CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 6話2
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「管理事務所で待つように、あんたに言いやしませんでしたかね」
 日陰を作っていた真後ろの男は、さらりと長い前髪の下で、じろりと顔を見おろした。エレーンはたじろぎ笑いで、じりじり引く。
「……ザ、ザイ〜」
 果たして、そこにはザイがいた。そして、開口一番、手厳しい嫌味。
 エレーンはとっさに、帽子でザイをぱたぱたあおぎ、とりあえず、えへへ、とお愛想笑い。「……き、きたんだ」
「そりゃま、あんたの護衛スからねえ」
「……まー。いつも、ご苦労さまあ〜」
 ほほほ、と追従笑いでごまかして、エレーンはじりじりうかがった。今しがた嫌〜な殺気を感じたが、テキは意外にも平然とした顔。言いつけ破ってこんな所まで来たからには絶対怒っているはずなのだが、そんな素振りはちらりとも見せない。これは一体どうなっているのだ? 指示を無視して出かけたことは絶対忘れちゃいないだろうが、いきなり袈裟斬りとかしないだろうな。どうも、キツネはつかみどころがなくていけねえ……つらつら考え、豹変したらばいつでもとっとと逃げ出せるよう密かに体勢を整える。ザイは夏日照りつける正門を、目をすがめて眺めやり、革の上着の腕を組んだ。
「どこほっつき歩いていたんスか」
 呆れて見おろすその顔は、待ちくたびれた、と言いたげだ。どうやらザイは、一行が街門に現れるのを、今か今かと待ち構えていたらしい。エレーンはしどもど上目使い。
「え、えっとー、どこって言われても色々あって……どのあたりから話すぅ?」
 野営地を出た一行は、一路進路を商都にとって、馬を疾走させていた。だが、その道中は順風満帆とはいかなかった。昼夜、賊に襲われ続け、あっちの山林、こっちの窪みと、ひーひー逃げ回る羽目になったからだ。そう、連れの三人大変だった。賊が出る都度、涙目の挙手で飛びあがり、客をかついで、えっちらおっちら、うねうね全力で蛇行して──。なにせ、この奥方様は詰め所の牢番との交渉役だ。囚われの頭領を救い出す唯一無二の頼みの綱を奪われるわけにはいかないのだ。
 エレーンはやれやれと嘆息し、いかにもうんざりと肩をすくめた。「もー、やんなっちゃうわあ。だっから、もう、くたくたよぉ〜」
「奇遇スね。俺もスよ」
 つっけんどんにザイが返す。静かに殺気立ちながら。
「あ、そういや、三パカっていえばさあ」
 エレーンはとっとと話題を変えた。
「なんで逃げたの?」
「なんででしょうね」
 む? とエレーンは固まった。今の含みのある言い方といい、三パカが逃げたタイミングといい、さてはキツネがなんかしたに違いない。ちなみに「三パカ」と今称したが、それについてのツッコミはない。
 そして、ちなみにこのザイは、野営地を忍び出た一行がそんな変則的な道程を辿っているとはつゆ思わず、出奔と聞いて馬に飛び乗り、闇に呑まれた街道を商都に向けてひた走り、あげく追い抜いてしまったわけだが、そんな裏事情などエレーンは知らない。
 ズタボロの三人が逃げさった青い畑を眺めやり、ザイは小さく嘆息した。「しかし、よくやりますねえ。いきなり消えるだけならまだしも、あんなもんまで引き連れて」
 つくづく呆れて振りかえる。
「まだ懲りてないんスか」
 直球で非難が飛んできて、エレーンはたじろいで後ずさった。「だっ、大丈夫よ。みんないるもん」
「あんたねえ」
 大きくザイが嘆息し、薄茶の髪をがりがり掻いた。「たく。みんないるから、、、、、、、、大丈夫じゃねえんでしょうに」
 つくづく見やって、説教態勢で腕を組む。
「わかっていますか? 確かにバリーはいませんが、あれは奴の子分スよ?」
「三パカは見切った」
 ふんっ、とエレーンは得意満面ふんぞり返る。
「……たくましいスね」
 唖然とつまり、ザイは軽く顎をしゃくる。「で、見切った根拠は?」
 エレーンはうんざり手を振った。
「だあって、あいつら、ヘタレだもん。自分たちだけじゃ、どうせ、なんにもできないしぃ?」
「──目が利くようになったじゃねえスか」
