■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 9話16
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商都で最も栄えているのは、カレリア街道・レーヌ街道の二大街道の玄関口である正門付近に広がる露店街だ。それは目抜き通りへと道なりに続き、商都を訪れた観光客は、下町・露店街の活気を楽しみ、それを満喫してしかる後に、観光案内で目を付けた店舗に繰り出すのが定番だ。
行政街区と商業街区の境であり、トラビア街道からの玄関口でもあるここ北門通りにも、観光の目玉となるような銅像が数体、歩道に設置されている。オブジェの形は様々で、馬に乗った建国の騎士あり、街を見守る女神像あり、商いの都らしく天秤もあり、ラトキエ領家の家紋《 天翔ける馬 》もある。風変わりなところでは、舳先に装飾をつけたゴンドラ船というのもある。これは、北門からの搬入物が、かつて大河を使って運びこまれていた史実による。
これらのオブジェはことごとく高名な芸術家の作品であり、活気のある正門から距離の離れたこの通りまで、客足を伸ばそうとの思惑であるが、そうした健気な街の努力が実を結んでいるとはいいがたい。目抜き通りの混雑に比べ、こちらは往来がゆるやかで、いたってのんびりしたものだ。歩道を行き来する人々は、寛いだ顔で歩いている。
もっとも、北門通りにも、衛兵はいる。むしろ、街角で見かける制服が、向こうより、よほど多いような?
(……やだ。なんかあったのかしら)
祭の警備の出動というには、いやに物々しい雰囲気だ。表情はいずれも引き締まり、ピリピリ空気が張り詰めている。いかめしい顔つきで、仲間としきりにやりとりしている。凶悪犯が逃げてきたとか? まさか。
昼食の袋と荷物を置いた、先ほど出かけた街路樹の下で、ファレスは一人でつっ立っていた。天気の具合でも見るように、顔を空に向けている。
そう、ファレス一人きりだ。昼食を買って戻った時には、ザイの姿が消えていたが、今度はケインが消えている。用足しにでも行ったのだろうか。とはいえ、連れを気にした様子はファレスにはない。一体なんの道楽か、ただただ上を見あげている。
和やかにそぞろ歩く、のどかな人波を見まわして、エレーンはいぶかしげに歩み寄った。
「なにやってんのよ、そんな所で」
急に物悲しくなったのか? それとも一句ひねっているのか?
「たかいたかいだ」
ファレスは相変わらず突っ立って、首を背中に倒したままだ。
("たかいたかいだ"ってなに)
意味不明な回答に白けた視線を送りつつ、エレーンは構わず先を訊く。「ねー、ケインは? おしっこ?」
ファレスは街路樹を仰いだままで、人さし指を一本立てた。いや、あれは「上」をさしているのか?
あんた真面目に答えなさいよね、とエレーンは顔をしかめて近寄った。ファレスの隣で胡散臭げに足を止め、一体なによ、と樹を仰ぐ。
「──わっ!?」
ぎょっ、とのけぞり、引きつった。
子供のズボンと思しきものが、見あげた頭上でバタバタしていた。下から数えて三番目の枝だ。それに両手でしがみつき、ケインが歯を食いしばっている。
「ケ、ケインっ!?──ケイン! ケイン、大丈夫っ?」
泣きべそ寸前のケインに叫んで、ぎろりと隣をねめつける。なにのんきに見物しているのだ己は!? いや、そもそもどうして、あんな事態に陥っているのだ!?
ただならぬ殺気を感じたか、ファレスはほりほり頬を掻いた。「──いや、あんまり物欲しげな面するからよ」
て、なんの話だ!?
いちいち意味不明だが、今の気まずげな言い訳で、犯人が誰かは判明した。とはいえ、今は糾弾している場合ではない。
ぐぐぐ、と拳に怒りを封じ、エレーンは顔を振りあげる。
「もうちょっとだけ、がんばってケイン! すぐに下ろしてあげるから!」
頬に手を当て声援を送り、二本の足がばたつく下で、わたわた視線をめぐらせる。何か使えそうな道具はないか。枝まで届く踏み台だとか、移動が可能な銅像だとか。余裕なさげなあの様子では、落下は恐らく時間の問題──
はた、とひらめき、ぽん、と手を打つ。
(あ! パレードの山車! あれを作った所なら!)
