CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 8話9
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 石畳の目抜き通りを、荷馬車がガラガラ行きすぎる。
 そして、一台が通り過ぎたすぐ後を、また別の一台が。人足風の男たちが群れをなして歩道を行き交い、通りに居並ぶ店舗の壁では、店員が飾り付けに余念がない。品が次々運び入れられ、息を吹き返した店主たち。店先を冷やかす観光客の親子連れ。
 街に賑わいが戻りつつあった。カレリアの建国記念日──ミモザ祭が近づいているためらしい。
 建物が作る歩道の日陰を、ザイはぶらぶら歩いていた。行き交う人々に視線をめぐらせ、曲がり角で足を止め、降りしきる真夏の日ざしに目をすがめる。賓客が消えたあの晩から、既に三日が経っている。
 ラトキエ領邸・使用人寮に出向いた副長の当てが大きく外れ、客の行方不明が確定した。それに伴い、ウォードを捜索していた特務班が、急きょ彼女の捜索に割り振られ、それに鳥師らも加わって一大捜査網を展開している。だが、はかばかしい成果はあがっていない。
 失踪の連絡を受けるや否や、ロムは一斉に街に出た。そして、商都中の店という店を片っ端から虱潰しにあたり、これまでしつこく仕掛けてきていたジャイルズらがたむろす場末の酒場に踏みこんだ。だが、このレーヌを根城にするならず者は、これまで適当に受け流していたロムたちに一転手荒く締め上げられて、すっかり萎縮し、首を横に振るばかり。配下の仕業であるというなら、さらった仲間を突き出してでも命乞いをしそうな面々だが、そうした気配も一切なかった。
 客はトラビア行きを望んでいたが、西方方面の乗合馬車は、こたびの戦の影響で運行を未だ凍結しており、客は一人では馬にも乗れない。とはいえ、単身街を出、北へ戻ったとも考えにくい。つまり、客はまだ、商都もしくは近隣にいるということだ。ジャイルズらでないというなら、それとは別のごろつきだろうか。
「あ! 見ぃぃっけ! おんなおとこっ!」
 街角を曲がる足を止め、ザイはそちらを振り向いた。甲高い声が呼んだのは、聞き覚えのある件の愛称。だが、尋ね人の声とは質が違う。
 いささか怪訝に、声が聞こえた通りの先へと視線を向ける。案の定、見覚えのある男が歩いていた。黒のランニングに迷彩パンツ、背中を覆う薄茶の長髪──副長ファレスその人だ。間をおかず、通りの右手の街角から、華奢な人影が駆け寄った。肩の辺りで波打つ髪、領邸使用人のメイド服姿の小柄な女。商都に着いたあの初日、正門門前で尋ね人と消えた、「リナ」とかいう名の尋ね人の友人。
 足を止め、ファレスが肩越しに振り向いた。
「なんの用だ、おかちめんこ」
 そちらを一瞥しただけで、ぶっきらぼうに歩き出す。
 リナはたじろいで立ち止まり、あたふたあわてて追いかけて、ファレスの顔を盗み見る。「え、えっとー、あのー……エレーン、戻ってきた?」
「まだだ」
 ファレスはつっけんどんに一蹴し、眉をひそめて苦虫噛み潰した顔つきだ。けんもほろろの反応に怯んだ相手に構うことなく、鬱陶しげに歩き出す。
 リナは一拍遅れて我に返り、あわててファレスに駆け寄った。ファレスは不機嫌を絵に書いたような仏頂面。
「どこまで、俺についてくんだよ」
「──べ、別にっ!」
 このにべもない言い草には、さすがに、むっとしたらしく、困惑顔で盗み見ていたリナは、ぷい、と腕組みでそっぽを向いた。
「あたしはほら、アレ買いにこっちに来ただけよ。ほら、あのイカ焼きを買いに」
 道ばたで香ばしい匂いを振りまく屋台に「ほらほら、あそこにあるでしょー?」と指をさす。
 ファレスはにこりともしなけりゃ、目もくれない。だが、リナはめげずにファレスを覗く。「ねえ、ちょっと、そこまで付き合ってよ」
「なあんで俺が、てめえの買い物なんぞに付き合わなけりゃならねえんだ」
