■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 8話7
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テラス戸を覆うカーテンが、大きく払われ、ひるがえった。
そこから男が踏み出して、つかつか大股で歩み寄る。警備員の黒服を着た、特徴的な痩せた男だ。床に倒れたエレーンに近づき、素早くナイフを抜き払う。呆然としていたアルベールが、それを見て、はっと我に返った。「──何をする!」
「殺す」
「──な!」
とっさにアルベールは滑りこみ、倒れ伏したエレーンの頭を、あわてて腕に抱えこむ。
「馬鹿な真似はよせ! 一体何があったというんだ!」
黒服は退くよう促して、アルベールに軽く顎先をしゃくる。
「顔を見られた。生かしてはおけない」
アルベールは怪訝な顔をした。「……一体何を言っている? 彼女は振り向きもしなかったぞ」
「──お前に言っても分からない」
苛立たしげに舌打ちし、黒服がアルベールの肩を突き飛ばした。その際、エレーンを素早くもぎとり、鋭い刃を振りかぶる。
黒服が驚いた顔で硬直した。
刃を高く振りあげたまま、ガクリ、と床に膝をつく。その動きを呆然と目で追い、アルベールははっと顔をあげた。
黒服の背後の暗がりに、短髪の男が立っていた。四十絡みの屈強そうな男だ。左の耳には赤い石が光っている。
黒服が振りあげた切っ先が、近くの床に転がっていた。黒服はかたわらで身を折って、苦痛に歯を食いしばっている。首の付け根をつかんだその手は、溢れ出す鮮血に染まっている。口笛でそれを見おろして、短髪の男は苦笑いした。
「へえ、タフだな。まだ意識があるのかい。にしても、今、都会じゃ、そういう頭が流行っているのか? おじさんにはついていけねえな」
やれやれと嘆く短髪の男を、アルベールは唖然と見返した。「……君は誰だ。一体、どこから」
「ちょっと、そこの天窓からな。ご挨拶が遅れまして、ご領主様?」
薄暗い天井を、立てた親指で軽く指し、短髪の男は腕を組む。ぐったりと意識のない床のエレーンに目を向けた。
「街でこの子を見かけたから、どこへ行くのかと面白半分でついていけば、いきなり刺されそうになるってんだからな。領家ってのは物騒だねえ。まったく、びっくり仰天だぜ」
膝を付き、ぐったりとしたエレーンを、おもむろに肩に担ぎあげる。
「悪いが、この子は返してもらうぜ。この子が消えちまうと、半狂乱になる手合いがいるもんでね。──ああ、そいつ、さっさと医務室に運んでやれよ。運が良ければ、助かるぜ。じゃ、俺は、これで失礼」
肩をすくめて、こともなげに踵を返す。
戸口を振り向こうとしたその刹那、短髪の男が、びくり、とすくみあがったように動きを止めた。
ややあって、肩に担いだエレーンごと、どさり、と床にくず折れる。はっと、アルベールは顔をあげ、相手の顔を凝視した。「……一体何がどうなっているんだ。いや、何故こんな手荒なことを」
「こいつが誰だか知っているか?」
戸口の前の暗がりに、ひっそり佇む影があった。それは鉄の棒を弄び、短髪の男の肩を蹴る。
「レッド・ピアス。その筋じゃ有名な殺し屋だぜ。こいつをこのまま巣に帰せば面倒だ。仲間が大挙して報復にくる。つるむしか能のない連中にとって、仲間ってのは全てだからな。だが、変だな。この手の物騒な仕事からは引退したって聞いたがな」
床に倒れた短髪の男は、眉をひそめて目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。それを見おろす、かの者の髪は赤い。アルベールは嘆くように額をつかむ。「いくらなんでも乱暴だろう! お前といい、お前が連れてきたそいつといい」
「災いは速やかに排除する──政務を仕切る鉄則だぜ。お前は当主になったんだろう?」
短髪の男を眺めおろして、薄い唇で影は笑う。
「持って帰られちゃ困るんだよな」
影はぶらぶら足を運び、ランプが照らす灯りの中に、その姿を現した。それは戸外にいた「闇」だった。 懐を探って煙草を取り出し、闇は薄笑いで一本をくわえる。
「このところ、奇妙なことが立て続くな。砕王が出頭したかと思ったら、今度はレッドピアスかよ。こいつらとは事を構えたくねえんだがな」
床に倒れたエレーンを、闇は薄笑いで見おろしている。それと同様彼女を見やって、アルベールは服を払って立ちあがった。「──どうしたものかな」
「まあ、しばらく拘禁が適当だろうな」
アルベールは驚いて見返した。
「彼女を監禁するというのか? 何を言っているんだ。相手は公爵夫人だぞ!」
「そう、いかにも公爵夫人だ」
闇は事もなげに肩をすくめた。
「そんなものがトラビアくんだりに乗りこんでみろ。これまでの苦労が水の泡だ」
