CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 5話3
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 声を探して、視線を正面から右手に移す。聞き慣れない調べだが、子守り歌のような感じだ。
 建物の裏手に人がいた。女が細い背を向けて、小川にしゃがみこんでいる。洗濯でもしているのだろうか。歌は彼女が口ずさんでいるらしい。ここは野中の一軒屋で、付近に民家は全くないから、こんな所にいるのなら、この事務所の関係者だろう。管理人の家族であるとか、事務所に雇われた事務員であるとか。
 エレーンはもそもそソファーから降りた。小屋の扉に足を向ける。話し相手が欲しかったのだ。
 キィ──と扉を押し開けて、明るい戸外に足を踏み出す。建物の壁を川側に回って、小川の人影に近づいた。束ねることなく腰まで伸ばしたウエーブの髪、ゆるい癖のある茶色の髪の、線の細い後ろ姿は、生成りのブラウスに覆われている。
 小川のほとりで、彼女は膝を抱えている。それに気づいて、心が騒いだ。心許ない細い背が途方に暮れているように見えたのだ。エレーンは困惑して足を止めた。
(泣いて、いる?)
 向こうを向いた頬の線で、水滴が日ざしを弾いた気がする。細いその背から、独り言が漏れ聞こえた。
「──おあいこよ」
 エレーンはいささかばつの悪い思いで、出てきた小屋を振り向いた。どうにも間が悪い。立ち去った方が良さそうだ。
 踵を返そうとした途端、川べりに一人しゃがんだ彼女が、ふと肩越しに振り向いた。反射的にそれを振り向き、エレーンは面食らって息を呑む。
(……外国人?)
 国内では見かけない浅黒い肌を、彼女はしていた。年の頃は三十路前後というところ、若くはないが、目鼻立ちは整っている。
 彼女はスカートの裾をひるがえし、小首を傾げて立ちあがった。その動作を追った目が、無頓着に伸ばしたままの、彼女の右の手で止まる。
 ギクリ、とエレーンはたじろいだ。彼女は不思議そうに首をかしげ、ふと気づいたように右手を見る。
「あら、見つかっちゃった?」
 ふふっ、と微笑い、向き直る。向かいの右手に目を据えたまま、エレーンは愕然と呟いた。「──それは」
「又使うから、ちゃんとしまっておかないと」
 なんと返していいやら分からずに、エレーンは絶句でまじまじと見た。彼女は鼻歌を歌いながら洗濯をしていたわけではなかった。彼女の手には、血のついたナイフが握られている。今しがた見た悄然とした背が頭を掠めて、はっ、と彼女の左手を見た。
(まさか、自殺を──?)
 ナイフを右手で持っているから、傷つけたとすれば、左の手首だ。彼女の左腕は、地面に向けて下ろされている。スカートの横のほっそりした手は、しかし、血を流しているようには見受けられない。彼女のスカートも、足元の地面も、赤く染まったりはしていない。
 ほっと胸を撫で下ろす。どうやら取り越し苦労だったようだ。だが、それでは"あれ"は何なのだ。彼女の右手をよくよく見れば、ナイフの血は既に乾いて、刃にこびり付いている。
「とりは好き?」
 だしぬけに問われて、面食らった。柔らかな声に目をあげると、彼女は微笑って眺めている。エレーンはしどもど笑みを作る。「──え、ええ、まあ」
 とっさに応えはしたものの、質問の意味をとりかねた。「とり」というのは、梢でさえずる「鳥」のことだろうか。いや、好き嫌いを尋ねたくらいだ、食べる方の「鶏」だろう。ああ、夕食の献立を考える都合で訊いたのか──ふと、そのことに気がついて、件の丸太小屋を一瞥した。ここは他ならぬ家畜を管理する牧畜施設だ。これまで出会った遊牧民も、普通に家畜をさばいていた。いきなり血を見て動転したが、彼女が家畜をさばいても何ら不思議なことではない。
 目の端で何かが動き、ふと、そちらに目を向けると、彼女は歩き出していた。エレーンは慌てて後を追う。
「あ、あの! お世話になります! あたし、そこの事務所にさっき着いたところで──あ、管理人さんにはご挨拶したんですけど──」