 いかにも苛立った面持ちで、ファレスがうるさげに言い捨てた。眉をひそめ、かなりピリピリきている様子。
 だが、ファレスに何か用でもあるのか、リナはまだ引き下がらない。相も変わらず、うろうろファレスにまとわりついて、少し後ろを無言でついて歩いている。だが、二区画ほども歩いたところで、空気の重さに辛抱できなくなったらしい、ぱっ、と街角を指さした。
「あー見て見て! あの娘すんごい足きれい!」
 くる、とファレスがそちらを見た。むぅ、とリナは口の先を尖らせる。
「なに見てんのよ」
「なんでもねえよ」
 すぐさま憎々しげに言い返し、ファレスは、ぷい、と忌々しげに踵を返す。リナが腐ってファレスの背中を引っ張った。
「ねえねえねえ〜! ちょっと、どっかのお店に入ろーよー。あたし、ちょっと話あるしー。ねえってばー。聞いてるー? 女男〜!」
「おい、よく聞けよ、おかちめんこ」
 歩行の肩をぶらりと止めて、ファレスが肩越しに一瞥した。
「俺をそう呼んでいいのは、あの阿呆だけだ」
 びくり、とリナがすくみあがった。
 ファレスはすげなく踵を返し、凍りついた相手に構うことなく、足をぶん投げ、歩き出す。もう、リナには見向きもしない。
「──あーあー、しょうがねえな、あの人も」
 ザイは小さく嘆息し、棒立ちのリナに駆け寄った。
「あー大丈夫大丈夫。恐くない恐くない」
 すくんだ肩を軽く揺すってなだめてやると、リナが飛びあがって振り向いた。びくびく引きつった顔は涙目。不機嫌な睥睨をまともに食らい、度肝を抜かれたものらしい。
「すいませんねえ、こんな堅気のお嬢さんに」
 やれやれと頭を掻いて、ザイはファレスに視線をやる。リナはばつ悪そうに目をそらし、ぎくしゃく二の腕をさすっている。
「今、副長を構うのは、よした方がいいっスよ。気が立ってるようスから」
 去りゆく長髪の背を眺め「近頃丸くなってきたと思ってたんですがねえ……」としみじみぼやく。ふと、リナが顔をあげ、怪訝そうに小首をかしげた。
「"副長"って?」
 予期せず呼び名を聞き咎められ、ザイはとっさに返答に詰まった。呼び慣れた肩書きが口をついてしまったが、素性を明かして追及されても面倒だ。しばし考え、リナを見た。
「ああ、いえ、あの人のあだ名っスよ」
 ピンと指を立て、にっこり笑う。
 リナが面食らった顔でまたたいた。いささか引き気味のゆがめた顔に(変なあだ名……)と正直な感想が書いてある。
「あなた、エレーンとはどういう関係? いつも周りをうろついているけど」
 若干あとずさりつつ、リナは警戒のまなざしだ。
「もしかして、ストーカーとか」
「ハズレです」
 ザイは即答、顎を出す。
「だったら、あの子のファンクラブとか?」
「はい。何を隠そう、わたしは会員番号なな番です」
「……まじで?」
 リナは実に嫌そうな顔で身を引いた。
「うちの頭(かしら)──いえ、上司から渡された番号札に確かそう──ほら、書いてあるでしょ? "なな番"て」
 素早く背を向け、ね? と紙札を見せるザイ。そこには適当この上ない「7」の走り書き。
 手製の紙切れをまじまじ眺め、リナは疑わしげに腕を組む。「……それ、今、自分で書いたとかじゃなくってぇ〜?」
 はた、と何かに気づいたように見返した。
「もしかして」
 自分の顎を二指でつかんで、じぃ、とザイの顔を見る。
「あなたが"鎌風のザイ"?」
 ザイは面食らって見返した。
「──誰から聞いたんです? そんな名を」
 だが、絶句して呟いたそばから「……あ、いいスいいス。わかりました」とげんなり嘆息、片手を振る。そんなことを言い触らす奴は、世の中広しといえども件のお喋り一人しかいまい。そして、どういう特徴で特定したのか不明だが、どうせ、ろくでもないことを吹き込んでいるに違いない。リナはにんまり笑みを作って、頬の横で手を組んだ。
「あなたの噂はエレーンからかねがね! あの! サインしてください!」
