CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 5話4
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 回り道をして、木立生い茂る山道に入った。今しがたよじ登ろうとした側面は、土砂崩れにでもあったような剥き出しの山肌で、木の根や蔦をつかまなければ登ることは難しい。一人で登るというならともかく、手の使えない体勢では無理だ。
「行くよ」
 女が腕を引っ張った。川向こうに建つ小屋を、エレーンはとっさに振りかえる。それを一瞥で見咎めて、女が小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「あんな所にこもってみな。たちまち火ィ点けられるよ。ほら、早くしな!」
 腕を引っ張られて歩きつつ、エレーンはおどおど窺った。「……あの〜。なんで、ここにいるんですか?」
「ちょっと、色々と訳ありでね」
 白けた顔で、女はどこか面倒そうに応える。
「あの〜、もしかして、向こうの人たちと、その……」
 エレーンはもごもご口ごもり、先に続く言葉を濁す。「賊の仲間なんですか」とは、やはり本人には訊きにくい。女はさばさば片手を広げた。「さあね。知らない連中さ」
「それじゃあ、つまり、もしかして、ケネルたちの仲間ってこと?」
「──まあ、似たようなもんさね」
 どこか苦々しげに、女は言った。
 ということは……と丸太小屋を改めて見やって、エレーンは女を振り向いた。
「あたしのこと助けてくれたの? ありがとう。えっと、ローズさん、でしたっけ?」
 女が無言で顔を眺めた。馴れ馴れしく名前で呼んだのが気に触ったのだろうか。慌ててしどもど言い訳する。「あ、だって、昨日は、そう呼ばれていたから」
「どう致しまして。奥方様」
 どうでもよさげなおどけた調子で、女は軽く肩をすくめた。
 崖の高台を歩いていた。登り坂で右側は傾斜、眼下に小川が流れている。つまり、足を滑らせたりすれば、石砂利の河原に叩きつけられることになる。
(……この人まさか、突き落としたりしないでしょうね)
 つい、それを想像し、エレーンは背筋を凍らせる。だって、何気に手荒な扱いだ。いや、危うく小屋に火を放たれるところを、彼女は助けてくれたのだ。現に今も、安全な場所に避難させようとしてくれている。そんな恐ろしい真似をするはずがない。
 そう、彼女は味方だ、そのはずだ。あの晩ケネルが密会までした相手なのだから。これが味方でないはずがない。もっとも昨日は、キツネと街中でもめていたが──ふと、昨日の騒動を思い出し、エレーンは上目使いで窺った。「あ、あのぉ〜。もしかして、あのキツネと──あ、いや! ザイの奴とお知り合い、とか?」
 女が肩越しに一瞥した。思わぬ鋭い視線に怯み、エレーンは慌ててぶんぶん手を振る。
「あ! ごめんなさい! 立ち入ったこと聞いちゃって!──でも、昨日ものすごい剣幕で、あなたのこと見てたから! だから、もしかして喧嘩でもしたのかと思って!」
 女は、すっと目を細め、じっと肩越しに見つめている。何かを見極めようとでもするように。そわそわ彼女を盗み見ながらも、エレーンは密かに泡を食った。確かに不愉快な話には違いない。事もあろうに揉めているところを他人に見られたというのだから。彼女に文句を言われる前に、しどろもどろで先を続けた。「あ、だって、ほら……いつかの晩に、あなた、ケネルと……その……」
 その先を口にするのは、やはり、さすがにためらわれた。人けない藪で押し倒されていましたよね? などとは、本人を前にして、さすがに言えない。
「あの、だから、もしかして、ザイが怒って──」
 だが、あんまり動転したものだから、要らぬことまで口走る。墓穴を掘ったか──と気がついて、あわあわしながら口をふさいだ。どぎまぎ上目使いで彼女を窺う。赤く薄い唇の端に、女は嫣然と笑みを浮かべた。「ああ。あの男のことなら、よおく知っているともさ」
「……や、やっぱし」
 密かにエレーンはたじろいだ。ごくりと唾を呑み下す。やっぱり、ザイと知り合いなのだ。そして──ちら、と彼女を盗み見る。キツネとタヌキと彼女の顔が、上目使いの脳裏に浮かんだ。そうか、やっぱり三角関係のもつれってやつか。彼女がケネルと浮気して、それがばれたもんだから、キツネが怒鳴り込んできた──。
 女は山野を歩きつつ、何がそんなにおかしいのか、一人でくつくつ笑っている。そして、ふう、と気を抜いたように息をついた。
「鎌風の、ザイ」
 出し抜けに言われ、エレーンは「え?」と面食らう。歩く肩越しに一瞥し、女はさばさば言葉を続けた。「あの男の通り名さ。その筋じゃ有名な男さね」
「……へ、へえ〜。有名なんだ、あのキツネが」
