■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 8話4
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とっとと飯を食い終えたザイは「んじゃ、俺は仮眠に入りますから、しばらくそっちは頼みます」と相席のファレスに言い残し、ぶらぶら店を出て行った。この店唯一のまともな客のカップルも、自分の飯を食い終えたファレスが不機嫌な顔でガンくれたお陰で、そそくさ逃げるように出て行った。そして、何故かたいそう不機嫌なファレスが入口に近い四人掛けの座席で柄悪く不貞寝を決め込んだお陰で、以来、他の客は寄り付かず、店はたいそう静かだった。店主もファレスに怯えて出てこないので、「領主との面会計画」第二弾を内緒で練るのははかどった。
暑い日中の日ざしを避けて、散々だべって長居をし、店を出たのは、そろそろ日も傾きかけた、夕暮れ前の時刻だった。とはいえ、日ざしがまだ強いせいか、元より人がいないのか、目抜き通りに人影はまばらだ。
エレーンとファレスは、空いた店先をぶらぶら冷やかし、件の宿へと歩道を歩く。ファレスが思い出したように目を向けた。
「で、てめえはなんで、領邸なんぞに行ったんだ?」
今頃それを問い質すとは実に今更な話であるが、それにはやむを得ない事情がある。
口をはさむ余地がなかったんである。領邸からの帰り道、その話題の九割が 「レノ様があたしのこと大事ってゆった!」で占められていたから。
足をぶん投げ、エレーンは歩く。「だからー。里帰りよ里帰り!」
「嘘つけ。その格好でかよ」
エレーンは口を尖らせた。「だってー。アドの釈放とか頼まないとさー」
「で、領邸行って直談判かよ。手ぇ出すなっつっただろ!」
「だあってえ! なんにもしてないじゃないよー、ずーっとそんなこと言っててさー」
「こっちにはこっちのやり方がある! てめえはうろちょろすんじゃねえ!」
「だったらダドはー?──ほうら、みなさいよ。助けられるの、アルベール様だけじゃない!」
「……あほう。誰が敵だか、まあだ、てめえはわかってねえな? てめえんとこは、ラトキエの要請を蹴ったんだぞ。良く思われてるわけがねえだろが」
「そんなことないもん! アルベール様いい人だもん。それにレノ様に会ったでしょー。レノ様怒ってなかったもん。だってレノ様、あたしのことお姫様みたいにぃ──」
「レノ様レノ様うっせーなっ! なんっだあのキザ野郎! 真っ赤っかに頭染めやがってよ! まったくイカれた野郎だぜ!」
「……もー。なんでそんなに目の仇にするかな〜。レノ様あんなにかっこいいのにぃ。い〜い? あのレノ様はねー──あれ?」
ふと、エレーンは視線を投げた。
ぽかん、と口をあけてファレスを見、グーの両手を口にあて足踏み、わたわた向かいの歩道に指す。
上着の隠しに両手を突っ込み、若い男が歩いている。コキコキあくび交じりで首を回して。その肩まである頭髪が赤い。
「──レ、レノ様っ!」
ただちにエレーンは駆け寄った。
服こそ黒の上下だが、中に着ている白シャツのボタンは、上から二番目まで開いている。裾もズボンに入れてない。つまり、いつものだらしないあの格好。
「レノ様! レノ様っ! さっきは、えっと、あの──そのっ!」
ぶらり、とレノが気怠そうに足を止めた。肩越しに振り向いたその顔に、ぺこり、と膝まで頭を下げる。
「きょ、恐悦至極でございますっ!」
「どこの人間だ? お前」
ぱちくりレノがまたたいた。ふと、ファレスに目を向ける。
「あ、まだいたの? ゆーみん。消えろと言ったはずだけどな」
「──んだと赤頭っ!」
ファレスがまなじりつり上げた。今にも咬みつきそうに殺気立っているが、レノは気にした風もなく、両手を隠しに突っこんだまま。
(もー。レノ様ってば、なんで、ファレスを構うかなー)
