CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 9話7
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「遅せえじゃねえかよ! いつまで油を売ってんだ!」
 部屋の扉をあけた途端、あのがなり声に怒鳴り飛ばされた。
 開け放った窓辺の寝床で、ファレスがまなじりつりあげて、すっかりへそを曲げていた。かたわらの卓には、大判の弁当が積んであり、年季の入った金のやかんと、使いこんだ湯のみが二つ、布巾の上に伏せてある。
 とんとん指で卓を叩いて、ファレスは見るからに腹立たしげ。怒気をみなぎらせたその様には、殺気さえ覚えて後ずさりたくなるほど。それもそのはず、卓に置かれた弁当は、まだ包装も解かれぬまま。
 やあん。ごめんごめえん、と頭を掻いて、エレーンはがたがた、壁から椅子を引きずった。連れが部屋にやってくるのを、お行儀よく待っていたらしい。日頃の粗暴な行ないに似合わず、妙に律儀なところがファレスにはあるのだ。でも、そんなに怒るくらいなら、先に食べてればいいのにさ、と思わなくもない。
 乱暴な手つきで弁当をとりあげ、ファレスは業を煮やした顔で、その包みをむしり取る。「たく、今まで何していやがった!」
 うん、ちょっとねー、とそそくさ誤魔化し、エレーンも右にならって卓につく。
 寝台脇の食卓で、ファレスと二人、朝ご飯。
 囲いこまんばかりの折り詰めに、ファレスは顔を突っこんでいる。毎度毎度のことながら、なんで、そんなにがっついてるのだ? 誰も盗りはしないのに。つくづく呆れてファレスを見た。
「……あんたって、ほ〜んと、よく食べるわねえ」
 フォークで突き刺した肉巻きを、ファレスは大口あけて放りこむ。
「てめえだって一緒だろうがよ」
 カチン、とエレーンは見返した。
「ちょっとお。あんたと一緒にしないでよねー」
 ぷい、と壁にそっぽを向く。だが、実は、このところ、ファレスと同じ量を食べている。食事の度に大半を残しファレスが残飯をさらっていたのは、遠い昔の過ぎし日々。そう、我ながら見事な食いっぷり。
 この犬食いと同類とは、なにやらそこはかとなく釈然としないが、詳しく言い返すとぼろが出るので、エレーンはやむなく口をつぐんだ。せめて、ブラウスの襟をつまんで、それでぱたぱた顔をあおぐ。
「──あーっ! もう、あっついっ!」
 この不愉快な気分の原因を、気温の高さのせいにする。
「夏だからな」
 ファレスの返事はぶっきらぼう。更にカチンと見返して、エレーンはばたばた顔をあおぐ。
「もおお! あっつい! あっつい! あっつい!」
 突っ伏していた弁当から、ファレスが苛立って目をあげた。
「だから夏だっつってんだろっ! 夏ってのは、だいたい暑っちいもんなんだよ! たく。飯の時間にぐちゃぐちゃと! くだらねえ事ほざいてねえで、とっとと飯を食っちまえ!」
 この野良猫、飯の時間は何にも勝る聖域である。無論、残飯の存在などは、何があっても許さない。エレーンは、むう、とふくれっつらで、己の弁当を突き出した。
「はああっ!? どこに目ぇつけてんのよっ! あたしはちゃんと食べてるでしょおー? 見てみなさいよー。ほらほらほらあっ!」
 既に、半分が空である。
「──よし」
 それを向かいから検分し、ファレスはあっさり引き下がった。普段なら存分に突っかかってくるところだが、この野良猫の価値観が、エレーンには分からないことがある。