 彼女は微笑を浮かべて歩いていく。笑っているから疎まれているのでもないのだろうが、何を応えてくれるでもない。小川の飛び石を軽やかに踏んで、まばらに木立が生い茂る向こう岸へと渡っていく。
 続いて足を踏み出しかけて、エレーンは一瞬ためらった。「ここを動くな」との言い付けを、ふと思い出したのだ。小川の向こうは木立がまばらに生い茂り、このまま進めば、小高い山に入ってしまう。だが、今晩世話になる事務所の者と一緒にいるというのなら、問題などは取り立ててあるまい。
 思い直し、足を踏み出す。彼女をほうっておく気にはなれなかった。勘のようなものが働いた。今、彼女を一人にしない方がいい。未だ右手に握ったままの、血のついたナイフが気にかかる。だって、確かに泣いていた、、、、、
 先行する背を見失わないよう、浅瀬を渡り、木立に入った。彼女を追いかけ、しどもどしながら話しかける。聞いているのかいないのか、彼女はやはり足を止めない。こんな山野に入りこんで、山菜でも採りにいこうというのだろうか。だが、それにしては、前を歩く足取りはどことなく覚束ない。何かに急かされているように、彼女はゆるい起伏を辿っていく。「さまよえる歌姫」──そんな言葉が頭をよぎる。
 ついては来たものの不安になり、エレーンは額の汗を拭き、さりげなく辺りを見回した。空気が冷気をはらんで清々しい。この辺りの地形はなだらかに山中へ続いている為、枯れ葉や朽ち葉の積もった地面は、平坦ではなく起伏がある。枝葉で日差しが遮られ、雨水が中々乾かないのか、歩く足元がぬかるんで、気を抜くと、足をとられそうになる。
「男の人はいいわよね」
 小鳥がさえずるような軽やかな声で、彼女が出しぬけにそう言った。
「どこへでも自由に行けて、好きな時に帰ってこられて。行く先々で好きなことをして、可愛らしい恋人をこしらえて」
 足場の悪さに難儀しながら、エレーンは愛想笑いでついて歩く。「あ、でも、それなら、あなたも気晴らしに行けばいいじゃないですか。どこへでも自由に行って、好きな時に帰ってくれば」
「ふふふ。男の人達と同じようにふるまったら、女は帰る場所を失くしてしまうわ」
 先行する歌姫は、無頓着な足取りで歩いていく。
「男の人は、身軽で、自由で、身勝手で。でも、元気でさえ、いてくれればそれで──生きていて、、、、、くれる、だけでいい」
 虚をつかれ、エレーンは色を失った。未だトラビアで囚われたままの、彼の顔が頭をよぎる。歌姫がやおら足を止め、梢から注ぐ木漏れ日を仰いだ。
「わたしね、夢があったのよ。あの人がいて、子供たちがいて、みんなが好きな鶏を焼いて──あの人が笑って帰ってくるの。大きなその手で、子供たちを抱きしめて。だから、鶏をさばくのは苦手だけれど、わたし、がんばって練習したのよ。みんな、焼いた鶏が大好きなんだもの。でも、やっと上手にできるようになったと思ったら──」
 愛しげに眺めたその頬が、弱々しく微笑った。
「人生は、終わってしまうの」
 エレーンは言葉を失い、戸惑った。元気づけなければ、と思うものの、言葉が容易く見つからない。悲嘆にくれた横顔があまりに儚く寂しげで、引き込まれそうになってしまう。
「何をしている!」
 険のある尖り声に、エレーンは慌てて振り向いた。
 まばらな木立の向こうから、見慣れた革ジャンの男が三人、血相変えてやってくる。どれもどこかで見た顔だ。小柄なイガグリ頭と、強面の二人──こちらはどちらも大柄で、一人は額に傷のあるオールバック、もう一人は痩せぎすの黒い眼帯──あれか、とようやく思い当たった。夜の野営地の強姦未遂でファレスにボコボコにぶん殴られ、森の風道でどつかれた時にはあっさりセレスタンらに撤去され、中央のイガグリにいたっては、出てきた途端にウォードに沿道までぶっ飛ばされた──
(……あの三バカか)
 エレーンはげんなり額を揉む。そう、忘れもしない。あのバリーの家来どもではないか。見かけ倒しのへなちょこのくせして、しょっちゅう陰湿に絡んでくるのだ。
 嫌な連中に出くわした……と内心うんざりしていると、三人はずかずか歩み寄るなり、歌姫をかばうようにして立ちふさがった。触るな! と言わんばかりの剣幕で。むっとエレーンは顎を出す。
(ちょっとお! あたしはバイ菌か!)
