■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 9話15
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買い袋をかかえて戻ってくると、ファレスが街路樹の下にひざまずき、しゃくりあげるケインの顔を、タオルでぬぐってやっていた。
端然とした見た目によらず、手つきは意外にも不器用だ。子供の世話は不慣れらしく、顔を丸ごとわし掴み、ごしごし、がしゃがしゃ大雑把。もっとも奴は、きれいに整った顔に反して、中身は粗暴な野人だが。
付近に視線をめぐらせて、エレーンは何気なく彼を捜した。ザイが彼らといたはずだった。だが、その姿は見当たらない。立ち戻った街路樹の下には、ファレスとケインの二人きりだ。やはり、あの後、ファレスがザイを追い払ったらしい。
ファレスのぞんざいな手さばきに押されて、華奢なケインがその都度よろめく。ファレスはケインに万歳させて、濡れそぼって張りついたシャツを、小さな頭からむしり取った。あばら骨の浮きあがった、薄い腹が露わになる。
「──お前、ずいぶん痩せてんな。飯食ってねえのかよ」
舌打ちの愚痴が漏れ聞こえた。
「たく! 飯屋のくそジジイ! バケツで水なんかぶっかけてんじゃねえぞコラ。中まで、ぐちょぐちょになってんじゃねえかよ!」
ぶつくさ言いつつ、大きなタオルをケインの頭からおっかぶせる。小さな体をすっぽり覆って、両手でかかえてガシガシごしごし──。
思わぬ微笑ましいその様を、ふ〜む感心感心と眺めやり、はてとエレーンは首をひねった。
「……ファレスって、あんなに子供好きだっけ?」
街で遊ぶ子供らを見ても、わずかにも関心を示さないし、むしろ、子供がいたキャンプでは、足蹴にしていた記憶さえあるが? あのケインにしたところで、歩道の先で見つけた当初は、物騒な顔で睨んでいた。
それならば、いつだろう、ファレスがまとう雰囲気と、態度ががらりと変わったのは。
がしがしケインをふいていたファレスが、くるり、と仏頂面で振り向いた。
「なに、ぼさっと突っ立ってんだ。とっとと来いよ」
はた、とエレーンは我に返る。
「う、うんっ! おっまたせ〜!」
買い物袋をかかえ直して、あたふた二人に駆け寄った。甲斐甲斐しく世話をやくファレスの様子がもの珍しくて、うっかり見物してしまった。ずっしり重たい買い物袋を、街路樹の下に、どさり、と下ろす。
「ほーら見て見て! 屋台で色々買ってきたわよ〜! 長パンでしょ? 鶏焼きでしょ? 肉巻きでしょ? あ、串揚げなんかもあるんだから! あとはねー、牛乳と、みかんジュースと、りんごジュースと! すんごい瓶が重たくって〜!」
あーもー腕がしびれた〜! とご奉公をアピールしながら、腕にかけていた左右の袋も、ガチャガチャ横に置いていく。ファレスが腕組みで顔をしかめた。「なんだ、飯だけかよ」
「なあによ、"だけ"って」
荷物整理の中腰で、エレーンは、はあ? と振りかえる。
「なら、渡した金、全部食いもんに使ったのかよ」
「あんたが言ったんでしょー。水と食いもの買ってこいって」
当てが外れたように頭を掻いて、ファレスはじれったげに舌打ちした。「たく。気のきかねえ女だな。行ったついでに、こいつの着替えも買ってこいよ」
びしょ濡れだろうが、と、頭髪がペったりくっついた濡れねずみのケインに指をさす。
「えーっ! あたしのお金でえっ?」
エレーンは口を尖らせてぶんむくれた。自慢じゃないが貧乏なのだ。というのに、なぜだかその上、図々しいクリームソーダ男にまで、おごる羽目とあいなったし。
絶対無理、と腕組みで断固突っぱねる。ファレスは嫌そうに顔をゆがめて、ズボンの尻ポケットをごそごそ探った。
「たく。しみったれた女だな──ほら、とっとと行ってこい」
くたびれた革の財布から紙幣を一枚抜き出して、舌打ちで無造作に突き出してよこす。薄い赤の高額紙幣、一トラスト札だ。
「わかった! もう一回行ってくる!」
ぱし、と紙幣を掠めとり、エレーンはにんまり頬をゆるめた。いきなり一トラスト札を出してくるとは、なんという太っ腹。単に、細かい札がなかっただけかもしれないが。
