CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 8話14
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 四角く切りとられた月下の戸口に、男がひとり立っていた。
 肩までの髪の輪郭を、逆光が薄茶色に縁どっている。月あかりに浮かびあがる痩せた体、革のジャンバー、さらさらした長い前髪。
 エレーンは拍子抜けして動きを止めた。
 そうか、と不意に合点する。天窓から落ちてたきたあのナイフは、あの彼の持ち物か。彼が屋根の上に登って──男がゆっくり両手をあげた。
「降参」
 エレーンは二度またたいて、唖然と戸口を見返した。
 この切羽つまった緊急時に一体なんの冗談だ? いや、そんなことは、どうだっていい。震える声で問いかけた。「……なんで、いるの?」
「護衛スから」
 エレーンは鋭く息を呑んだ。
 胸が詰まって唇を噛む。こんな台詞をぬけぬけと言うのは、自分が知る限り一人しかいない。そう、懐かしくも頼もしいこの言葉。どんなにどんなに待ったか知れない! 
 よろめく足が前に出る。我知らず顔がゆがんで、吸いこまれるようにして踏み出した。「ザ──!」
「はい、そのままでー」
 ずい、とザイが五指を広げて突き出した。
「……へ?」
 顔をゆがめた涙目のままで、エレーンはじたばた足踏みした。こっちに来るなと言っている? とりあえずしがみつきたくて、うずうずしてる。なのに何いじわるしてんだかこのキツネはてか一体なんなのだこのキツネはー!?
 制止した手をおもむろに下ろし、ザイは敷居をまたいで踏み入った。
 二人の間の数歩の距離をザイは殊更にゆっくり歩き、エレーンの右の手首を押さえる。上背の陰になった闇の中、上になった左手をどけ、強ばった指を一本一本、剥がすようにして外していく。人さし指、なか指、くすり指──
 ゴトリ、と"それ"を床に落とした。
 重みのある金属音。月あかりの薄闇で、刃が光を放っている。今しがた縄を切ったあのナイフ。
 手から刃をもぎ取って、ザイが改めて向き直った。
「遅くなりまして」
 声もなく、エレーンは唇をかみしめた。涙が止めようもなく頬を伝う。その顔を凝視して、上背のあるその首に、床を蹴って抱きついた。「──ザイぃっ!」
「おや、感激スねえ。そんなに喜んでもらえるとは」
 ザイは片手で抱えとり、ひょい、と視線を胸元におろす。
「今日はばかに素直じゃねえスか。なんかこう、ヤッパ向けられたとこまでは、まあ、想定内って感じでしたが」
「今、そーゆーこと言う?」
 この感動的な再会シーンで。
 すっかり水をさされてしまい、エレーンは口をとがらせた。しがみついた手を放し、すとん、と背伸びのかかとを下ろす。
「いつもこうだと助かるんスけどねえ」
 しみじみ感慨に浸っていたザイが、ふと、自分の左手に目を落とした。怪訝そうに中指を見、親指の先でぬぐっている。面食らった顔で振り向いた。
「怪我、してるんスか?」
 今しがた切った手を、エレーンはわたわた背中に隠した。えへへと何気に照れ笑い。「あっ、これは、その〜……さ、さっき、ちょっと、やっちゃって〜」
 ザイは怪訝そうに目をすがめ、薄暗い室内を一瞥した。その視線が足元で止まる。月あかりが照らす板床に、切れた縄が落ちている。
「──自力で逃げようとしたんスか」 
 呟き、懐から布きれを出した。それを無造作に振り広げ、エレーンの血に染まった右手をとる。
 とっさにエレーンは身を引いた。だが、前髪の下の横顔は、たじろぐ相手に構うことなく、無言で処置を施していく。
 恐々ザイに手を預け、エレーンはしどもどうかがった。「……あ、あのー、ありがとね」
あと一歩、、、、でしたね」
 愛想笑いで顔が固まる。何が?
「はい。済みましたよ」
 そつなく処置した手を放し、ザイは親指でドアを指した。
「その扉あけて外に出ていりゃ、今ごろは晴れて自由の身」
 そうか、とエレーンは今更ながらドアを見た。本当に、あと一歩のところ。それで自力での脱出が叶っていた。
「もっとも」
 くるり、とザイが振り向いた。
「門番に捕まらなけりゃの話ですが」
 そこから先が問題スけどね、と事もなげに首をまわす。
 むう、とエレーンはふくれて見た。はた、と気づいて、戸口のドアに目を戻す。「でも、ここの鍵はどうやって開けたの? 鍵なんて持ってなかったでしょ?」
「初めから開いていましたよ、こっちのは」
「……こっちのァ?」
 言葉尻を聞き咎め、エレーンは疑わしげに眉根をよせる。つまり、どっか他にも忍び込んできたのか? 
