CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 5話6
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 賊が入り込んだ東には、近隣に配された自班が向かい、戦闘地域を南東に移して、既に掃討戦を展開している。だが、戦況一変の様相は、離れた山中までは届かない。というのに形勢不利を見てとって南東を避けたというのであれば、かなり目端の利く奴だ。
 南に逃げたというのなら、山越えをしてレーヌに逃げこむ算段だろうが、装備の用意がそれなりになければ、山頂踏破は難しい。だが、そうかといって東に行けば、道は谷筋に当たって途絶する。地盤の脆いこの山は、土地の破断が方々にある。となれば、標高の比較的低い中腹の獣道を西方面に迂回して、裏手に抜けるというのが定石だろう。活動拠点の近辺は、事前に入念に下調べをするため、想定される動線は、あらかた頭に入っている。つまり、この先の経路は自ずと知れる。だが、
「──速いな」
 東の谷の崖縁を眺めて、セレスタンは苦々しく舌打ちする。野草を踏み荒らしたぬかるみに、無数の靴跡が残っていた。右往左往した足跡は、西へ向かって伸びている。
 逃走経路を確保すべく、敵も下調べくらいはしているだろうが、この東の谷での足止めは、敵に土地鑑がないことを意味している。とはいえ、こうしてしばらく踏み迷って尚、尻尾さえもつかませない。つまり相手は空恐ろしいほど勘が良く、足が速いということだ。現に昨日も、街に出没していたようだが、痕跡さえも見出せなかった。人質をとっさに樹幹に投げつけ、追っ手の足を止める当たり、頭の回転もすこぶる速い。察知がわずかにも遅れれば、頭をかち割った負傷者を抱えて、二進にっち三進さっちもいかない状態に陥っていた。追跡も当然、完全に打ち切っていたはずだ。そいつは既に、仲間を一人、手にかけたという。
「──見納めかもな」と我が手を眺め、セレスタンは西に目を戻す。草波がいびつに乱れて、林の中へと続いていた。握りこんだ手の平には、線の細い骨格の、柔らかな感触が残っている。
 彼女を「奥方様」と呼んだというなら、拉致をしかけたその賊は、隊の幹部を狙った賞金稼ぎ風情でも、裏情報に煽られた強盗もどきのチンピラでもない。強硬で熾烈な目的を持つ、貴族が放った暗殺者だ。だが、それでもまだ疑問が残る。暗殺が目的というのなら、対象の身柄を押さえてすぐに、何故さっさと始末しない? 対象本人と確認できる適当な物証がなかったか? 確かに、独断で葬れば、任務の遂行を裏付けることが後々困難にはなるだろう。よって、雇い主と対面させるべく、まずは対象を確保した? 再三にわたって警告を無視し、執拗に仕掛けてくるあたり、質が悪いことこの上ない。ここでみすみす捨て置けば、何度でもつけ狙って現れる。
「──きっちり仕留めておかねえとな」
 護身刀の柄を握って、セレスタンは崖から踵を返した。カレリア国内での殺生は、予てより厳禁とされているが、死体などは埋めてしまえば、大抵の場合、足はつかない。わびしい裏山くんだりに立ち入る物好きなどそうはいないし、まして付近一帯はラディックス商会の縄張り、、、だ。
 足跡を辿ってしばらく走ると、木立が途切れ、視界が開けた。向かいの雑木林に逃げこむまでは、野草が一面立ち枯れた、背丈の高い荒れ野が続く。
 枯れ野手前の高台に立ち、セレスタンは一帯を見渡した。枯れた海に飛び込んで身を隠したつもりだろうが、草波が揺れるいびつな動きで、あいにく居場所はすぐにも知れる。
 賊の進行方向の見当をつけ、立ち枯れた原野に飛びこんだ。薄茶の草茎が視界をふさき、立ちはだかって邪魔をする。林立する障害物を手荒く左右に掻き分けて、一気に標的を追いあげる。
 素早い影が、草茎の先の視界をよぎる。
 セレスタンは枯れ木の幹を踏み切った。飛びかかりざま、刀柄つかで後頭部を殴りつけ、倒れ込んだ相手を組み伏せる。暴れる腕を馬乗りになって押さえこみ、柄から刃を引き抜いて──セレスタンは面食らって動きを止めた。
「……女?」
 仰臥した女が横を向き、細い柳眉をひそめていた。立襟の胸を大きく開けたシャープな黒革のボディスーツ、白くなまめかしい細い首筋。薄茶の頭髪、怜悧な瞳、真紅の唇──その赤い唇が忌々しげに舌打ちした。「──だから嫌だと言ったんだ。こんなヤバいヤマを踏むのは!」
 顔に降りかかった薄茶の髪を鬱陶しげに振りどけて、媚びた笑いで討っ手を見る。
「いい腕だねえ、お兄さん。このあたしを捕まえるなんてさ。やっぱり、ロムには敵わないってことか」
