CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 5話10
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 首長のテントを飛び出して、エレーンは苛々歩いていた。何もしてはいないのに、アドルファスは何故、自首などしたのか。事情はまるでわからない。けれど、とにかく、無実であることには違いない。その旨速やかに弁明し、何としてでも連れ戻さねぱ!
 だが、アドルファスが収監された商都は遠い。徒歩では到底辿りつけない。一人で馬を走らせることはできないから、行くなら誰かに連れて行ってもらわねばならない。なら、それを誰に頼めば──
 吊り目の長髪が脳裏をよぎるが、ファレスはケネルとツーカーの仲、バレれば即刻、連れ戻されること請け合いだ。いかに優しい短髪の首長でも手を貸してはくれなかろうし、わりと優しいセレスタンも残念ながら野営地にいない。他に頼めそうな知り合いといえば、ウォードが来ていたはずだったが、今、彼と二人きりになるのは、事情が事情で途轍もなく気まずい。
 野営地は依然として物々しい。広い木立の方々を、人影が忙しなく行き交っている。親指の爪をじりじり噛んで、エレーンは夜林を見回した。馬の乗り手なら大勢いるのに、一人として適任者がいない。そもそも知らない顔が大半で、誰彼構わず無理強いすれば、ケネルの耳にたちどころに入る。そもそも全員がケネルの配下、長の命令には従順だ。
「──ああ、もう! 商都に行かなくちゃなんないのに!」
 こうしている間にも、審理は着々と進んでいく。それでもケネルは手をこまねいて見ているだけで、何をしようとするでもない。断頭台へと引っ立てられるアドルファスの姿が思い浮かぶ。
「なあにが"俺たちは動けない"よ!」
 エレーンは苛々毒づいた。そんなに我が身が可愛いのか。どいつもこいつも度胸のない。こんなに大勢いるんだから、あのケネルに盾突くような男気のある漢が一人くらいいたっていいではないか! 
(……まてよ?)
 ふと、エレーンは足を止めた。あのケネルに盾突くような、、、、、、、、、、、、
 ふっと脳裏を影がよぎった。その尻尾を捕まえるべく、意識を殊更にじっと凝らす。不透明な白い澱みがそこにあった。それが徐々に固まって、もやもや輪郭を取り始める。そう、近頃そんなふてぶてしい輩をどこかで見かけやしなかったか? 事あるごとに出没し、周囲をちらちらうろついて──
(ぅわっ!)
 ほぼ反射的に飛びのいて、エレーンは幹に慌てて隠れた。薄暗い木立の向こう側を、目つきの鋭い痩せた男が見回しながら歩いている。呆気にとられて盗み見て、エレーンはごくりと唾を飲んだ。
(……ザ、ザイ〜?)
 どうして、ザイが、ここにいる!
 青くなってあわあわたじろぎ、すぐさまきっちり幹に隠れる。ザイは確か、ロマリアの診療所まで賊を搬送していたはずだ。街道までは結構あるのに、もうこっちに戻ってきたのか!? 
 ざわざわ胸が不吉この上なく高鳴った。焦った脳裏で目まぐるしく考える。野営地行きを希望したが、既にすげなく却下されている。留守の間に勝手に来たから、捜しにきたに違いない。ちなみに機嫌は最悪だ。下草を蹴っ飛ばして歩いている。これはただじゃ済まないかも……とはらはらしながら覗いていると、案の定、忌々しげな呟きが漏れ聞こえた。
「どこ行きやがったあのアマ! 見つけたら、ぶっ殺してやる!」
 あんぐり絶句で震えあがり、足元の野草にすぐさま隠れた。そろりそろりと四つんばいでその場を離れる。とても、ぶっ殺される度胸はない。
 慎重の上にも慎重を重ねて、こそこそぎくしゃく前進した。早く逃げたいのは山々だが、妙に鋭いキツネのことだ、移動の物音をコソリとでも立てれば、すぐさまこっちにやってくること請け合い。ここでバレれば一巻の終わりだ。きっと直ちに監禁される。
 野営地は落ち着きなくざわついている。焚き火を囲って話している者、木々の間をうろついている者、木立の遠くを歩み去る影。ピリピリした重々しい空気が野営地全体を覆っている。
 すっ、と人影が現れた。右前方の木立の先。こちらに向かってやってくる。
 エレーンは慌てて這いつくばった。草の間から恐る恐るうかがうと、暗がりを歩く人影は案外小柄な男だった。周囲を無駄に睥睨しながら、肩で風切って歩いてくる。梢の途切れ目にさしかかり、月光に顔が浮かびあがる。ふてぶてしいあの顔は──
(……イガグリ?)