 思わぬ話にまごついて、エレーンはぎくしゃく笑顔を作る。てか「カマカゼのザイ」ってなんなのだ? つまり「そっち側」の人ってことか? 唇に真っ赤な紅を引き、キツネが脳裏で振りかえる。奴は細おもてで痩せているから、女装も案外似合うかもしれない。
 シナを作る女装のザイを(へえ〜、あのキツネに、そういう趣味がね〜……)と、いささか複雑な心境で、つくづく思い浮かべていると、女の横顔が鼻で笑った。「でも、あんたが本当に訊きたいのは、そっちの、、、、男のことじゃないだろう?」
「えっ?」
 ぎくり、とエレーンは硬直した。虚をつかれ、周囲をあたふた意味なく見回し、さくさく草踏む己の爪先を凝視する。しばらく、口を尖らせて無言で歩き、曖昧な笑いを、えへへ、と浮かべて、女の横顔を振り向いた。
「……あ、あのぉ〜……ケネルとは、どういったご関係で……」
 ふふふ、と女が楽しそうに笑った。
「なんて顔をしてるんだい。よっぽど気になっていたんだねえ、あの晩、森で見たことが」
 じらすようにそう言って、素早く肩越しにウインクを投げた。
「安心しな。あの色男とは、あれ、、一回こっきり、、、、、、さ」
 曖昧な笑みを保ったままで、エレーンはふるふる打ち震える。「や、やっぱり……ケネルってば……!」
 でも、あの後、涼しい顔して帰ってきたぞ? ぬけぬけとしたタヌキの背中を、脳裏で百万回ほど踏み潰していると、くるり、と女が振り向いた。
「信じるかい?」
 え──とたじろぎ、戸惑って見返す。女は構わず「──でも」と続けた。
「あの男はやめときな。深入りすると、あんた、死ぬよ」
 さらっと、とんでもないことを言ってのける。エレーンは絶句でまじまじと見た。「……な、なんで、そんな物騒なことを」
「また一人、死んだばかり、、、、、、だからさ」
 さばさばそう言い、女はこれみよがしに嘆息する。
「次は、あんたの番かもね」
 エレーンは唖然と口を開けた。正気に戻り、あわあわ口をぱくつかせ、動揺しきりで、きょろきょろ見回す。「でも! 誰かが死んだなんて、あたしは何も聞いてな──」
「そりゃそうさ。お客さんには口が裂けても言いやしないさ」
「でも! ケネルの所には、女の人なんて一人もいないし!」
「本当に?」
 出し抜けに女が振り向いて、真正面から、じっと見つめた。
「本当に、誰もいなかった、、、、、、、かい?」
 エレーンは面食らって、たじろいだ。
「よおく思い出してごらんよ」
 そう言われて、馬群の面々を思い浮かべた。ケネルとファレス、ひょろ長いウォード、蓬髪の首長アドルファスと荒くれ者の手下たち、いつも朗らかな短髪の首長と彼の愉快な仲間たち、珍妙なジャックと昼時になると現れる必殺弁当配達人──。こうして改めて点呼をとっても、やはり、女性など一人として交じっていない。一瞬クロウの顔が思い浮かぶが、あれは正真正銘「男」の部類だ。見た目はどんなにそれっぽくても、声を聞けば、たちまち分かる。そもそもケネルは、隊に女は置かないと、常日頃から公言している。それなら、彼女が言っているのは、一体誰のことだというのか──。
 ふと、女が足を止めた。
 危うく背中にぶつかりそうになり、エレーンは慌てて踏み止まる。物思いから引き戻されて、前の様子を窺えば、女はじっと立ち尽くし、切れ長の目を細めている。気配を探っているようだ。
 木立はまばらに生い茂り、木漏れ日がそこここに差しこんでいた。木立のない開けた場所では、人の背を隠さんばかりの、背丈の高い野の草が、旺盛にたくましく伸びている。踏みしだかれた野草の道は、茶色くぬかるみ、水たまりが方々にできている。右手は崖だ、何もない。萌えいずる濃淡の緑に、白い蝶が舞っている。どこを見ても、これといった異状は見受けられない。今まで通りののどかな山野を見回して、エレーンは怪訝に覗きこんだ。「なに? 何かありました?」
「ちょっと、静かにしておくれ」
 女は耳を澄ましていたらしく、うるさそうに舌打ちした。右からゆっくり視線をめぐらせ、左手の木立に目を戻す。「無駄話はお終いだよ」
「どこへ行くんだ? ローズさんよォ」
 野太い声が割りこんだ。ザッ、と下草に分け入る音。
 ──後ろだ。
 とっさに気配を振り向いて、エレーンはぎょっと凍りついた。
 背後の藪から躍り出たのは、薄汚れた身形の男だった。伸びすぎた髪と、無精ひげ、小太りの中年男だ。手には短刀を握っている。
 向こうで対峙している一味の仲間が、抜け目なく追いかけてきたらしい。ぶらぶら歩いてくる賊を、女は面倒そうに一瞥した。「おや。アルトナーの旦那じゃないのさ。なんか用かい」
 頬をゆがめて賊は笑い、揶揄するように首を傾げる。
「なんか用、とはつれねえな、あんたの大事なお仲間に、、、、よ」
 え──とエレーンは女の顔を見返した。まさか、この人、
(賊の一味!?)