 小柄なイガグリがギロリと凄んだ。「サーラはなあ! てめえみたいなアバズレが、気安く話しかけていい人じゃ──!」
「こんな所にいたの?」
 前のめりの威嚇の向こうで、歌姫がふと小首をかしげた。エレーンの顔を一心に見つめ、さまよい出るように両手を動かし、三人の作った壁から抜け出す。
「カーナ、どこへ行っていたの? もうすぐ、お夕飯ですよ」
 ぽかん、とエレーンは口を開けた。振り向き、きょろきょろ見てみるが、他に人など誰もいない。どう見ても、自分に話しかけている。だが、彼女とは正真正銘、さっきの出会いが初対面だ。
 空気のごとくに受け流された三人も、呆気にとられて突っ立っている。だが、こちらを気遣う彼女の顔は、冗談を言っているようには到底見えない。訳がわからず、エレーンは戸惑い、首を傾げる。
「えーと、あの〜、カーナっていうのは──」
 イガグリ頭が慌てた顔で飛んできた。歌姫との間に無理やり割りこみ、引きつった顔で振りかえる。ぽん、と両肩に手を置いた。
(よっしゃ。お前の名前は、今からカーナだ)
 そそくさ素早く耳打ちされて、エレーンは「……はあ?」と見返した。
(あんた、なに言ってんの?)
 てか、無茶言うな。
(いいから! 俺の言う通りにしろってんだよっ!)
 イガグリはカリカリ耳元でがなる。エレーンは憮然と見返した。
「えー! なんであたしがそんなことをー──」
 呆れて抗議をしかけた途端、イガグリが慌てて口をふさいだ。エレーンは瞠目して、ふがふがもがく。突如、羽交い絞めをくらった状態だ。何が何やら、さっぱり訳がわからない。
「ボリス、何をしているの?」
 歌姫がのんびり覗きこんだ。イガグリが慌てて振りかえり、「なんでもない!」と笑顔で首振る。イガグリは「ボリス」という名前らしい。てか、何でもいいから手ぇ放せ。
 いがぐりボリスと裏でじたばた闘っていると、歌姫は「あら、そう」という顔で、後ろの二人に振り向いた。
「ブルーノも、ジェスキーも、早く手を洗っていらっしゃい。ご飯にしますよ」
 二人は手持ち無沙汰に突っ立って、何故か曖昧に笑っている。
 ボリスに無理やり口をふさがれ、肩で息をつきながら、エレーンは呆気にとられて交互に見た。どうも奇妙な按配だ。歌姫は突然「カーナ」と呼ぶし、図体の大きな大の男が子供のごとくに扱われ、それでも、彼女を諌めようとするでもない。確かに彼女の方が年上ではあろうが、三人はどう見ても二十代で、親子というほどの開きはない。これは一体どうなっているのだ?
