〜 ディール急襲 第2部5章 〜
皆と離れて木陰にもたれた隊長は、軽く開いた掌の中を──シャツの襟ぐりから取り出した銀の鎖のその先を、難しい顔で見つめている。周囲の者にはめったに見せぬ彼のああした素の顔を、ここわずか二日ばかりで、既に何度も見かけている。
動揺しているのかも知れないと、セレスタンは密かに思う。なにせ、あんなことがあったばかりだ。
味気ない携行食に毒づいて、平らげた包みを握り潰し、セレスタンは川縁から腰を上げた。川の流れに吸い殻を投げ捨て、自分の馬まで戻ってみると、街道詰めの馬師が数人、回収が済んだ馬を連れ、ぞろぞろ引き揚げていくところだ。
世間一般には伏せてあることだが、彼らは密かに馬の売買を手がけている。馬を殖やし、良馬に育て、然るべき相手に売却する。もっとも、市民権のない遊民という身分では大きな商取引には関われない為、この事業の代表は、表向き別の者が務めているが。
鳥師が待機する街道との連絡は、引き続きワタリが担っている。多少のことでは音を上げない男だが、それでもこの行程への随従は体力的に厳しいのだろう。額の汗を手の甲で拭い、街道方面を眺める顔は、疲労の色が既に濃い。
「……たく。こんな強行軍は初めてだぜ」
馬の首を撫でながら、セレスタンは小さくぼやいた。将に続く随員は、わずか六名を数えるばかりになっていた。残っているのはタフな連中ばかりだが、それでもたいがい疲れ果て、こうして休憩時間ともなれば、木陰のシートで手足を投げ出し、大の字になって寝転がる。もっとも、川縁でこうして休みをとるのは、体を休める為というより、酷使した馬を休ませて、元気な馬と交換する為だ。
副長と賓客の転落事故は、直ちに樹海に伝達された。指笛を用いることにより、連絡は瞬時に、隊の隅々にまで行き渡る。その際、奇妙だったのは、事故の報が伝わるやいなや、あれ程しつこかった賊徒どもが掌返したように引き揚げたことだ。
ともあれ、ザイの知らせで、樹海の同胞に衝撃が走った。急行した現場では、断崖の端に乗り出したザイが、荒波打ちつける海面を息を殺して凝視していた。無論、転落者の救助には一刻の猶予もなかったが、切り立った崖は峻険で、断崖降下は不可能だ。
断崖に詰めかけた人垣の肩を掻き分けて、硬い表情で現れた首長は、荒波逆まく遥か崖下の岩礁を眺めて、溜息混じりに呟いた。
「──無理だな、こりゃ」
二人と親しい隊長の心境を慮って誰も口にはせぬものの、あの高みから転落して助かろうというのなら、よほどの偶然と強運がいくえにも重なることが必要だ。転落者の生存は絶望的と思われた。だからこそ、誰はばかることのないあのザイが文句ひとつ言うでもなく、この度しがたい行程に粛々と従っている。
抗争の後始末と、成長痛がぶり返したウォードの世話とをバパ隊に任せ、本隊は急ぎ南下した。最寄りのレーヌ港で捜索船を手配する為だ。だが、現地到着しか眼中にない隊長が随員を一顧だにせず無茶な疾走を繰り返した為、行程の途中で落伍者が相次ぎ、ついにはアドルファス隊が脱落した。現場を出てから二日が経過した今現在、隊長に辛うじて随伴しているのは、この特務班のみという惨憺たる有様だ。
だが、その特務班にしても、昼夜兼行の強行軍で、既に疲弊し、消耗している。この状況で尚も平然としているのは、身の回りの変化など意にも介さぬザイくらいのものだろう。このままでは精根尽き果て、団は分裂、隊の態を成さなくなる。だが、自制を促せるような雰囲気ではなかった。
無精髭の目立つ若き将の横顔を、セレスタンは盗み見る。とっつきにくい嫌いこそあれ、彼は決して堅物ではない。無茶な要求を突きつけはしないし、話せば案外さばけている。だが、今は近寄る気には到底なれない。
