■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 5章 interval02 〜呼び水〜
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賞賛にも似たまなざしは、ただ一人の青年に向けられている。
ホールの天井から吊り下がるカットガラスの装飾灯、白い手袋、ふわりと優雅な貴婦人のドレス。遠巻きにする誰しもが、彼の一挙手一投足を窺っている。
紳士淑女がグラスを片手にさざめく中、人々の輪の中心にいるのは、琥珀色の頭髪と瞳の二十代後半の青年だ。すらりとした長身の、燕尾服の美青年。この洗練された身ごなしの彼は、ラトキエ領家の御曹司、総領息子アルベール。当代当主が退任した折りには、当主の椅子が約束されている。筆頭公家たる大領家の。
この貴公子の歓心を買おうと、あわよくば大ラトキエに取り入ろうと、夜会に集う誰しもが虎視眈々と狙っていた。それについては本人も重々承知しているようで、歓談しながらすり寄る周囲と、慎重に距離をとっている。
「これはアルベール様、どうなさいました。打ち沈んでおられるご様子」
気遣いの笑みを浮かべつつ ルベックはさりげなく近づいた。ふと青年が目をあげて、ばつ悪そうな笑みを作る。「これは失礼。実は、知人が重い病で。黒障病というのですが」
「ほう、黒障病とは。これは難儀な」
痛ましげに眉を寄せ、ルベックは白ひげの顎をおもむろになでた。
そつなく作った仮面の下で、素早く記憶を弾き出す。"知人"などと濁しているが、近頃サロンで専ら噂の、例の彼女のことだろう。白亜の館から請け出して、別棟で囲っているという娼婦の。
そう素性の見当をつけ、だが、むろん素知らぬ顔で、思案を巡らすように目を向けた。「その方は、もしや、北方のご出身では?」
「驚きましたね。──ええ、本人はそのように」
「私の記憶に間違いがなければ、北カレリア地方の風土病ですな。臨床例はごく稀で、不治の病と恐れられている奇病とか」
「ほう。さすがにお詳しい」
興味を示し、アルベールが向き直った。
だが、内心の歓喜などおくびにも出さず、務めて冷静な態度を保って、ルベックは知識の全てを披露する。黒障病の風聞、病状、治療の現状に至るまで。後ろ手にして語らいながらも、密かにルベックはほくそ笑む。日々の情報収集も、これで役に立つというものだ。
煌びやかなホールのあちらこちらで、葉巻の紫煙がゆるやかにたゆたう。ホールを埋め尽くす談笑とざわめき。鷹揚な語らいに区切りがつくと、アルベールが笑顔で仕切り直した。
「ときに貴公は、サロンを開いておいでとか」
虚をつかれ、ルベックは口をつぐんだ。「サロン」とは実は、散々披露した知識の源。確かに、若手の医師らを招き入れ、知的な会話を楽しんでいる。医師でもないルベックが、黒障病のような奇病を知っていたのは、そこで聞きかじったからに他ならない。
密かな狼狽を気にかけることなく、アルベールはにこやかに続ける。「優秀な医師が多数集まり、懇意にしておられるとか」
「──それが何か」
この優美な青年の得体の知れなさに怖気を感じ、ルベックはひとり密かにたじろぐ。ふと、彼がこの談話に応じた、その目的に気がついた。ならば、初めから
"それ"を狙って──?
片手で捧げ持った給仕の盆から、アルベールはグラスを取りあげて、その端に軽く口をつける。
流麗な仕草で振り返り、憂いを含んだ琥珀色の目を向けた。
「若い身空で命を散らすなど、私にはどうにも忍びない。そうではありませんか、ルベック卿」
商都カレリア、二年前のことだった。
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