【ディール急襲】 第2部4章 最終話4

CROSS ROAD ディール急襲 第2部4章 最終話4
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 開け放った窓先の木の葉が、ゆるい風に揺れていた。卓の上では熱い紅茶が湯気をたて、どこかで犬が吠えている。
「──たく、なんて茶番だ。あほらしい」
 ギイは忌々しげな舌打ちで、長椅子の背に寄りかかった。チェスター候も眉をひそめて額をもむ。
 昼下がりの広い居間は、柔らかな静寂に包まれていた。ギイは煙草をはさんだ手を伸ばし、長椅子の背に腕をかける。「そうと知ってりゃ、こっちだって何も、あんな真似せずに済んだものをよ」
 苦虫かみつぶすその横で、平服を着た短髪の男が静かに紅茶をすすっている。チェスター候は首をかしげた。
「それにしても、隣町がなぜ──」
 国軍と対峙している最中に、突如援軍が現れた。隣町に住む市民らだ。だが、あまりに献身的な彼らの態度が、どうにも不自然で解せないのだ。この街の市民でさえも、あれほど動員を厭うたというのに。まして火の粉の及ばぬ彼らがどうして──。ギイがかったるそうに首をまわした。「なに、ちょっと教えてやったのさ。ノースカレリアが襲撃されると」
「君が?──君が連絡したというのかね」
 チェスター候は呆気にとられて絶句した。そんな素振りなどこれっぽっちもなかったが──。戸惑いつつも、ギイに尋ねる。「──しかし、よくも隣町が応じたものだな」
「そりゃ応じるだろうぜ。なにせ本物だからな、仕掛けたのは」
「本物?」
 ギイは隣の男を目線でさす。チェスター候は怪訝に見た。ん? とすぐさま顔を見直す。てっきり部下だと思っていたが、よくよく見れば、どうも、どこかで見た顔だ……はっ、と気づいて、向かいの二人をあたふた見た。「き、君は! いつぞやの──!」
 街はずれの収容所の裏で、いたぶられていた捕虜ではないか。ギイは煙草をくわえて点火する。「ああ、紹介する。こちら、捕虜のボスのランダル君」
「……ぼす? ランダルくん?」
 チェスター候には、さっぱり事情がわからない。というか、なぜ、そんなに親しげなのだ? この戦に於いて捕虜たちは、危険因子ではなかったか。いや、そんなことより、彼が捕虜だということは──。目を白黒させて、あえぐように訊き返す。
「君が協力してくれたというのかね。──いや、しかし、君はあの時、彼の仲間にあんなにひどく殴られて──」
 ランダルは肩をすくめた。
「ああ、殴られたのは本当さ。もっともそいつは、あんたが見た最後の一発だけだがな」
「し、しかし、ひどい物音がしていたぞ」
「連中が蹴っていたのは雑穀袋さ」
「……雑穀、袋?」
 後ろの壁に積んであったろ、とランダルはまるで涼しい顔だ。呆気にとられ、どういうことだ、とギイを見る。ふぅ、とギイは紫煙を吐いた。
軍服を、、、着ていた時点で気づくべきだったな。あんた、捕虜には新品の着替えを配っていたろう。なのに、なんでわざわざ汗臭い軍服着てんだよ」
 絶句でランダルの顔を見る。
「──悪いな」
 ランダルはすまなそうに頭をかいた。「仲間を殺さず損害なしで収めるには、こうするしかなかったんだよ」
 病院の連中を人質にとられちまってね、と隣の首謀者をあてつけがましく顎でさす。膝の間で手を組んで、策略の全貌を物語った。
 ギイの指示で、ランダルは隣町へと赴いた。そこで作戦開始の連絡を受け取り、目的の店に駆け込んだ。以前、駐留した際に顔見知りになっていた町長の店だ。そして、こう告げたのだ。
「遊民に軍服を奪われた! 奴ら、ノースカレリアに報復する気だ!」
 直後、軍服の馬群が街道を北上、土煙をあげて駆け去った。そう、いかにも遊民然とした髪の長い一団が。驚く町長に、彼はそつなく畳みかけた。
「遊民どもは少数だ。ノースカレリアを血祭りにあげれば、あんたの町にも攻めこむぞ。馬鹿どもが浮かれて調子づく前に、とっ捕まえて引きもどすから、あんたらも手を貸してくれ。なに、追いつきさえすりゃ、あんな素人、俺たちが、、、、すぐにもぶちのめす!」
 次はお前らの番だ、とのあからさまな脅しに、町長の顔色が変わった。そして、目まぐるしく算段を始める。現地では、本職の軍人が仕事をするのだ。自らやりあう必要はない。まして追うべき敵は少数で、なにより相手は遊民だ。いや、ここで上手く立ちまわれば、隣の大都市ノースカレリアと権威のある国軍に多大な恩が売れる、、、、、、、、ではないか。そうだ、遊民の蛮行を糾弾し、断固として立ちあがった自らの立場を表明してやるだけでいいのなら──
 ランダルは餌をちらつかせ、さりげなくそちらへ誘導し、町長が弾き出したであろう下心をくすぐった。
 案の定、町長はこの提案に飛びついた。店を飛び出し、有力者たちを直ちに召集、町長に賛同した有力者たちが市民を熱く説き伏せる。顔をただ売るだけで、うまい果実が手に入るなら、それしきの手間は安いものではないか──!