領邸で会った時にもそうだったが、わざわざ挑発している節がある。まあ、ファレスは単純だから、からかい甲斐があるんだろうが──
はた、とレノを見返した。
「助けて下さい!」
薄笑いで見ていたファレスから、レノが怪訝そうに振り向いた。「……あー? 助けるー?」
エレーンはあたふた、その前に駆け寄る。
「ダ、ダドが捕虜になっちゃって!」
「──ダドリー?」
レノが面食らったように眉をしかめた。
「あの、トラビアで捕まって、それで今、ディールの捕虜に、だからダドを──」
レノが白けたように目をそらした。「そんなこと、俺に言われてもな」
「お願いしますっ!」
真顔でエレーンはにじり寄る。興味が失せたように肩をすくめて、レノはぶらぶら歩き出す。「相手が違うぜ、アルに頼めよ。そんなの、俺の出る幕じゃねえって」
「お願いしますっ!」
急いで行く手に回りこみ、ふんぬ、とエレーンは立ちふさがる。
「助けて下さい! お願いします! レノ様だったらできるはずです! ダドを──ダドを助けてください。レノ様お願い、ダドリーを──」
いかにも面倒そうな顔つきで、ぶらりとレノが足を止めた。
小首をかしげて、じっと見おろす。
怒ったかと思ったが、そうではなかった。呆れたふうでも、持て余したふうでもない。ただ眺めるように見おろしている。何を言うというでもなく。
無言の相手にたじろいで、エレーンはばつ悪く目をそらした。「──あ、あの」
「一応、伝える」
え? とレノを見返した。レノは身じろぎ、足を踏み出す。
「それ、当主に伝えてやる。だが、伝えるだけだ。期待はするなよ」
息をのんで瞠目した。
「あ、ありがとうございますっ、レノ様!」
ぺこぺこ何度も頭を下げる。これでようやく伝ができた。今にも切れそうなか細い伝だが、何もないより、ずっといい。子息との面会方法で悩んでいたが、なんとかこれが突破口になれば──!
「てことだから、戻れ、オカッパ」
え、とエレーンはたじろいだ。それは、つまり、ノースカレリアに?
困惑しきりでレノを見る。「あ、──でも、あたしはトラビアに、」
「トラビアは今、開戦中だ。女子供が気軽に行くような場所じゃねーだろ」
エレーンは戸惑い、うろたえる。「……でも……でも、あたしが行かないと、ダドリーが」
「俺の言うことが聞けないか?」
ひるんで、とっさに口をつぐんだ。
なんの躊躇もない、威圧的な物言い。あの頃と何一つ変わらない。一瞬にして引き戻される。彼が主だった、あの頃に。
とはいえ、何か釈然としない。何故、彼が首を突っこむ? 誰がどこで何をしようが、気にもかけない人なのに。
まごつき、エレーンは目をそらす。「──で、でも、レノ様、ダドが、」
「エレーン=クレスト。質問だ」
レノが軽く背をかがめ、ちら、とファレスを一瞥した。
「俺とこいつの、どっちを選ぶ」
「……は?」
「もちろん、俺を選ぶよな?」
間髪容れずに、いきなり、ごり押し。子供か。
じぃっと目を合わせられ、ぎこちない笑いで、しどもどうつむく。 「え、えっとぉ……」
そこで聞いているファレスが気になる。
「得体のしれない連中と、この先ずっと、つるむ気か?」
呆れたような声がして、どさり、と肩に重みがかかった。
ぎょっと、エレーンは振りかえる。
片腕で肩にもたれかかったレノが、ファレスの仏頂面をチラ見した。「こいつらの狙い、知ってるか」
「……さ、さあ」
「血だぞ? お前の」
一瞬固まり、追従笑い。「……は、はあ?」
「それさえ取りこみゃ、お払い箱。わかる?」
「……は、はあ」
あいまいに小首をかしげて、エレーンはしどもど愛想笑い。
少し離れて、ファレスは胡散臭そうに睨んでいる。不機嫌を絵に書いたような仏頂面だが、未だに反応のないところをみると、幸い聞こえてはいなかったようだが。
とはいえ、ファレスは短気な性格。内緒話なんかしようものなら、ただちに遠慮なく問い質すのが常だ。相手がラトキエの血縁だから、一応いい子にしてるのか?
