■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部4章 最終話3
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みずみずしい緑梢の海を、彼はひとり横断していた。派手な羽飾りのついた、つばの広い真紅の帽子と、日差しにきらめく純白の服、長い茶髪を一つにくくった青年だ。だが、帽子のつばの陰になり、面差しはよくわからない。
ほっそり整った風貌は、背後の萌葱によく映えた。兵のひしめく街道に、青年はゆっくり歩いてくる。衆目を集めて、少し離れた木立の中で足を止め、真紅の帽子に手をかけた。足を引き、取り去った帽子を胸にあて、道化のように礼をとる。
「親愛なる兵士諸君。ノースカレリアへようこそ」
朗々と口上を述べ、不敵な笑みで顔をあげた。目元を覆う銀の仮面。だが、明瞭なその声には聞き覚えがあった。
「……そこで、何をしているのだ」
唖然とチェスター候は口を開ける。ローイだ。前後を市民軍に挟まれて立ち往生している国軍に、ローイは視線をめぐらせる。
「さて、ショータイムだ」
軍に視線を据えたまま、衣装の手を振りおろした。
木立が鋭くざわめいた。深い森のそこここで木立がしなり、何かが飛びかう。梢が騒ぎ、いくつもの影がヒュンヒュン鋭く風を切る。獣──いや、
──人だ。
軍も市民もチェスター候も、なす術もなく瞠目した。何が起きているのか理解できない。
薄絹の衣装の青年たちが華麗に宙を舞っていた。その数、いっそ百人近くもいるだろうか。重力を感じさせぬ軽やかな動き。信じがたいほどの高い跳躍。いとも軽々と空を飛び、自由自在に回転をかけて身をひねる。しなやかな猫科の獣のような、なめらかな跳躍。爪先まで伸びた美しい体躯、めりはりのある鋭い動き。
殺伐とした現状を一瞬忘れ、誰もが陶然と見とれている。ようやく我に返った時には、深い木立のそこここで、彼らが弓を引き絞り、狙いを定めて構えていた。射手の狙いは青軍服の国軍だ。
「もう一度言う。降伏を勧める」
圧倒的な軍勢を背に、ギイが投降を呼びかけた。唖然と見ていた指揮官が、我に返って肩を震わせ、慌てた素振りでギイを見る。ギイはおもむろに見返した。「負けを認めろ。今なら無傷で捕らえてやる。抵抗するなら容赦はしない」
指揮官は進退窮まり、唇をわななかせて市民兵を見た。「ど、どういうつもりだ!」
憎々しげにがなりたて、太い指を問いつめるように振り回す。「貴様ら、一体どういうつもりだ! 遊民どもと結託するとは──!」
「そいつは一体、誰のことかね」
盾の中から声がした。指揮官はもどかしげにねめつける。「とぼけるな! 現にああして我々を狙って──」
「
別の声が苛立ったように遮った。隠れた盾を歩み出て、一人、二人と姿をあらわす。街道の中ほどで足を止め、壮年の市民が樹海の射手に視線をゆっくりめぐらせた。
「こいつらはみんな親族でさ。おんなじ血を引く俺らの身内だ」
狙いを定めた射手たちが、ふと、たじろいだように顔を上げた。いずれの顔にも戸惑いと狼狽が浮いている。
「……あんたら」
小首を傾げて様子をふてぶてしく見ていたローイが、ふい、と市民から目をそらした。だが、まっすぐ下ろした腕の先では、拳を強く握っている。それきり声をつまらせたローイを見やって、市民は照れくさそうに苦笑いした。
「いわば、親戚のガキみたいなもんでさ。ま、ガキというには、ちょっとばかりでっかくて、手癖が悪くて、ふてぶてしいけどな」
指揮官はあわあわ市民を見回す。「……ど、どうかしている。貴様ら気でも違ったか。何を血迷ったことを言っているのだ。相手は薄汚い遊民ではないか!」
「やかましい!」
鋭く指揮官を睨みすえ、壮年の市民が怒鳴り返した。「今の言葉を訂正しろ。軍隊だろうが領主様だろうが、こいつらをバカにしたら、この俺らが黙っちゃいねえ!」
木立にひそんだ弓兵は、それぞれ唇を噛んでいた。中には涙ぐんだ顔を腕でぬぐう者もいる。何かをこらえるように立っていたローイは、振りきるようにして顔をあげた。藪の射手を目線でうながす。
木立に散った多数の矢尻が、改めて軍に狙いをつけた。いっぱいに引かれた数多の弓が、張りつめられてキリキリ鳴る。今や、圧倒的な軍勢として、意図せず勝ちあがっていた。狙いを定める真剣な顔つき。だが──。
ふと、チェスター候は眉をひそめた。森で弓引くローイの仲間は、先の戦で一兵たりとも殺めなかった。彼らは荒っぽい真似は好まない。その気質は街の市民と変わりない。それを今では知っている。
遊民には二種類あるのだ。ギイたちのような粗暴な輩と、ローイたちのような流浪の演者。両者はまるで異なっている。飢えさらばえた狼の群れと、草原で草食むおとなしい羊の群れほどに。ならぱ、彼らに振られた役割は、決して本意ではない筈だ。どす黒い疑問が胸をよぎった。
──もしや、今、我々は、とてつもない重荷を肩代わりさせようとしているのではないのか。
芸妓を一心に突きつめた芸術家肌のこの彼らに。
弱い立場を利用して、膨大な心理的負担を押しつけようとしているのではないか。人に向けて矢を射れば、相手の行く末は知れている。良くて負傷し、悪ければ死ぬ。なるほど命じたのはあのギイだ。だが、こちらでさえ知る彼らの気質を、争いを厭う繊細な気質を、ギイが知らぬはずがない。つまり、彼らは市民のみならず、同胞からさえ
──虐げられている?
