CROSS ROAD ディール急襲 第2部 5章2話3
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 引き戸を乱暴に開け閉てする音。
 店の戸口へ振り向けば、見知らぬ男が踏み込んでくる。アルノーは怪訝に見返した。
「何か、ご用で?」
 だが、それを無視して男は行き過ぎ、土足で畳へ上がりこむ。
 驚いてアルノーは瞠目した。「──ちょっと、あんた! どこに行く気で!」
 窓からの月明かりに、黒髪の後ろ姿が浮かびあがった。ファレスと似た武骨な身成り。不精髭の横顔は若い。
 奥の暗がりにうずくまっていたファレスがふと顔をあげた。
「……ケネル」
 男を認めて目を見開き、吸い寄せられるように腰をあげる。
 男が無言でファレスへ歩き、大きく一歩踏み込んだ。
 天井に響く殴打音とともに、男に壁まで吹っ飛ばされたファレスが、咳き込みながら口元をぬぐう。打撃をまともに食らった形だ。男はファレスの胸倉を、容赦なく引っ立て、殴りつける。ファレスは拳を避けるでもなく、男のされるに任せている。
 後に続いていたアルノーは、たまりかねて腕をつかんだ。
「それくらいに、しておいちゃどうです」
 腕をつかまれ振り向いた、男の顔をしげしげと見る。
「どんな経緯かは知りませんが、暴力沙汰たァ穏やかじゃありませんね。それ以上殴りゃ死にますよ、その人。そうでなくても大怪我だ。それくらい、見りゃあ、わかるでしょうに」
「……邪魔すんなっ!」
 遮ったのは、他ならぬファレスだった。
 咳き込みながらも、鋭い視線で制止する。「俺の、ヘマだ」
「──しかし」
 アルノーは当惑した。そうはいっても、ファレスはひどい有様だ。へたりこんで壁にもたれ、口元を拳でぬぐっている。今の殴打で口の中を切ったらしい。
「あんた、自分の状態わかってますか。ただでさえ弱ったところへ先方のいいように殴られちまっちゃ、体がいくつあっても足りねえでしょうに」
「失態は、失態だ」
 にべもなくファレスが言い捨てた。息荒く仰いだ顔を、男は無言で見下ろしている。
 その二人を見比べて、アルノーは嘆息した。
「あんたが良くても、こっちが困る。死人を二人も抱えるなんざ、俺は真っ平ご免ですよ」
 未だに無言の黒髪の男は、部屋に視線をめぐらせている。
 その肩が硬直した。凝視している壁際には、掛け布のかかった件の寝床。
 のろのろ畳を踏みしめて、男が吸い寄せられるように踏み出した。遺体の脇に膝をつき、枕にうつぶせに寝かされた女の髪を掻きあげる。
 その顔を確認するや、上掛けごと遺体を抱きすくめた。
 思いがけない行動に、アルノーは言葉を失った。ようやく身体を引き起こしたファレスは、男の様子を黙って見ている。遺体の側には何人たりとも、寄せ付けなかったあのファレスが。
 遺体の肩に顔を埋め、男は言葉も発するでもない。強く抱きすくめられた遺体の腕が、床に垂れて揺れている。