 ふっ、とザイが苦笑いした。
「ま、何事もねえなら良しとしますか」
 身じろぎ、視線を街道に投げる。「で、何やってんスか、こんな道の端っこで。ここまで来たなら、なんで商都に入んないんです?」
「……えー。いや、なんでって〜」
 両手で持った帽子のつばを、エレーンはいじけて、ぶちぶちいじくる。
 もちろん、喜び勇んで街門に向かった。そう、門番の所までは行ったのだが「はい、ちょっと通してねー」と笑顔で通過しようとしたら、あっさり押し戻されたんである。門番は恐い顔で立ちはだかり、身分証の提示を求めてきた。怪しい奴と認識されたらしいのだ。だが、門番所望の身分証は、ない。なにせ肝心の身分が既に市民ではなくなっている。よって、すごすご引き揚げるしかなかったんである。
 ザイは説明という名の愚痴を聞き、いかめしい門番をやれやれと眺めた。「今は厳戒体制スよ? 検問が厳しいのは当たり前でしょ。にしたって、あんた」
 ひょい、と唐突に振りかえる。
「あるでしょ、身分証なら。ほら、ルクイーゼの雑貨屋で、店主を脅したじゃないっスか」
 ほら、ぺらっぺらのアレ、、っスよ、と人差し指をピンと立てる。
 ずさ──とエレーンは後ずさった。頬をわなわなひきつらせ、ザイに指を突きつける。「なあんで、あんたが知ってんのよっ!」
「護衛スから」
 事もなげに一蹴され、う゛……とエレーンは文句を呑んだ。
 思わず突っ立ったその手から、ザイは帽子をとりあげる。頭の部分を片手でつかんで、ぽん、とエレーンの頭にかぶせた。
「──え」
 エレーンは驚いて振り仰いだ。思わぬ気遣いに呆気にとられ、間近のザイを唐突に意識し、柄にもなくどぎまぎする。ザイは素っ気なく踵を返した。
「ま、なんにせよ戻りましょ。勝手に姿をくらますから、隊長たちがえらく心配してますよ。馬とってきますから、そこ動かないで下さいね」
 絶対そこにいるように! と肩越しのガン見で念押しし、少し離れた並木の下へ、そわそわ早足で歩いていく。絶対信用していない。
 
 
「それでは、みな様、ごきげんよう。所用が済み次第、わたくしもそちらに参りますわ」
 マルグリッドは笑顔で手を振り、娘らの一団から踵を返した。背筋を伸ばした細い背で、高く結いあげたポニーテールが揺れる。兄エルネスト=ラッセルの言いつけでノースカレリアを早々と脱し、ルクイーゼに避難していたが、宿に閉じこもっているのも退屈で、商都にお忍びで遊びにきたのだ。
 道ばたの売り子の呼び声に、そつなくにっこり笑顔を返し、歩きながら、つぶやいた。
「……やっぱり、ベイリー子爵かしら」
 ベイリー子爵は、先の夜会で踊った相手だ。痩せた上品な白髪の紳士。妻をなくして後妻を探しているとのことだった。資産はさほど多くない。
 他に縁談がきているのは、商都で居を構える壮年の豪商。老年の子爵より格段に若く、商都で店を構えるだけあり生活の方も羽振りが良いが、当然ながら、こちらは無爵だ。マルグリッドは眉をひそめて首を振る。
「やっぱり、あの子爵よね」
 厚遇された貴族の地位を剥奪され、一介の庶民に転落するなど、想像するだにおぞましい。どれほど裕福な資産家だろうが、庶民はしょせん庶民でしかない。
 マルグリッドにとって庶民とは、不可解で不気味な存在だった。どことなく胡散臭く、得体が知れない。そう、庶民といえば屋敷の使用人が身近だが、彼らはいつでも問題を起こし、些細な理由で怒りだし、屋敷の物を盗んだりする。彼らの言動はどこか野蛮で、とても理性的とは言いがたい。すまして従うその裏で何を考えているのやら、まったくわかったものではない。
 街にひしめく領民にしても、大声で怒鳴り散らしたり、いきなり下品な罵声をあげたり、あまつさえ暴動を起こしたりする。だが、民などは従順であって然るべきだ、マルグリッドはそう思う。自分の在るべき立場をわきまえ、余計なことは考えず、畑を耕していさえすれば、それでいい。群れで管理される羊のように。領家には代々変わり者が多く、何かといえば領民の目を気にするが、民に過剰な情けは禁物だ。手綱を弛めれば、手を噛まれる。だが、そうかといって締めつけすぎれば、領土に民がいなくなる。すなわち畑の耕し手がいなくなり、こちらが窮することになる、無論、自分で耕すなどは論外だ。自分はそういうふう、、、、、、にはできていない。つまり、匙加減が重要なのだ。