 口にくわえたフォークをぷらぷらさせて、エレーンは開け放った戸口を振り向いた。
「なんか、ずいぶん静かよねえ。廊下にも、ぜんぜん人がいないし」
 食い終わった弁当を卓に置き、ファレスはごくごく、湯飲みの茶を飲んでいる。「出払ってんだろ、こんな時間だ」
「へー。みんな、どこ行ってんの?」
「ウォードを追ってる」
「なんで、ノッポ君を追っかけんのよ」
 ふと、ファレスが動きを止めた。
「ねー、なにそれ。どういうこと?」
 すぐに舌打ちで目をそらす。口がすべったという顔だ。
 む? 不審! とピンときて、すぐさまエレーンは食い下がった。「ねーねー。なんでノッポ君を──」
「お前は知らなくていい」
 ファレスは苦々しげに眉をひそめて、ぶっきらぼうに追求を遮る。
 ずい、とエレーンは、その目の前に割りこんだ。
 ぷい、と目をそむけたファレスの視界に、すぐさま、ずずい、と又も割りこむ。
 更にそむけようとした頬を、両手で、むに、と引っぱった。
「教えなさいよぉー!」
 いででででっ! と妙なご面相になりつつも、だが、奴はかたくなに供述を拒む。
「なんで、いっつも、そーなわけ? なんで、あたしばっかり仲間はずれにすんのよっ!」
「てめえには関係がねえ」
「あるわよ!」
「ねえったらねえっ!」
 ようやく手を振り払ったファレスと、口を尖らせ、睨めっこ。
 みんみん、蝉の声がした。
 そよ風が生ぬるく吹きすぎて、こめかみを汗が流れ落ちる。ぷいとファレスが目をそらした。開け放った窓の外を、眉をひそめて睨んでいる。
「……もー。頑固なんだからあ」
 ほとほと呆れて嘆息し、エレーンは自分の弁当を取りあげた。
 ぶちぶち言いつつ食事に戻る。石頭のケネル同様、ファレスも一度こうと決めたら、もう二度と口を割らない。そんなものと張り合ったところで、いつまでたっても埒があかない。
 しん、と穏やかな静寂がおりた。
 夏の風に、カーテンがゆらぐ。窓辺にくすぶる透明な光。
 窓の外から、物音が聞こえる。誰か路地にいるのだろうか、建物のはざ間に響く、聞きなれない男の声。
「ふぃー。食べた食べたっ! ごちそうさまあっ!」
 平らげた弁当を卓に置き、エレーンは満面の笑みで腹をさすった。卓に伏せた湯飲みをとりあげ、とくとく、やかんから茶を注ぐ。
 とうに食い終わった寝台のファレスは、背もたれにそっくり返って行儀悪く足を投げ、食後の茶を啜っている。部屋に入ってきた時は、やたらカリカリしていたが、腹がふくれて余裕の態度。
 慎重に機会を見計らい、そろり、とエレーンは切り出した。
「今日、ちょっと、リナに制服返してくるね」
 ひくり、とファレスが片眉をあげた。
「まあた領邸に行く気かよ! ちったあ懲りろ!」
「あっ、ううん違うから!」
 エレーンはあわてて手を振った。
「返すっていっても、リナんとこに行くんじゃなくて、店長に預けてくるだけだから! ほら、あんたも一緒に行ったでしょー? "ぴんくのリボン"って喫茶店。あそこ、溜まり場だから、リナ来るしっ!」
「本当だろうな」
 ランニングの腹で腕を組み、ファレスは胡散臭げに目をすがめる。そろりとエレーンは目をそらし、やきもきしながら引きつり笑い。
 むんず、と手首がつかまれた。
 なによ? と振り向く暇もなく、ぐいとファレスに引っぱられる。
 れろ、と舐めあげる舌の感触?