 自らには害が及ばぬことを確認し、実働と果実とを秤にかけて、市民たちは話に乗った。結果、義憤に燃えた市民らが、浮かれた遊民を、、、罵りながら大挙して押し寄せる仕儀となる。
「……な、なんという」
 チェスター候は呆気にとられて絶句した。つまり、遊民に対する悪感情を利用して、まんまと隣町を扇動したのだ。半ば呆然とギイを見る。そして、
「なんという詭計を用いるのだ君は!」
 気色ばんで拳を握った。
「ならば、君は初めから、仕組んでいたと言うのかね!」
 捕虜収容所に赴いたのは街頭演説をしていたさなか、距離の離れた隣町に"教えてやった"と言うからには、ギイは依頼を引き受ける前に、かなり早い段階で手を打っていたことになる。ギイは椅子の背に両腕をかけたまま、口端を持ちあげ、不敵に笑った。「素人の力なんぞ、初めからあてにはしちゃいない。軍とまともにぶつかってみな。あっという間に全滅だぜ」
「しかし君は、私に市民を集めろと!」
「"形"が必要だったからな。中身はなんであれ"戦力がある"って形がよ」
「それなら何も、私が街頭になど立たずとも、君が一言命じれば、事足りた話ではないか。それを──」
「人は、命令では動かない」
 言下にきっぱり言い捨てられて、チェスター候は言葉をのんだ。ギイは改めて言葉を紡ぐ。「理詰めでも、人は動かない。あの数の市民を動かすには、あんたの人徳が必要だ」
「し、しかし」
 真顔の視線で射抜かれて、チェスター候はたじろいだ。思わず視線をギイからそらす。「しかし、せめて、援軍がくるならくると──」
「あんたらには気ぃ張っててもらわにゃならなかったからな」
 ギイはさばさばと言い返した。「生真面目な顔と生の緊迫感が必要だった。第一、援軍の方は賭けだったしな。成功する確率は──そうだな、まあ、八割ってところか」
「私は君の雇い主なのだぞ。せめて私くらいには言っておいても良かったのではないかね」
 ギイは卓の灰皿に手を伸ばし、たるそうに煙草をすり潰した。
「あらかじめ聞いちまったら、あんた、気が大きくなって、ふんぞり返っちまうだろう。得意の演説でもぶち上げられれば全てがフイだ。駆け引きってのは繊細なもんでね。些細な瑕疵が命とりだ。相手もずぶの素人じゃない。兵の気持ちがゆるんでいれば、十中八九見破るさ」
 チェスター候は呆気にとられて口を閉じた。何を言ってもことごとく突っ返されて、乗り出していた背を溜息でもどす。「……しかし、よくもそんな真似ができたものだな」
 視線をのろのろ動かして、ランダルの顔をまじまじと見た。
「我々は君の仲間を殺めたのだぞ。協力するに当たって思うところはなかったのかね」
 ランダルは頭の後ろで手を組んで、長椅子の背にもたれかかった。
「別に。仲間ったって寄せ集めで、知らない顔が大半だし、上官も知らない野郎だしな。よそのことは知らないが、俺の仲間は無事だしよ。ああ、今でもピンピンしているぜ。一人の面子も欠けることなく──この意味するところが分かるかい?」
 チェスター候は怪訝に見返す。ランダルは顎先でギイをさした。
「この人たちとやりあった時、奴らは俺たちをいくらだって殺すことができた。だが、敢えてそうしなかった。仲間なら誰でも知っていることさ。実際にぶち当たって、嫌になるほどぶん殴られたからな。あの時は真っ向からぶつかったんだ。まともに相手をする気があるなら、今頃は全滅していたっておかしくない」
「しかし、被害が少なからず出ていたはずだが──」
 ランダルが手を上げ、遮った。
「確かに、吹っ飛ばされた奴もいた。開戦直後に火薬でな。だが、あれはこっちが、、、、宣戦布告した後だ。なら、多少の被害はやむを得ない。これは戦なんだからな。それでも残った兵については見逃してやろうってんだから、むしろ寛大な措置ってもんだぜ。大体俺らはこの侵攻、仕事というから来ただけで、個人的な恨みだの、ご大層な義憤だの、そんなものは持っちゃいない。手を貸しゃツケも返せるしな」
 割り切った口調でさばさばと言う。実に物分かりよく好意的な見解だ。既に丸め込まれているのかもしれない。本人でさえも知らぬ間に。
 その犯人だろう当人ギイは、素知らぬ顔で煙草の紙箱をいじっている。彼と親しげに肩を組み、懐柔している秘めやかな場面が、なにやらありありと目に浮かび、チェスター候は頭痛がし始めた額を押さえる。「しかし、なぜ君たちは、私にまであんな芝居を」 
 倉庫街での暴行事件だ。
「あんたをはめた訳じゃない。目的はあんたじゃないさ」
 紙箱から煙草を取り出し、ギイが話に割り込んだ。