ものに動じぬあの長が、珍しく神経を尖らせていた。表面は平素と変わらぬようでいて、そのくせ密かに苛立っている。もっとも、それも無理からぬことだが。転落事故と時を同じくして、とんでもない知らせが舞い込んだからだ。
混乱を極めたあの森で、別の事件が起きていた。事故現場からそう遠くない大木の根元で、惨殺体が発見されたのだ。その無残な遺体は枯れ葉の上に手足を投げ出し、人知れず冷たくなっていた。発見したのは現場に急行中の隊員だった。
「……だから、あんなに言ったじゃねえかよ」
短髪の首長は遺体の瞼を閉じてやり、深く嘆息して呟いた。それはその場の誰しもが抱いた感想だったろう。バパ隊が居残ることになったのは、この弔いをする為でもある。
ザイがシートを立ち上がり、木陰の隊長へと歩いていく。「そろそろ出ますか」と漏れ聞こえたから、これで休憩を切り上げるようだ。
新たな馬に乗り換えて、南下の行程が再開した。川の急流を左に見て、風を切って疾走する。この川は大陸を南北に貫いているので、しばらくは川沿いに進むことになる。
突風のような向かい風に上着の肩が激しくなぶられ、汗が額をしたたり落ちる。容赦のない真夏の日ざしは南下につれて苛烈になる。馬の手綱を忙しなく引きつつ、セレスタンは馬群を見回した。どの顔も疲労の色が濃い。それでも、いい加減諦めて脱落しようという気配はない。遺体を拾いに行くことになるのは誰しもわかっているのだろうに。
つい先日まで一緒だった二人の面影が脳裏に浮かんだ。腕に絡まる柔らかなぬくもり──前方の原野を睨んだままで、セレスタンは苦々しい思いで眉をひそめる。あの彼女の人懐こい笑顔と、ふてぶてしくも端整な彼の横顔。そう、今となっては、急いだところで詮ないこと。無情な結末は知れている。神に祈ろうが、変わりはしない。
「おい!」
野卑な制止が前方からかかった。
セレスタンは慌てて手綱を引く。僅かに遅れて隊長が気づき、疾走していた手綱を引いた。随員が次々速度を緩め、やがて完全に停止する。
見知らぬ者の一団が草原の端まで広がっていた。行く手をふさぐ数十もの馬群。こちらを睨む顔つき等から、付近の無法者であるらしい。規模は三十頭ほどもいるだろうか。
「よくも手下を可愛がってくれたな」
案の定、荒んだ目をした中央の男が憎々しげに頬をゆがめた。倦んだ目をした四十絡みの痩せぎすの男だ。蓬髪の長い前髪の下、飢えた野犬を思わせる獰猛な双眸が光っている。
こちらと同類──いや、あれは略奪者の目だ。己が助かる為ならば、船縁に手をかけ波に呑まれんばかりになっている同胞の手を、容赦なく払うくらいのことはする、そういう賤しい目をしている。冷酷な気性が隠しようもなくにじみ出ていた。そして、開口一番のあの啖呵。これまでの襲撃が向かいの仕業と、それで知れた。
頭目らしきその男は狡猾そうに目をすがめる。「知らねえとは言わせねえぞ。この落とし前、どうつけてくれるんだ」
「誰だ、あんたは」
隊長はそんざいに突っ返した。不機嫌そうな口振り。セレスタンは、はっと気づいて振り向いた。随分久しぶりに彼の声を聞いた気がする。元より彼は口数の多い方ではないが、今はっきりと気づいたほどに、これまでずっと黙り込んでいたのだ。そういえば、このところの対応はザイが全てこなしていた。あの事故現場を出て以来、今までずっと。
口上をうるさげに遮られ、頭目らしき男は面食らったらしい。だが、すぐに気を取り直し、口の端を吊り上げた。
「ジャイルズといえば、わかるだろう。俺がレーヌを仕切る顔役だ。つまり、ここら一帯は、全部俺の縄張りってことだな。海を仕切っていた頃は"死神ジャイルズ"といや、どんな連中もたちどころに震え上がって──」