「お前、バードか」
 セレスタンは無表情に見下ろして、刃を喉元に押し当てた。
 辺り一面の立ち枯れた葉先が、さらさら乾いた音を立てた。日ざしは穏やかに降りそそぎ、昼下がりの山中の枯れ野は、ひっそりとして、のどやかに静かだ。
 砥ぎあげられた銀の刃が、白い喉元で陽光を弾いた。遠く離れた喧騒が、風向きの変化で微かに届く。女を片手で組み敷いたまま、セレスタンは動かない。──いや、喉に押し当てた切っ先が動いた。
 それは立襟のジッパーの縁をなぞり、静かに、ゆっくり下降していく。服のかみ合わせで止まった刃が、引き手を鳩尾の上まで押し下げ、身頃を刃先が軽くどける。
 女は目を瞑って顔をそむけ、硬く歯を食いしばっている。ジッパーの歯の上で止まった刃は、だが、女の心臓があるであろう左の肌へは滑りこまずに、黒革の上へと軌道を逸らした。
 静かで緩やかな刃の動きに、白くなめらかな女の喉が、ひくつくように細かに震える。研ぎ澄まされた切っ先は、体に密着した黒革のつなぎの筋目を辿り、横たわった肋骨上部へ──左の胸へと移動する。地面に身を横たえたまま、ふと、女が目を開けた。
「……どうしたのさ、殺らないのかい?」
 出方をうかがうように相手を見やり、切れ長の目をわずかに細める。「それが、あんたらの商売だろう」
 未拘束の手がさりげなく動いて、腰の下を密かに探った。ほっそり白い女の指が、短剣の柄を握りしめる。
 す──と切っ先が引き揚げられた。
「行きな」
 セレスタンは舌打ちで身を起こした。膝を立てて立ちあがり、枯れ野の先に顎をしゃくる。「こんな綺麗な姉ちゃんに、傷をつけるなんざ、気が進まねえ」
 女は腕を立てて上体を起こし、怜悧な双眸を嫣然と細めた。
「だったら、どうだい? 安くしとくよ、、、、、、
 つかの間女を見下ろして、セレスタンは口端を持ちあげた。「──やめておく」
「なんだい、意気地がないねえ。大の男が」
 白い喉をのけぞらせ、嘲けるように女は笑った。なまめかしい流し目で、思わせぶりに仄めかす。「あの色男の隊長さんは、見返り、、、を要求したけどねえ?」
「──隊長もあんたを見逃したのか。ま、あの人らしいか」
 セレスタンは肩をすくめて苦笑いした。革の上着の懐をさぐり、煙草の紙箱を片手で取り出す。「惜しいが、今はやめとくよ。元々どれでも構やしねえんだ、柿でも梨でも林檎でも」
「──なんの話さ」
「世の男の本音って奴さ」
 言葉の真意を探るように、女は目をすがめて見ていたが、地面に手をつき、腰をあげた。拘束された手首をさすり、そろりそろりと疑わしげに立ちあがる。「……本当にいいのかい? ただで逃がしちまってさ」
「運がいいな、あんたはまったく。こっちに来たのがあいつ、、、の方なら、あんたは今頃、地面の下だ。なにせ奴はこだらわねえからな、女だろうが子供だろうが」
「知ってるさ。散々からかって遊んだからね。さぞかし腸が煮えくり返っていることだろうよ」
 煙草をくわえ、セレスタンはその先に点火する。「後ろから刺すような真似はしない。心配せずに、早く行きな」
「又、さらいにくるかもしれないよ? あんたの大事な客人いいひとを」
「その時は、また阻止するさ」
 女は呆れた顔で手を広げた。「──大した自信だね」
「これが俺の商売だからな」
 ゆるく手を振って燃えさしを振り消し、くわえ煙草でセレスタンは笑う。女はやれやれと辺りをぶらつき、挑むように目を細めた。「だが、捕まえるそばからホイホイ逃がしているようじゃ、何にもなりはしないだろう? そんなんじゃ、あんた、早死にするよ」
「──なあ、嘘だろ」
 女が虚をつかれたように口を閉じた。何を言い出すのか、という顔だ。セレスタンは紫煙を吐いて目を返す。
「さっきの話さ、隊長があんたに、見返りを要求したっていう」
 女は大儀そうに足を止め、白けた顔で肩をすくめた。「そんなに魅力がないかい、あたしには。二人の男に振られるほど?」
「あんたの誘いに乗っていれば、今頃、隊長はこの世にいない。そいつで、、、、ブスリと刺されてる」
 ピクリ、と女が眉をひそめた。右の肩を前にした、利き手を隠した態勢のまま、警戒の視線を振り向ける。セレスタンは笑って小首をかしげた。
「あんたはすこぶる付きのいい女だよ、バードの黒薔薇ローズさん? 物騒な賃仕事を引退すれば、俺はいつでも大歓迎だぜ?」
 殺気立った女の顔を、紫煙をくゆらせて、しばらく眺め、道の先を顎でさした。
「早く行きな、お姉ちゃん。もうドジ踏んで捕まんじゃねえぞ」
 
 
 
 
 

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