「な、なにすんのっ!」
 わたわた、エレーンは押しのけた。舐められた頬を唖然と押さえ、あんぐりファレスの顔を見る。
「飯つぶ」
「……は?」
「くっついてたぞ。ほっぺたに」
 言いつつ、れろ、と舌を突き出す。上には一かたまりの飯つぶが。
 ほらな? と言わんばかりにそれを見せ、ファレスはもぐもぐ咀嚼した。エレーンはわなわな拳固を握る。
「だからって! なんで顔とか舐めるかな!? てか、なんでそんなに無神経なわけ!?」
「──うっせえな。いいじゃねえかよ舐めたくらい」
「いいわけないでしょっ! ひとの顔なんだと思ってんのよ!」
「お前、なんか変じゃねえか?」
 前のめりの体勢で、ぎくり、とエレーンは硬直した。
「ど、ど、どこがっ!」
 ふい、とファレスから目をそらし、腰に手を当て、ふんぞり返る。
「やっ、やーねえ! どっこもちっとも変じゃないわよっ! あんた、なに言ってんの!」
 ファレスはおもむろに腕を組み、しげしげと首をひねる。
「顔舐めたくれえで、なんか、ぴーぴーうるせえしよ」
「いや! そこは普通でしょー!?」
「本当に、なんでもねえのかよ」
 念を押されて、エレーンはつまった。ファレスを見たまま、こくり、とうなずく。「……う、うん」 
「本当に、なんでもねえんだな?」
 いつにも増して疑り深い。
「そっ、そうよ。そーに決まってるじゃないっ!」
 言下に強硬に畳みかけ、エレーンは内心、冷や汗だらだら。たまにファレスは、妙に鋭いことがある。
 しばし、ファレスはじろじろ胡散臭げにながめやり、ふい、とその目を脇にそらした。
「そうかよ」
 ぐい、と湯飲みの茶をあおり、卓のやかんから茶を注ぎ足す。
 エレーンは密かに、ほっと胸をなで下ろした。そろりとファレスを盗み見る。納得はしなかったようだが、追求するのが面倒くさくなったらしい。
 ファレスはがぶがぶ茶を飲んでいる。思えば、彼には世話になった。何だかんだとやり合って、困らせたり、迷惑をかけたりした。
 いつもいつも怒ってて、初めは大嫌いな奴だった。けれど、危険な崖下を背負って歩き、きれいな温泉に連れて行ってくれた。あの晩迷いこんだ野営地で、慰みものにしようとしたバリーらを、たった一人でぶちのめしてくれた。気がふさいだ自分を見かねて、ルクイーゼの街まで連れ出してくれた。高い崖から海に飛びこみ、我が身を顧みずに助けてくれた。
 いつも、ファレスはそばにいた。色々な話をしてくれた。彼がまだ幼い頃に、一人で子守歌を口ずさんでいたこと。大好きな母親が自分を残して去ったこと──。
 ぽつん、と水滴が膝に落ちた。
 とっさにうつむき、こらえるが、唇のわななきが押さえきれない。
「おう。どした」
 うつむいた顔を、ひょい、とファレスが覗きこんだ。
 エレーンは懸命に嗚咽をこらえ、必死で首を横に振る。だが、肩が勝手にしゃくりあげてしまう。
 ファレスは怪訝そうに見ていたが、ふと、枕元に身をよじった。そこには酒やらつまみやら雑誌やら、見舞いの品が散乱している。
「──おう、これだ」
 その山から何かを取って、枕元から振り向いた。
 仔猫くらいの大きさの茶色い紙袋を持っている。それをがさがさ片手で漁り、手を引きぬいて突き出した。
「食え」
 言うなり、何かを口に突っこむ。
 エレーンは反応できずに、またたいた。口のそれを舌で触ると、つるりと丸い。噛めば、瑞々しさが口で弾ける。唖然とファレスを見返した。
「……チェリー、トマト?」
 トマトは確か野菜のはずだが、食後のデザートのつもりらしい。外出はまだ無理だというのに、こんな物があるところをみると、誰かに買いに行かせたのだろう。いつもみたいに難癖つけて。本当に柄が悪いんだから──
 じわり、と又も涙があふれた。ついにこらえきれずにしがみつき、その首に顔をすりつけた。
 決意を固めていた。
 一人でトラビアに行くのだと。
 誰の力も借りることなく。誰の力にも頼ることなく。たとえ日照りの街道を歩き通すことになろうとも。
 彼に伝えたいことがある。
 どうしても行かねばならないのだ。彼が囚われたトラビアに。
 だが、戦地になど踏みこめば、生きて帰れる自信はなかった。自分は非力で、なんの盾も持っていない。それでも、国軍に包囲されたトラビアの、城砦の向こうに囚われた彼に会おうというのなら、ラトキエ・ディール両軍の物々しい攻防をかいぐくり、弓や槍から身を守り、迎撃態勢を整えたディールの防衛線を突破せねばならない。
 あの扉を出ていけば、今生の別れになるかもしれない。だから、覚悟を決めていた。これが、彼と過ごす最後の時と。
「……ファレス! ファレス!」
 その名をかみしめ、薄茶のしなやかな長い髪ごと、彼を強く抱きしめた。
 これで二度と会えないならば、もっと優しくすればよかった。もっと一緒にいればよかった。もっと! もっと!