「与太者の首魁か。で、海賊風情が何をしにきた」
隊長は眉一つ動かさない。セレスタンは面食らい、長の冷ややかな横顔を盗み見た。言葉尻におっ被せるようなせかせかとした物言い、木で鼻をくくったような挑発的で皮肉な嘲り、普段の彼なら、性急な応答は決してしない。むしろ不要な諍いを回避すべく、一々挑発に反応しない。相手がどれほど無礼なろくでなしであろうとも。
苛ついている。明らかにそれがわかった。無表情の仮面の下に一触即発の危うさがある。
頭目は憮然とした後に、薄い唇をにやりと吊り上げ、嘲笑するように苦笑いした。
「こいつはご挨拶だな、遊民風情が」
焦燥に駆られて舌打ちしつつも、セレスタンは長を盗み見た。この様子では、ここで戦闘状態に突入すれば、相手は恐らく無事では済むまい。向かいに居並ぶ数十人が大地に転がることになる。そうなれば、二度と起き上がることはないだろう。だが、刃傷沙汰はここではまずい。ここカレリア国は平穏で知られる土地柄なのだ。死人が一人出ただけで、上を下への大騒ぎ、まして大量に見つかりでもすれば、すぐさま大問題へと発展する。後列のロジェ達も考えは同じであるようで、無言で推移を窺いつつも、常にない長の様子に全神経をそばだてている。それにしても間の悪い。長の機嫌は最悪だ。よりにもよって躍起になって急行しているこんな時に、行く手を無邪気に阻もうとは。
馬を止めた隊長は、冷ややかに向かいを眺めている。その横に、すっとザイが馬を寄せた。長をかばうようにして、さりげなく馬を横付けする。ザイは自分の親方にさえ遠慮をしない男だが、長の挑発をなだめるでもなく、むしろ戦闘に備えて向かいの力量を推し量っているようだ。後方に控える隊員たちも、不穏な雲行きを機敏に察して、密かに得物に手をかける。
「まあ、いいか」
ジャイルズは意外にも、鷹揚なおどけ笑いで手を広げた。怒気にあたって臆したか、小ずるいネズミのような目で値踏みするように窺った。「痛い目にあいたくなかったら《夢の石》を引き渡しな。それで御破算にしてやるよ」
「──夢の石?」
隊長は眉をひそめて見返した。
「わかってんだろ。あれが流出したって情報は、確かな筋から得てるんだ。北の領邸から盗まれて、今はお前が持っている。そうだろう?」
「……一体なんの話をしている」
「とぼけてもらっちゃ困るな、兄ちゃん。そこにあるのは先刻承知だ。見たって奴がいるからな」
隊長は怪訝そうな顔つきだ。待機していた後列も、これにはいささか拍子抜けした。手下を潰された報復にきたかと思いきや、とんだお門違いの要求だ。
ふと何かに気づいたように、隊長の頬が強張った。これまでの落ち着きをわずかに失い、利き手が手綱をうつろに離す。その手は尻の隠しを無意識のようにさまよっている。
ザイがそれを見咎めた。今の無言の一瞥は心当たりを尋ねたようだが、隊長は珍しく気づきもしない。
轟々流れる川音が沈黙を押し退けるようにして耳に戻った。隊長は向かいから視線をそらし、その目は地面を見つめている。駆け引きをしている様子ではない。本当に当惑しているようなのだ。
何事にも率直なこの長の、こうした煮え切らない態度は珍しかった。及び腰の横顔は何かをためらい、決心がつきかねているようにも見受けられる。居並ぶ向かいには聞こえぬように、ザイが低く耳打ちした。「──心当たりがありますか」
隊長は口をつぐんだまま応えない。やがて小さく嘆息し、ようやく隠しに手を入れた。それでも、しばしためらって、思い切ったように手を抜き出す。陽を弾いて何かが光った。握りしめているのは銀色の鎖。