「──しかし」
たじろいだように言い淀み、アルベールは視線をめぐらせる。「ここに彼女を閉じ込めるのか? いや、だが、ここは──」
「元々立入禁止だからな、都合よく」
含みを持たせて小さく笑い、闇は人差し指で戸口をさす。「よって、お前は、母屋に戻れ」
アルベールが面食らって振り向いた。
「──だが、その男の方は」
「こいつは、こっちでどうとでもする」
床に転がった短髪の男を、闇は目線で軽く指す。
「どうとでもするって、どうするつもりだ」
「お前は知らなくていい」
尚も言い募ろうとするアルベールに、闇はうっすらと笑いかけた。
「ご領主様は、きれいな体でいるもんだ」
アルベールが別棟を出て行くと、闇は足元の床に目をやった。
「動けるか? ジェリオ」
「……ち! なんでもねえよ、こんな傷」
うずくまった床の上から、ジェリオと呼ばれた黒服が、顔をしかめて膝を立てる。
「いい様だな」
「──うっせえな! ちょっと油断しただけだろ。天窓から降ってくるとは、まさか、こっちだって思わねえよ」
飾り棚にかかった白いクロスを忌々しげにつかみとる。それで首の出血をぞんざいに押さえ、舌打ちして立ちあがった。「この女、手元に置いていいのかよ。あの女男が取り戻しにくるんじゃねえの?」
「それはねえだろ。これがここにいることは、あの単細胞は知らないはずだ。あれにはオモチャをあてがっておいたからな」
ジェリオは薄気味悪そうにエレーンを見おろし、床に転がった先のナイフを苛立ったように引っつかむ。
「いっそ始末しようぜ、この女!」
紫煙を吐いて、闇は嘲笑った。
「お前はこれが気に入らないらしいな」
ジェリオはもどかしげに舌打ちする。「なあ! 始末しようぜ! 後腐れがない!」
「駄目だ」
一蹴されて、ジェリオは怯んだ。平然とした闇をねめつける。「なんでだ! 知り合いだからかよ!」
「そんなに怯えなくてもいいだろう?」
「なんだと!? 誰がこんな女に──!」
闇はけだるそうに首を回した。
「始末するより、よほど有効な使い道がある」
「……使い道?」
面食らったように復唱し、ジェリオは胡散臭げに目をすがめた。ふぅ、と闇は紫煙を吐く。
「しかし、意外だったな、クレストの腑抜けがなびかねえとは。ディールに襲われたその後で、助けてやると囁けば、諸手をあげて街を明け渡すと踏んだんだがな。ディールが血迷って北上した時、クレストはそういや、ロムを盾に使っていたが──あー、さてはあの次男。何か妙なものを飼ってやがるな?」
合点したようにくつくつ笑い、棚に置かれた飾り皿に、長くなった灰を落とす。怪訝そうなジェリオに構うことなく、闇は短髪を肩に担いで、薄暗い戸口に足を向けた。
「ともあれ、レッドピアスを片付けるか。女の監視はお前がしろ。トラビアの方の片がつくまで、この別棟から一歩も出すな。ああ、それから──」
ふと気づいたように足を止め、肩越しにジェリオを振り向いた。
「いいか。くれぐれも殺すなよ? これは大事な駒だからな」
陽は、とうに暮れ落ちた。
報告を済ませ、とりあえず戻った件の路地は、ひっそりとして人けはなかった。宿の窓にも、依然として灯りはない。
ザイとセレスタンは苛々紫煙をふかしていた。こちらに駆け寄る者はないかと、じりじりしながら目を凝らすも、本部の指示は未だない。
「……頭(かしら)捕まらねえな、とうに着ているはずなのに」
「久しぶりのでかい街だ。今頃どこぞで飲んでんだろ」
二階の窓を眺めやり、舌打ちして紫煙を吐き、ふと、ザイは目を戻した。
建物の立てこむ薄暗い路地を、ぶらぶら人影が歩いてきていた。セレスタンも何気なくそれに目をやる。足取りも軽い相手の姿が、街灯で不意に露わになり、二人は息を飲み、目をみはった。
「副長!?」
セレスタンは絶句したまま、相手の後ろの宵闇に、わたわた視線をめぐらせる。ザイが唖然と見返した。
「……戻って、きたんスか」
ファレスが憮然と足を止めた。
「あんだよ。俺が戻っちゃ悪りぃかよ」
ザイはしばらく絶句して、事態が把握できないままに、やっとのことで口を開いた。「──いえ。今まで、どこ行ってたんです?」
「おう、それがよ」
今来た道を、ファレスは舌打ちで振りかえる。「あの赤頭、俺の顔見て嘲笑いやがってよ!」
「赤頭?」
腑に落ちない面持ちで、セレスタンは腕を組む。
「いや、そんな目立つ奴は、付近には一人もいませんでしたよ」
ファレスは焦れて舌打ちした。「この辺じゃねえよ、市場通り辺りだ」
「そんな遠くじゃ、顔なんか見えやしないんじゃ?」
ファレスの言う市場通りは、どちらかといえば正門寄り、街の北寄りにあるこの宿からは、そこまでいささか距離がある。顔など見分けられる距離ではない。だが、ファレスは憮然と言い返した。
