CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 5話9
( 前頁 / TOP / 次頁 )


 
 
 木立が林立する暗がりを、やさぐれた身形の傭兵たちが、夜陰に紛れて行き来していた。
 そこかしこで焚き木がたかれ、みな険しい顔つきだ。宵に包まれた傭兵の砦には、ただならぬ気配が立ちこめて、異様な緊張に包まれている。
 野営地は騒然としていた。ようやく辿りついたエレーンは、やきもき視線を巡らせる。
 漏れ伝わった伝聞は、思いもよらぬものだった。管理事務所の小屋裏で、馬の背をなでていた老人が「今、野営地から戻ったばかりだ」と笑いかけてきたその後に、ふと思い出したように、こう零したのだ。
 ──アドルファスが出頭した。
 ロマリアで発生した生徒殺害事件の実行犯として。商都におもむき自首をする旨を、置き手紙にしたためてあったのだという。
「ケネルは?──ケネルはどこ!」
 アドルファス配下であろう若い男は、苛立ったように振り向いて「そこの頭(かしら)のテントにいる」とうるさそうに顎でさした。すぐさま忙しなげに踵を返し、木立の先へと去っていく。普段であれば、根城で女を見かければ、冷やかしの一つもかけるところだが、打って変わってけんもほろろのにべもない態度だ。それは何も、この男に限ったことではない。むしろ、問いには答えてくれたのだから、彼はかなり親切な方だ。誰彼構わず捕まえてケネルの居場所を何度も訊いたが、その度無視され、あしらわれた。
 宵闇ですれ違う傭兵たちは、皆一様に殺気立ち、眼光鋭く物々しい。場違いな客がうろついているのを視認して尚、そんなものには目もくれない。彼らは暗がりに慣れているから、よそ見をして歩こうものなら、せかせか歩く男たちに突き飛ばされそうになってしまう。ケネルの居場所をようやく聞き出し、エレーンはもどかしい思いで振りかえる。
 顎で示された木立の先で、灯りが微かに漏れていた。林立する黒梢に紛れて、大きく盛りあがった影がある。首長が使う大型テントだ。彼らが陣取る野営地は広く、いささか距離があるようだったが、目標が決まれば是非もない。灯りを頼りに足を向けた。
 アドルファスが自首した旨を聞いたのは、裏山を降りて丸太小屋に戻り、賊を急送するザイを見送った後だった。それで、戻ったばかりだという管理人を説き伏せ、馬で取って返してもらったのだ。  
 戸惑い顔の老人から道々聞いたところによれば、アドルファスには子供が二人いたのだという。姉のカーナと弟のダニー、そのいずれをも幼くして亡くしている。男児を流行り病で亡くした後に、女児も黒障病に罹患した。この病に冒された患者は、高熱と激痛に苛まれ、次第に体力が削られる。まずは、うなじに小さな赤斑がぽつりと現れ、やがて黒斑へと変化する。病巣は徐々に拡大し、ついには頭皮と肩を覆う。そして患者は、苦痛の激化にのたうった挙句、逃れられない死に到る。罹患の原因も、有効な治療法も、今もって不明とされる難病中の難病だ。
 アドルファスは、当時の二年前、妻サーラの懇願をしりぞけ、首都カレリアの医療施設に幼い愛娘を担ぎこんだ。逸材が集まる中央都市は先進医療の最先端であり、恐らく彼は藁にもすがる思いで、その秀逸な評判に一縷の望みをかけたのだろう。
 幼女はすぐさま病棟の最奥に隔離され、面会謝絶と言い渡された。そして、わずか半年後、幼女はあえなく他界した。黒障病の症例に照らせば、あと三年、いや、それ以上に生きながらえることが可能であったはずだった。だが、アドルファスが悲報を受けとり、驚いて怒鳴り込んだその時には、全てが終わった後だった。
 話が違う、と狂ったようにアドルファスは暴れ、控えていたらしき大勢の警邏にまたたく間に取り押さえられた。そして、今回、ロマリア学園都市で事件が起きた。
