CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 5話11
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「──そこどいてー」
 はあはあ息をあえがせて、ウォードが額の汗をぬぐった。
「ざけんな! ぜってえ通さねえからな!」
 ファレスもぜえぜえ息を切らして、前傾姿勢で睨みつける。「いいか、よく聞け、掟破りのひよっ子が! 集団行動で規律を乱すってのは万死に値する大罪なんだよっ! それをてめえは半人前の分際で!」
 だが、日頃からやりたい放題の副長の、己が素行を棚にあげての説教に、どれほどの効果が期待できるかは言わずもがなというところ。案の定ウォードは、言葉途中で目をそむけ、テントの靴脱ぎ場へと足を向けた。「でもオレ、バパの方の組だからなー。ファレスには別に関係ないだろー」
 あんたは筋違い、とのもっとも至極な指摘である。睨みすえるファレスを無視して、脇をすり抜けようとする。だが、そうは問屋が卸さなかった。
「いいや、ある! 確かにてめえは直属じゃねえが、間接的には関係あるっ!」
 いささか怪しい、よく分からない理屈である。通過しようとする腹を、ファレスは片腕でそつなく制し、力任せにぶん投げる。
 激突音が轟いた。奥の柱に頭をぶつけ、ウォードは尻もちで首を振る。顔をしかめ、非難のまなざしを振り向けた。「来たけりゃファレスも来ればいいだろー」
「そんなことを言ってんじゃねえっ!」
 息を荒く怒鳴りつつ、ファレスはまなじり吊りあげた。「万一、腹でもふくれてみろ、どんな化け物、、、が生まれると思う!」
「──オレにそんなこと言われてもなー」
 ファレスはむっくり身を起こし、ひょろ長い脚をおもむろに立てる。のっそり立ちあがったウォードを睨んで、ファレスは憤然と腕を組んだ。「ちっとも反省してねえな? てめえのせいでバパだって、そりゃあえらい剣幕だったぞ! なあ、そこの!」
 息継ぎなしに"そこの"と呼ばれ、同意を求められた衛生班の班長カルロは、乱闘騒ぎから抜かりなく退避していた出入り口付近の靴脱ぎ場で、戸惑い顔の顎をなでた。「……あー、いや、頭(かしら)は別に、そんなことは一言も──」
「ほおれみろ! カンカンじゃねえかよっ!」 
 やんわり往なした難色をさえぎり、ファレスは仁王立ちで却下する。明らかに不服顔のウォードに向けて、人差し指を突き立てた。
「一歩たりとも外には出さねえ! 俺が許さねえから、そう思え!」
 
 
 ほの明るい幾つもの焚き火が、月下の林に灯されていた。虫の音立ちこめる暗がりを、木立をぶらつく傭兵たちが仏頂面で行きすぎる。
 二人は宵闇の野営地を歩いていた。アドルファスのテントを退去し、短髪の首長の根城へと、ようやく引き揚げてきたのである。賓客に手酷く罵倒されたケネルは、ぶらぶら歩くバパの隣で、やれやれと嘆息した。「たく。こんな林で野営するのは何の為だと思っているんだ」
 武装部隊の国境通過は、よほどの事情があるでもなければ阻却されるのが常である為、彼らが他国に赴く際には、大陸の地下に張り巡らされた件の抜け道を使用する。つまりは密入国だ。それゆえ部隊を留め置く際には、当該政府を刺激せぬよう慎重に振る舞う必要がある。賓客を預けた事務所付近に十分な広さを確保できるにもかかわらず、そこから丘をいくつか越えた閑散と荒れはてた雑木林をわざわざ駐留地として選んだのも、そうした事情あったればこそだ。軍事行動と受け取られかねない行動は、元より厳に慎まねばならない。もっとも、部外者に事情を明かせない以上、愚痴ったところで詮ないことだが。
 首長のテントに辿りつき、二人は怪訝そうに足を止めた。窓からの灯りが何故か不規則に揺れていた。薄い壁の内側からは、ひっきりなしに罵倒が聞こえ、時おり壁が大きくひしゃげる。口汚い罵り声と、物音がどたばた聞こえてくる。声はファレスと、あのウォードだ。