 ボリスとかいうアドルファスの部下だ。これまで何度もやり合っている。はた、とエレーンは動きを止めた。そう、今まで何度もやり合っている。奴とは無論犬猿の仲。つまり、それって、
 ──ケネルたちとも反目している、、、、、、、、、、、、、
 隠れた幹をそろそろ出た。チビのイガグリに早足で近づく。凝視の視線に気づいたか、ふと、イガグリが足を止めた。ぶらりと振り向き、視線を怪訝そうに巡らせる。
 その目が不意にかち合った。暗がりのこっちが見えないのか、とっさに状況を把握できないのか、イガグリは無表情で瞬いている。と同時に、木立の向こうを歩いていたザイが、ふと足を止め、振り向いた。
(伏せてっ!)
 慌てて地を蹴り、エレーンはダッシュ、ザイの方を振り向いたボリスの背中に飛びかかった。
 ボリスが両手をばたつかせ、前のめりにたたらを踏んだ。とっさに凄んで振り向くが、元が無理な態勢だ。背中の重量を支え切れずに、顔から地面に突っこんだ。
「──な、何をしやがる、この野郎っ!」
 すぐさま威勢良く跳ねあがり、いきり立って肩越しに振り向く。ぎょっと強ばった顔でのけぞった。背に乗る相手が誰であるのか、ようやく認識したらしい。訳が分からないという顔で、ボリスは口を開閉している。みるみるまなじり吊りあげた。
「なんで、てめえがここにいる!」
「──しぃっ!」 
 食ってかかりかけた後頭部を、エレーンは慌てて押し戻す。
(静かにしてよっ! 勘づくじゃないっ!)
 地面に顔を押しつけられて、ボリスはジタバタもがいている。努力はするも、起きあがれない。首根っこ押さえられ、背中に馬乗りになられているのだから尚のこと。
(──な、何をしやがるこのクソアマっ!)
 何の義理もないはずだが、それでも何故か声はひそめる。
(ばれるでしょーが! あのキツネにっ!)
 まだ近くにいるであろうザイの目を警戒し、エレーンは睨んで、自分の口に指を当てる。この異変に気づいたのだろう、ザイは怪訝に首を傾げて、辺りを見回している様子。だが、ボリスの顔を地面に押しつけ、じぃっと息を殺していると、やがて、忙しなげに立ち去った。今あからさまにボリスが消えたが、ボリスに興味はないらしい。
 ほっ、とひとまずエレーンは胸を撫でおろす。ボリスが横向きに顔をあげ、ぎろりと憎々しげに睨めつけた。「なんで、てめえがこっちにいんだよ。向こうのハゲどもが青くなって探してんのに」
「……えー? セレスタンたちがー?」
 頭から手を放しがてら、エレーンはぱちくり瞬いた。腕組みで首をひねる。「ちゃんと言ってきたんだけどな、あの女の人に」
「──伝わるわけがねえじゃねえかよ、んなことサーラに言ったって」
 地面に腹這いに寝そべったままで、ボリスはげんなり額をつかんだ。でもおー、とエレーンは不服げに見返す。「あの人、笑って、ばいばいってー」
「そんなことより、マジでしめるぞ!」
 地面を指でとんとん叩いて、じろりとボリスが睨めつけた。
「いいかげん、腹から降りろ!」
 ぱちくりエレーンは瞬いた。がなるボリスから視線を下げて、おもむろに己の足を見る。
「──あらやだっ。ごっめ〜ん! キツネに出くわしたもんだから、つい〜」
 腹這いの背から、そそくさ降りる。ボリスは「知るかよ」と舌打ちし、構わず手をつき、腕を立てた。降りるのを待たずにせっかちに起きあがるものだから、エレーンはあっさり転げ落ちる。
「いきなり飛びかかってくるなんざ、どんな教育されてんだっ!」
 服の土くれをバンバン払い、ボリスはまなじりつりあげる。やー悪い悪い、とへらへらなだめ、エレーンは揉み手で笑いかけた。「ちょっとさー、あんたに折入って頼みたいことがあんのよね〜」
「なあんで俺が、てめえの頼みなんぞを聞いてやらなきゃなんねーんだよっ!」
 逆毛を立てんばかりの勢いで、ボリスは即刻、全力で却下。まあまあまずは聞きなさいよ、とかみつく肩をぽんぽん往なし、腕を取って座らせた。無理やり車座で談判に持ちこむ。ボリスはカリカリ、あぐらの腕組みでそっぽを向いた。「忙しいんだよ俺たちはっ! てめえなんぞにかかずらってる暇はねえ!」