セレスタンは首を傾げた。あれは今しがた眺めていた「家の鍵」のチェーンではないか。だが、さっきは首から下げていたし、首から外して隠しに突っ込んだところを見たような記憶はない。ならば、似たようなチェーンを二つ持っていたのだろうか。身形に構わぬあの長が、邪魔にしかならない装飾品を二つも持ち歩くとは考えにくいが。
ザイも不思議に思ったようで、訝しげに盗み見ている。拳から零れ落ちる銀の鎖を握りしめ、隊長は向かいに目を据えた。
「わかった。あんたにくれてやる。付きまとわれるのは迷惑だ」
言うなり左に身をひねり、急流めがけて手を放った。
ジャイルズ以下向かいに居並ぶ全員が、愕然として息を呑んだ。銀の鎖は陽を弾き、水面を滑って低く飛び去る。落下音が急流であがった。
「……な……投げやがった……」
「拾え! 早く拾え!」
顔面蒼白となったジャイルズが声を上ずらせて腕を振った。
呆気にとられた向かいの馬群が、はっとしたように我に返った。困惑してどよめく配下に、ジャイルズは舌打ち、喚き散らす。
「何をぼさっとしてやがる! さっさとしねえか! 流されるだろう!」
向かいの馬群が慌てて川に殺到した。岩場の川縁で次々飛び降り、水飛沫をバシャバシャあげて、膝まで浸かって急流の中に踏み込んでいく。
うろたえ、泡食ったその様を見届け、隊長は冷ややかに手綱をさばいた。ゴロツキどもの一団は、脇目もふらずに川さらいに没頭している。こちらはもう用なしらしく、一転して見向きもしない。
まったく、とんだ時間のロスだと、隊はぐんぐん速度をあげる。ザイが隊長に馬を寄せ、背後の川面に顎をしゃくった。「ばかに用意がいいじゃないスか。本当はアレ、何投げたんです?」
「──別に。大した物じゃない」
わずかに眉をひそめて遥か前方を見やったままで、隊長は苦々しげにそう応えた。釈然としないセレスタンは、その襟元をチラリと覗く。
首元に銀の鎖が光っていた。休憩の際に見かけた通り、形見の「鍵」はあるようだ。ならば、今投げた「あれ」は何だったのか。ゴロツキどもが言うように《夢の石》を本当に持っていたとか──まさか。
原野に蹄音が響き渡り、駆け急ぐ頬を向かい風がなぶる。あまりの暑さに空を仰げば、真夏の太陽がぎらついた。レーヌ到着まであと二時間。その程度の時間を見込んでおけば、レーヌになんとか辿り着ける。通常の行程に比べれば、これはかなりのハイペースだ。いや、それでも遅い。遅すぎる。あの衝撃的な転落事故から既に丸二日が経とうとしている。
大陸の断崖は険しく切り立ち、自力での登攀は不可能だ。大海に呑まれた転落者が運良く岩礁に引っかかり、或いは無人島にでも打ち上げられて、遥か沖合の群島のどこかで、辛くも生き延びていたにせよ、既に瀕死の状態で、陽に焼かれ、飲まず食わずの苦難が続く。それを生きたまま連れ戻そうというのなら、このタイトな行程でも間に合うかどうかギリギリの線だ。
時間に猶予は微塵もなかった。二人の命は風前の灯。一刻も早くレーヌに入り、日が西に傾いて視界が利かなくなる前に、捜索船で海に出ねば──
「派手に荒らしてくれるじゃねえか」
からかうような声がした。新たな馬群が前方をふさぐ。居並ぶ馬群の中央で、壮年の男が馬の手綱をさばいている。
「ジャイルズの手下を潰したってのは、お前さん達かい」
ゴロツキどもをやり過し、息をつくも束の間、又も行く手を阻まれる。先頭を往く隊長が心底うんざりと停止した。肩を上下させてあからさまに嘆息し、いかにも辟易と向かいを見る。「なんだ、あんたらは。あんたらも《夢の石》狙いか」
「──ユメノイシ? なんだい、そいつは」
反応が、今回は違った。
「ガキに聞かせるおとぎ話か何かかい?」
隊長の視線は鋭かった筈だが、中央の男は怯みもしない。ボタンのない奇妙な服で馬の背にまたがっている。足首まである左右の身ごろを重ね合わせ、胴を固めの布で括っている。レーヌの漁師が好んでまとう"着物"という民族衣装だ。