 もっと! 
「……おう」
 飛びこんだ背を片手で支え、ファレスは首をかしげている。訳がわからない顔つきだ。脈略なく泣き出したのだ、さぞ妙な奴だと思ったろう。
 膝に置いた袋の中に、ファレスは困惑したように手を突っこむ。がさがさ中をあさっている。
「なら、あと一個だけな。残りは俺の分だからな?」
 訳がわからないながらも、ファレスなりに慰めようとしているらしい。自分の好物を分け与えて。慰めるなら、声をかけるなり、なでさするなり、方法は色々あるだろうに、食いもので釣ろうというのが、いかにも、このファレスらしい。
 袋を覗くファレスの真剣な横顔が、ほんのすぐ間近に見えた。
 額で分けたしなやかな髪、前だけを見つめる揺るぎない目、そして整った目鼻立ち、ファレスは何ひとつ変わらない。この先何があろうとも、きっと、ずっと変わらない──。頬に思わず笑みがこぼれた。
「……ありがと、ファレス。ありがとう」
 エレーンは涙をぬぐって身を起こした。ファレスが突き出した拳から、ぽろり、と赤いトマトがこぼれる。
 それを受け取って口に入れ、エレーンは椅子から立ちあがった。これ以上ここにいたら、きっと決心が揺らいでしまう。
 ぽつん、と光が、はるか先に見えていた。
 もやもや辺りを取りまいていた、胸が張り裂けんばかりの混迷の、あたかも出口であるように。
 初めは、一人で歩いていた。
 手探りで歩く暗闇の中、ケネルの腕にしがみつき、おっかなびっくり、へっぴり腰で。隣のファレスからの放言に、ぴりぴり爪先立って反応しながら。
 やがて、ノッポの少年が少し後ろに現れて、二人の首長も加わった。セレスタンや、ロジェたちや、あんなに恐かったザイでさえ、自分の味方をしてくれた。
 いつの間にか、辺りは明るくなっていた。
 揺らぎのような光まで、一本の道が伸びている。
 ぶらぶらそちらに歩きつつ、ファレスが肩を抱いて話しかけてくれていた。ノッポの彼が仲間を殴り、いつも早足だったあのケネルも、歩調を合わせてくれていた。
 ケネルの腕にしっかりしがみついたままだった手が、知らない内に離れていた。覚束ない足どりながらも、自分の足で進んでいた。周囲を彼らに守られて。
 ここは、とても心地よい。
 ずっと、彼らと一緒にいたい。ずっと、彼らと歩いていたい。だが、こうして道が分かたれた以上、この先は一人で行かねばならない。
 つのる未練をしゃにむに振りきり、部屋の扉に踵をかえす。「じゃ、行ってくるね」
「──おう、遊んでこい」
 肩越しの視界に写ったファレスは、弁当の箱を片付けていた。
 窓辺の寝台で後片付けをする彼の無造作なその姿を、まぶたの裏に焼きつける。「うん!」と元気よく返事をし、廊下に続く戸口をくぐる。
「あんまり遠くまで行くんじゃねえぞ」
 追いかけてきた一言が、今日はいやに耳に残った。
 
 
 
 
 

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