CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 9話1
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 一夜が明けたラトキエ領邸、敷地の北の裏門では、紺の制服の門番たちが、周囲に視線をめぐらせながら厳しい顔で話していた。業務の申し送りをしているらしい。
 さりげなくそれに目をやって、ザイはぶらぶら行きすぎる。敷地のぐるりを取りまく遊歩道の道のりを、南の正門から時計まわりにぶらついて、北東の曲がり角にさしかかる。
 晴れ晴れと澄んだ夏空の下、木漏れ日ちらつく朝の歩道を市民たちが散歩していた。数人一組の一団が、歩道の随所でたむろしている。瀟洒な領邸をはしゃいで眺め、のん気な顔で歩いているから、数日後にさし迫るミモザ祭目当てでやってきた観光客であるらしい。
 その中に、一人でぶらつく見慣れた顔があった。特徴のある風貌の、頭一つ抜きん出た男に、ザイは人波にまぎれて、ぶらぶら近づく。
「どんな具合だ」
 背丈の高い禿頭が、黒眼鏡の目を領邸に向ける。
「別状なし。姫さんの話に間違いはないみたいだな」
 あの別棟での監禁を知るのは、領邸子息のアルベールの他には、髪を蒼く染めあげた警備員が一名のみ、彼女はそう言っていた。
 件の領邸はひっそり静まり、異変は別段見受けられない。あの監禁が領邸ぐるみで、まして、その虜囚に脱走されれば、騒ぎが持ちあがっていて然るべきだ。ひた隠しにしても、気配は漏れる。
 歩道の頭上で、夏の梢が鳴っていた。
 清々しい朝の日ざしが、石畳に穏やかに降りそそいでいる。警笛鳴り響く昨夜の騒ぎが嘘のような和やかさ。ちなみに、西の裏道を染めあげたファレスのおびただしい血痕については、既にすっかり払拭済み。
「あ! 女男の友だちのお兄さん!」
「はいこんにちはー。"女男の友だちのお兄さん"でーす」
 背後から呼ばわる甲高い声に適当この上なく返事をかえし、ザイはくるりと振り向いた。
「で、どちら様でしたっけ?」
「そういうこと言う?」
 肩までのウエーブの若い娘が、不服げに頬を膨らませている。白襟紺服の使用人の制服。ザイはちょいと手を振った。
「冗談ですよ。誰かと思えば、騒がしいばっかでてんで意気地のないあのお嬢さんじゃないっスか」
「……なによ、それえ」
 セレスタンがザイに目配せし、のどやかな大通りに踵を返した。若い娘がそこにいるなら、すぐさま愛想よく話しかけ、輪に加わる男だが、今日は厳しい顔を崩すことなく、むしろ、わずらわしげな面持ちだ。
 無愛想に歩み去る禿頭を呆気にとられて見送って、リナはたじろいで振り向いた。
「だ、誰あれ恐そう。今普通に喋ってたけど、もしかして、あの人もお友だち?」
「今日は一緒じゃないんスか? 一見大人しげに見えてその実しっかりしたお姉さんは」
 むぅ、と口を尖らせて、リナは制服の腕を組んだ。「なによ、あんたもラナなわけ? なによ、みんなラナのことばっか褒めちゃってさー」
「でも、本当のことでしょ?」
 しれっとザイは顎を出す。
 リナは返事につまって顔をゆがめた。「こ、こんな所で何してんのよっ!」
「散歩スよ。ほら、ここ観光名所でしょ」
 すぐさまザイは言い返し、領邸の威容を指さした。
「ここの領邸、ほんとまじできれいっスよねえ。どんだけ無駄金かけてんだか。じゃ、急ぎますんで、ごめんください」
 つらつら棒読みで足を踏み出し、ザイは足を止め、振りかえる。
「はい?」
 上着の背中を、むんずと誰かにつかまれている。
「え、えへっ! 調子はどう?」
「ま、ぼちぼちで」
 リナの媚び笑いを見おろして、ザイは溜息で腕を組んだ。「で、今日はなんのご用でしょ」
「……だ、だから、あの〜」
 しどもど足元に視線を落とし、リナはそわついた上目使いで目をあげた。「……エレーン、見つかった?」
「いえ」
 ザイはそっけなく目をそらす。
 リナは刹那、眉をひそめて、きゅっと唇を噛みしめた。
「──あの子が大変な時だっていうのに、旦那は何をしてるのよ! あの人、ちょっと前に、アルベール様の所から血相変えて出て行ったのよ? なら、商都のどこかにいるはずじゃない!」
 決然と顔をあげ、拳を握って街を見つめる。
「エレーンのこと、あの人に言って捜してもらうわ! ねえ、あの旦那がどこにいるのか、あんた本当は知ってんじゃないの? ずっと、あの子といたんでしょ?」
「さあ、存じません」
 突如矛先を向けられて、ザイは肩をすくめて、そらとぼけた。トラビアで人質になっているのはむろん先刻承知だが、それを知らせるつもりはない。
 道先に見える白々と空いた街並みを、リナはやきもき、苛立った様子で睨んでいる。
「……あたし、どうしよう」
 唇を噛んで、うつむいた。みるみる顔を苦しげにゆがめる。
「どうしよう、どうしよう。まさか、こんなことになるなんて。でも、あたしたち、あの子の力になりたくて。なのに、働きかけようとしただけで行方不明になるなんて。あたし一体どうしたら……」
 震える拳を口元で固め、リナは声を詰まらせる。