頭目は苦笑いして、顎を覆う髭を撫でた。「俺はレーヌのオーサーってもんだ。あんたがそっちの大将かい? ちょっと話を聞きたくてな」
「話すことなど何もない」
「そっちになくても、こっちにはあるさ」
穏やかな口調ではあるものの、オーサーはぴしゃりと突っぱねた。年の頃はジャイルズよりやや年輩の、四十半ばから後半といったところ。白髪まじりの黒髪をこざっぱりと短くしている。先のジャイルズ同様、赤銅色に日焼けした体は痩せぎすではあるものの、潮風に鍛えられた肉体は硬く荒く引き締まっている。
レーヌ港は現行程の目的地。そこを牛耳る与太者については、現地に配した鳥師から、大まかな情報を予め得ている。レーヌは富裕層の避暑地であるが、美しくのどかな風景の反面、路地を一歩入った裏手には柄の悪い一大歓楽街が広がっている。そして、主導権を握るべく二つの派閥が反目している。
一方の派閥の頭目が、先の海賊崩れ、ジャイルズだ。下っ端役人に金を掴ませ、罪を逃れたとの噂がある。そんな不逞の輩の存在を何故市民が受け入れているのかといえば、容認しているというよりはむしろ、報復を恐れてのことらしい。
もう一方の頭目が、このオーサーという漁師上がりだ。海を荒らす賊徒どもを生業のかたわら退治してきた土地土着の元締めだ。
つまり二人は元海賊と退治屋との間柄で、因縁浅からぬ宿敵同士というわけだ。それが狭い町中で角つき合わせているというのだから、衝突するのも無理はない。ちなみに、ジャイルズの手下は当初五十名にも満たぬ少数だったが、海を捨て陸に上がったことで利害を同じくする反オーサー派が配下に収まり、数が一挙に膨れ上がった。そして、この二人の武勇を聞きつけ、カレリア全土から腕に覚えのある無頼漢が集まり、レーヌの地にて派閥を形成するに至っている。
となれば、それぞれの評判にとてつもない開きがあるのも頷ける。ジャイルズに対する評判は無論かんばしくはないのだが、一見似たような輩でも、オーサーの方はさほどでもない。"退治屋"の金看板も手伝ってか、意外にも市民に人気がある。いわば、弱きを助け、強きを挫く、侠客といった位置付けらしい。もっとも、目下敵対中の当方にとっては、どちらであろうが大差はないが。
オーサーは苦笑いした。
「まあ、こっちとしても、そう好き放題に暴れられちゃ、見ねえ振りもできねえしな」
隊長は苛立ちを押し殺し、快活な笑みを向かいに向けた。「それは誤解だ。俺たちが仕掛けた訳じゃない」
「言い分はレーヌで聞く。すまんが、ご足労願おうか」
オーサーは言下に遮って、有無を言わさず顎をしゃくった。「まあ、こんな所で立ち話もなんだ。一緒に来てくれるよな」
五十頭からの揺るぎない馬群が行く手に立ちはだかっていた。従わぬと言うのなら、一戦交えるも辞さぬ構えだ。
すっかり取り囲まれていた。先のゴロツキとは雰囲気が異なり、彼らは統制が取れている。ザイがわずか体を傾け、隊長の耳元に囁いた。
(──突破しますか)
そう口元から読み取れた。準備は既に整っている。ザイの指示があり次第、すぐさま戦闘に移行できる。
隊長は無言で向かいの馬群に目を眇めている。セレスタンも目を戻す。向かいの駄馬では隊の戦馬については来れまい。となれば、強行突破して追撃を振り切り、そのまま引き離して逃げきるか、さもなくば、この場で始末して後顧の憂いを断ちきるか──
「わかったよ」
隊長が苦笑いした。立ち塞がった馬群を端から眺め、諦めたように嘆息する。「あんたらに従おう」
「──隊長」
向かいの馬群を一瞥し、ザイが苛立ったように耳打ちした。「いけますよ、この程度」
「いいから従え」