「あんたをこのボスに見せる為、捕虜の無事を保障して、なお且つこっちが裏切らない、そいつを納得させる為だ。いかんなく働いてもらうには、まずは信用してもらわねえとな。それには雇い主のあんたを"素"で見せるのが一番だ」
「では、つまり、私は──」
 だしに使われた、ということだ。
 あんぐり、チェスター候は口を開ける。確かに上手くはいったようだが、何も知らずに右往左往したこちらにすれば、これではいい面の皮だ。いいや、それだけじゃない。援軍がくるとは露知らず、散々いいように振り回された。そうだ、市民たちには煙たがられ、下げ慣れぬ頭まで下げたのだ。悲壮な決意でドキドキはらはら、どれだけ寿命が縮まったことか──。にんまり、ギイが顔を見た。「あんたらと玉砕する気はさらさらないよ」
「き、君はいつも、こんなことをしているのかね! このいかさま詐欺師が!」
 怒りの分量を支え切れずに、声が予期せず裏返る。不届きな参謀は煙草をくわえて苦笑いした。「ほめ言葉と受けとっておく」
「君という男はぬけぬけと〜! 詫びもせんのか! 人をたばかっておきながら!」
「──やめておけよ。返り討ちにあうぞ」
 ランダルが苦笑いで割りこんだ。「この人に勝とうったって無駄なこった」
 辟易したように隣を見、投げやりな仕草で肩をすくめる。ギイはくわえた煙草に点火した。「ま、そう怒るな。こいつはあんたの手柄なんだぜ」
「……私の?」
 顎をしゃくられ、チェスター候はうさんくさげに眉根を寄せた。また、丸め込もうとしているのではないか?
 ギイは煙たそうな顔で火を振り消す。「あんたの例の遺言、、さ。あれで思いついたんだ」
 はて、とチェスター候は首をかしげる。思わぬ言葉だ。あの思い出したくもない醜態が、今更一体なんだというのだ。ギイは指先で紫煙をくゆらせ、賢そうな茶色の目をわずかに眇めて復唱する。
「"巷に流れる風聞のみで、、、、、、君らは彼らを嫌っている。だが、それは大きな過ちだ"──あんた、あの時にそう言ったろう。にしても、まったく大きな過ち、、、、、だったがな」
 どうでもよさげに感想を放り、手もなく翻弄された隣町の徒労を笑う。
 チェスター候は開いた口がふさがらない。ギイは卓の灰皿に手を伸ばし、とんとん灰を落としている。チェスター候はその手の動きを呆然と眺め、はっ、と顔を振りあげた。「ならば、国軍が"水にあたった"というのも、もしや──」
「当然だろ。そんな事故がそうそう都合よく起きるかよ」
 案の定、ギイは面倒そうに紫煙を吐いた。「こういう手品には、往々にして種がある。覚えておくといい」
「……君という、男は」
 ついにチェスター候は脱力した。首をうなだれ、ゆるゆる振る。一際大きく溜息し、げんなり顔をかたむけた。「時に君は、ずいぶん鳥が好きなんだな」
「──鳥?」
 片目を眇めて煙たそうに紫煙を吐き、ギイは自分の紅茶に手を伸ばす。
「ずっと耳をすましていたではないか、鳥の声に」
 椅子の背にもたれかかってカップをすすり、ギイは軽くまばたき、考える。すぐに、──ああ、あれのことか、と頬を緩めた。
「俺が聞いていたのは、部下からの報告さ」
 ぽかん、とチェスター候は目をまたたく。
「君の部下は鳥なのか?」
 ギイはつまって苦笑いした。
「……まあな」
 もうどうでもいいや、という顔だ。「──ああ、そういや」と煙たそうに紫煙を吐いた。「前の侵攻、民兵調達の他にも、別の狙いがあったらしいぜ」
 話によると、領邸を訪れた件の使者が口を滑らせたのを聞いた者がいるとのことだ。そして、どうやらあの使者は"何か"を取りにきたらしい。「お前、知ってるか?」とギイはなおざりに隣を見る。ランダルは呆れた顔をした。
「俺が知るわけないだろう。使者が隠すほどの秘密なんかよ。俺は臨時の引率者だぜ」
「だよな。──なんか、そいつが引っかかってんだよな〜」
 ギイは天井を睨んで頭を掻いた。「──民兵調達と同列に扱うほどの重大な用件──使者は何を取りにきたんだ──?」
「指揮官殿なら、知っていたかもしれないけどな、生憎すぐに逝っちまったし」
 そう、今となっては、それを確かめる術はない。使者も彼らの指揮官も、開戦当初に爆死している。
 ギイが考え込んでしまい、がらんと広い静かな居間に再び沈黙が訪れた。犬がケンケン吠えている。開け放った窓からは、日差しがまぶしいほど差し込んでいる。広い邸の廊下からは物音一つ聞こえてこない。ひとつ軽く咳払いし、チェスター候は話題を振る。
「それにしても意外だったな、君ほどの男が神頼みとは」
 ギイが怪訝そうに目を向けた。「──神頼み?」
「何かつぶやいていたではないか、戦が始まる前に、街道で」