 果たしてザイは、北の方角へ顎をしゃくった。
「構内に入る時にも、裏木戸あけて入ったんで」
「なんで知ってんのよ!? 裏木戸が使えること!」
 ぎょっとエレーンは瞠目した。てか、勝手に鍵あけて入ってきたのか!?
「そういや、あんたは知りませんでしたっけね」と、ザイは身じろぎ、腕を組む。
「あんたがとっ捕まった晩、うちの頭(かしら)、街で調達屋と飲んだくれていましてね。あわてて走ってくあんたを見かけて、面白半分で後つけて」
「え゛え゛え゛?」
 エレーンはあんぐり瞠目し、絶句で口をぱくつかせる。まさか親父どもを引きずって街を駆けていようとは──。忍び笑いで後を追う酔っ払いどもが脳裏をよぎる。
「で、あんたが裏木戸から入ってから、その鍵、ちょちょい、と調達屋があけて」
「……あけたんだ」
「あの人、大抵の鍵はあけますから」
 もっともらしく、ザイはうなずく。
 ぬ? とエレーンは首をひねった。いや、そこは褒められたことではないのではないか?
 腰に手を当てふんぞり返って哄笑する得意満面のチョビひげが、釈然としない脳裏に、ぽんっと浮かんだ。曰く
 "プロフェッショナルな俺様に、突破できぬ鍵はない!"
 てか、気楽にひょいひょい出入りするとは、格調を謳う領邸を一体なんと心得ておるのか──あれ? とひっかかって、ザイを見た。
「でも、鍵なんて、あたし、かけてない、、、、、わよぉ?」
 裏木戸から入った後は、そんなこと思いつきもしなかった。
「そいつはおかしいスねえ。頭は確かに、鍵を開けて入った、と」
 ザイは怪訝そうに首をひねる。
「おかしいっていえば、ここの鍵だってそうよ。あたしの目の前であいたもん。だから、てっきり、ザイだとばかり」
「──どうも奇妙な按配だ」
 ザイはわずか目を細め、思案するように顎をなでた。立ったまま腕を伸ばして、床からナイフを拾いあげる。
「こいつの持ち主、どこ行きました?」
 ぽかん、とエレーンは見返した。
「それって、ザイのナイフじゃないの? あたしに投げてくれたんじゃ」
「その、投げたってのは、どこからです?」
 思わぬ話にまたたいて、エレーンはあたふた天井をさす。
「天窓から落ちてきて、だから、そこまで這ってって、あたし、がんばって縄切って──」
 ザイは説明を聞きながら、ナイフの刃を、上にし、下にし、ためつすがめつ眺めている。いぶかしむような難しい顔。エレーンはおろおろ手元を覗いた。「な、なに? そのナイフがどうかした?」
「素人が使うもんじゃありませんねえ」
 軽く息を吐き出して、ザイは視線をめぐらせた。
「つまり、ナイフが天窓から落ちてきて、鍵も勝手にひらいたと? そいつはまったく都合がいい、、、、、
 皮肉交じりの物言いに、エレーンもはたと気がついた。それでは「出ろ」と言わんばかりだ。言い知れぬ不安が込みあげて、あわててザイの顔を見た。「ね、ねえ、もしかしてこれって──!」
「ものは相談ですが」
 くるり、とザイが振り向いた。
「走れますか?」
 話の急変にめんくらい、エレーンはおたおた自分をさした。「……え、え? あたし? あ、うん、たぶん……」
「正直に」
 ザイは首を振り、腕を組む。
「ここで、しくじるわけにはいかない。そうなりゃ即刻、総崩れだ」
 虚実を見極めるように注視して、再度鋭く問い質す。
「走れますか?」
 妥協のない視線にひるみ、エレーンはためらい、目をそらした。
「──無理、だと思う」
 力なく首を振る。
「あたし、ずっと縛られてたから、足が言うこときかなくて」
「じゃ」
 ザイが背を向け、ひょい、としゃがんだ。
「負ぶさってください」
 え゛とエレーンはたじろいだ。「──ざっ、ざっ、ザイの、背中にっ?」
「はい」
 つまり、体をぺったり密着させろと?