 ガサリ、と藪がどこかで鳴った。こちらに向かう複数の足音。
「──いたぞ! あそこだ!」
 ギクリ、とエレーンは飛びあがった。この山々しくも粗暴な雰囲気は、今となっては馴染みがある。案の定、人影が躍り出た。
 ──賊だ!
 ボリスが手荒く突き放し、舌打ちで護身刀を抜き放った。たたらを踏んで踏み止まり、エレーンも慌てて目を向ける。
 薄汚れた男が五人、笑って目を据え、向かってきていた。手にはそれぞれ、鋭い短刀が握られている。ボリスら三人は身を屈め、既に臨戦態勢だ。背には歌姫をかばっている──
「て、ちょっとお!」
 エレーンは口を尖らせた。こっちには「盾」がないのだが。だが、文句を言っている暇はなかった。
 あっという間に、賊が向かいに並び立つ。借りてきた猫の子よろしく大人しくしていた三人は、一転、荒々しい気を発し、向かいを睨みつけている。敵はじりじり迫りくる。その攻撃を牽制しながら、ボリスが肩越しに怒鳴りつけた。
「ぼさっとすんな! サーラを連れて、とっとと離れろ!」
 姫をお守りせよ、との厳命らしい。エレーンはおろおろ周囲を見回す。「で、でも──そんなこと言っても、どこへ行ったら──」
 だって、この辺、土地鑑ないのだ。
「つべこべ言わずに、とっとと行けよ!」
 むぅ、とエレーンは膨れっ面で見返した。こっちのことはまるで眼中にないことといい、この偉そうな命令といい、歌姫と同じか弱き乙女の立場としては、何やらどうも釈然としない。だが、いがぐりボリスの言うように、つべこべ言ってる場合ではなかった。
 地を蹴り、賊が突進してきた。
「──い、行きましょう!」
 ぽかんと見ている歌姫の手を、エレーンは慌てて引っつかんだ。
 走る視界が大きく揺れる。地面が平らでない上に、太い木の根ででこぼこしていて、走りにくいことこの上ない。枯れ葉を蹴散らし、息せき切って駆けながら、目まぐるしく考えた。どこへ逃げたら安全だろうか。あの小屋に逃げこめば、時間はとりあえず稼げるだろうか。頑丈そうな造りだから、鍵をかけて立てこもれば、おいそれとは侵入できまい。そうしてしばらく頑張れば、ケネルなりファレスなりが、その内必ず戻ってくる!
 背後で、殴打の音が聞こえていた。何かを叩きつける荒っぽい物音、憎々しげな罵り声、そして時折、硬質な金属音も入り混じる。木立の先に目をすえて、エレーンは手を引き、遮二無二走る。かすかに鳴っていたせせらぎが、次第次第に大きくなる。視界にちらつく銀の反射。
 ──川だ。
 ほっ、と安堵して息をつき、エレーンは額の汗をぬぐった。ここまで来れば一安心。あの川さえ渡ってしまえば、小屋はもう目と鼻の先だ。ぬかるむ足元に注意しながら石砂利の河原にそろそろ降りて、浅瀬を渡るべく、手前の飛び石に足を踏み出す。
 右手が強く引き戻された。慌てて後ろを振り向けば、歌姫が不服そうに顔をしかめて、首を横に振っている。自分は行かない、と言っているのだ。エレーンはじれったい思いで苛々見返す。やっと近くまで戻ってきたのに、何をもたもたしているのだ。
 川向こうの緑の丘は、のどかに静まりかえっている。今のところは見渡す限り、誰の姿も見当たらない。だが、賊が背後に迫っている。今は三人が食い止めているが、躍り出てきたあの五人が賊の全てとは限らない。前に樹海で大騒ぎになって、あげく崖から落下した時にも、後から後から湧いて出た。仕掛けてきたのがあの時と同じ賊というなら、あれと同じ規模の人数が、付近に潜んでいてもおかしくない。いや、あんな物騒な輩がそうそういるとは思えないから、むしろ、同じ賊である可能性が高い。対するこちらは、か弱い女が二人きり、早く小屋に逃げこまねば危険だ。腕づくでも引っ張って行くべく、エレーンは歌姫に目を返す。
 手が、強く振り払われた。慌てて腕を取ろうとするも、歌姫は素早く飛びのいて、非難の面持ちで後ずさる。
「まだ、済んでいないもの」
 言うなり、くるり、と踵を返した。下草をつかんで山肌の斜面を這い登り、ふらふら木立に入っていく。
 エレーンは呆気にとられて立ち尽くした。目の前で襲撃を受けたというのに、今何が起きているのか、自分が何に巻き込まれているのか、まるで理解していないらしい。自分とは無関係だと思っているのか? それでも、とりあえず逃げはしないか?