 ギイは少し考えて、ああ、あれか、とやや面倒そうに嘆息した。
「ゲン担ぎとでもいうのかな、まじないみたいなもんだ。唱えると気分が落ちついて、勝てそうな気がする」
「ほう。なんという言葉だね」
「"グッドラック"──意味は知らないがな」
 やはり面倒そうに腕を伸ばして、指先で灰を叩き落とす。背もたれに戻りかけ、ふっと苦々しげな顔をした。「──思えば、まったく下らねえ話だ。人間同士でいがみ合ってるってんだからよ。無駄な上に意味がない。むしろ発展の妨げだ」
「……なんだね、急に」
 話の飛躍についていけずに、チェスター候は面食らう。ギイは手を振り、苦笑いした。「ああ、街道であんたらがしていた話さ。街の奴らが向こうの頭に食ってかかっていただろう? 連中はてめえらの身内だってよ。あれを今ので思い出しちまってさ。──バーの小僧でトーノってのがいたろ、あいつ時々、妙なことを言うんだよ」
 笑い顔をふっと引きしめ、ギイは真面目な顔をした。
「"全ての人類は、たった一人の母親から生まれた"」
 チェスター候は呆気にとられて隣の男に目を向ける。ランダルも怪訝そうな顔つきだ。
「つまり、人類の祖先をさかのぼると、一人の母親に辿りつく、って話だ」
「一人の、母親?」
 煙草の紙箱を弄んでいたギイが、小首を傾げて目をあげた。
「"ミトコンドリア・イブ"」
「──なんだって?」
「我らが偉大なる母上の名さ。猿だけどな」
 紙箱を苦笑いで放り出し、ギイは長椅子の背によりかかる。「あいつの説に従えば、どこの土地の者であれ、貴族だ庶民だと気張ったところで、この世にいる俺たちは、全員ことごとく血縁だってことになる。全部が同類だってのに、枝分かれした末端で、いじましく、みみっちく潰し合いを演じている。まったく実に下らない」
「──いや、だがよ」
 隣で聞いていたランダルが、ふと、承服しかねる顔で首を傾げた。
「母親がたった一人ってのは無理がねえか? 似たような仲間の猿どもが周囲にいくらかいたはずだろう?」
「──まあ、そうだよな」
 ギイは降参したように苦笑いで手をあげ、「──だが」と悪戯っぽく一同を見る。
「分岐の観察地点が人でなく、一番初めの命なら? 原始の大海で偶然、、芽生えた生命の初めの一滴なら?」
 日差し降りふる窓辺をながめて、考え込むように目を細めた。
「そういう話なら、あり得ないでもない。無生物状態の原始の海で、人や獣に進化する前の、単純で原始的な最初の命が偶然生じたとするならば、生きとし生けるあらゆる命の源は、つまりはそいつ、ただ一つ──そういう話になるだろう。そういうことなら俺たちは、ただ一人の母胎から派生し、繁殖と分化をくり返し、膨大に増殖した裾野に位置する、ほんの些細な末端にすぎない」
 ふと気づいたように表情を動かし、口調をさばさば改めた。「──なんてな。実は、さっきの"まじない"も、あのトーノから聞いたんだ。なんか、あいつの口癖がうつっちまってよ。──なんていうのか、おもしれえんだよな、あいつ。まだほんのガキのくせに妙なことを知っていて、いやにふてぶてしいってのか老成してるってのか、たまにすっかり悟りきったような面してよ。なんか、変わった物の見方をするんだよな、あいつ」
 トーノの顔を思い浮かべてでもいるのか、ギイは目を細めてしみじみとつぶやく。「──ま、どうでもいいな、こんな話は」と煙草を灰皿ですり潰した。
「下らねえ話をしちまった。そろそろ行くわ。悪いが、この後、野暮用があってよ」
「──ああ、用意してある」
 暗に受け渡しを求められ、チェスター候は席を立つ。広い居間を横切って、窓辺の書き物机に歩みよった。引き出しを開けて小切手を取り出す。「しかし、一千トラストとはふっかけたものだな」
 ギイは呆れたように腕を組んだ。
「なに言ってんだ、実費だぜ。部下やバードに手間賃やんなきゃなんねえし、動いてもらったこいつらにも日当払わにゃなんねえしよ。もっとも、いい小遣い稼ぎになったろうから、めったなことを言い触らして墓穴を掘るような間抜け野郎は、これで出ないだろうがな」
 隣のランダルにあてつけがましく釘をさし、チェスター候になおざりに手をふる。「ま、口止め料とでも思って諦るこったな。そもそも戦は物入りなもんだ」
「大半が君の取り分じゃないのかね」
 チェスター候は要所を鋭く指摘する。皆に金を配ったとて、総額は高が知れている。ギイは嫌そうに顔をしかめた。