 呆気にとられて見ていると、入り口シートが退けられて、中からカルロがぶらぶら出てきた。肩越しに振りかえって肩をすくめ、どこか辟易とした面持ちだ。ケネルは人けない周囲を一瞥、呆れ顔で声をかけた。
「騒がしいな。何をしている」
「──あ、隊長」とカルロは振り向き、苦笑いで頬を掻いた。「さあ。強いて言えば、取っ組み合いの稽古ですかね」
「それにしては熱心だな」
 かしましく続くテントの罵倒を、バパも苦笑いで眺めやる。暗がりに佇む相手の顔を「──あ、お疲れ様です」と遅れて見分け、カルロはズボンの隠しに両手をつっこみ、くわばらくわばらと肩をすくめた。「ええ、そりゃもう大マジっすよ。取っ組み合って、投げ飛ばして、上になったり下になったり、とてもお遊びの域じゃありませんや。もっともレーヌの旅宿じゃ、頭ひっつけて寝てたって、もう専らの噂ですがね」
 で、とケネルは、頭の形に薄壁が飛び出た首長のテントを顎でさす。
「もめている理由はなんなんだ」
 そもそも騒動の原因は。
 さあてねえ、とカルロはいささか投げやりに首をひねった。「何しろずっと、出せ、出さねえ、の応酬なもんで。あの分じゃ、当人たちも忘れちまってるんじゃないすかね」
「たく。何をしているんだ、こんな時に」
 ケネルは嘆息して首を振った。一人は隊を取り仕切る副長だったはずである。そうする間にも、どたんばたんと取っ組み合いをしているらしき派手な物音が聞こえてくる。そこだけいやに騒がしい短髪の首長の大テントを、カルロはなおざりに顎でさした。「この分じゃ、とばっちりで被害がでますよ、周りの奴らに」
 どうします? と目線で問われ ケネルはげんなり手を振った。
「しばらく中に閉じ込めておけ」
 カルロは詰まって確認する。「──副長も一緒に、すか」
「当然だ。一歩たりとも外に出すな」
 ぽかん、とカルロは瞬いて、しげしげテントを見返した。
「了解しました」
 頭を掻き掻き、未だどたばたやかましい首長のテントに戻っていく。外から戸締りをする為に。ケネルはやれやれと嘆息し、踵を返して呟いた。
「しばらくそこで頭を冷やせ」
 あてにしていた首長のテントを無法者に占拠され、元いたアドルファスの大テントへと、二人はやむなく引きかえす。
 木立の遠い暗がりを、いくつもの人影が掠めていく。野営地はざわめき、狼狽していた。揺るぎない首長の一人が──そのよって立つ土台が揺らいだというのだから、右往左往するのも無理はない。歩く隣で、ぽっと小さな灯がともった。バパが煙草に火を点けたらしい。
「しかし、危ないところだったな」
 ぶらぶら横を歩きつつ、くわえ煙草でバパは続ける。「知らずにうっかりロマリアなんぞに寄っていたら、こっちも濡れ衣を着せられて、とっ捕まってたところだぜ」
 例えアドルファス本人ではなかろうと、遊民というだけで一味と見なされ、当局に連行されたであろうことは想像に難くない。前を見やってぶらぶら歩き、バパはゆったり紫煙を吐く。「もっとも、お前がシメた大将たちと鉢合わせになっちまうから、ロマリアに寄るのは端から無理って話だが」
「俺は何もしていない。ただ馬を取りあげただけだ」
 無愛想に応えて、ケネルも煙草に火を点ける。バパが片眉をつりあげ、見返した。「要は"置き去りにした"って話だろう? なんにもない原野によ。ひでえことをするよな、隊長さんは。危うく飢え死にするところじゃねえかよ。もっとも、後発のアドたちも、南下の道々、小うるさい海賊崩れをシメてきたって話だがな」
「なんだ、その海賊崩れってのは。──ああ、あれのことか」
 尋ねたそばから合点して、ケネルはくわえ煙草で苦笑いする。大陸を急ぎ南下中、ジャイルズと名乗る元海賊がちょっかいをかけてきたことを、ようやく思い出したのだ。