 女は忌々しげに舌打ちする。舌舐めずりで、賊は続けた。「そいつをどこへ連れて行く気だ? その"金のなる木"をよ」
「──いやなに、預かっといてやろうと思ってさ。向こうはあの通り、お祭り騒ぎの最中だろ? さ、そこをどいとくれ」
「待ちな」
 せかせか足を踏み出した女を、賊は短刀を振って押しとどめ、値踏みするように目をすがめた。「なあにが"預かる"だ。上手いこと言ってずらかろうったって、そうは問屋が卸さねえよ」
 肩を震わせ、くつくつ笑う。
「独り占めしようたァ、いい根性だな、ええ? 黒薔薇ローズさんよォ。だが、生憎だったな。俺はあっちのボンクラどもとは違うんだ。そう簡単には騙されねえよ。てめえのことは、前から怪しいと睨んでいたんだ。誰も耳を貸さなかったが、見てみろ、俺の言った通りじゃねえかよ」
「邪魔だねえ」
「──なんだと?」
 女の流麗な横顔が、苛立ったように舌打ちする。
「どけって言ってんのが聞こえないのかい!」
 低い一喝が聞こえた途端、鋭く銀光が一閃した。
 同時に手荒く突き飛ばされて、エレーンは地面に投げ出される。転んだ顔を慌ててあげると、背を向けた女の向こうで、賊が脇腹を抱えていた。押さえた指の間から、鮮血がしたたり落ちている。賊を眺める女の手には、血にまみれた短刀があった。女が賊を刺したのだ。
 ガクリと賊が膝をつき、前のめりに突っ伏した。
「──きゃあ!」
 エレーンは悲鳴をあげて後ずさった。賊は突っ伏したまま動かない。そうとう深手であるようだ。いや、深手どころか──
(し、死んだ……?)
 そこに考えが及んだ途端、踵を返して駆け出していた。目を大きく見開いて、両手を振ってしゃにむに走る。鼓動が暴れ、呼吸が荒く、胸が苦しい。手が硬い何かにぶつかる。木の根にとられて足がもつれる。あり得ない。あんなに簡単に、人が、
 ──死ぬ。
 怖気が爪先から駆けあがった。唇の端が細かく震える。人と人とが揉みあう場面は、これまでも何度か見たことがある。だが、人が刺されたのは初めてだ。しかも、こんな間近の、目の前で。
 動転して焼き切れた脳裏に、今見た光景が浮かびあがった。薄汚れた身形の男が、腹を抱えて膝を折る。そして、倒れて、動かなくなって。ほんの少し前までは、ピンピンしていたあの賊が。芝居でも何でもない。今、目の前で、人が、
 ──刺された。
 ぞっと全身の血が凍った。
「……だ、誰か」
 震えあがって、エレーンは見回す。ザイが近くにいるはずだった。ファレスが後のことを頼んでいたのだ。でも、連れ去られそうになっているのに、これまで何の音沙汰もない。ザイなど、どこにもいないではないか! いや、ザイでなくても構わない。誰か──誰か──
 ──誰か、助けて!
