CROSS ROAD ディール急襲 第2部 5章 interval01 〜夜行〜
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 蒼天に突き出した高い塔で鐘が鳴り、夕闇迫る刻限を知らせた。
 五、六人の子供らが慌てて顔を見合わせて、暮れなずむ裏路地を、腕を振って駆けていく。品の良い身形をした小奇麗な子供らだ。年の頃は十歳前後、身につけているのは、白い丸襟のシャツブラウスにえんじ色の蝶ネクタイ、サスペンダー付きの深緑色の半ズボン──どこかの寄宿舎の制服だろう。柔らかな髪をした制服の一団は、煉瓦の建物が連なる大通りから一本向こうの路地裏を、南から北へと向かっている。ずいぶん急いでいるようだ。街外れにある寄宿舎に戻ろうとしているところなのかもしれない。どこまで遊びに行っていたのか、胸に抱いた彼らの手に手にブックバンドで束ねられた数冊の厚い本がある。
 赤い西日に染め上げられた街中央の大通り、その石畳の路上には、気取りのない服装で老若男女が行き交っている。日傘を畳んだ老婦人、手入れの行き届いた口ひげの紳士、急ぎ帰路を辿る者、雑貨の店先を冷やかす者、これから一杯ひっかけるのに適当な店を探す一団。夕涼みがてら、そぞろ歩く通行人に紛れて、馬車がガラガラ石畳に車輪を軋ませる。ランニング一丁の人足たちが野太い掛け声をかけながら、積み荷を裏通りに降ろしている。開店前の小さなバーの店先では、毛並みの良い白い猫が、四肢を揃えてきちんと座り、華奢な手先を持ち上げて、ヒゲの手入れに余念がない。
「──うんともすんとも言わないな」
 チェーンの翠石を手の平で転がし、白皙の青年は目を細めた。窓から差しこむ薄くれないに、瞳の底に紫を宿し、シルクのシャツの背中では、金茶のなめらかな長髪がゆるくカーブを描いている。
 つばの広い羽根付きの帽子をコート掛けに引っかけて、男はぶらぶら足を向けた。二本の指でそれを摘んで、ためつすがめつ透かし見る。短い口ひげの左横には細い三つ編みが数本下がり、髪先に編みこまれた赤や緑の宝石が西窓からの夕陽に輝いている。紫のベストに、袖のたっぷりしたフリル付きブラウス、痩せた胴には三段ヒダの飾り帯サッシュベルト。目を細め、注意深く見ていた三つ編みの男は、青年の手の平に翠石を落として、怪訝そうに首を捻った。「だが、確かにこいつだぜ。あれが首から下げていたのは」
 木机の足の黒い影が、板床に長く伸びていた。西窓を開け放った夕刻の宿には、彼ら二人の姿しかいない。青年は端整な横顔で、戻された翠石を銀のチェーンごと掴みとり、机の上に、ことり、と置いた。
「やれやれ、とんだ無駄骨だ」
 興醒めしたように卓から黒瓶を取りあげて、琥珀の酒をグラスに注ぐ。
「依頼はきっちり果たしたぜ」
 胡乱に見ていた三つ編みの男──ジャック=ランバートはたまりかねたように顔をしかめた。ドレープの腕をおもむろに組む。「あれが持っていたのは、こいつできっちり間違いねえ。うつ伏せに寝ていたあれの首から、俺が直に外してきたんだ。あのウェルギリウスの隙をついてな」
 青年は酒を注ぐ手を止めて、ちら、と目だけを相手に向けた。「本当に?」
「本当だ」
 憮然とジャックは眉をひそめる。青年は苦笑いして、なだめるように手を上げた。「わかった。お前は、嘘は言わない」
 グラスを手にして窓辺に立ち、建物の壁を赤く染めたロマリアの街並みを眺めやる。ジャックは腕を組んだまま、陰になった壁に肩をもたせて、夕陽を浴びた依頼主の横顔を、いぶかしげに窺っている。
 犬がどこかで吠えていた。開け放った腰窓から、夕刻の風が吹き込んでくる。
 半ズボンの子供の一人が、両手を投げて石畳に転んだ。柔らかそうな癖っ毛が膝を抱えてうずくまる。どうやら膝でもすりむいたらしく、小さな背中がしゃくり上げている。友人が気づいて、ばらばら彼に駆け寄った。投げ出した本を拾ってやり、しゃがみ込んだ癖っ毛を覗き込んでいる。そして、転んだ癖っ毛を励まし励まし、彼らは再び走り出す。門限を破れば、手厳しいお仕置きが待っているのかもしれない。薄桃を刷いた夕暮れの空は、色の深みをいっそう増し、蒼と灰との色彩を濃くして、やがては安息の帳に包まれる。
 思案していた柳眉をひそめて、青年がゆっくりと呟いた。「どこかで、別物とすり替ったか」
「ブツはきっちり持ってきた。そっちの注文通りにな」
 ジャックはぶっきらぼうに言い置いて、卓の瓶を取りあげた。別のグラスを引きよせて、自分の分の酒を注ぐ。グラスの縁を一口舐めて、窓辺の青年を冷ややかに見た。「祝杯とはいかなかったが、それについては俺の関知するところじゃない。仕事は仕事だ」
「わかっているさ。報酬は払う。心配するな」