(……無理)
 微妙な引きつり微笑いを頬に浮かべて、エレーンはじりじり後退する。腰で待機したザイの指が、ひょいひょい履行を促した。「さ、早く」
「……ぬ」
 それをじっとり凝視して、しばし、ためらい、エレーンはおずおず革ジャンの肩に両手を置く。
 ザイが速やかに立ちあがった。あわててへばりついたエレーンをゆすり、肩に軽々としょいあげる。「何はともあれ出ちまいましょう。隊長たちが警備の目を引いている内に」
「──ケネルたちが?」
 唖然とエレーンは見返した。囮をするにはそぐわぬ名前だ。
 薄茶の髪に半分隠れた横顔が、肩越しに背中を一瞥した。
「俺たちは今、総力をあげて動いています。あんたを奪還するために」
 エレーンは絶句でまたたいた。よもや、そんなに大ごとになっていたとは。
 だが、隊長の役目は指揮をとったりすることではないのか? 淡い違和感を読みとったように、ザイはそつなく先を続ける。
「囮は敵から逃げ果せることが肝心。ここで、、、それができるのは隊長と副長くらいスから」
 話がよく飲み込めず、エレーンは怪訝にザイを見た。
「このラトキエの領邸で、賊が侵入した話は聞かないでしょう。金目の物が山ほどあるのに、誰もラトキエには手を出さない、その理由がわかりますか。ラトキエに喧嘩を売って無事に戻った者はない、、、、、、、、、、、その筋じゃ有名な話ですよ」
 ま、隊長たちなら心配するには及びませんがね、とザイは事もなげに肩をすくめる。
 呆気にとられて話を聞き、エレーンは警備員の姿を思い浮かべた。構内のそこここに影のように立ち、無言で巡回する黒づくめの男たち。領邸勤めの当時から、警備員のグループは、その得体の知れぬ異質さにおいて、他職種の者と一線を画していた。彼らは常に近寄りがたく、同じ使用人仲間といえども、交流などは無きに等しい。
 ふと、件の横顔が脳裏をよぎる。そういえば、あの蒼髪も黒服だ。冷酷非情な男たち。普通の者では敵わぬ相手。ケネルやファレスの腕がなければ──
 はっ、とエレーンは瞠目した。わたわた前に身を乗り出す。「な、ならザイは? だったらザイは?」
「はい?」
「ザイなら無事に逃げられる?」
「──さあて、そいつはどうスかねえ」
 ザイは思案するように首をかしげた。
「そういうヤマは、俺なら端から関わりませんし。そもそも、そんなヤバイもん受けてたら、命がいくらあっても足りやしねえ」
 エレーンは唇をかみしめた。「……でも、来てくれたんだ」
「はい?」
 ザイはよく聞きとれなかったようで、怪訝そうに訊きかえす。
 気持ちがゆらぎ、ざわめいた。上着の肩をぎゅっとつかむ。
「関わりたくないくせに! なのに、あたしのことなんか迎えにきて!」
「そりゃま、あんたの護衛スからねえ」
 エレーンは胸を衝かれて、息を呑んだ。普段と何ら変わらぬ物言い。薄闇に沈んだ出口に向かい、ザイは事もなげに歩いている。
「……ごめんね」
 その首にとっさにしがみついた。ザイが怪訝そうに足を止める。
「ごめんなさい! 勝手にいなくなって! みんなにあたし、迷惑かけて!」
 ケネルもファレスも、このザイも、危険を冒して来てくれた。本来ならば、関わりたくない領邸に。
「──ずいぶん成長したじゃねえスか」
 ザイは横顔で苦笑いした。
「それが分かれば上等ですよ」
 涙でゆがんだ顔をあげ、エレーンはえぐえぐザイを見る。「……あ、あ、ありがとザイ。来てくれてありがと、本当にありがと」
 ずびずび鼻をすすりつつ、肩に顔をなすりつける。「あたし、あたしね、本当はすんごく恐かっ──」
 ひょい、とザイが振り向いた。
「鼻水くっつけないでくださいね?」
「……ぬ?」
「俺に惚れたりするのはナシで。話がややこしくなりますから」
 ぴんと一本指を立てる。ぬう、とエレーンは口の先をとがらせた。
「うぬぼれや」
「なら結構。俺だってまだ、死にたかねえし、、、、、、、
 え? とまたたいてザイを見る。
 いえ、と肩をすくめてやり過ごし、ザイは背中をしょい上げた。
「マジな話、泣きべそかくのはその辺で。ここは敵の懐です。外に出たら、なるべく声を立てないように。頭を肩にくっ付けて揺れないようにして下さい。見つかれば、そこで一巻の終わりだ」
 はっ、とエレーンは顔をあげた。
 扉一枚向こうには、件の警備員たちがいる。敷地中に散らばる彼らと、どこで出くわすか分からない。その誰か一人にでも見咎められれば万事休す。身柄は邸主に引き渡される。いや、自分一人のことでは済まない。不法侵入のこのザイと、囮となったケネルたちも、恐らく無事には出られまい。
『ここで、しくじるわけにはいかない。そうなりゃ即刻、総崩れ、、、だ』
 先の言葉がよみがえり、実感を伴い、ひしひし迫った。焼け付くような緊迫感に唾を呑む。
「いいスね。ここから先が正念場ですよ」
 扉のノブを片手で握り、ザイが肩越しに一瞥した。
「行きますよ」
 渦中の戦野のただ中に。
 
 
 
 
 

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