「これでも大まけにまけた方だぜ。俺が非番だったことに感謝しな。あんたは本当に運がいい。そもそも、本隊がいて、依頼を正規で受けていたら、こんなもんじゃ済まなかったぜ。──なに、安い買い物じゃねえかよ。誰にとってもバンバンザイだ。市民もあんたもこの俺も。市民は自由を手に入れて、俺もこれでツケが払える」
「──なにがバンバンザイだ。私一人が散財したという話ではないか」
「なに言ってんだ」
 ギイは呆れたように目を向けた。「これで面目がたったろう? いや、あんたが手に入れたものが一番でかい」
「……私が手に入れたもの?」
「あんたは"望むもの"を手に入れたはずだ」
 茶色の瞳でじっと見て、ギイは身じろいで息をつく。「じゃ、貰うもんも貰ったし、俺たちはこれでおいとまするよ。──ああ、そういや、あの女のことだがな」
 小切手を懐にねじ込んで、隣をうながし、立ちあがる。
「ずっと考えていたんだが、ありゃあ"傾国" なんて代物じゃねえよ。ただの世間知らずのかわい子ちゃんだ。あの通りの顔だから、男どもは寄ってくるがな」
 どうやら、サビーネの話らしい。ギイはぶっきらぼうな足取りで、居間のドアへと歩いていく。
「前に起きたような騒動は、恐らく二度と起きねえよ。だから、せまっ苦しい館に閉じこめてねえで、もう自由にしてやれよ」
 二人のその背を無意識に追い、ふとチェスター候は呼びかけた。「今、あの彼が書斎にきている。まだ書物を見ていると思うが」
「──へえ」
 ギイは溜息をつくような気のない様子で応えた。あまりのそっけなさに、チェスター候は眉をひそめる。「彼は共に戦った仲間ではないか。挨拶くらい、していったらどうかね」
「いや、俺はいいよ」
 ギイは非難を言下に退け、どこかそわそわとドアを見た。「──この後、サビーネん所へ行くからさ。馬に乗せてやる約束してるんだよな」
 見れば、気もそぞろな浮ついた風情が肩先の辺りに漂っている。これまでの説得力が一気にはげ落ちたように思うのは気のせいか。
 態度豹変。ギイはどこかいそいそと「じゃ、これで」とそそくさノブに手をかける。この男もあの庭に、ちゃっかり居ついてしまったらしい。とはいえ、帰りがけに寄るくらい、大した手間でもあるまいに。
「君は、彼らに冷たいな」
 チェスター候は首を振って嘆息する。ギイがかったるそうに足を止めた。
「──負け犬ってのは嫌いでね」
 ドアの方を向いたまま、ほんの僅か眉をひそめる。
「あいつら見てると、苛々する」
 今度こそ、バタン、と扉が閉じた。
 
 
 ひっそり静かな絨毯の上で、柔らかな光彩が揺れていた。静まり返った書斎の中、窓から差し込む日溜りの中で、彼は靴をはいた足を投げ出し、膝で開いた大判の本に食い入るように見入っている。
「……なー。この本、借りてっていい?」
 声をはずませ、だが、どこか上の空で彼は尋ねる。「これ、もう、すっげえいい! けど今日は、サビーネ、馬に乗せてやる約束してんだよな〜」
「……え?」
 チェスター候は固まった。なにやら、この台詞、どこかで妙に聞き覚えが──?
「後で取りにくるからさ、持って帰って読んでいい?」
 はっ、と我に返って笑みを作る。「──か、構わんよ。どれでも好きなものを持っていくといい」
 サビーネの笑顔を思い浮かべて、チェスター侯は唖然とした。犬猿の二人が、もしやまさかのバッティング? だが、二人と約束した当の彼女は「大勢の方が楽しいわ」などと普通にのたまうに違いないのだ。悪気などは一かけらもなく
 何かもやもやと腑に落ちない。ローイが背中で手をあげた。「……あー、そうさせてもらうわ」
「う、うむ……」
 ローイは紙面から目さえ上げない。その前のめりの後ろ姿を、壁の本棚の前でながめて、チェスター候は頬をゆるめた。「しかし、君たちはよく跳ぶな。あんまりぴょんぴょん飛んでくるから、ムササビかと思ったぞ。これもひとえに日頃の鍛練のたまものだな」
 件の森での登場シーンだ。あの彼らの華麗さは、舞台を見るかのようだった。
「……あー?」
 ローイはうるさげに後ろ頭をばりばり掻いた。そして、
「跳ね板使ったに決まってんだろ」
 そっけなく楽屋裏を暴露。
「……そ、そうかね」
 チェスター候は引きつり笑った。なるほど、どんな手品にも種があるのだ。あのギイが言ったように。
 彼の読書の邪魔をせぬよう、重厚な扉へ足を向ける。金のノブに手をかけたところで、「──おっさん」と声がかかった。チェスター候は足を止め、新たな友を振り返る。
「……ありがとな」
 背中で手を振っていた。振り向かないのは、なおざりにしたというよりは、照れ隠しであるらしい。
「俺──色々と、嬉しかった」
 チェスター候は微笑ましげに目を細めた。