「いいや! 絶対嘲笑いやがった! あんの野郎、何度も何度もおちょくりやがってよっ!」
「……で?」
反論しかけたセレスタンを、ザイはそつなく押しのける。おう、とファレスが目を向けた。
「あのムカつく野郎を一発ぶん殴ってやろうと思ってよ。だが、市場通りで捕まえてみりゃ、どういうわけだか、別の赤頭に化けててよ」
突然肩を引っつかまれて怯えた市民を思い出したか、ファレスは面白くなさげに舌打ちする。ぼそっとセレスタンが呟いた。「ほ〜ら、見間違いじゃないっすか〜」
ぎろり、とファレスがねめつけた。
「あの時は確かに、くそ忌々しいあの野郎だったんだよっ!」
ザイは首をひねって目を向ける。「で、そいつを取り逃がしたってのに、なんでそんなにご機嫌なんです?」
「──おう、それがよ。なんか今日はツイてんだよ」
セレスタンの首根っこつかんだ手を止め、ん? とファレスは振り向いた。
得意な顔で話して聞かせたところによれば、別の赤頭をとっ捕まえて腐って引き返そうとしたところ、少し戻った街角で、妖艶な美女がにっこり手招きしていたのだという。そして、すぐさま意気投合、近場の宿にしけこんだという次第。
へえ〜……と思わず身を乗り出していたセレスタンは、大きな嘆息で脱力した。「……なんだ。つまりは娼婦じゃないすか」
ああん? とファレスは振りかえり、白けた顔に首を振る。「んなわけねえだろ、普通の服だぞ」
「どうにでもなるでしょ、服なんか」
「──わかってねえな、つるっぱげ」
ファレスは嘆かわしげに首を振った。
「いいか、よく聞け、つるっぱげ。面倒くせえ田舎女と違ってよ、都会の女ってのはそういうもんなんだよ。割り切ってんだよ。垢抜けてんだよ。なんかこうさばさばしてんだよ。お前も田舎女ばっか追っかけてねえで、ちったあそーゆーの勉強した方がいいぞ?」
哀れむようなまなざしで、セレスタンに言い聞かせる。
先日散々な目にあったその顔は、雪辱を果たして何やら得意げ。そして、昼に見たナンパの光景が、頭にこびりついて離れないらしい。
珍しいものでも見るようにザイはつくづく見ていたが、きりのいいところを見計らい、ひょい、と顎を突き出した。
「で、副長。その女に金は?」
「払ってきたに決まってんだろ」
至極当然とうなずくファレス。
はあ……と二人は脱力した。ファレスは憮然と腕を組む。
「あんだよ。たりめえだろ。相手は赤の他人なんだからよ。まさか無料ってわけにもいかねえし。それじゃ、いくらなんでも失礼だろ。だいたい街の南の方じゃ、金とって商売してんだぞ」
価値に見合った代価を払う、それで道理が通せると固く信じて疑わないらしい。
呆気にとられて絶句していたセレスタンが、げんなり脱力、額をつかんだ。「……副長、その認識、改めた方が身の為すよ」
「なんで」
「そんなことやってんから続かないんすよ、どの女とも」
「──どうでもいいだろ、んなことは」
「その内刺されますよ、後ろから女に」
む、とファレスは口を閉じた。ちょっと身に覚えがあるらしい。
ザイは煙草をくわえて、顎を動かす。「で、なんて名でした? その女」
「なんで、んなこと訊くんだよ。あ、てめえも会いにいく気だろ!」
「調べてみますよ、念のため」
視線で答えを促され、ファレスは身じろぎ、腕を組む。
しばし、そのまま考えて、苦々しげに舌打ちした。「……なんだっていいじゃねーかよ、名前なんかよ」
ザイは軽く嘆息する。
「もう覚えてねえんスか。じゃ、どんな顔してました?」
む? とファレスは斜め上に視線をやった。
「どんな顔って、そりゃおめえ……」
思案顔で顎を撫でる。「だから、すっげえ上玉だよ。乳がばーんとでっかくて、腹がきゅっと締まってて、ケツなんかもうぷりっぷりで──」
「つまり、顔も覚えてねえんスか。今の今まで一緒にいた相手スよ?」
呆れ果ててファレスを見る。セレスタンにいたっては、既に軽蔑のまなざしだ。
ファレスは苦々しく頬をゆがめる。「そんなことより、お前ら、さっきの態度はなんだ。なんで、俺見て驚いてんだよ」
ようやく話が元に戻る。
ファレスに視線で促され、ザイはためらい、セレスタンと目配せした。だが、すぐに嘆息しながら向き直る。「俺はてっきり、駆け落ちしたんじゃねえのかと」
「駆け落ちィ? 誰と誰が」
「ですから、客と副長が。手に手をとって、どこぞへと」
「……頭は平気か?」
ファレスはまじまじとザイを見た。
「なんで俺が、んなことしなくちゃならねえんだ」
猫が鼠を追うがごときに天敵を街中追っかけまわし、あげくスカをつかんで街娼とよろしくやってきた男には、事態がさっぱり飲みこめないらしい。
二階の暗い窓を仰いで、ザイは溜息まじりに目を戻した。
「客が部屋から消えました」
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