 リナがうなだれ、制服の肩を震わせた。道ゆく者が通りすぎざま振りかえる。物見高い視線の中にかすかに入り混じる無言の非難。
 薄茶の髪を片手で掻いて、ザイは途方に暮れて見まわした。
 目元をぬぐうリナの頭に、ぽん、と軽く手の平を置く。「──泣くこたないスよ」
 え? とリナが涙にゆがんだ顔をあげた。ザイは嘆息して腕を組む。
「実は、もう戻ってましてね。ちょっと事情がアレなんで、なるべくなら伏せておきたかったんですが。まあ、どのみち気に病むことはない。どうせ、あのじゃじゃ馬に──」
 ぬっと顎をつき出した。
「そそのかされたんでしょ?」
 問答無用できっぱり断定。
 リナは頬を引きつらせて、たじろいだ。一考の余地なし、との潔さ……。
 はたと気を取り直し、あたふた顔を振りあげる。「ど、どこにいたの? やっぱり、うちの領邸のどこかに──」
「いえ」
 木立の先に見え隠れする領邸母屋の屋根を眺めて、ザイは軽く肩をすくめた。
「そっちに問い合わせるのは、さすがにどうも。領邸ってのは、少々敷居が高いもんで。せっかく、あのお姉さんに色々教えてもらったんですが」
 ぱっとリナに身をかがめ、にょきっと一本、指を立てる。「あ、これは内緒の話スよ?」
「う、うん」
 連れの気さくな豹変ぶりに、リナはたじろいでうなずいた。
「レーヌを拠点とする札付きが、なぜか商都をうろついていましてね」
「……札付き?」
 あれ? とリナは首をかしげた。
 ああっ、と納得顔で膝を打ち、ふーむと思案顔で顎をつかむ。「なら、こないだ街で絡んできたのってレーヌの札付きだったんだあ。ま、あいつ連れまわしてたから助かったけど」
「はい? つれまわす?」
 不審な視線に、はたと気づいて、リナはそそくさ目をそらす。「……べ、別に」
 後ろ暗そうなその顔を、ザイは疑わしげに眺めやり、首をひねりひねり先を続けた。
「で、誘拐したから身代金を寄越せ、と要求を突きつけてきましてね。実はあの人、これまでも度々狙われていて──ほら、あの人あれで奥方様ですから。だが、そんな大金払えやしねえんで、手っ取り早く乗りこんで、取り戻したって寸法で」
「……そ、そうなんだー」
 呆気にとられて話を聞き、あ! とリナが目をみはった。わたわたザイに目をあげる。
「そういえば、こっちも大変だったのよ! 昨夜うちでも騒ぎがあって。ああいう輩って、ほんと、ろくなことしないんだから!」
「質悪そうスから、気をつけた方がいいっスよ」
 ほんとほんとまじでまったく恐いっスよねー、とザイはすかさず大いに駄目押し。
 リナは顔をしかめた上目使いで、昨夜の領邸の被害をさらう。「ずっと部屋から出られなくて散々よ。母屋でも、貴重なお皿がなくなったっていうし!」
「ああ、いや、そいつは調──」
 達屋、ととっさに犯人を口走りかけ、ザイはそそくさ目をそらす。
「……じゃ、俺はこれで」
 長居は無用、と速やかに踏み出し、使用人寮を親指でさす。
「てことなんで、あんたも戻って寝た方がいいスよ? ろくに寝てないんでしょ」
 リナが顔を引きつらせた。警戒も露わにじりじり引く。「……な、なんで、知ってんのよ、そんなこと!」
 セレスタンが消えた大通りに、ザイはぶらぶら歩き出す。「あんたの目、真っ赤スよ」
「──あ、あのっ! あのっ! ちょっと待ってあのっ!」
 はたと我に返ったらしく、リナがあわてて呼び止めている。ザイは聞こえない振りで歩いていたが、まだいくらも進まぬ内に、げんなり嘆息、足を止めた。
「今度はなんスか」
 上着の背中を、又もむんずとつかまれている。
 脇を通る通行人がじろじろいぶかしげに眺めていくので、やむなくザイは肩越しに後ろを振り向いた。だが、予期せぬものをそこに見て、呆気にとられて口をつぐむ。
 がちがちに強ばった顔つきで、食い入るように凝視して、リナがぱくぱく口を開いた。「──あ、あ、あの人はっ?」
「──その、あの人ってのは誰のことです?」
 ザイは面食らって訊きかえす。 
「だ、だから、ほらあ! いるでしょー?」
 じれったそうに言い返し、リナはやきもき爪を噛んだ。
「柄が悪くて態度がでかくて髪が長くて、エレーンといつも一緒にいる──」 
 とっさに、ザイは言葉を呑んだ。
 なんの変哲もない歩道の様子を、リナは落ち着きなく見まわしている。「ね、ねえ、今どこにいるの、あいつ。もしかして近くにいたりして? ねえ、友達なら居場所知ってんでしょ? あたし、ちょっと言ってやりたいことあんのよね。だ、だから──」
 どこかそわそわと浮ついた様子を、ザイは腕組みで眺めやり、ふと、気づいたように目をあげた。
「……あんた、もしや副長のことを」
 リナが息を呑んで瞠目した。ボッと一気に赤面し、わたわた両手を振りまわす。
「ばっ、ばっ、ばっかじゃないっ? 違うわよ! 違うわよ! なんで、あたしがあんな下品で野蛮な奴っ! あたしはただねえ──!」
「あの人のことは」
 躍起になった言い訳をさえぎり、ザイは苦々しく視線をそらした。
「──副長のことは、もう忘れた方がいい」
 
 
 
 
 

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