「おー。ここだここだ!」
 重苦しい沈黙を、声が破った。
 騒がしく場違いな声。どやどや人が踏み込んでくる。
「なんです、あんた方は」
 面食らって店先を見れば、今度の闖入者は五人の男。黒い眼鏡のスキンヘッド、太い首から金鎖を下げた中年男、茶髪をうなじでくくった男、実直そうな若い角刈り、顎ひげを生やした長い顔。いずれもファレスと似た身なり。
 黒髪の背を見ていたファレスが、ふと、一団に目を向ける。
「──着いたか」
 ほっと力を抜いたのが分かった。
 手負いの獣であるかのように、誰にも片時も気を許さなかったファレスが。
 大儀そうに膝を立て、壁に手を突き、立ち上がる。思えば、保護から二日が経ち、その間ずっと飲まず食わずだ。体力ももはや限界か。
 土間へとファレスは二、三歩歩き、だが、踏み止まれずに足がよろめく。
 転びかけたその胸を、ひょいと腕がすくい上げた。
 顔をしかめて見返したファレスに、ニッと振り向きざま笑いかける。
「あー。ぼろっぼろすね副長」
 土間に入ってきた五人の一人だ。ぶらぶら奥の間に上がり込み、前を見たまま腕を伸ばしたのは、黒い眼鏡のスキンヘッド。
 土間を占拠した一団は、物珍しげに部屋を見ている。腕の垂れた女の遺体も、それを掻き抱いた黒髪の姿もむろん目には入ったろうに、顔色ひとつ変えるでもない。ファレスの無残な有様を見ても、それについても一言もない。
「きゃー副長―! 色っぺえ〜!」
 やんややんやと一団に囃され、ファレスが忌々しげに舌打ちしている。だが、それでも拒むでもなく、禿頭の男に連れられて、土間の方へと歩いてくる。
「ところで、ものは相談ですが」
 肩を貸している禿頭が、冗談とも本気ともつかない顔で、ファレスへ顔を突き出した。
「襲っていいすか」
「調子にのるなよ、つるっぱげ」
 間髪容れずにファレスは応酬。
 ようやく土間に到着した二人を、野次馬たちが取り囲んだ。
 引き続き軽口を叩きつつ、気負いなく振る舞いながらも、一団はさりげなく守っている。方々を眺める目の端で、密かに気を配っている。革の上着で覆われたファレスの負傷した左の腕に。
 ファレスも気を許しているのが分かる。あれほどの深手を負いながら、わずかにも警戒を解かなかった男が。差し伸べられた手を拒み、何者をも寄せ付けなかった、手負いの獣のようなあの男が。自宅に保護してここ二日、ファレスの手当てをしてきたが、こうなってはもう二度と、彼に触れることはできないだろう。
 唐突に、アルノーは理解した。
 一口の水をも口にせず、常に警戒を怠らず、 "待っていた"のは、
 ──この男たちか。
 
「お疲れさまです、副長」
 店先で、別の声がした。
 肩を掻き分け現れたのは、薄茶の髪の痩身の男。さらりと長い前髪の下、切れ長の眼が鋭い。土間でたむろす一団とやはり似たような身なりだが、どこか落ち着いた風情のせいか、他とは一線を画している。 
「ほら、どけ、セレスタン」
 痩身はファレスへ歩み寄るなり、肩を貸した禿頭を押しのけ、ファレスの脇に肩を入れた。手もなく居場所を入れ替わり、ひょい、とファレスの顔を見る。
「俺はノンケすから大丈夫スよ?」
 冴えた雰囲気から一転し、飄々とした顔で軽口を叩く。
 ぎろりとファレスが剣呑に凄んだ。
「てめえもか、ザイっ!」
「ご近所迷惑ですよ、大声は。ま、野中の一軒家ですけどね」
 ザイと呼ばれた痩身の男は「怒ると傷に触りますよ〜」と気負うことなく受け流す。ファレスはちょっと睨んだだけで得も言われぬ凄みがあるが、まるで堪えてない様子、むしろ今にも頭を撫でかねない勢いだ──いや、本当に撫でた。
 そうした二人の応酬を、一団はにやにや眺めている。思うに任せぬファレスだけが、顔を振りあげ、食ってかかる。
「てんめえ、クソザイ! 覚えておけよ。これ以上ふざけた真似をしやがると──!」
「了解、副長。心得てますよ」
 あっさりザイは受け流す。
「さ、飯食いに行きましょうや。さぞや腹が減ったでしょう」
 アルノーは呆気にとられて見返した。飲まず食わずのファレスの事情をを知っていたかのような口振りだ。
 セレスタンと呼ばれた禿頭が、ザイとは逆側へそつなく回り、ファレスの脇に肩を入れた。
 左右の肩を抱えられ、引きずられるようにしてファレスが出ていく。
 その後に一団も続いて、宵闇の外へとぞろぞろ出ていく。ケネルと呼ばれた黒髪がまだ遺体に張りついているが、誰もそれを一顧だにしない。
 移動を始めた一団について、アルノーも店の外へ出た。
 なんとはなしに見送っていると、そぞろ歩きのその背から、あくび混じりの声がする。
「なに食いますー?」
「ああ、やっとありつける。まともな飯なんて何日ぶりだ?」
 いやに実感がこもっている。一体何があったというのか。
 ファレスが舌打ちでザイを見た。「……恩に着せたと思うなよ」
 ひょい、とザイが振り返る。
「ええ、貸しといたげます。ガードは何卒お任せを」 
「──そうじゃねえだろっ! てめえクソザイ! 袋にすんぞっ!」
「だから貸しですって貸し。返して下さいね、貸しだから」
 月下の浜の風に吹かれて、一団はぶらぶら歩いていく。
 ファレスに肩を貸していた禿頭が、気づいたように振り向いた。
「お世話さま」
 苦笑いして、あいた手を振る。
(うるさくて大変だったでしょ)
 口パクしたそのそばから、その禿頭をファレスがはたく。足は駄目でも、手の方はまだ達者らしい。
 ついに手つかずだったファレスの膳を、アルノーは軽く持ち上げた。「お口に合いませんで、どうも」
「──ああ、それね」
 後列の男が話を引きとる。禿頭の後ろを歩いている、金鎖をさげた中年だ。
「すまんね。悪く思わんでくれ。あんたの飯が、どうこうって話じゃない」
「てぇと?」
 金鎖が苦笑いでウインクした。
「敵味方が分からねえ内は、どうもね。一人ってんなら話はまだしも、姫さん抱えていたんじゃな。ま、こればっかしは仕方がねえんだ」
 アルノーは虚を突かれて口をつぐんだ。つまり、ファレスは、毒殺を警戒していた?
 利かない足を引きずられ、仲間と去りゆく頬はこけ、その横顔は憔悴している。
 不眠不休のその背を見送り、アルノーは着流しの腕を組む。
「──ご苦労さん」
 苦笑いして月を仰いだ。
「これで、やっと眠れるな」
 