ともあれ、一トラスト札があるならば、一万カレント分、買い物ができるということだ。ほくほく踵を返しかけ、はたと肝心なことに気がついた。
「ねー。ケインって今、何歳だっけ?」
そう、買いに行くのはやぶさかでないが、何歳児用を買えばいいのだ? 体型が定まった大人とは違って、子供服は一歳刻みに大きさ色々。
ケインは左手で五指を広げ、右手の人さし指を一本立てた。
「ろくさい! きのうの、まえの、まえのひで、ろくさいになった!」
なぜか懸命に大声で回答。むきになるような話でもないが。
「……へえ。ケイン、お誕生日だったんだ〜」
「うん。あのね、それでダイが──」
あどけない顔を振りあげて、当日の友だちの言動を、事こまかに報告する。
エレーンはやむなくしゃがみこみ、たどたどしい子供の話に「へえ〜」とか「ほお〜」とか相づちを打つ。低くなった視界の端に、街路樹の根元に下ろした昼食の袋。
(てか、お腹すいた〜)
ひもじい腹を密かにさすった。近頃やたらと食欲旺盛。ファレスの大食らいの悪影響かも知れない。
ケインが面食らったように口をつぐみ、ふっと心配そうな顔をした。
「おばちゃん、ぼくのふく、あとでもいいよ?」
ぎくり、とエレーンはケインを見た。
「……な、なんで?」
ケインが長いまつ毛でまたたいた。
「ごはん、はやく、たべたいでしょう?」
はっと、ようやく思い当たった。そうだ、この子は、
──心が読める。
肝を冷やして舌をまき、エレーンはあわてて両手を振った。
「い、いいってそんなの! そんなことより、濡れたの着てたら風邪ひくでしょ? おばちゃん、すぐに何か着るもの買ってくるから!」
「そいつの考えが読めるのか、お前」
あたふた立ちあがったその矢先、ファレスがいぶかしげにケインを見た。ケインは屈託なく、長いまつ毛をファレスに向ける。
「うん、だいたい、わかる。だから、さっきのひとに、つかまったとき、ぼく、すごく、こわかった。なんか、あのひと、いろんなこと、いっぺんにかんがえてて」
"あのひと"というのは、ザイのことだ。ザイはケインをさらおうとしていた。隊長ケネルの命に従い、ケインを処分するために。
「あとね、あのひと " うぜえな、ておいのくせに " って」
「……手負い?」
胡散臭げに聞いていたファレスが、む? と頬を強ばらせた。
「俺のことかよ!?」
ザイがそちらに去ったのだろう、南街区の通りを睨めつけ「──あの野郎〜!」とぎりぎり歯ぎしり。
急浮上したファレスとザイの小競り合いを、エレーンは呆れて眺めやり、ふと、またたいてケインを見た。華奢な肩を振り向かせ、膝をかかえて「ねえねえ」と乗り出す。
「だったら、あの人は?──ほら、長い髪できれいな顔した派手なお兄さんがいたでしょう? 店のおじさん、やっつけてた」
統領代理デジデリオ。彼の内心に興味がある。
「──あのひとは」
薄い眉をきゅっとひそめて、ケインは困惑したように口ごもった。
「なんにも。きこうとしたけど、わかんなかった。たぶん、なんにも、かんがえてないよ」
わくわく覗きこんでいたエレーンは、拍子抜けして口をつぐんだ。
「……ふうん、そっか。意外」
ごてごて飾り立てたあの彼が、よもや煩悩と無縁とは。
ならば、と気を取り直し、南街区をガルガル睨むファレスの方に指をさす。「だったらファレスはー? ファレスはどんなこと考えてるー?」
「ふくちょうはねえ」
なぜか肩書きで言い直し、ケインは、くるり、とファレスを仰いだ。
「 " こいつはわたさねえ " って」
ぽかん、とエレーンは口をあけた。なんの話だと目配せすれば、ケインは大真面目な顔で訴える。
「だから、あのこわいひとが、きたときだよ。" こいつはわたさねえ "っていったんだ。だから、ぼく、ふくちょうのところに、いこうとおもって──」
「おい、坊主」
ファレスがたまりかねた顔で身じろいだ。邪気なく振り向いたケインの頭を、平手で無造作に、むんずとつかむ。
「その"声" 聞かずに済ますこともできるのか」
「うん。できるよ、たぶん」
「だったら、その耳ふさいでおけ。他人が何を考えようが、びくびく覗き見すんじゃねえ。男だろ」