「すいませんねえ。生憎そういうのはやってねえんで」
 リナに合わせて背を屈め、ザイは片手で頭を掻いた。リナはめげたふうもなく、浮かれた調子で畳みかける。
「なら握手してくださいっ!」
「はい」
 ひょい、とザイはリナの手を取る。
「おや。左利きスか」
 珍しいスね〜、とにぎにぎし、リナの不自然にゆがんだ顔を見た。
「で、なんのご用でしょ」
 ひくり、とリナが実にわかりやすく引きつった。
「何か、急いで伝えたいことがあるんじゃないスか?」
「……え……あ、えっと、その……」
 たちまちあわてて口ごもり、リナは目をそらして苦渋の面持ち。
「それで、ろくに面識のない俺なんかと、いきなり仲良くなろうとしたんでしょ?」
 そう、興味があるとも思えないのに、身元をしつこく確認したくらいだ。
 リナはばつ悪そうにうつむいた。何か言いにくい話があるようで、もじもじ二の足を踏んでいる。やがて、ためらいつつも、そろり、とザイに目をあげた。「……あ、あの〜、ちょっと内緒の話なんだけどぉ〜」
「はい」
「ここんとこ、エレーン、見てないでしょ? それで、もしかすると、って話なんだけど」
「はい?」
 実に言い難そうな笑顔を作り、リナは頬を引きつらせる。「それ、ちょおっと心当たりがあったりするかも……」
「てぇと? つまりはどういう話です?」
 ザイは小首をかしげて、腕を組む。
「──だ、だから〜」
 リナは後ろ暗そうに目をそらし、(言おうかやめようかやっぱ言おうか……)と悶々と悩んでいる様子。しばしそうして行きつ戻りつ、ぱっ、と顔を振りあげた。
「あっ、う、ううん! いいの! なんでもない! 今のは忘れて? じゃあこれで!」
 止める間もなく、脱兎のごとくに駆けていく。
 逃げ去るメイド服を唖然と見送り、ザイはやれやれと嘆息した。上着の懐を片手で探って、空を仰ぐ。
「もうちょっと、喋るんじゃねえかと思ったんだがなあ……」
 何か知っているふうだったが、ここは商都の街中だ。罪もない一般市民を尋問するわけにもいかない。煙草をくわえ、点火して、再びぶらぶら歩き出す。
 そこからいくらも行かない内に、「──あの」と声が街角からかかった。
 馴染みのない女の声だ。間をおかず駆け寄る人の気配。ザイは怪訝に振り向いた。生真面目そうな茶色の瞳が、じっと顔を見上げている。
「妹が伺ったと思うんですが」
「──ああ、あの騒がしいお嬢さんのお姉さん?」
 ザイは合点して、紫煙を吐いた。表情で大分印象が違うが、顔の造作はリナと同じ、つまり、彼女は双子の姉、ラナという名の片割れの方だ。
「で、そのお姉さんが、俺になんのご用でしょ」
 ずい、とラナは大真面目に顔を寄せた。
「情報、欲しくありません?」
「欲しいスねえ」
 良からぬ企みの密談のごとくに、ずい、とザイも顔を寄せる。
「でも、なんで、よく知らない俺なんかに? あんたなら副長の方が親しいでしょうに──」
 言いかけ、ザイは気がついた。今の副長は不機嫌で、近寄れないに違いない。あれでは、部下だって裸足で逃げる。
 誰にも言わないって約束してもらえますー? とラナはせかせか強要し、辺りを素早くきょろきょろ見まわし、顔を振りあげ、声を落とした。
「実はあたしたち、作戦を立てたんです!」
「──作戦ねえ」
 ザイは思わず苦笑いした。「そいつはずいぶん勇ましいこって」
「真面目に聞いて! エレーンがいなくなったのは、もしかして、そのせいかもしれないんです!」
 拳を握って食ってかかり、もどかしげに言い募る。ザイはおもむろに一服し、「じゃ」とラナに向き直った。
「聞かせてもらいましょうか、あんたらが立てた作戦とやらを」
 
 建物の日陰の壁にもたれて、ザイは夏空に紫煙を吐いた。そんなもんだろうな、と苦笑いしつつ、異民街の本部へと足を向ける。ラナは大真面目で打ち明けてくれたが、彼女の言う「作戦」とやらに目新しい情報ネタは特になく、その大半は既につかんでいた情報だった。