 笑顔を向けてくる内は、こちらもそれなりに接しはする。だが、気を許すことは決してない。それについては、マルグリッドが特別冷淡な気質というのではなかった。それが彼女の知りうる唯一の真実──幼い頃から教え込まれた貴族の共通認識なのだ。
 ともあれ、さしあたりの問題は、懸案になっている縁談だ。庶民は嫌だというのであれば、子爵の求婚を受け入れるより他はない。先日デビューを果たした夜会で、社交に励んでみたけれど、芳しい感触は得られなかった。初婚の相手が老いぼれというのが引っかからないでもないけれど、現時点で望みうるのは、それが上限というものだろう。──そこまで考え、マルグリッドは嘆息して額を揉んだ。
「もう! あの話がまとまっていれば、今ごろ苦労せずに済んだのに!」
 お陰で十七歳にしていわく付きだ。今回連れ立った友人の中には、既に子を産み、磐石の基盤を築いた者さえいるというのに。
 同世代の娘たちに器量で劣るわけでもないのに、婚活レースに出遅れたのは、ダドリー=クレストのせいだった。婚儀間際で、彼に婚約を破棄されたのだ。とはいえ、悲嘆に暮れているわけでもない。破談になりこそすれ、逆に幸運だったかも知れないとさえ思っている。
 なにせ、ダドリー=クレストは変わり者だ。時おり話す分には面白いが、領家直系のご多分に漏れず、風変わりな上にかたくなだ。あの酔狂に一生付き合わされるのは、考えただけで骨が折れる。それが証拠に、隣に座る正妻に、見劣りする庶民の女を──領邸の使用人をわざわざ据えたというではないか。
 マルグリッドら貴族にすれば、それは到底考えられる話ではなかった。庶民が夜会に入り混じり、我が物顔で振るまう様を──その奇妙さと不気味さを想像しただけで身震いした。だが、彼女を蔑視するような、愚かな真似など無論しない。元は庶民の出自でも歴とした公爵夫人だ。その肩書きを持つ以上、付かず離れずやんわりと付き合う、それが処世術というものだ。気さくに彼女に笑いかけ、できうる限り感じ良く振るまい、だが、決して気を許しはしない。
 昼下がりの街に、人影はまばらだ。建物の陰になった向かいの歩道を、小奇麗な成りの若者たちが暇そうにぶらぶら歩いていく。都会で見かける青年たちは、地元の地味な領民に比べ、はつらつとしていて魅力的だが、マルグリッドは見向きもしなかった。どれほど洗練されようが、庶民はしょせん庶民なのだ。
「……やっぱり、子爵夫人かあ」
 つまり、爵位があるだけの貧乏貴族。しかも、未来の夫は白髪の老人──。マルグリッドは密かに落胆しながら、次の街角を急いで曲がる。そりゃあ、白馬にまたがった王子様を夢見なかったわけじゃない。けれど、実際の結婚に、容姿などは関係ない。大事なのは将来の展望、すなわち相手の資産の多寡だ。生涯にわたる自分の立場を、望み得る最高の条件で、獲得すべく動かねばならない。そうと決まれば、連れと鉢合わせにならない内に、早くどこかの店に入って、つけ文の一つでも書かないと──通りの向かいに何かを認めて、はっ、とマルグリッドは足を止めた。
 思わぬ者が、そこにいた。
 それは見知らぬ青年だった。ふわりと柔らかそうな肩までの髪、白っぽい綿生地のボタンのない丸首シャツ、背が高く痩せていて、長袖の両手をズボンのポケットに突っこんでいる。背が高いためなのか、軽く背をかがめて歩いている。
 マルグリッドは両手を胸で握った。胸がどきどき高鳴っている。彼は商都の市民だろうか。いや、街の者とは違う気がする。
 息をつめて青年を見つめ、マルグリッドは街路に立ちつくした。
 
 
 馬を取りに行くザイの背中を見送りながら、エレーンは腕組みでうなっていた。
「……うーん。あのキツネ、ぶっ殺す! とか物騒なこと言ってたしな〜」
 そわそわ辺りを眺め回す。困った。早く逃げないと連れ戻される。だが、頼みの綱の三バカは勝手にどっかに逃亡したし、ザイと追いかけっこしても勝てるわけないし、そうかといって街の中にも入れないし──ああ! 目と鼻の先に商都があるのに!