 殺害された女生徒は、胸を一突きにされていたという。被害者は七歳ななつの女児、名前をアメリー=クレマンといった。大金持ちの子女が会するロマリア学園都市に在学していた境遇だけあり、商都屈指の大病院の令嬢だ。だが、問題なのは、女児の恵まれた身の上ではない、その著名な母親の方だ。女児の母親はオーレリー=クレマン、音に聞こえた商都の医師だ。
 暗がりの先のテントを目指して走りつつ、エレーンは戸惑いに唇を噛む。禍々しい陰りがざわついた。底に流れる薄ら寒い符合に気がついて、呆然と呟く。「だって……嘘でしょ、クレマンて……」
 その女医の名に聞き覚えがあった。いや、かつて、本人と会っている、、、、、、、、
 ラトキエ邸で勤務していた二年前、エレーンは別棟に引き取られた病人の、身の回りの世話に従事していた。そのアディーが暮らす別棟に、彼女をいく度か案内している。
 領邸前庭の青芝を踏む、磨き込まれた黒革のヒール。綺麗に塗られた赤い爪。顎で髪を切り揃えた、隙のない冷ややかな顔と、細い背をピンと伸ばした自信に満ちた振る舞いは、女が発する自己顕示欲の強さと共に、はっきり記憶に残っていた。それ以前に、女医が領邸に出入りするだけでも珍事に類する出来事というのに、更に黒障病を手がけるとなれば、否応なく目を引いた。黒障病は患者の少ない奇病である為、症例を知る医師は限られている。逸材ひしめく商都でも、得難く貴重な存在だ。
 最上級の娼館から領邸の別棟に請け出されたアディーは、かのアドルファスの娘と同じく黒障病をわずらっていた。一方、冴えない勤務医でしかなかった二流の女医は、以降、大病院経営の肩書きを手に入れるまでになっている。その女医の娘が、むごたらしくも殺された。これが果たして偶然だろうか。
「──ああ、もう! なんで気づかなかったのよ!」
 エレーンはじれったい思いで歯噛みした。あんなにも多く、思い当たる節があったではないか。アドルファスが子供の話をした際の、どこか曖昧な笑顔の意味。領邸などとは無縁のケネルが、何故かアディーを知っていた理由わけ。あれほどまでに「商都の医者」を彼らが忌み嫌った理由。
 返却された幼女の遺体の細く痩せこけたうなじには、黒斑の広がる皮膚の一部を四角く切り取った跡があった。無数に残されたそれらには、治りかけた傷跡も数多く含まれていた。つまり、生きながらにして皮膚を剥がれたということだ。
 その女医は日常的に、患部の皮膚を剥ぎとっていたのだ。ただでさえ高熱と激痛に苛まれ、苦痛を訴える幼児から。恐らくは薬効を調べる為に。つまりは自身の栄達の為に。事実、黒障病の知見を強みに、、、、、、、、、、大ラトキエに食い込んで、現在の名声を手に入れている。
 事情を聞き知ったアドルファスの妻は、喉も裂けんばかりに泣きわめき、やがて徐々にふさぎ込み、様子がおかしくなっていったのだという。
 灯りを見据えて駆け急ぐ脳裏に、この事件の実相が薄ぼんやりと立ち現れる。娘を実験材料として扱われたアドルファスは、我が子の復讐を果たしたのだ。女医と同じやり方で。報復・制裁が彼らの流儀だ。相手がどこの誰であれ、やられっぱなしになど決してしない。だから、彼も同じように女医の子供を──そこまで考え、エレーンは怪訝に眉をひそめた。ちりちり何かが燻っている。どことなく違和感がある。何がおかしいのかは分からない。けれど、何か釈然としない。
 見張りの制止を振りきって、大型テントに飛び込んだ。
 薄暗い靴脱ぎ場には、脱ぎ捨てられた編み上げ靴が隅に無造作に寄せてあった。エレーンは急いで靴を脱ぎ、入り口と室内の空間を区切る仕切りシートを、もどかしい思いで押しのける。
 室内に立ちこめた薄い紫煙を、床に置かれたカンテラの灯りがゆらゆら気だるげに照らしていた。厚みのあるグラスが二つ、じかに床に置かれている。ケネルは入り口に背を向けて、誰かと差し向かいで座っていた。カンテラ一つのテントは暗く、乏しい灯下の外にある、向かいの顔はよく見えない。