「礼なら、セバスチャンたちに言いたまえ。彼らが市民を説得し、あの庭に連れてきてくれたのだ」
「──ああ、そいつはわかってる。それでも俺は、あんたに言いたい」
 わずかためらったその後に、振り向かない背中が応じた。
 そっと閉じた扉の向こうで、チェスター候は微笑する。柔らかな日溜りの中、靴ばきの足を投げ出して本に見入るその様は、積み木遊びに熱中する幼い子供のそれのようだ。好奇心ではちきれそうな、光に包まれたその姿。放心した至福の表情。静かな扉に微笑んで、チェスター候は吐息をもらす。彼を書斎に迎えた際の、あの応答を思い出したのだ。 
「……なぜ、報復しなかった」
 一心不乱に読みふけるローイの背中に、チェスター候は問いかけた。
「諍いの記録を領邸で調べた。君たちからの報復は一度としてない。君たちはあれ程高く跳躍できる。街の者より力も強い。それなのに、なぜなのだ。あれほどのひどい目にあいながら、なぜ、やり返さなかった」
 彼らは今回の戦の立役者だ。それだけの技術と実力がある。
 そむけたままの背中から「ああ」とも「うん」ともつかぬなおざりな返事が聞こえてきた。ローイは膝の紙面に熱中している。しばらく待っても応えがないので、ためらいつつも重ねて尋ねた。「そればかりではない。そうまでして君らはなぜ、祭のたびに集まってくるのだ」
 豊穣祭の華々しい興行。彼らがもたらす収入がなければ、この寂れた北の地は、恐らくたやすく貧困に陥る。そう、疑問だった。迫害を受けたにもかかわらず、彼らは欠かさずやってくる。風雨にさらされる道のりは大変な苦労に違いないのに。大陸北端のこの地まで、並大抵の距離ではない。ローイは直に座ったあぐらの膝で、ぱらぱら頁をめくりつつ、当然のごとくに一言応えた。
「──故郷だからさ、ここが」
 紙面からわずか顔をあげ、背中で軽く嘆息する。
「報復なんか、できる道理がないだろう。元はといえば俺たちは、ザメールとカレリアの混血なんだぜ、ここが西国と交易していた頃の。──いいかい、こんなもんで」
 時間が惜しいというように、再び紙面に目を戻す。
 そうか、とチェスター候は瞠目する。うかつだった。混血であるということはつまり、彼らの片親は、いや、もっと以前の親たちの誰かは、この街で暮らしていた紛れもない市民だったということだ。現在居住している市民同様。ならば、なるほど、この地は故郷だ。ローイは頁をパラパラめくり、ぶっきらぼうにつぶやいた。
「……てめえの身内に手なんか出せっか」
 薄茶の髪の輪郭が柔らかな日差しに包まれていた。見向きもしない不貞腐ったような横顔。だが、人の顔は饒舌だ。どこか照れ臭そうな横顔が、秘めたる想いを語ってしまう。
 ギイの罵声が脳裏をよぎった。ギイはローイを"負け犬"と呼んだ。だが、とチェスター候は考える。
 ──はたして、彼は負け犬だろうか。
 ギイのもどかしげな横顔と忌々しげな舌打ちが、当人も知らぬであろうその本心を雄弁に語っていた。こちらも又、当人の意に反して。
 事実、ギイは軍兵への掃射を中止した。ローイら射手に手を下させはしなかった。いや、彼らを使う気など、ギイには初めからなかったのだ。
 そう、国軍の一網打尽をにらんで、ギイは布石をうっていた。そして、慎重で抜け目ないその姿勢が意外なところで幸いした。捕らえた指揮官の申し開きによると、軍を遣わしたのはディールではなくラトキエで、派兵の目的はこの地の保護と判明したのだ。
 ところが、ギイは「着任を歓迎する、と言いたいところだが」とうさんくさそうに前置くと、混乱が収拾するまで駐留するとの国軍からの要求を一顧だにせず退けた。
 一同、愕然とギイを見た。収まりかけた話をわざわざ拒否してぶち壊すなど、参謀といえども、あるまじき暴挙だ。
 相手は大ラトキエであり、弱小領家のクレストには、その名の威光だけで受諾せざるをえぬような暗黙の了解が内々にある。まして内容が「保護」というなら、拒絶する理由がない。むしろ、大領家の庇護を得られるならば、この上なく心強い。クレストには自衛できる武力集団がない。寄せ集めの市民兵だけでは防衛するにも心許ない。ディールの侵攻をやっとの思いで阻止した後のことでもあり、軍が守ってくれるというなら、むしろ頼み込んででも助けの手は欲しい。まして相手がクレスト同様ディールと敵対しているラトキエならば、同じ立場の者どうし、尚のこと好都合というものではないか──。
 交渉については一任するよう言われていたが、私語厳禁を言い渡された市民の不満を代表すべく、チェスター候はギイの暴走を止めようとした。ところが、実相は全く違った形をしていた。