 街道脇の並木にもたれ、夏日に麗らかに照らされた商都の街門をそわそわ凝視し、ブーツの爪先ぶらつかせ──ふと、その足を止めた。
「……え? あれって」
 門の手前の街道だ。視界をよぎったそれを追い、眉をひそめて身を乗り出す。
 それは子供のようだった。向こうのカレリア街道を一人きりで歩いている。年の頃は五歳くらい、子供特有の素直な髪、小さな体格、細い肩、体に合わないぶかぶかの服を着ている。なにぶん遠目で顔の方は定かではないが、肩を大きく前後に揺らして、よろけながら歩いている。そう、あの足を引きずる歩き方は──
「ケイン?」
 ぎょっ、とエレーンは飛びあがった。己の不用意な反応に気づいて、口を押さえて、わたわた見まわす。まだ、近くにザイがいるのだ。お尋ね者として手配されたケインが、こんな所で見つかれば、きっとただでは済まないだろう。
 ザイの様子を盗み見れば、少し離れた左の木陰で、馬の手綱を解いている。エレーンは昼の街道に、おろおろしながら目を戻す。「も、もう、ケインってば、どーしてこんな時に──」
 ぱちくり、まなこを瞬いた。
「……いない?」
 目を見開き、ごしごしこすり、付近を慌ててきょろきょろ捜す。忽然とケインが消えている。いったい、どこへ行ったのだ──!
「なんか、ありましたか」
 ギクリ、とエレーンは飛びあがった。そろり、と肩越しに振り向くと、ザイが馬を引いて歩いてきている。横まできて立ち止まり、ザイは軽く首をかしげた。「なに慌ててんです?」
「なっ、なんでもないなんでもないなんでもないっ!」
 エレーンはあたふた手を振った。ザイはわずか目をすがめ、昼下がりの街道を怪訝そうに見まわしている。その薄茶の直毛が、風に吹かれて、さらさら揺れた。何かの気配をうかがうように、ザイはじっと動かない。ふい、と唐突に目を戻した。
「さ、戻りましょ」
 ぽかん、とエレーンは拍子抜けした。勘付いたのではなかったのか?
 ザイは平然とした顔で、馬の首をなでている。いつもの様子に密かに安堵し、エレーンは上目使いで盗み見た。だが、一難去って、また一難。このままでは元いた事務所に、問答無用で逆戻り。ここはなんとか口実をこさえて、この到達点を死守せねばならない。そうだ、念願の商都の門前まで、こうしてようやく辿り着いたというのに!
「はい、足かけてー」
 鐙(あぶみ)に足を乗せるよう、ザイが顎で催促した。客を馬の背に持ちあげるべく、エレーンの胴を両手でつかむ。
「あれはなんだっ!」
 ぱっ、とエレーンは顔をあげ、西の空を指さした。ザイがつられて見た隙に、ぱっと素早くしゃがみこみ、ザイの脇の下をかい潜る。なんという上出来、十点満点! 
 無我夢中でそそくさダッシュ!
 ぐ──と上腕がつかまれた。
「往生際が悪いスね」
 スタートダッシュの腕を持ちあげ、ずい、とザイが顎を出した。お見通し、という顔で。
 膝をはたいて立ちながら、エレーンは、くううっ、と歯噛みした。やはり、キツネはたいそう手強い。ここにいるのが野良猫ならば、目の前でなんか振っとけば、即行ジタバタ飛びついてくるのに。
 ジト目で見おろす腕組みのザイから、エレーンはじりじり後ずさった。ここで戻っては元の木阿弥。次なる足がかりをきょろきょろ探し──はっ、とエレーンは目をみはった。
「──あれっ! あれっ!」
 わたわた指さし、ザイの上着をパシパシ叩く。指し示された街門を、ザイはたるそうに振り向いた。「──今度はなんスか」
「リナ!」
 エレーンはあたふた指を振る。ザイは少し考えて、胡散臭そうに訊き返した。「……その、りな、ってのは一体なんです?」
「あたしの同僚! ラトキエん時のっ!」
 胸ぐらつかまんばかりの勢いで、エレーンはコクコクうなずいた。「ほらっ! いるでしょーあの門の左んとこにっ! ほらあっ、あのメイド服よ! あーもーやだあ、リナってばあ! この前会ってからどれくらい経つ〜? やーん! もー二年ぶり〜っ?」
 目をすがめて見ていたザイが「……ああ、あれスか」と相手を認めた。
 そこにいるのは小奇麗な身形の娘だった。肩までのウエーブの髪、なるほど領邸の使用人らしく、白襟、紺地の制服を着ている。商都で知らぬ者はない、ラトキエ領家のメイド服だ。
「て、ことだから〜」
 エレーンはおもむろに振り向いて、ザイの顔をにんまり見あげた。
「ちょおっと、ここで待っててねん!」
 ──あァ? とザイは見おろして、面倒そうに舌打ちした。
 
 
 
 
 

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