 ケネルが投げた擬餌に釣られて、一味は総出で原野の川底をさらっていたが、そもそもケネルが投げたのは、銀のチェーンこそついてはいるが似ても似つかぬ別物だから、どれほど一味が躍起になって急流の底をさらおうが、端から見つかろうはずもない。そうこうする内、ずぶ濡れになった自身と服を日干ししていた一味の前に、後続のアドルファス隊が現れた。川さらいの成果があがらずムシャクシャしていたジャイルズら一味は、遊民を痛めつけて憂さ晴らししてやろうと目論んだらしい。ところが、この一味の不幸は、因縁をつけたその相手が、ここ連日の強行軍で元より苛立っていたことだ。アドルファス隊は案の定、無邪気に吹っかけてきた海賊崩れを渡りに船とばかりにぶっ飛ばし、清々して通過した。自業自得というものだが、お粗末極まりない顛末である。
「まったく、そいつらも災難だよな。運が悪いってのか間が悪いってのか──自分のヤサで大人しくしていりゃ良かったのによ」
 ふぅ、と夜空に紫煙を吐いて、バパが鋭く一瞥した。「そういや、気になる話を聞いた。このところのごたごた続きで、すっかり忘れていたんだが」
 ぶらぶら横を歩きつつ、ケネルは目線で先を促す。
「バリーを見たって奴がいる」
 くわえ煙草で歩きつつ、ケネルは少し考えた。「──ラデリアにいるはずじゃなかったか?」
「人違いなら、いいんだけどよ。だが、もしも、そうじゃないんなら、奴の例の三下と連絡とってんじゃねえのかな」
「問題ない」
 ケネルは素っ気なく一蹴した。ちらとバパは目を向ける。「ほうっといて危なくねえか?」
 暗がりに沈むアドルファス隊の領分を、ケネルは目をすがめて眺めやる。
「向こうは今、客にかまけるどころじゃない。ましてバリーはアド思い、、、、だ」
 隣のバパへと返す視線を、ふと止めた。暗くざわつく周囲を一瞥、木立の暗がりに現れた痩身の男に目を戻す。
「──ザイ?」
 気づいてすぐさま駆けてきたザイに、怪訝な顔で目を向けた。「お前一人か? あいつはどうした」
 "あいつ"とは無論、賓客のことだ。
「──ああ、申し訳ありません隊長。俺がちょっと目を離した隙に」
 詫びの言葉をすらすら流し、ザイはどことなく気もそぞろで、月下の木立をせかせか見回す。
「又か」
 ケネルは大きく嘆息した。辟易とした顔で舌打ちする。「たく。俺が取り合わなかったもんだから」
 バパが片眉もちあげて、ひゅう、と軽く口笛を吹いた。「案外、商都へ行ったとかな」
「──まさか」
 ケネルは一蹴した。
「商都へ行くには足がない。徒歩では、街道まで出るのも無理だ。しかも、一本道の森でさえ、勝手に迷う奴だからな。ファレスの所で愚痴ってないなら、どうせ、すねて隠れてる。そこらをもう一度よく探せ」
 ジリジリかたわらで控えていたザイは、一礼もそこそこに踵を返した。みるみる夜陰に紛れていく。
「なに苛ついてんだ、あの野郎」
 唖然とバパは見送って、肩をすくめてケネルを見た。ケネルはやれやれと事もなげに応じる。「何も不思議なことはない。あれは他人を苛つかせる天才だ」
 まさしくそうした実例を、ケネルは常々間近で見ている。すげなく冷淡な副長が柄悪いお喋り、、、、、、に変身したのは、例の彼女の世話係に就任以降のことである。しかも、誰に対しても分け隔てなく。ちなみに、以前は決して他人を寄せ付けなかった彼であるが、今ではついに赤の他人と、わーわーどたばた取っ組み合いを演じるまでに到っている。どうだっていいような下らない理由で。
「……あの〜」
 遠慮がちな呼び声に、ケネルはふと足を止めた。声のした方に目をやれば、短髪の中背と、肩までの髪を後ろに撫でつけた長身の男の二人組が木立の暗がりからやってくる。バパ隊の領分は既に出たから、二人ともアドルファスの配下だろう。
 近づくにつれ、梢の途切れた月明かりに二人の顔が浮かびあがった。二班、バリー配下のニールとヤツェク、どちらも生粋のシャンバール人だが、粗暴なボリスらと気性は異なり、温和で従順な隊員だ。普段であれば、声などかけてくることはまずないが、よほどの用があるらしい。ケネルはいぶかしげに見返した。「なんだ」