はっ、とケインが打たれたように顔をあげた。見下ろすファレスを凝視して、瞳を輝かせて大きくうなずく。
「わかった! ふくちょう! ぼく、おとこだから!」
「──よし」
ファレスは偉そうにうなずいて、ケインの頭をぞんざいになでた。頭を動かし、それを見あげて、ケインはなにやら得意満面。
仲間意識が芽生えたらしい。
子供用の服を購入すべく、エレーンは目抜き通りに舞いもどった。
祭で浮き立つ、心地良いざわめきの中、街路樹の木陰を伝い歩く。ミモザの黄色で埋め尽くされた街のにぎわいを眺めやり、思わず顔をほころばせる。
大勢の見物客が連れ立って、馬車道をそぞろ歩いていた。馬車と人との接触事故を防ぐため、車両通行止めになっているのだ。もっとも、パレード開始まで一時間以上も間があるので、まだ、それほどの混雑でもない。
この整然とした目抜き通りは、商都カレリアの象徴だ。南の正門から街をつらぬく堂々たる歩道には、黒い鉄枠の街路灯と、青々としげった街路樹が等間隔に立っている。
「さてと、ケインの着替えケインの着替えっと! 六歳児用の、男の子の──」
服屋の店先に吊ってある、子供用のシャツをあさった。
色も柄もとりどりの、柔らかな手触りの綿シャツを、エレーンはガシャガシャ選別する。ふと手を止め、首をひねった。
「にしても、六歳って、なんかあった気がするんだけど……」
そう、何か曰くがあった気がする。そういえば、ケインが六つだと答えた刹那、ファレスも顔を曇らせた。
不安をはらんだ不吉な軋みが、ざわめき出した胸をよぎった。だが、その正体がなんであるのか、肝心なところが思い出せない。
(……なんだっけ?)とうつろな視線を街角に投げる。人々があふれ、にぎわう街角、視界を歩くのんびりとした見物客──そうした光景と一線を画す、異質な二人組が現れた。黒い制帽に赤い服、そして、黒のスラックス。すらりと長い黒鞘のサーベルを、それぞれ腰に佩いている。
商都を巡回する衛兵だった。常時物々しく帯剣し、二人一組で巡回している。派手で目を引く制服には、悪人の暗躍を牽制する狙いがあるが、どこか角張った無機質な動きと、人形を思わせる無表情が派手な制服とあいまって、意図せず商都名物になっている。ちなみに、ミモザ祭の開催日ゆえか、普段より、衛兵の数が多い気がする。
そよ風に緑葉をそよがせて、目抜き通りの木立がゆれた。
石畳の歩道で、木漏れ日がゆらぐ。秋には紅葉する街路樹も、まだ青々と鮮やかだ。
風があり、夏にしては清々しい日和だった。通りに面した飲食店は、すべての扉を押しひらき、クロスを敷いた円卓を、店先の歩道に並べている。卓の日除けのパラソルが、目抜き通りのそこかしこで、色とりどりの花を咲かせている。そのパレード見物の特等席には、既に客の姿があり、気の早い見物客がわいわい手酌で歓談している。通りを包みこむ穏やかな喧騒──。
「あ! これ、かわいい!」
六歳児用と表示のある、ケインに似合いそうな服だった。
目の高さにそれを持ち上げ、エレーンは目をみはって破顔する。怪獣の柄がついた黄色地の柔らかな綿シャツと、深緑色の長ズボン──ケネルがよくはいているような、ポケットがたくさんついたものだ。大好きな隊長とお揃いならば、ケインもきっと気に入るだろう。
店の奥で寛いでいた初老の店主に声をかけ、選んだ服を早速渡す。ケインの小柄な体に比べて選んだ服が大きい気がして、一回り小さい服と取り変えようかと迷ったが、子供はすぐに大きくなる、と思い直した。服がきつくて、窮屈な思いをさせては不憫だ。
代金を支払い、買いあげた品がくるのを待つ。
棚の端に積まれた"それ"が、ふとした拍子に目についた。店の奥から出てきた店主に声をかける。「あ、すみません、あれも下さい」
「へい、毎度! お客さんのところにも、幸せがやってきますように!」
愛想の良い店主から、服とそれとを受けとって、北門通りに引き返した。
まだ、目抜き通りはのんびりしていた。だが、パレードが始まる二時になれば、大勢の見物客でごった返し、押すな押すなの大混雑になるだろう。
「……お腹すいたあ〜」