 ギイは一同を見渡して、からくりを淡々と暴いてみせた。ラトキエといえども他領の派兵に変わりないこと。名目上は北方保全を掲げているが、実体はディールの蜂起に触発された造反を阻止する為の監視だろうということ。それのみにとどまらず民兵徴用、領土の接収と要求が拡大する可能性もある。むしろ、未曾有の騒乱に乗じ、領土拡大を狙っていないとも限らない──。
 うまい話を呑まされかけていた一同の顔から、みるみる血の気が引いていった。舞い上がった頭を冷やして、よくよく冷静に考えてみれば、ギイの言うことはもっともだった。底に沈んだ思惑を、ギイはわずかな間に察知して弾き返してみせたのだった。そして、この街の利益を汲みとって動いた。わずかにも心惑わされることなく。
 上層からの命を受け、軍を率いてきた指揮官は、手ぶらでの撤収を当然のことながら渋ったが、結局は引き下がらざるをえなかった。完膚なきまでに叩きのめされた現状を前に、あらかじめ用意してきた「保護」の名目は用を成さなくなっている。明らかに不要な軍隊が大義名分を失って尚、無理にも居座ろうというのなら、宣戦布告するしかない。
 結局、国軍は渋々ながらも引き揚げた。ギイは無駄骨とぼやいたが、この駐留阻止の成功には、今回の戦果がいかにも大きい。領家が開放した街の酒場のそこここでは、自由を手にした市民たちが祝杯を上げている頃合だろう。
 静かな廊下の向こうから、小太りの執事がやってきて、客の見送りが終わったと告げた。物音一つしない書斎の扉に、有能な執事は苦笑いする。「熱心ですね。しかし、彼にわかるのでしょうか、あのように難しい書物が」
 居間へと足を向けながら、チェスター候は微笑んだ。
「私などより遥かに理解しているよ。ああした者に読まれてこそ、書物は真価を発揮する。私の書斎にはなるほど多くの書物があるが、ああいうのを宝の持ち腐れというのだ」
 清々しい気分で窓先の緑を眺め、おお、そうだ、と手を打った。ほくほく頬をほころばせ、先の書斎に引き返す。「彼にもひとつ見せてやろう。私のかわいい薔薇たちを」
「あ! 旦那様!」
 踏み出した途端に、なぜか執事が引き止めた。
「何かね」
 何があったか、珍しく慌てた様子だ。
「……あ……いえ、あの、それが」
 執事は言いにくそうに目をそらし、チェスター候の耳元で告げた。
「な!──な、なんと──!」
 チェスター候は瞠目し、慌てて廊下を駆け出した。ぶつかるようにしてテラス戸を押し開け、緑の庭へと転げ出る。とるものもとりあえず薔薇園へ駆けより、そこで愕然と立ちつくした。
「……なんということだ」
 へなへな地面に座りこむ。「私の……かわいい、薔薇たちが……」
 手塩にかけた自慢の薔薇が、ことごとく首をたれていた。土は白く干あがって、ひび割れている箇所さえある。くたりと萎えた薔薇を前にし、チェスター候は心臓が止まる直前のような青い顔で放心した。我が子も同然に愛情を注ぎ、大事に大事に細心の注意を払って育ててきた薔薇たちなのだ。
「──申し訳ございません、旦那様」
 声をかけてきたのは園丁だった。麦藁帽子を頭から取り去り、白髪頭でおずおず詫びる。「少しくらいなら大丈夫だろうと思ったんですが、このところはどうも、珍しく日照りが続いちまって」
 チェスター候が奔走していたここ数日、邸の使用人も脇目も振らずに飛び回っていた。この園丁も例外ではない。だが、ここの薔薇たちにとっては、幾日も放置されたのが致命的な痛手であったらしい。薔薇は生育に日光を要する。それ故、ここの薔薇たちも日当たりの良い場所を特に選んで植えてあるのだが、それが仇となってしまった。地植えの花壇は鉢植えに比べて水持ちが良いが、そして、例年の冷涼な気候であれば、数日放置したくらいではどうということもなかったろうが、よりにもよってここ数日、この夏一番の酷暑に当たってしまったのだ。これについては運が悪かったとしか言いようがない。
 園丁は申し訳なさそうにうつむいて、麦藁帽子をもじもじいじった。「本当にすいません、旦那様。大事にしていらっしゃる預かり物を、わしの不注意で駄目にしちまって。本当になんとお詫び申し上げていいか。──わしをクビにして下せえ」
 管理不行き届きで免職されても、文句は言えない失態だった。その用途で雇われたというなら、むしろ当然の措置だろう。これが他家であったなら、本人が言い出すまでもなく問答無用でお払い箱になっている。執事は痛ましげに庭師を見、打ちのめされて微動だにせぬ主をうろたえたように盗み見た。茫然自失したチェスター候は、なんの言葉も耳に入らぬかのように地面にへたり込んでいる。それでも、やがて、のろのろ身じろぎ、うなだれた首を緩々と振った。