「だからー、そのことで来たんでしょーが。アドが出頭したなんて聞いちゃ、ほっとくわけにはいかないでしょー?」
 立ちあがる動きを、ボリスが止めた。唖然と見返し、疑い深げにじろじろ見る。だが、眉を曇らせ、腰を落とした。途方に暮れたように嘆息し、額をつかんでうなだれる。「……頭(かしら)も、なんて馬鹿な真似を!」
 むっとエレーンは見返した。「もー、なんでみんなして、そんなこと言うわけえ? アドが可哀相じゃない」
「しょっ引かれるのは二度目だからな。しかも、今度は殺しとくる。すぐにも首がはねられる」
「──え」とエレーンは文句を飲んだ。動揺しきりで、おろおろ見回す。「ま、まさかー。そんなすぐに処刑だなんて、いくら何でも乱暴な──あ、ほら、審理っていっぱい手続きがあるじゃない。だから、そう簡単に進むわけが──」
「てめえらはどうだか知らねえがな」
 ボリスは憮然と睨ねつける。そして、腹立たしげに言い放った。
「俺たちは、遊民、、なんだよっ!」
 反駁しかけ、エレーンはのろのろ口を閉じた。市民と遊民とでは扱いが違う、それは薄々わかっていた。そうした事例は自分より、当事者である彼らの方がよほど詳しいに違いない。ならば、一刻の猶予もならないと? つまり、出頭したアドルファスは、すぐにも刑に処されると──
「ボリス! ここにいたか!」
 呼び声が割りこんだ。
 せっぱ詰まった声色だ。草を踏みしだく足音がし、人影が取り乱した様子で飛びこんでくる。仰いだ月光に浮かびあがったのは、痩せぎすの黒眼帯と、額に傷のあるオールバック──ボリスの仲間、三バカの二人だ。忌々しげに睨めつけていたボリスが、舌打ちで声を振りかえる。「なんだジェスキー。そんなに慌てて」
 先に駆けこんだ黒眼帯が、膝に手を置き、背中を屈め、荒い息を整える。伏せた顔を振りあげた。
「大変だ! サーラが死んだ!」
 いぶかしげに聞いていたボリスが、みるみる目を見開いた。
「死んだってのは、どういうことだ。今、会ってきたばかりじゃねえかよ。どうして急に、そんなことに……」
 声が微かに震えている。続けて飛び込んできたオールバックが──確かブルーノと呼ばれていた額傷の男が、息をあえがせ、唾を飲みこみ「わからない」と首を振る。「今、特務の連中が、胸を一突きにされて死んでいた、と」
「なあ、おい、それってまさか──」
 もどかしげにジェスキーが割りこみ、三人は顔を見合わせる。その顔にあるのは驚きや悲しみの色だけではない、どこか複雑な表情だ。ボリスが口を開きかけ、たじろいだように口をつぐみ、目を逸らして顎をなでた。「──まさか頭(かしら)が、あの後サーラを」
「そ、そんなわけないでしょ!」
 はっ、とエレーンは我に返った。おろおろしながら三人を見回す。「だって、あの人、アドの奥さんなんでしょう。なんで、アドがそんなこと」
「頭はサーラと一緒にいた!」
 ボリスが業を煮やした様子で叩き付けるように吐き捨てた。
「日が暮れて、風が冷たくなってんのに、小屋なかに入るのは嫌だとごねて──だから俺らは、頭に任せて戻ってきたんだ」
 やりきれない顔で目を伏せて、三人は苦渋の面持ちだ。そこには憤りというだけではない、何かの感情が入り混じっている。ふと、エレーンは思い出した。ここへ来る道すがら、あの管理人から聞いた話を。
 生粋のシャンバール人であるボリスらは、自国の策謀の犠牲になって、親を殺され故郷を追われた。直接手を下したのは、傭兵として動いたアドルファスの一派だ。
 敵の拠点を潰すさなか、嵌められたことに気づいたアドルファスは、生き残った子供らを──つまりはこのボリスらを自分の手元に引き取って、世話を全面的に妻サーラに任せた。アドルファスが戦場を駆けている間、自国に裏切られた寄る辺ないボリスらは、サーラに守られ、慈しまれて暮らしてきた。つまり、彼らにしてみれば、サーラは首長の連れ合いというだけではない、いわば家族も同然の、母とも恋い慕うかけがえのない存在なのだ。その彼女が事もあろうに、身を寄せた家長に殺された。父とも仰ぐ存在に。その心中はいかばかりだろう。