何かがひどく間違っていた。そうだ、断じてこれは間違っている。だが、ならぱどうする。これはギイが決めたこと。ギイは着々と先手をうち、現に今も奏功している。こうする他に撃退する方策はあるのか。これを上まわる良策はないのか──。
「降伏する気はないようだな」
とっさにギイの顔を見た。ギイは片脚に重心をあずけて彼らの首尾を眺めている。淡々とした横顔からは、なんの思い入れも読みとれない。敵にも駒にも、ギイはなんの憐れみも持たない。ただただ戦局を自軍に有利に組み立てるだけだ。わかっている。止めても無駄だ。
弓を引くローイの仲間と、それを命じて眺めるギイ、そこには明確な構図があった。無情な力関係をそこに見て、チェスター候は苦い思いでほぞを噛む。この近距離で射かければ、よもや的を外しはすまい。山肌を背にして三方から包囲され、軍はどこへも逃げられない。動きを封じた標的に百もの射手が射かければ、数度の斉射で片がつく。
陽を透かす梢の濃淡、萌えたつような緑のさなかに、大地から湧きいでたような、森を覆いつくすほどの青年たちが、無駄のない流麗な姿勢で、一分の乱れもなく己が弓を引き絞っていた。それはどこか霊妙で、壮絶なまでに冷徹で、不謹慎だが美しかった。そう、彼らの痛々しいその様は、いっそ神々しくも美しい。
蒼白になった軍兵たちには、動揺がはっきりと見てとれた。狙いすます森の射手たち、ざわめき、たじろぐ軍服たち、両者をじりじり見比べて、チェスター候は奥歯をかむ。
焼けつくような焦燥を覚えた。底冷えした体の中で心臓だけが踊り狂い、緊張と焦燥で朦朧とする。御しきれぬ葛藤が押し迫った。不意に芽吹き拡大した懐疑が、激しく警鐘を鳴らしている。混濁した意識の中、張りつめた焦燥が白く弾けた。
──本当に、これで良いのか?
彼らをまたも
「ま、待ちたまえ……」
口から制止がこぼれていた。ラッセル伯が眉をひそめて、舌打ちで馬を寄せてくる。
「──どうなさいました」
忌々しげな叱咤の声。それを振り切り、制止の手をかいくぐり、チェスター候はあえぐように呼びかけた。だが、上ずり掠れたその声は混乱をきたしたざわめきに埋もれる。「いかん、君たち! 待て。待つのだ──!」
「さて、大づめだ。よく狙えよ」
よく通るローイの声が、全ての音を貫いた。
国軍にどよめきが上がった。挟撃された六百の兵がなだれを打って逃げまどう。悲鳴、混乱、叫び声。切りたった山肌に殺到し、取りつき、這い登り、なんとか逃がれようとする軍服たち。最前列にいた指揮官が目をみはって後ずさった。「い、いや、違う。違うんだ……」
白装束の青年は不敵に口端を持ちあげた。優美な仕草で胸に手をおく。
「ご来場の皆々様、そして親愛なる兵士諸君。さあ、楽しいショーの始まりだ!」
「──ち、違う! 違うんだ! 話せばわかる! 違うんだ!」
せっぱつまった懇願に、ギイがふと眉をひそめる。仮面の頬に笑いを浮かべて、ローイが手を振り上げた。
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