「……いや」
 膝に手を置き、大儀そうに立ち上がる。服についた土を丁寧に払い、ゆっくり園丁を振り向いた。
「いや、いいのだ。まだ完全に枯れてはいまい」
 わずかな間に面やつれしたようだ。それでも背筋をしっかり伸ばし、後ろ手にして空を仰ぐ。「植物は存外に強いものだ。我々などが思うより、彼らはずっとたくましいのだよ」
「し、しかし、旦那様。花はもう望めませんが──」
 蕾は全て黒く乾いてしなびている。チェスター候はそれらを見やった。
「なるほど今期は駄目だろう。だが、枯れきってしまった訳ではない。根気良く手をかければ、いずれは又、花開く。君の確かな腕をもってすれば、彼らは必ずや蘇る。そうではないかね」
 老園丁は白くなり始めたつぶらな瞳をしばたかせ、チェスター候を凝視する。チェスター候は照れくさそうに目をそらし、その頬に笑みを浮かべた。「……私の為を思えばこそ奔走してくれたのだろう? 炎天下の街中を、領民を説いて回ってくれたのだろう? あの頑固で用心深い店主たちを別邸に連れてきてくれたのだろう? 君の尽力に感謝こそすれ、クビをきる理由など私にはない。無償の気高い献身は、どんな輝きの財宝にも勝る。それどころか、金を積んで買えるようなものではない。君は忠義に厚く、腕も確かだ。君のように素晴らしい人材が二人といるかね、園丁」
「──だ、旦那様」
 帽子の端を両手で握り、園丁は甲高くしゃがれた声をつまらせる。チェスター候はこうべを垂れた薔薇を見渡し、後ろ手にした姿勢をただす。
「ゆっくり養生させてくれ。肥料をやって手入れをし、再生させてやってくれ」
 老園丁は恐縮しきりでぺこぺこ詫び入る。チェスター候は微笑って制した。
「もう、よいのだ」
 それより大事なものがある。
 老園丁は腕で顔をぬぐいつつ、頭をさげさげ作業小屋へと引き上げていく。
 あの日の熱い想いが蘇り、チェスター候は頬をゆるめて晴れ渡った空を仰いだ。今でも耳の奥底で、潮騒のように鳴っている。あの日、街道に響いた歓声が。所属の別なく互いの肩を叩きあい、笑いかわした歓喜の声が。
「──時に、セバスチャン。例の品はどうなっているかね」
 後ろで控えた執事が近寄り、うやうやしく報告する。「既に発注しております。しかし、量が量ですので、十日ほどはかかるかと」
「急がせたまえ。喜ぶ顔が早く見たいではないか」
 執事は「かしこまりました」とにっこり同意し、苦笑いする。「──しかし、突然テントを百帳とは。業者は今頃、大わらわですよ」
「色はやはり、赤、青、黄で決まりだろう。ああした辛気臭いのは見た目が良くない。楽しい施設は、外観も楽しくあるべきだ。そうは思わんかね、セバスチャン」
「おおせの通りです、旦那様。子供らもさぞや喜びましょう」
「彼にはまだ内緒だぞ」
 指を口に当てて念押しし、含み笑いで書斎を見る。「……きっと驚くに違いない」
 着いた荷物を怪訝にほどき、目を丸くして右往左往する彼らの慌てぶりが見えるようだ。天幕群のある北方を眺めて、チェスター候は目を細めた。
「居場所を与えられてこそ、人は社会に献身するのだ。彼らの資質は優れている。そう、得難い資質だ。売り買いに長けた領民と、卓抜した表現者。我らが土地は礎(いしずえ)の両輪を手に入れた」
 雷に打たれたかのように、晴れ渡った天を愕然と仰ぐ。
「……そうか……そうだ、そうなのだ」
 今期咲くべき薔薇たちはすっかりこうべを垂れていた。だが、しなびてしまったこの樹にも、豊かに枝葉をおい茂らせる再生の力が秘められている。幾度こうしてしおれても、彼らは再び立ちあがるだろう。それは人の営みでも同様ではないか──。汲めども尽きぬ生命の活力。
 降りそそぐ光を全身に浴びて、チェスター候は感極まったように吐息をもらした。
「この街は、生まれ変わる、、、、、、ぞ、セバスチャン」
 異物荒れはぜる泥沼が、やがては混じりあって醸成し、豊かな土壌となるように。
 新たな可能性を取りこんだ大地は、前にも増して強靭に輝き、芳醇な香りを放つだろう。そして何より滋味に富む。
 しなびてしまった青葉には、夏陽がさんさん降りそそいでいた。活性をうながす恵みの光だ。黒く枯れた小さな蕾を、チェスター候は愛しげになで、明日に向かうべく背筋を伸ばす。つがいの鳥が飛来したノースカレリアの空を仰いだ。
 
 
 
 
 

*2010.12.18 第2部 4章 完結
 
 
 
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