 腕を組んで立ちつくしていた黒眼帯のジェスキーが、苦い顔でぼそりと言った。「出頭すれば、即刻死刑だ。だから頭は、残されるサーラを不憫に思って」
 彼女は既に常人ではない。強力な後ろ盾を失えば、境遇は一変するだろう。
「で、でも、アドがそんなことするはずが──」
 混乱しつつも、エレーンは必死で首を振る。アドルファスは処刑を覚悟し、残していく妻を不憫に思い、彼女を殺して出頭した──その言い分にも一理ある。いや、それでは何か、どこかがおかしい。そもそもロマリアの殺人は、アドルファスの仕業ではないのだ。まだ歯車がかみ合っていない。サーラは胸を一突きにされていたという。
 ──胸を一突き、、、、、
 エレーンは愕然と目をみはった。奇妙な符合に気がついたのだ。そもそも何故、彼女が死ぬ必要があったのだ? ロマリアで殺されたあの女児と全く同じ方法で、、、、、、、
 昼に目にした光景が、脳裏に浮かんでは消えていく。管理事務所の裏手の川。河原にしゃがんだ後ろ姿、彼女が持っていた血のついたナイフ、刃の血は既に固まっていて──あんなものを何故、後生大事に持っていた。賊に追いあげられて尚、何故ああもこだわっていた。すぐにも使う予定があったから、、、、、、、、、、、、、、だ。
「……そうか。だから、アドは」
 煙った視界が不意にひらけて、すっと、もどかしさが解け去った。何もかも、わかった気がした。あの時聞いた言葉の意味が。彼女が流した涙の理由わけが。エレーンは浅く息を吸う。「……まって。違う、アドじゃないわ」
「だったら一体、誰だってんだよ!」
 腕を組んだブルーノが、野草を忌々しげに蹴り飛ばす。エレーンはきっぱり目を向けた。
「彼女は自殺したのよ」
 唖然と三人が口を開けた。互いに顔を見合わせて、だが、そのまま言葉もない。やがて、ボリスが目を逸らし、苦々しげに口を開いた。「──なんでサーラが、自殺なんか」
「わかってんでしょ、自分の罪をあがなったのよ」
 そう、彼女は何故、あの時一人で泣いていたのだ。娘を女医に奪われて、取り残された母親は。細い背から漏れ聞こえた呟き。
おあいこ、、、、よ』
 そう、答えは全て、すぐ目の前に転がっていた。
「あんなに様子が変だったもの。本当は薄々気づいてたんでしょ、ロマリアで子供を殺したのはあの人だって」
 三人が顔をこわばらせ、それぞれのろのろと目を逸らした。ボリスはあぐらで、ジェスキーとブルーノはめいめいの場所に立ったまま、仄暗い地面を凝視している。
「それがアドにはわかったから、彼女の罪を被ったのよ」
 何があったか承知の上で。
「だから、事件のあったロマリアじゃなく、わざわざ遠い商都に出向いて取り締まり当局に自首をした。あの人から目を逸らすために。捜査の手が及ばないように。出頭すれば会えなくなるから、だからアドは、最後に会いに行ったのよ」
 エレーンは淡々と事情を語った。不思議とすらすら口をついた。いや、恐らく初めから知っていたのだ。血に付いたナイフを見た時に。彼女の涙を見た時に。取り返しの付かない重大な何かが彼女の身に起きたことを。
 ボリスは草にあぐらをかき、腕を組んで渋い顔だ。
「だが、今更それがわかったところで、一体何がどうなるってんだ。サーラは一人で死んじまったし、頭も出頭しちまったし。そもそも、今は待機中だ。俺らには、どうにもできやしねえ」
「彼女は、もう、いないのよ」
 鋭くボリスが目を向けた。「──だから、それがなんだってんだ!」
「もう、かばう必要はない。アドも、あんた達も。そうでしょう!」
 三人は呆気にとられて口をつぐみ、意を汲みかねたように見返した。エレーンはボリスを直視する。
「あんたにちょっと、頼みがあるの」
 相手の真意を推し量るように、ボリスはいぶかしげに目をすがめた。
 
 
 
 
 

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