■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 8話3
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ラトキエ領邸正門は、麗らかな陽を浴び、ひっそりしていた。
緑梢ゆれる大木の下、紺の制服の門番たちが、真面目な顔で立っている。
陽が中天にさしかかる頃、エレーンとファレスは、敷地のぐるりを取り囲む遊歩道を歩いていた。苔むした古い裏木戸から、あっさり脱出を果たしてきたのだ。
「……あ、あ、あのレノ様があぁっ!」
お祈りの形で両手を握り、エレーンは赤面で放心していた。
だしぬけに連れを振りかえり、鼻息荒くつかみかかる。
「ねー聞いた聞いたっ!? 今の聞いたー!? レノ様があたしのこと大事って!」
「──てんめえ、クソアマ」
額に怒形を複数張りつけ、ファレスは拳を震わせた。
「おんなじ話を、何百ぺんくり返しゃあ、気が済むんだよっ!」
なによー、とエレーンは振り向いて、口を不服げに尖らせる。「もー。何百ぺんだなんて大袈裟ねー。まだ十回くらいでしょー」
だが、それも束の間で、すぐに、にまにま有頂天に戻り、グーの両手を振って歩く。
足をぶん投げ歩きつつ、ぎろり、とファレスは隣を睨んだ。「ああいうのを 社交辞令っつーんだよ! ちょっと持ちあげられたくらいのことで、いい気になってんじゃねえぞコラ」
「うっきゃーっ! レノ様がレノ様がレノ様がああっ!」
エレーンは、いやんいやん、と首を振る。くねくね赤面。聞いてない。
「なのに、あんたってば、ひとのこと強引にひっぱってさー。せっかくレノ様みてたのにぃー」
顔をしかめて、ぶちぶちぼやき、はっ、としたように振りかえる。
「な、なんだよ」
とっさに、ファレスはたじろいだ。打って変わって真剣な顔つき──
「レノ様、ちゃんと服着てたっ!」
腰が砕けそうになりながら、ファレスは脱力して額をつかんだ。
「……普通だろ、そんなもんは。てめえの主人は裸族かよ」
「だあって」
うぅーむ、とエレーンは首をかしげる。
「いつもは、だらしない格好だもん。なのに今日はどーなってんの? あーんな、ちゃんとした礼装とかー。あ、もしかして夜会の帰りとか? ボタン、首まで留めてたし」
なーんか違うと思ってたのよねー、と合点顔でうなずいている。
「とうに昼だぜ。あの格好で朝帰りかよ。そんなことより、とっとと戻るぞ」
ファレスは舌打ち、連れの手首を引ったくる。
「あ! 待って待って!」
さらり、と髪を肩で揺らして、エレーンがあわてて引っ張り戻した。
「お腹すいた! あたし、お昼ごはん!」
ぐったり、ファレスはうなだれた。
「散々好き放題にうろつき回って、今度は、腹減ったから飯食わせろかよ……まったく! ほんっとうに! てめえって奴はっ!」
領邸のある行政街区をようやく抜けて、街を南北に分断する西門通りの馬車道に出る。
石畳の馬車道が、昼の日ざしを照り返していた。夏の日さんさん降りしきる、蝉しぐれの昼下がり、人の姿も馬車もない。南街区の街に向け、西門通りをぶらぶら渡る。
見るからに不機嫌なファレスを引っ張り、エレーンはるんるん件の路地へと踏み込んだ。西門通りから三軒目、目抜き通りから一本入った赤い窓枠の白壁の店。
入口上部の看板には《 ぴんくのリボン 》の馴染んだ屋号。
ガランガラン、とドアベルが鳴る。
「いらっしゃ〜い」と店主の声。ほどよく涼しい店内に、エレーンは鼻歌まじりで踏み込んだ。
奥の窓際の四人掛けに、清楚な紺のメイド服の二人。リナとラナの顔を見つけて、エレーンは早速足を向ける。
今のドアベルで、気づいたらしい。入口付近の壁際の席で、薄茶の髪の若い男が、ひょいと器から顔をあげた。
「あ、副長、お疲れさまで」
後に続いたファレスに会釈。片手にフォークを握りしめ、もぐもぐ何やら咀嚼しながら。
ファレスが憎々しげに腕を組んだ。「ザイ。なんでてめえが、ここで、しゃあしゃあと食ってんだ」
「普通に飯で」
「あ? なにてめえだけ食ってんだよ。あ?」
難癖をつけ、質悪く絡む。なにせ、領邸を出て以降、ファレスは何気に機嫌が悪い。
ザイは飯を咀嚼しながら、壁かけの時計を、ひょいと指した。
「ま、普通に昼時なんで」
食事を中断する気はないらしい。取り合うつもりもないらしい。
両手を隠しにつっこんだファレスは、おらおらおら、と無駄にすごんで、ザイの卓をうろついている。あたかも野犬の威嚇のごとく。発散する相手を見つけたようだ。もっとも、標的のザイの方では、まるで相手にしてないが。
連れがよそ見をしている間に、エレーンはリナをねめつけた。ファレスを顎の先でさす。
(リ〜ナ〜っ! なあんで、あんた、口割んのよっ!)
お陰でファレスが乗り込んできて、問答無用でしょっぴかれたのだ。つまり、計画ぶち壊し。
リナは両手でバッテンを作り、あわてた口パクで首を振る。
──あ・た・し・じゃ・な・い・わ・よぉっ!