 入室の物音に気づいたらしく、顔の半分を照らされたケネルの淡々とした横顔が、あぐらの肩越しに目を向ける。その目が相手を認めた途端、弾かれたように振り向いた。
「何故、あんたがここにいるんだ」
 呆気にとられて床に手をつき、背後をいぶかしげにすがめ見る。「あんた一人か? ザイはどうした」
「あ──う、うん! 外で待ってる!」
 顔を見るなり詰問されて、エレーンはごまかし笑いで小首をかしげる。ケネルが大きく嘆息した。「なんだってヤサに連れてくる。何を考えているんだ、ザイの奴は」
 忌々しげに舌打ちし、大儀そうに腰をあげる。「──おい、ザイ!」
「そ、そんなことより、ねえケネル!」
 立ち上がりかけた腕を取り、エレーンはあたふた引っぱり戻す。無実のザイには後ろ暗いが、今は危急だ、止むを得ない。とりあえず切り出してしまおうと口を開いた時だった。ひゅう、と口笛がはやしたてた。
 面食らって振り向けば、向かいであぐらを組んでいる男だ。灯火の当たるあぐらの膝で、男はおもむろに頬杖をつく。
「驚いたな。本物だぜ」
 灯りが照らし出した顔を認めて、エレーンはたじろいで声を飲んだ。
「──バ、バパさん?」
 短髪の首長が面白そうに眺めていた。降参だというように、笑って肩をすくめている。崖から転落した今回の一件では、この首長も振り回してしまったはずだ。だが、とっさのことで、言うべき言葉が出てこない。いや、一気に押し寄せ、どう言っていいのか混乱する。困惑しきりで、エレーンはしどもど向き直った。「あ、あの、ごめんなさい、バパさん。なんか色々ご迷惑かけちゃったみたいで、その──」
「よかったな、無事で」
 皆まで言わせず、バパは素早くウインクを投げた。「まあ、座れよ。せっかく来たんだ」
「──しかし、バパ」
 ケネルが渋い顔をした。まだ用談の最中らしい。バパは構わずグラスをあおった。「いいじゃねえかよ、こっちも一区切りついたところだ。大体、何か用があってきたんだろう? な?」
「そ、そうなの、バパさん! あ、じゃあ、お言葉に甘えましてっ!」
 優しい助け舟にすかさずうなずき、エレーンはそそくさ媚び笑いで座りこんだ。ケネルは呆気にとられて見ていたが、つまみ出すのは諦めたらしい、深々と嘆息して頭を掻いた。渋い顔で煙草をくわえる。「で、用ってのはなんなんだ」
 初めの難関をなんとか突破し、居場所の確保に成功する。ほくほくバパに笑顔を返し、はた、とエレーンは我に返った。隣のケネルに慌てて乗りだす。「そ、そう! アドが出頭したって聞いて、いても立ってもいられなくって!」
「──誰から聞いた」
 絶句し、ケネルが見返した。向かいと素早く目配せする。いぶかしげに見返され、管理人から伝え聞いた旨、エレーンは慌てて説明した。
 折り目のついた紙が一枚、二人の中ほどに放り出してあった。恐らくはあれが、アドルファスの残した置き手紙──エレーンは今更ながら合点した。ケネルを初めとする一同が、朝から気忙しくしていた理由を。
 アドルファスは殺害された女児の親と抜き差しならない因縁がある。ロマリア近郊に来合わせていた事実が知れれば、すぐにも嫌疑がかかるだろう。だから、女児の素性を聞き知った彼らは、急きょ対策を練っていたのだ。当局からアドルファスをかくまう為に。なのに、その当のアドルファスが自ら出頭してしまった。彼のいかつい笑顔が蘇り、エレーンは唇を噛みしめる。
「──あの妾を襲ってからこっち」
 吸いさしを灰皿に擦りつけて、バパが煙たそうに眉をひそめた。
「ずっと、ふさぎこんでいたからな。今にして思えば、あんな暴挙をしでかした事からして変だった──まったく。どんなに相手が気に食わなかろうが、何の咎もない女子供を叩くような奴じゃないんだがな。あの冷酷な女医でさえ叩っ斬りはしなかったのに、それが何故、今になって、そんなでたらめな真似をする。あれから二年も経っているし、無関係なガキなんぞ殺したところで、何がどうなるわけでもねえのによ」