 あの客が領邸に潜入する際、自分たちも加担した、とラナは潔く白状した。だが、客の領邸侵入については、領邸担当の下回りがそれを目撃、報告した為、すぐさま副長が引っ張り戻し、既に事なきを得ていたし、客が侵入した目的についても、凡その見当はついていた。要求は無論、アドルファスの身柄の釈放だ。
 それはロムたちも知っていたが、彼女一人で何ほどのことができるかと重きを置いてはいなかった。むしろ、件のレーヌのならず者を街中で見かけていた為に、拉致誘拐の方向で躍起になって捜索していた。だが、ラナの話を聞く限り、客は未だに領邸に固執していたらしい。
 件のアドルファスの釈放については、手配はとうに済んでいる。今更直訴に及んだところで何の収穫もありはしないが、それを客が知る由もない。ならば、尋ね人の居る場所は
「──領邸ねえ」
 目をすがめて、ザイは呟く。つまみ出されたその日の内に再度潜入を試みるとはいささか性急に思えるが、探し求めた問いの答えは、意外にも、遠くを眺める足元に転がっていた、ということらしい。
 だが、そうした感触の一方で、ラナが言うには、日常業務をこなすかたわら、邸内の部屋部屋を手分けしてさりげなく調べてみたが、不審な点は見当たらない、とのことだった。
 クレスト夫人の領邸侵入が発覚すれば、上を下への一大事だが、そうした話はついぞ聞かない。一番身近であるはずの領邸使用人の間にも、一切何も伝わっていない。潜入が発覚したのなら、どこにも動きがないというのは、そこはかとなく奇怪な話だ。
 ちなみに、ラナがもたらした情報の内、ラトキエの当主が代替わりしていた、という一点だけは、耳聡いザイも初耳だった。前当主が重病に倒れ、急きょ嫡男が当主の座を継いだという。鳥師の情報網にも引っかからなかったところをみると、この話は一部の関係者と、邸主の世話をする使用人くらいにしか知らされていない、いわゆる内々の話であるらしい。もっとも、今は平時ではない。領主の交代を不利と判断、公表はしばらくさし控える、というのも無理からぬ措置ではあるだろう。
 鈍い日のさす午後の部屋には、苦虫噛み潰した副長ファレスと、召集をかけられ、街から戻った特務の面々が詰めていた。
 その視線を一身に集めて、窓辺のケネルにザイは続ける。
「場所は特定できません。領邸内の関係者にも、不審な様子はないようで──」
 腕組みで壁にもたれ、苛々報告を聞いていたファレスが、つかつかザイに歩み寄った。
「てんめえ、くそザイ! なんでしっかり見ていねえ!」
 突如、拳を振りかぶる。
 気負いすぎた拳をかわして、ザイは相手の肩を荒々しく引っつかむ。ファレスに顔を振り向けた。
「お守りはあんたの仕事でしょうが!」
 壁で見ていた一同が、呆気にとられてザイを見た。いつも涼しい顔をした冷静沈着なザイにして、珍しく剣呑な激昂だ。そうとう苛ついていたらしい、と密かに目配せした刹那、ザイが低く詰め寄った。
「副長、あんた、しばらく外れてくれませんかね」
「──あ?」
 血相を変え、ファレスは胡乱にねめつける。ザイはきっぱり言い放った。
「今のあんたは足手まといだ」
「──おもしれえ。こいよ、こらァ!」
 不穏に毒づき、ファレスが素早く床を蹴った。
 ザイを壁に叩きつけ、すぐさま激しくつかみ合う。一気に緊張が張りつめて、一同あわてて駆け寄った。数人がかりでどうにか二人を引き離し、窓辺で佇む隊長に、困惑気味の目を向ける。
 窓辺で思索に耽っていたケネルは、やれやれと嘆息して目を向けた。
「おい、落ちつけ、二人とも。もめている場合じゃないだろう」
 体当たりするような音がして、部屋の扉が押し開かれた。
 すぐに、セレスタンが駆け込んで、ケネルに顔を振りあげる。
「頭(かしら)の意識が戻りました!」
 
 同行していた調達屋の機転で、バパは辛くも一命を取り留めたとのことだった。