目抜き通り中央の、時計塔を振り仰ぎ、何気なく時刻を確かめる。丸く白い文字盤に、時刻を刻む黒い針。それは今、短針は真上、長針はそろそろ六の位置。時計塔の文字盤は、東西南北を指し示す、三、六、九の文字だけが他の数字より目立って大きい。
ぼんやり文字盤を見ていたら、何かが意識に引っかかった。時計塔の白い文字盤、三と、六と、九が異なる──
『 三歳、六歳、九歳── 』
いつか聞いたあの声が、不意に耳元で蘇った。
ケインと出会ったキャンプのゲル。あの日に聞いたケネルの言葉。
『 あいつらには受難の年が三度ある。ああいう子供は弱くてな。大抵は長生きしないんだ。この三歳、六歳、九歳の年齢になると、どういう訳だか発病し、大抵の子供が死に至る── 』
ケインは 「六歳になった」 と言っていた。
愕然と顔を強ばらせ、エレーンは軽く唇をかむ。
「……まさか、ね」
ゆるり、と首をひとつ振り、不吉を打ち払って前を見た。
そんなの、ただの偶然だ。そんなくくりに必然性はない。幼児が亡くなった年齢がたまたま数件重なった、それを看取った周囲の大人がそんなふうに思いこんだ、その程度の話だろう。だが、ケインはさっき、具合が悪いと言わなかったか──。
気持ちが悪くなって動けなくなった、だから店先に座りこんでいたのだと。いや、そもそもどうして、あそこにいた? 身分証を持たない彼が、どうやって商都に入ってきた?
考えるまでもない。あの力を用いて飛んできたのだ。ケインは瞬時に移動できる不可解な能力を持っている。その圧倒的な力の前には、どれほど厳重な警備を敷こうが用をなさない。まして、当のケインには、躊躇も罪悪感も全くない。人が日常的に「歩く」ように、ケインも能力を当たり前に「使う」。歩行が不自由なケインにとって、それは単に、欠けた機能を補うだけのものにすぎない。
だが、かつて、森で大勢の賊を瞬殺した際、ケインはひどく衰弱した。そして今日も、行使の直後に、立ち上がれないほどの変調をきたした。ならばケインの体の不調は、能力の行使に起因するのではないか。その事実はつまるところ 「能力の行使が甚大な消耗を招く」 ことを示唆してはいないか。
そもそも"あれ"は、人に与えられた能力ではない。自然の理をねじ曲げて力を揮おうというのなら、無理が生じて然るべきだ。そう、あんなにも強大で特異な力だ、代償がない方がおかしいではないか。
初めは、動物をひっくり返すだけの遊びだったと言っていた。だが、やがて、一人の賊を彼方へ消し去り、大勢の賊を瞬殺した。威力が確実に増している。恐らくは成長に伴って。
恐ろしい推測が頭をもたげた。
──身の内に棲まう「怪物」を、ケインは育ててしまっているのではないか?
だが、あの能力の強大さは、小さな体には不相応だ。そして、今も育ち続けているであろう、ケインの中の強大な力が「器」の容量を凌駕したら?
器の成長を追い越して「それ」が成長してしまったら。
小さな体に収まりきらず、器の限界をついに越えたら。
はちきれんばかりに膨らんで、薄く柔らかい子供の殻を突き破ってしまったら。
それに耐えうる限界が、拮抗が崩れる極限が「六歳の体格」であるのだとしたら──
ぞくり、と背筋が凍りついた。
能力を持つ子供らが、その行使と引き換えに、
──命を削っているのだとしたら。
少し前に会った時より、ケインはずいぶん華奢になった。そう、短期間でひどく痩せた。胸のあばらが浮くほどに。
制御不能に陥った何かが薄い腹を食い破る、凄惨な様相が脳裏をよぎる。
「──う、ううん、まさか! 考えすぎよ!」
声に出して殊更に否定し、エレーンはあわてて首を振った。
握りしめていた拳をゆるめ、止まっていた歩みを再開する。
知らぬ間に、思考を凝らしていた。予感めいた警鐘に背中を押されて、せっぱつまって探っていた。あたかも、今、必要なのだというように。
だが、ケインは元気そうだった。ひどく痩せたという以外、異変はとりたてて見受けられない。痩せたり太ったりということは、人には、ままあるものだ。それに、ケネルも言っていたではないか。受難の年をやり過ごせば、何事もなく暮らせると。
そう、ただの偶然だ。ケインがあんなにも痩せたのも。
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