と、思ったのも束の間、甘かった。
つかつか近寄り、ぐい、と左腕を引っぱった。
「とっとと帰るぞ! あんぽんたん!」
ああ、やっぱり案の定だ。ついに痺れを切らしたか、手加減なく引っ張られ、エレーンはわたわたたたらを踏む。
「こっち来い、オカッパ」
すかさずレノが、右腕を引っぱる。むっ、とファレスが振り向いた。
ぐぐい、と左の腕を引っぱる。「とっとと来い! あんぽんたん!」
「こっち来い、オカッパ」
すぐさま、レノも引っぱり返す。
ぬぅ、とファレスがねめつけた。
「なにしやがる! 赤頭!」
「お前こそ放せよ、女男?」
にらみ合う二人にはさまれて、きょろきょろエレーンは左右を見る。
(……ど、ど、どーなってんの?)
いきなり、モテ期到来か?
もっとも、目の前のこの二人、なにげに微妙な取り合わせだが。
それにしても、とエレーンは、主の豹変ぶりに首をかしげる。領邸で使用人をしていた頃には、こんなに馴れ馴れしくなかったはずだが。むしろ、見えてないのかと疑うほど、常に無関心で素っ気ない態度。現に、つい今しがたまで──。
ひょい、とレノが振り向いた。
て、え? 見たこともないような満面の笑み……?
「俺たち仲間だもんな。なー、オカッパ?」
「……え? え? え?」
瞬時に針が振り切れて、エレーンは口をぱくつかせる。親密度、一気に最大。
「なー、オカッパ?」
返事がないことにむっとしたのか、重ねて促し、畳みかける。
「……え、ええ、まあ」
エレーンは引きつり笑いで、冷や汗をふく。(もー。なに言っちゃってんだか……)
てか、
(どーしちゃったの? レノ様……)
誰がどこで何をしようが、一切興味ないくせに。
「……黙って見ていりゃ、やりたい放題しやがって!」
地を這うような不穏な声音に、はた、と現実に引き戻された。
そろりと左に意識を向ければ、めらめらみなぎる不穏な怒気。
(げ、ファレス……)
あわててエレーンは振りかえる。なだめる間もなく、怒声があがった。
「べたべたこいつに触んじゃねえっ!」
まなじりつり上げ、ファレスが拳を振りかぶる。
(まっ、まてまてまてーっ! 横にあたしもいるんだけどっ!?)
ひえっ、とエレーンは、とっさにしゃがんだ。
顔すれすれで空気がうなり、薄茶の残像が、真横をえぐる。
ぐい、と肩を引っかかえられた。
反射的に仰いだ視界の、左頬の首筋に、赤い髪が滑りこむ。
「……え?」
耳朶をくすぐる息遣い。エレーンは二度またたいて、その顔を呆然と見る。
肩を、レノが片手で抱いて、道ばたを面白そうに眺めていた。
そこにあるのはファレスの背。植え込みに突っ込む直前で、な!?……と前のめりで絶句している。
前傾姿勢をのろのろ起こして、ファレスが弾かれたように振り向いた。
目を見開いた驚愕顔。にやにや見ていたレノと目が合う。直後、いきり立って振りかぶった。
「てめえ!? 離れろ、赤頭!」
ひょい、とレノが飛びのいた。
とん、と軽く着地して、ズボンの隠しに両手を突っこむ。
あっけにとられて見ていると、レノが事もなげに振り向いた。
「遊民どもと、早急に手を切れ。一緒にいると、ろくなことにならねえぞ。いいな」
言うなり、あっさり踏み出した。
ぶらぶら歩道を歩いていく。まるで何事もなかったように。今の今まで取り合っていたのに。
レノにかわされた自分の手を、道端で呆然と見ていたファレスが、はっとしたように顔をあげた。
壁の前から駆け戻り、両腕つかんで、ぶんぶん揺さぶる。
「チューされたろっ! 赤頭にっ!」
「──ちゅ!?」
片頬引きつらせて、エレーンは赤面。
「そっ、そっ、そんなわけないでしょっ! なに変なこと言ってんのっ!」
焦りながらも怒鳴り返し、どぎまぎ両手を握りしめる。
レノの言葉を思い出し、エレーンは密かにうろたえた。元々気まぐれではあったけれど、何故、今、あんな気まぐれを起こすのか──。
奇妙なほどの静かさに気づいて、怪訝に連れを振りかえる。
ファレスは利き手の手の平を、眉をひそめて凝視している。
苦りきった呟きが洩れた。
「……あいつ、余裕でよけやがった」
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