向こうにある。しかと掴めはしないのに、そのくせ「そこにある」という厳然とした事実は嫌というほど認識している据わりの悪さ。やたらと喉が乾くのは、北方地方では珍しいこの暑さのせいばかりでもないだろう。
 思考が焼ききれ、神経のどこかが麻痺していた。いや、指の先からチリチリと緊張が神経を焼いている。無感覚の爪先から不意に怖気が駆けのぼり、足裏を踏みつけ、我が身の不甲斐なさを叱咤する。
 暑さと緊張で頭の中が朦朧とした。思考が止まり、吐き気さえもよおす。その嫌悪感の正体は危惧と焦慮とがない交ぜになった底知れぬ恐怖だ。根本的な疑問がよぎった。
 ──自分に人が殺せるだろうか。
 この場の誰もが自問している葛藤だろう。物に動じぬあのラッセル伯にあってさえ、今日はどこか落ち着きがない。
 ギイは目を瞑って顔を上向け、鳴きかわす鳥のさえずりに静かに耳を傾けている。敵が迫ったこんな時に、ずいぶんのんびりとしたものだが、楽観視している訳ではない。こうした状態に慣れているのだ。それとも、日頃不遜なあの男でも、神に祈ることがあるのだろうか。ふぅー、と一服長く吐き、煙草を投げ捨て、踏みにじった。
「──来たか」
 つぶやき、左手の樹海を一瞥する。 つられて森に目をやるが、異変は取りたてて見受けられない。道の先にも目を凝らすが、変わったところは何もない。何を根拠にそんなことを言うのか──奇妙に思って振り向けば、ギイは眉根を寄せて目を閉じていた。早口で何事かつぶやき、目を開け、一同を振り返る。
「それでは総員配置につけ。私語は厳禁、かかれ、と言うまで絶対に動くな。命が惜しければ厳守しろ。いいな」
 ラッセルら二騎と共に、チェスター候は最前線の砦の横へと移動した。市民兵一同は、一言も聞き逃すまいと固唾をのんで頷いている。視線をゆっくり巡らせて、ギイはチェスター候を振り向いた。「すまんが、交渉は一任してくれ」
「──承知した」
 素直にチェスター候はうなずいた。ラッセル、ベイリーとも指示に異論はないようだ。こうした局面は本職に任せた方がいい。先方とかわす一言一句に大勢の命がかかっている。
 緊張に包まれた一同を見渡し、チェスター候は唇をなめた。戦が始まる。もう引き返せないという後悔の念と、猛々しい高揚感とがせめぎ合う。
 焦燥に駆られて作戦を問うたが、ギイに手の内を明かすつもりはないようだった。ただ「指示通りに動けばいい」と面倒そうにくり返すばかりで、敵といざ対峙したら、どうすべきかと尋ねても「応戦しろ」と至極当たり前の応えが返る。
「説明したろう。最前線が突破されたら、第二、第三の防衛線が対処する。それも突破されたら、街の入口の部隊が対処する。そこまで踏み込まれたら、捕虜を監視している俺の部下が入口の応援に駆けつける。敵との兵力差は十倍近い。戦死が出るのはまぬがれないが、少なくとも本陣を乗っ取られることはない」
 そう、街はいくえもの市民の盾で厳重に防衛されている。それは十分わかっている。だが、戦闘状態に陥った際の実践的な手ほどきを得られないというのは、やはり、なんとも心許ない。訓練らしい訓練もなかった。昨日の今日で開戦せねばならないのだから、時間がないのは事実だが──。
 そういえば、彼らはどこにいるのだろう。協力を約束したローイという青年と、彼の大勢の仲間たちは。彼らの姿はたいそう目立つが、この最前線では見かけない。後方の盾の向こうにいるのか、街の中にでも配置されたか。彼らは武器の扱いに長けている。先の戦でも率先して戦ったと聞く。そんな貴重な戦力を、なぜ前線から外している? 温存しておく必要があるのか? こうした大事な場面でこそ、彼らの力が必要なのではないのか。
 胸がざわめき、ギイを見た。ギイは天候でもはかるように晴れた空を見あげている。そういえば、彼の仲間も一人としていない。街道の布陣が終わった際に何事か耳打ちし、あれきり誰一人として寄りつかない──。
 一抹の不審が胸をよぎった。なぜ、ここには市民しかいないのだ。このギイを除けば、彼らの仲間は一人もいない。よく知りもしないこの男に、ここにいる全員の命を託してしまって良いものだろうか──
「み、見えた!」
 すっとんきょうな声があがった。隊列の後方、市民の誰かだ。途端、すくみあがって一同がざわめく。ギイはげんなりしたように嘆息し、声の方向に目を向けた。
「言ったばかりだろう。私語は厳禁だ」
 一斉に振り向いた視線の先には、青白い顔の青年がいた。注目を浴びた青年は、非難の視線を見回して、慌てた顔で片手を振る。「ち、違う! 違うんだ! 俺はあんたに教えてやろうと──」
「必要ない」
 ギイの応えはそっけない。「気持ちはありがたいが、気遣いは無用だ。状況は逐一把握している」
「でも! あんた、ずっとそこにいるから──」
「おい、隣の奴。そいつの口をふさいでおけ。交戦中にわめいたら命取りになりかねん」
 友人らしき同じ年かさの青年が、慌ててうなずき、隣の頭に飛びかかる。殊更に口をつぐんだ一同の顔を、ギイは改めて見渡した。
「いいか、もう一度言っておく。私語は厳禁、何があろうが、絶対に動くな。逃げたら一巻の終わりだぞ。指示は必ず俺が出す」
 一同は唾をのみこんで、大真面目な顔でうなずいた。命がかかった正念場だ。
 街道に異状は依然としてなかった。森では変わらず鳥がのどかに鳴いている。いや、のどかどころか、やかましいほどだ。
 妙だな、とチェスター候は思う。そういえば、鳥たちはなぜ、ああも平気でさえずっているのだ? 物騒な武器を手に手にたずさえ、天敵であろう人間がこんなにも殺伐と、こんなにも大勢ひしめいているというのに。かしましくさえずる鳥声が口笛のように聞こえてくるのは気のせいか──視界の端をギイが動いた。はっ、とチェスター候は目を向ける。
 意識を凝らしたその耳に、微かな音が聞こえてきた。徐々に大きく確かになる。大勢が大地を踏みしだく音──行進の音だ。着々とこちらに近づいてくる。
 不吉な音の本体が道の先に現れた。
 
 
 
 
 

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