当の隊長は涼しい顔で、向かいの頭目を眺めたままだ。驚いたことに、ザイの方が苛ついている。セレスタンは待機した馬の首に片方の腕をもたせかけ、いつにも増して好戦的なザイの横顔を眺めやる。あのザイが苛立っている。神経がないのかと疑うほどに冷静沈着なあのザイが。
常にないその様を見て、そういえば、と思い出した。短髪の首長は、樹海で発見された惨憺たる遺体を見て、本隊とは別行動をとり、少し遅れて合流することを決めたのだが、自班のみ隊を抜け、先発隊に加わる旨、あの首長に申し出たのは、意外にもザイではなかったか。自班に割り振られた賓客警護の役割を、あれほど忌み嫌っていたのに。
向かいで、頭目の声がした。
「すまねえなあ、急いでいるところを。だが、このところ怪我人が出ちまってる。それも両手の指じゃきかねえくらいに大勢だ。となれば、俺としても、このまんま見て見ぬ振りもできなくてよ。何かとうるせえんだよな、周りがな」
「ああ、わかるよ。よくある話だ」
すまなそうな言い訳を、隊長が面倒そうに遮った。
「……案外聞き分けがいいんだな」
オーサーは頬を掻いて困ったように笑った。
「なら、後について来てもらおうか。なあに、レーヌはすぐそこだ。馬を飛ばせば、明朝までには辿りつける。──ああ、逃げようなんて考えは、ゆめ起こしてくれるなよ。お前さん達を捕まえるのは、ちっとばかし骨が折れるし、まあ、それでもいずれは捕まえる。ここはいわば俺たちの庭だからな。どっちの方が面倒がないか、兄さんだってわかるよな」
「了解、大将。心配無用だ。逃げはしないよ」
隊長は降参したように手をあげる。オーサーは相好を崩した。
「そうかい。そいつは助かるぜ。ま、ちょっくら事情を訊きたいだけだ。そっちが吹っかけてこねえ限り、俺らからは何もしねえ。そこんところはお天道様に誓ってもいい。ま、できれば、世話かけねえでくれると、ありがてえんだがな」
笑って頷き、配下に合図の手をあげる。
馬群が一斉に押し寄せた。隊と若干の距離をあけ、周囲を抜かりなく囲んでいく。
「──隊長」
ザイがたまりかねたように一瞥し、隊長に素早く耳打ちした。「いいんですか、こんなにちんたらやっていて。こんな輩にかかずらっていたら副長たちが──」
「どうせ船が要る」
隊長はぶっきらぼうに返事をした。移動中の外周には無論聞こえはしなかったろうが、隊長の放った一言は、蹄音と砂埃立ち込める騒々しい喧騒の中でも、馬を寄せていた随員の耳にははっきりと届いた。
友好的とは言えないまでも、まるで抵抗しなかった為、向かいは安堵しているのだろう、オーサーの配下は様子を抜かりなく監視しつつも、余裕の表情で笑い交わしている。
馬をその場に止めたまま、隊長は無表情に眺めている。身の安全を保障する頭目の口約束を真に受けた訳でもないのだろうが、多くの敵に囲まれて尚、焦りを浮かべるでも諦めるでもない。長の冷ややかな横顔が、ぶっきらぼうな口調で続けた。
「目的地はこちらと同じ、オーサーは付近の頭目だ。彼が先導するというのなら、雑魚の襲撃は排除できる。到着は若干遅れるだろうが、有象無象をその都度相手にするよりは、よほど早く到着できる」
「──ああ、それで」
セレスタンは合点した。対戦するなら、今でも後でも同じこと。むしろ、ここでは、今しがたのゴロツキどもが引き返して来ぬとも限らぬし、それとは全く別物の新たな手合いが出現せぬとも限らない。ならば、守らせるだけ守らせて目的地に到着した後、必要に応じて排除すればいい。
随員は密かに目配せした。
そう、海をあたるなら船が要る。最寄りの港はこの先のレーヌ。どのみち行き先は、彼らと同じだ。
オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》