 邸内を漁っていた調達屋が、脱出しようとした折に、麻袋を担いだ人影が夜更けに焼却炉へ向かうのを別段不審に思わなければ、広大な敷地内から運び込まれる日々の大量のごみくずと共に、生きながらにして焼かれていたことだろう。
 バパは、宵の街をかけ急ぐ彼女の姿を不審に思い、一緒に飲み歩いていた調達屋と、ラトキエ領邸に潜入した。きらびやかな領邸を目の当たりにし、財物収集の虫がうずき出した調達屋とは、人けなく薄暗い裏庭で別れ、バパは単身彼女を追って、別棟の屋根に身を沈めた。そして、天窓から見聞きした一部始終──。
 生傷も痛々しい寝台のバパから、当夜の出来事のあらましを聞き、ケネルは苦笑いに頬をゆがめた。
「──まんまと、あれに出し抜かれたな」
 その軽い自嘲には、「移動の足」として彼女に使われ、商都に着くや否や乗り捨てられた、との皮肉な含みもあるかもしれない。横たわった寝台で、バパが弱々しい微笑えみを向け、腫れた頬をふてぶてしくゆがめた。
「どうする、隊長。領邸の警備は厳重だぜ?」
 腕を組んで窓辺にもたれ、ケネルは無言で方策を練る。
 当夜のやり取りを目撃したパパが、一同に語ったところによれば、彼女は子息との面談中、突如床にくず折れた。原因については不明だが、その直後、物陰に潜んでいた黒服が現れ、あわや殺されそうになったという。
 黒服は子息の制止を振り切って、彼女を亡き者にしようとした。経緯に不審な点があり、黒服の動機も不明だが、この黒服は警備員にしては凶暴で、奇妙なことに、雇い主であろうはずの子息の命にさえ従わない。黒服の狂人まがいの言動に危険を感じ、バパはこれに深手を負わせて排除したが、後ろから何者かに襲われた。それは子息と話した矢先のことで、どうやら部屋にはもう一人、仲間が潜んでいたらしい。
 当夜、客が子息と面会した裏庭片隅の別棟というのは、情報を持ちこんだ領邸使用人のラナが漏らしたところによれば、裏庭の一部の木立を払って無理やり設えたような建物で、広大な敷地の南に位置し、門衛の立つ正門からも、大勢が行きかう母屋からも、領邸敷地内の凡そどんな建造物からも、遠く隔たった場所にある。二年前、そこで起居していた娘が病で他界して以来、長らく封鎖されているため、清掃を受け持つ使用人でさえ、めったなことでは近寄らない。よって、瑞々しい木々に埋もれたこじんまりとした別棟は、俗世とは隔絶された保養地のように静まりかえり、昼でもおよそ人けがないという。
 要するに、虜囚を監禁するには打ってつけ。それを門衛に見咎められる危険を冒してまで、わざわざよそへ運び出そうとするとは考えにくい。恐らく、彼女はそこだろう。
 別棟に潜んでいた黒服の仲間が、黒服と同じ凶暴な性格の輩であれば、事態は予断を許さない。だが、彼女の身柄を奪還すべく真正面から乗り込んだところで、ラトキエは引き渡しに応じない。そもそも、公爵夫人の監禁自体を、領邸が認めるはずがない。領邸が捕えていることはバパの証言から明らかだが、別棟に踏みこみ、彼らを捜査する権限はない。無論、武力を以ての正面突破は論外だ。
 開け放った無風の窓から、通りの物音が遠く微かに入りこんだ。
 西日さしこむ仄暗い部屋には、重い沈黙が淀んでいる。ある者は影になった壁にもたれ、ある者は卓に腰をかけ、ある者は目をすがめて窓辺を眺め、一同、思い思いの体勢で、無言で指示を待っている。
「──あいつを、使う」
 やがて、ケネルは目を開き、身じろぎ、一同に目を向けた。淡々と説明し、西壁の男に目を向ける。「ファレス」
「おう」
 腕を組み、壁で床を睨んでいたファレスが、目だけをケネルに振り向ける。
「早急に奴と連絡をとり、日時、段どり等、調整しろ」
「了解。隊長」
 おもむろに目を向けた一同を、ケネルは鋭く見渡した。
「預かり物を取り戻せ」
 
 
 
 
 

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