 二人は視線を見交わして、気後れしたようにためらっている。やがて、短髪中背のニールの方が意を決したように報告した。「あの、ボリスが馬で出て行っちまったようなんですが」
「──出て行った?」
 意表をつかれて一瞬つまり、ケネルは思わず苦笑いした。「待機と言ったはずだがな。命令無視とはいい度胸だ。で、どこへ行ったんだ、ロマリアか?」
 夜陰に紛れて町にくり出す不届き者が、どこの隊でも、たまに出る。言ってしまえば、いつものことだ。だが、二人はやはり、おどおどと硬い表情を崩さない。尻込みするように目配せし、長身のヤツェクが恐る恐る申し出た。「あの──北に向かったようなんで、たぶん商都に行ったんじゃないかと。向こうに頭(かしら)が捕まってますし」
「まさか、アドルファスを奪還しにか?」
 ケネルは北方に視線を巡らせ、難しい顔で腕を組んだ。「ボリス一人で乗り込んだのか」
「いえ、それがその──ブルーノとジェスキーも一緒だったようで。それに──」
 ヤツェクはいかにも言い難そうに、隣のニールと目配せした。ややあって観念したように目を戻す。「馬に女が乗っているところを見たって奴が何人か……」
「利害は連中と一致するな」
 二人を眺めて聞いていたバパが、苦笑いで足を踏みかえた。「そいつはつまり、こういうことか? 連中が商都に乗り込むついでに、あの子も一緒に商都へ向かった──いや、まさかな」
「その、まさかだ」
 ケネルはげんなり頭を抱える。バパが虚をつかれて見返した。「おいおい待てよ。冗談だって。どうせ商売女だろう?」
「あんたも見たろう。さっきのあいつの剣幕を」
「だが、相手はあの、、連中だぜ?」
「自分の我を通す為なら、どんな無茶でもやる奴だ」
 賓客の行動パターンなら、ケネルは誰より、その身を以て知っている。嘆息しながら顔をあげ、ケネルは忌々しげに舌打ちした。「──あの馬鹿。詰め所に怒鳴り込む気か。調子にのって突っ込みやがって。そんな無茶をしなくても、どのみち連れて行ったのに!」
 馬をつないだ水飲み場のある方向に、苛立った様子で足を踏み出す。
「バパ」
 せかせか大股で歩きつつ、短髪の首長に声をかけた。「商都近郊で両隊待機。駐留場所は追って知らせろ」
「──了解、隊長」
 バパは笑って腕を組み、ケネルに軽く顎をしゃくる。「で、お前はどこへ?」
「決まっている!」
 急ぐ肩越しに、ケネルは苛々と一瞥した。
「あれを追って、とっ捕まえる」
 
 
 真夏の強い日ざしの下で、いかめしい顔つきの門番が、壁に数人張りついていた。街のぐるりをくまなく取りまく煉瓦塀の向こうには、活気のある賑わいがざわめきをまとって満ちている。
 老若男女、様々な身形の人々がひっきりなしに通りを行き交い、品を押し並べた平屋の露店が見渡す限りにひしめいている。人々は軒を連ねた店先を冷やかし、或いは急いで通りすぎ、人波をぬって荷馬車が通り、売り子の張りのある呼び声が、道行く客に誘いをかける。
 ──とうとう、ここまで戻ってきた。
 懐かしさに胸を締めつけられて、エレーンは陶然と街を見すえる。商都カレリア。生まれ育った懐かしい古巣だ。馴染みの空気を大きく肺腑に吸いこんで、ぐい、と顎を振りあげた。
「さあ、行くわよ」
 目を向けた傍らには、馬を一昼夜とばし続け、仮眠から覚めたばかりのボリスとジェスキー、そして、ブルーノの寝不足気味の顔がある。
 街道でゆれる萌黄の青葉が、日ざしを透かしてきらめいた。世にも華やかな中央都市を、四人はめいめい仰ぎやる。
 意を決した目前に、商都の壮麗な正門が傲然と立ちはだかっていた。
 
 
 
 
 

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