 
 
 翌朝、自宅に戻ってみると、ファレスを殴った件の男は、遺体の枕元で腕を組み、昨夜と同じ壁で座っていた。
 小鳥の声に気づいたか、まぶしそうに窓を見る。やつれた頬に、尚濃くなった無精髭が目立つ。まさか一睡もしなかったのか?
 男は明らかに憔悴していた。だが、それでも剣呑な気を振りまいている。声を荒げるでも荒れるでもないが、殺伐とした気をまとっている。
 男は窓から目を戻し、うつ伏せの遺体を眺めている。今日もずっと、そうしてそこにいるのだろうか。──いや、おもむろに腕を解き、遺体の頭へ手を伸ばした。
 うつ伏せた髪に触れ、遺体の頭を撫でている。その顔からは、どんな感情も読みとれない。
 アルノーは土間で腕を組み、壁にもたれて溜息をついた。着替えを取りにきたのだが、これでは奥の間に入れない。どうしたものかと思っていると、奥から男の声がした。
「──俺の声が聞こえるか」
 遺体に語りかけている? 
 無人島で出会ったあの日のファレスの奇行が蘇り、アルノーは苦々しく目を逸らす。あの男も戯言を紡ぐのだろうか、生き返らせたい一心で。
 うつ伏せた遺体の頭を、男は手慰みのように撫でている。ゆっくりと、丁寧に、今際のきわに味わったであろう彼女の苦痛をいたわるように。
 紙のように白い顔で、遺体は瞼を閉じている。男が言い聞かせるように囁いた。
「道を、間違えるなよ」
 ──早く、来い。
 その言葉が耳朶を打った。紡がれていない言葉の先が。それでも確かにそこに在る──。
 それは懇願というより命令だった。毅然として揺るぎのない。だが、強腰の態度とは裏腹に、遺体の髪に指に絡ませ、途方に暮れたようにもてあそんでいる。
 枕元の供花から落ちた、薄桃色の花びらが、古畳の上で、ふわり、と揺れた。
 風が、微かに鼻先を掠める。遺体を眺める男の髪が、ほんのわずか立ち上がる。戸を閉て切った室内で。
(……どうなっている?)
 ファレスに続いて、この男もだ。
 アルノーは視線を巡らせる。もしや、窓を開けたのか。いや、窓は閉て切ってある。店先の戸も閉めてきた。風など、どこからも入りはしない。
 古い畳のささくれが、白々朝日を浴びていた。
 肩まで掛け布をかけた遺体は、うつ伏せにして寝かされている。その髪がピクリと動いた。
 アルノーは愕然と目を瞠る。むっくり、女が頭を上げた。
 
 
 
 
 

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