 予想だにしない反応に、混乱して見送ってしまう。立ちつくした意識の端で、後ろの小屋が気になった。足がむずむず、そわそわする。正直、早く逃げこみたい。だが、歌姫は行ってしまったし──。
 エレーンはじりじり立ちつくした。意識が前後に分裂し、前にも後ろにも進めない。遠くで喧騒が聞こえていた。あの三バカは、まだ、もちこたえているらしい。だが、いつまでもつか分からない。不安が不意に込みあげた。今は健闘しているが、敵の方が多かった。そう長くはもたないのではないか? ほうっておいて、本当にいいのか? なにせ奴らはへなちょこだ。
「──どうすれば」
 動転して、おろおろ見回す。ここは野中の一軒屋だ。救援を乞おうにも、民家の類いは周囲に皆無だ。ファレスもウォードも野営地に行ってしまったし。
「なんで、誰もいないのよっ!」
 エレーンは苛々唇を噛む。群れは、北に丘をいくつか越えた林の中で野営している。そこまで知らせに行くにしても、野営地までは距離がある。馬はいないし、仮に馬がいたところで、そもそも一人では走らせることができない。地道にてくてく歩いて行ったら、着いた頃には日が暮れてしまう。こんなにせっぱ詰まっているのに、歌姫は勝手に歩いていくし──はた、とそこで我に返った。恐れを知らぬあの調子では、激突している闘争のさなかに、ふらふら入りこんでしまうのではないか?
 ──ほうっておいたら、彼女が危険だ。
 歌姫を追い、慌てて道を引きかえす。無理にも一緒に避難させねばならない。今、盾になっている三人から、彼女の身柄を託されている。
 河原を走り、石砂利を蹴りやり、山肌につき出た木の根をつかむ。足を踏ん張り、なだらかな側面を強引に登った。回り道をする暇はない。
 不意に、腕が引っ張り戻された。いや、後ろに人など、いなかったはずだ。
(……誰?)
 震えあがって唾を飲み、瞬時に考えを巡らせる。罵声飛び交うこの騒ぎだ。それが味方であるのなら、直ちに呼びかけ、事の次第を問い質す。そして、三バカの応援に駆けつける。だが、もしも、他の誰かなら──人里離れたこんな河原で、自分の腕を出し抜けにつかむ可能性が最も高いのは──エレーンは震えあがって振り向いた。
 ──賊!?
 悲鳴をあげかけ、口をつぐむ。向かいの相手に見覚えがあった。黒革のパンツスーツ、同じく黒革のロングブーツ、きつい目元で、肩下までの癖のない髪、綺麗な顔立ちの若い女。
「あ、──あの、昨日の」
 しどもど言いかけ、見返した。レーヌの真昼の商店街で、ザイが捕まえた女ではないか。そして、いつかの晩には、ケネルが林で組み伏せていた──。その彼女が、何故、こんな所にいるのだろう。
「ごきげんよう、奥方様」
 赤く薄い唇で、女は冷ややかに薄く笑う。
 女が一人、立っていた。「黒薔薇ローズ」と呼ばれた女が。
 
 
 
 
 

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