へ? とエレーンはまたたいた。
リナがバラしたのではないのなら、ファレスが邸内をのし歩いていたのは一体どういうわけなのだ?
くるり、とファレスを振りかえり、リナとラナが座っている奥の四人掛けに指をさす。
「あたし、あっちに混じるから」
ぜひとも、事情聴取の必要がある。
「──おう」
ファレスはザイにガンくれながら、姿を見るなりすっ飛んで隠れた、カウンターの向こうの店主に注文「──おう。俺も、こいつと同じもんな」
そして、ザイの向かいの椅子を、ガタガタ引く。
ザイはもぐもぐ咀嚼しながら、不機嫌なファレスに目を向ける。「あれ。副長、ここに座るんで?」
「んだよ。悪りぃかよ」
「聞いてみただけで」
言うなり、飯を掻っこんだ。ほんのわずか一分前より、数段増した掻っこみ具合で。
エレーンはそそくさ奥へと向かい、「あ、あたしも、あっちとおんなじの!」と店主ににっこり注文し、双子の向かいに腰を下ろす。
(なによお、リナ。どーゆーことよ!)
ずい、と肩を乗り出して、さっそくリナを問い質す。
リナから聞いたところによれば、経緯はざっと以下の通り。
あの宿からファレスを連れ出し、街中を連れ回している最中に、どうしたわけだかファレスが勘付き、胸倉つかんですごまれたが、リナは頑として口を割らなかった。次いで、ラナがとっさに泣き真似、ファレスが怯んで事無きを得た。初対面での事故を引きずっているのか、ファレスはラナには弱いもよう。そうこうする内、北街区方面から、若い男がファレスに駆け寄り、何やら耳打ちした途端、ファレスは舌打ちして駆け去った──。
ふむふむエレーンは聞き終えて、ラナに素早くウインクした。
「さっすが、ラナ」
ラナは笑顔で小さくピース。リナが、その横で目を向けた。「で、そっちはどーよ」
「──それがさー」
三人、肘をついて卓に乗り出す。
かくかくしかじか、エレーンは説明。
首尾良く領邸に潜りこみ、当主との面会を果たしたものの、クレイグは当主を引いており、子息のアルベールを探す羽目になったこと。だが、すでに居住階におらず、結局、彼とは会えずじまいで──。
「あれ、あんた知らなかったっけー?」
ストローの先をなめながら、リナが軽く首をかしげた。
「旦那様が引退したの。でも、ずい分前の話よね」
ラナもうなずき、隣に同意、その目を、向かいに振り向ける。「なら、次はいつにする? みんなに伝えておかないと」
「──やー、もう無理でしょ」
エレーンは捨て鉢に寄りかかった。「何か、別の手考えないと」
「なんでー? もう一回やればいいじゃん」
ずい、と肩を乗り出したリナに、渋い顔で首を振る。
「無理。バレた。レノ様に」
「……レノ様に?」
双子が顔を見合わせた。はあ〜……とエレーンは、顔をゆがめて嘆息する。
「これ着てるとこ、ばっちり見られた。もう、おんなじ手は使えないって。こそこそ入りこんでたの見つかって、あのレノ様がほっとくはずないもん。あっ、でねでねっ? その時に──!」
ずい、と三人は額を寄せる。
入口卓に座った二人が、怪訝そうに振りかえる。うっきゃあ! と突如、黄色い悲鳴が、メイド組の卓から、あがったからだ。目の前にレノがひざまずき、正式な礼を取ったくだりで。
「でも、確か裏木戸ってさ」
入口卓の不審顔に、シッシと邪険に手を振って、エレーンは話にたち戻る。
「前に、鍵を紛失して、放置されてたんじゃなかったっけー? どうせ扉が開かないんなら、そのままでいいやってことになって、それで取り壊しもしないでさ」
くわえたストローをぷらぷらさせて、リナがたるそうに呟いた。「……へー。鍵、実はレノ様が持ってたんだー」
「なんで届けなかったのかしら」
いぶかしげに、ラナもうなずく。口からストローを取り去って、リナがしたり顔で指を振った。
「ほら。あれじゃない? "開かずの扉"にしといた方が、何かと都合が良かったとか。レノ様、朝帰りとか、しょっちゅうだし、当番の門番に、帰ってくるとこ見られなくて済むしさ」
「でも、あの人、そんなこと気にするかしら」
ラナは釈然としない顔。
「まー、なんにせよ」
エレーンは投げやりに嘆息した。
「こうなったら、外で待ち伏せするっきゃ手はないかー。領邸に入るの、もう無理だし」
「でも、外で捕まえるっていっても。アルベール様はお忙しいから」
「予定わかんないと、無理よねえ。従僕だとか御者だとかに何気に探りを入れてみるとか?」
ラナの懐疑を引きとって、リナがやれやれと肩をすくめる。
カウンターの向こうから、店主が盆を持ってやってきた。
「はい、おまたせ。特製ランチ特盛ね。ねえ、食べても、しばらくいてよ、飲み物ただにしとくから」
スープと皿を卓に置き、困った顔で苦笑い。つまり、"サクラ" の依頼である。
確かに、昼時というのに、店内はガラガラ。ザイ卓とリナ卓の他には、カップルが一組、中央の窓際にいるきりだ。昨今のきな臭い騒動のあおりで、観光客が激減したらしい。
「りょーかい店長。望むところ!」
ぱっ、とメニューを打ち広げ、にっこり、メイド連はうなずいた。
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