「静かにしな!」
 頬が、出し抜けにはたかれた。腕がぞんざいに引っぱられる。
「ピーピーピーピーわめくんじゃないよ!」
 肩が抜けそうな強い痛みに、エレーンは息をつめ、顔をしかめた。しゃくりあげる喉が、ヒリヒリ痛い。自分でも全く知らない内に、悲鳴をあげ続けていたらしい。
「余計な手間をかけさせんじゃないよ」
 忌々しげに叱咤して、女が腕を引っ立てた。
 元の道へと引き戻されて、女に引っ張られて少し歩くと、今の現場にさしかかった。生い茂った野草の向こうに、着古した黒っぽい上着の肩と、伸びすぎた頭髪が垣間見えた。うつぶせたその背中は、もうピクリとも動かない。
 賊が埋もれた左手の現場から、エレーンはとっさに目をそむけた。当の女は一顧だにせず、ゆるい坂道を登っていく。引っ張られて歩きつつ、エレーンは固く目を瞑り、首をすくめて通り過ぎた。腕をつかんだ女の手を意識しながら、愕然として思い知る。この女は、
(賊、だったんだ……)
 いや、そうでなければ、説明がつかないではないか。あたかも折りよく、彼女があの場に居合わせた理由が。人里離れた山中で、図らずも偶然出会うなど万に一つもありえない。
 坂道の前方を睨みすえ、女は手を引き、登っていく。目線よりも上にある、白くなめらかな頬の線を、エレーンはびくびく窺った。
「あ、あの──これから、どこへ行くの?」
 女は静かな山野を眺めやった。「この山を越えるのさ」
「こ、越える?」
 エレーンは目をみはって見回した。「越える、って、この山を? でも──」
「なあに、そう高い山じゃないさ」
 前の様子を窺ったままで、女はもう一瞥もくれない。
「で、でも! いきなり登山なんて言われても!」
「わめきなさんな。登山たって、そう大仰なものじゃないよ。ちょっとばかり距離のある、散歩だとでも思えばいいさ。日暮れまでには、ふもとに出られる」
「あの、それで、ふもとに出たら、その後はどこへ──あ、だって、ここから南に行くんなら、立ち寄れる街ってレーヌしかないでしょ。なら、あの街に戻るってこと? だったら、それから先は──」
 前を行く女の横顔が、うんざりしたように舌打ちした。
「まったく、あんたはお喋りだねえ! 少しは黙っていられないのかい」
 肩越しに鋭く一瞥され、エレーンはビクリと首をすくめた。口をつぐんで、女に引っ張られるがままに歩く。胸に不安が込みあげた。どこへ連れて行かれるのだろうか。それから何をされるのだろうか。
 草を踏む音だけが、静かな山野に聞こえていた。山のふもとは南の方角。つまり、これからレーヌに出る気だ。でも、それから、どこへ連れこむつもりだろう。
 レーヌの荒っぽい組織というと、まず思い浮かぶのはオーサーの周囲の面々だが、ここ数年の付き合いの中で、彼女の顔など見たことはない。ならば、オーサーたちに対立する、ごろつき共の方だろうか。それとも、それらとは全く別の、粗暴な一味が存在するのか。そのアジトが、レーヌではない別の場所にあって、そこに連れて行かれるとか。
 目的は何だろう、と考えた。領家の紋が入った指輪だろうか。それとも、お守りにしている夢の石の方だろうか。実は紛い物であるけれど、そんなことは、賊たちは知らない。
 もっとも、そのどちらにしても、賊に渡すことはできなかった。指輪については言うに及ばず、石もできることなら渡したくない。これは領邸の執務室から、無断で持ち出してきた物で、いずれは返却する物なのだ。道中で万一なくしたりすれば、悪ふざけではなくなってしまう。それでは本当の泥棒だ。だが、受け渡しを拒んだら、自分も今の賊のように──
 エレーンはうつむいて唇を噛み、服の上から翠石を押さえる。守りきれる自信はなかった。ケネルが助けてくれるからこそ、今までは突っぱねてこられたのだ。多少は無茶なことをしたとしても、ケネルが何とかしてくれる、そう信じていたからこそ、賊に対して強気でいられた。だが、こうして一人引き離されて、誰も知らない賊のアジトに連れこまれてしまったら──。
 ビクビクしながら、無言で歩いた。どこへ連れて行く気だろう。そこで、どんな目に遭わされる──?
 人けのない山中を、女は手荒く引っ立てていく。女の凶行を目の当たりにして、足はすっかり怯えていた。女は賊を仕留める際に、わずかにも躊躇しなかった。草むらに埋もれた仲間を見ても、まるで気にした風もない。ああした、、、、ことに慣れているのだ。
 血の気が凍った。気持ちがすっかり萎縮している。あれを見て尚、逃げ出そうという気力など、とてもではないが湧いてこない。体は硬直してしまい、足を前に踏み出すのがやっとだ。
 前方の道のぬかるみを、夏の日差しが照らしていた。山野はのどかに静まり返り、青く生い茂った野草の上を、白い蝶が舞っている。白々とのどかな光景を、放心した目の端に収め、エレーンは呆然と考えた。
(……どうしよう)
 捕まって、しまった。
 索漠とした思いを噛みしめて、女の成すがままにエレーンは歩いた。
 
 
 
 
 

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