 はっ、とエレーンは目をみはった。そうだ、解せない。何かがおかしい。どこかで歯車がかみ合っていない。違和感の正体を見極めるべく、床のグラスに目を凝らす。
 外で、微かに声がした。無造作な男の声、誰かに呼びかけているらしい。カンテラの灯りの中、薄い紫煙がゆっくり揺らいで、暗い天井へと昇っていく。白衣を着た冷淡な女医、悲嘆に暮れるアドルファス、遠くを眺める蓬髪の瞳、友と学舎に赴く無邪気な女児──あやふやな異物の輪郭が、ふっ、と唐突に線を描いた。胸にわだかまる引っかかりが、みるみる形を取りはじめる。華奢な体つきの小さな女児と、たくましい体躯のアドルファス。体格が恐ろしく違う二人を引き比べて考える。すぐに分かった。明白だ。
 ──不釣合い。
 そうなのだ。いかなる事情があるにせよ、あの豪放磊落なアドルファスが、幼い子供を身代わりにして憂さ晴らしなどするだろうか。アドルファスは決して非力ではない。むしろ、そうした荒事にかけては筋金入りの本職だ。復讐が目的であるのなら、非力な子供など襲わずとも、女医を狙えば、それで済む。わざわざそんな回りくどい真似をせねばならない理由がない。彼は子供を殺してなどいない──思わず、口から懐疑がこぼれた。「……何もしていないのに、どうしてアドは自首なんか」
「わからない。むしろ、こっちが知りたいくらいだ」
 ケネルが渋い顔で紫煙を吐いた。「当該事件発生当時、アドルファスは大陸を南下していた。それと同時にロマリアで、医者の子供を殺害するなど、そもそも時間的に無理がある」
 エレーンは焦れてケネルを見る。「だったら、なんで、いつまでもぐずぐずしてるのよ! 早く申し開きに行かないと!」
「カレリアは今、戦時下だ」
「そんなの、なんの関係が!」
「俺たちは動けない」
「どうしてよ!」
「武装した部隊を、今、商都に近づけることはできない」
 エレーンは唖然と絶句した。ケネルが嘆願を却下した理由は、予想だにせぬものだった。苦々しい顔で、ケネルは続ける。この戦時下で、武装部隊を接近させれば、攻撃の意思ありと直ちに見なされ、抗戦せざるをえなくなる。
「仮に、官憲に出向いたところで、門前払いを食うのがおちだ。俺たちは所詮、遊民だからな」
 投げやりな諦念に、エレーンは苛立って唇を噛む。「でも! そうしたらアドは、どうなるの! なんにもしていないのに!」
「方策は、考えている」
 とん、とケネルがグラスを置いた。呆れた顔で嘆息する。「まったく。馬鹿な真似をしてくれたものだ」
 むっ、と振り向き、エレーンは憤然と拳を握る。
「そっ、そういう言い方ってないんじゃないの! 何か事情があったのよ。だからアドは仕方なく──あ、理由とかはよく分かんないけど。でも、とにかくアドの所へ行かないと!」
「言ったろう。俺たちは動けない」
 きっぱり、ケネルははねつけた。腰を浮かせたエレーンは、愕然とケネルを振りかえる。「……アドの命がかかっているのよ? なんにもしない、つもりなの?」
 殺人は大罪だ。捕まれば、相応の刑罰が科される。まして、遊民が市民を殺めたとなれば、情状酌量の余地はない。
「──そうは、言っていない」
 苛立たしげにケネルは応えた。だが、弁明の歯切れは、やはり悪い。
「……信じらんない」
 エレーンは唖然と絶句して、拳を震わせて立ちあがった。
「見損なったわ! ケネルのばか!」
 ケネルの肩を突き飛ばし、靴のある出入り口につかつか向かう。ケネルは体をひねって肩越しに見たが、後を追ってはこなかった。
 
 
 
 
 

( 前頁 / TOP / 次頁 ) web拍手
 


オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》