 青年は肩越しの横顔で薄く笑い、夕陽に照らされたロマリアの屋根屋根を眺めやった。グラスをあやして、訝しげに腕を組む。「しかし、あの二人がついていて、こそ泥風情に持ち去られるとは、私にはどうしても思えないんだが」
「俺もそんなこたァ無理だと思うぜ。なにせ相手が悪い、とびきりな」
「つまり、本物はまだ、ノースカレリアのクローゼットの中にある」
 目線だけを動かして、青年が思わせぶりに一瞥した。「──なあ、ジャック?」
「そいつは無理だ。その話には乗れねえよ」
 ジャックはグラスを飲み干して、再び酒瓶を取りあげる。「今はこれっぱかしも動けねえ。この行程これが済まねえことにはな」
「報酬は弾むが?」
「無理だと言った」
「断るのか?」
 青年は笑って振り返り、グラスを揺らして小首をかしげた。「"依頼の品がこの世に在るなら、どんな物でも調達する"のが、君のモットーではなかったか?」
「本当にそいつがあるならな」
 ウエーブの髪ごと肩をすくめて、青年は目を見開いてみせる。「というと?」
 宝石のついた髪先を揺らして、ジャックは大儀そうに首を回した。
「ありもしねえもんは適用外だ。あんたが言うから、やってもみたが、実際こうして蓋を開けたら、どろん、と別物に化けちまったじゃねえかよ。おとぎ話の小道具なんぞをホイホイ喜んで見つけに行くほど、俺は馬鹿でも暇でもねえ。もっと実のある話をしようぜ」
「いいや、あるさ、間違いなく」
 ジャックは大仰に嘆息し、頑固な依頼主を横目で見やって、新たな酒でグラスを満たす。「《 夢の石 》の本物が本当にある、そう言うのかよ」
 赤く染まった木机の上に、青年はしなやかな手を置いた。夕陽を弾く銀のチェーンに、指輪の指をしゃらりと絡める。「ああ、間違いなく本物だった、、、さ」
「──実は、俺も領邸に潜って、色々探ってはみたんだがよ」
 ジャックは思い出すように口を開き、だが、はっと気づいて、慌てた顔で首を振った。「いや、あんたのお宝を横取りしがめようなんざ、そんな了見はこれっぽっちもねえよ。本物かどうか確かめねえことには、こっちも万全を期せねえからよ。だが、どれもこれも、結局、何も起きなかったぜ」
 言い訳するように早口で言う。石に何を願ったか、その辺りは口をつぐんで白状しない。青年は憐憫の色を頬に浮かべて、困ったような面持ちで苦笑いした。「──お前には無理だ」
「どうしてだ」
 ジャックは面食らった顔つきで、心外そうに青年を見る。青年は穏やかに微笑った。「お前には資格がない。いや、資格のようなもの、と言った方がいいか」
 ジャックは勘ぐるように眉をひそめて、吟味するように腕を組んだ。「つまり、誰なら、いいってんだ?」
「すまない。無理を言ったようだ」
 青年は苦笑いで首を振り、一方的に切りあげた。「この件の咎は、お前にない。確認のしようがないのだからな。そう、誰にでも、、、、見える訳ではない、、、、、、、、
 吊り下げた翠石を、目の高さまで持ち上げて、夕陽に透かして覗き込む。
「……まだ明け染めぬ黎明の闇」
 翠石は揺れてきらめいている。青年は陶然と目を細めた。
「朝つゆに揺らぐ原生林、鮮烈にひろがる大地の様相、誕生と死別、没落と復興、様々な者との出会いと別れ、炎上する巨大都市、庭先でゆれるチェリーセージ、風吹きわたる日没の部屋、膝で眠る赤い髪、捜しもとめ、呼びつづけ、無限に渦まく孤高と苦悩、そして、世界が迎える大いなる落日」
「──なんでえ、そいつは」
 グラスの酒を一口すすり、ジャックは胡散くさそうに目をすがめた。よぎった光景を味わうように、青年は目を閉じ、そっと微笑う。「"月読の記憶"だ」
「ツクヨミ?」
 青年は木造の窓枠に両手をついて、哀れむように目を細めた。「……無限に終わることのない、悠久の記憶の持ち主さ」
 眺めやった視線の先には、蒼闇に呑まれた街の夕景が広がっている。
 グラスを飲み干し、テーブルに置くと、ジャックは背を向け、扉へ歩いた。たそがれに沈むコート掛けから、帽子をとって部屋から出て行く。
 長くなめらかな金茶の髪が、宵の風に緩やかになびいた。
 がらんと静まった夕暮れの窓辺に、グラスを片手に青年はたたずむ。
 幻影が、脳裏に蘇った。
『早う、我を解き放て!』
 強い瞳で睨みつけ、音なき声で命じた"彼女"
「──そう我がままを言われてもね」
 青年は苦笑いした。
「君の苦境は分かっているさ。けれど、こちらにも都合がある。しかし、手を貸せというのなら」
 どこか楽しげに呟いて、紫がかった瞳を細める。
「見返りに、君は何を差し出す?」
 尽きることない"時"に揉まれて、さまよい続ける囚われの姫君。
 露店の安物の翠石が、落日を透かしてきらめいた。
 灯かりのない板床に、夜闇が忍び寄っていた。
 
 
 
 
 

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