そこにハシゴがあるのではないか?
あたふた背後に踵を返す。両の拳を胸元に、いざ行かん! と足をあげ──
そのまま、じたばた足踏みした。
確かに山車は車高があるから、制作の際には、ハシゴの類いを使うかもしれない。だが、我ながら鋭かったこの天啓、致命的な欠陥がひとつある。
──作業現場が分からない。
むしろ、本日使用する山車ならば、とうに作り終わっている……。
己の動揺振りに、愕然として固まる。
「おい、飛び降りろ」
後ろで、ぞんざいな声がした。
あぁん? と胡乱に目をやれば、言わずと知れたあのファレス。先と変わらず、平気の平左でながめている。むろん声をかけたその先は、枝に必死でしがみつく、瀬戸際この上ないあのケインだ。
「そんなことして、足でも折ったら、どうすんの!」
両のまなじりつりあげて、エレーンはつかつか立ち戻った。だからこそ、あの枝に必死で張り付いているのではないか! 確かにファレスはとんでもない運動神経の持ち主だから己は平気かもしれないが、ケインはそこまで図太くない。か弱く、いとけない幼児なのだ。そもそも、高い枝から地面まで、身長の何倍あると思っている!
案の定ケインは、ぶるぶる震えて首を振った。
「……でも、こわいよ」
やっとひねり出したような、蚊の鳴くような小さな声。しゃにむに枝にしがみつき、固く瞼を閉じてしまう。面倒そうに舌打ちし、ファレスが軽く身じろいだ。
「いいから。受けとってやるから飛び降りろ。ずっと、そこにいる気かよ」
ぽかん、とエレーンは口をあけ、その横顔をしげしげと見た。人非人と定評のある無慈悲で傲岸なこの男が、よもや親切心を起こそうとは。
「枝から手を離して、とっとと飛べ。大丈夫だ。ガキの一人くらい、受け損じやしねえよ」
枝に顔をこすりつけ、イヤイヤしていた崖っぷちのケインが、ようやく、のろのろ顔をあげた。ごくり、とつばを飲みこんで、しがみついた手を恐々離す。
両手両足大きく広げて、モモンガのようにケインが飛んだ。ファレスは足を軽く引き、受け入れに備えて身構える。
ごいん、と妙な音がした。
ファレスが顔をしかめて額をつかみ、歩道に尻もちをついている。歩道に伸びた腹の上には、ちょこんと着地した薄い背中。
「──てめえ! なんで、デコからきやがるっ!」
邪険にがなって、ファレスは涙目。
同じく涙目だったケインを抱きあげ、エレーンは口を尖らせた。
「仕方ないでしょー? 子供は頭が重たいんだから。てか、あんたが飛べって言ったんじゃないよ。──ケイン、おでこ大丈夫? 他に痛いとこ、どっかない?」
もーかわいそうに、いい子いい子、とあてつけがましくかばってやり、広い額をぐりぐりなでる。ファレスは後ろ手をついて体を起こし、腹立たしげにねめつけた。「なんで、無駄に頭ばっかでけえんだよ!」
「もー。子供相手に大人げないったら」
むしろ、なんて見苦しい。
何故に、こんなことになったのか、事ここに至った次第を訊けば、ファレスはどうも、ケインを構ってやっていたようだった。雑踏の中、父の肩車ではしゃぐ子供を、ケインが目で追っていた、それをファレスが見かねたらしく、ケインの胴を両手で持ちあげ
"高い高い"をしてやった。そうして、なぜだか、この有り様。
肩にしがみつくケインの頭をいい子いい子してやりながら、なにやってんのよ、とじろりと睨む。柄にもなくそんなことするから、無理がたたって、ひどい目にあうのだ。
石畳の路上にあぐらをかき、ファレスは憮然と腕を組んだ。「さっきまで、きゃっきゃ言って喜んでたぞ?」
それは調子にのってぶん投げるまでの話だ。
「──あんたねえ、子供と遊んでやる時は」
エレーンは頭痛のし始めた額をつかむ。
「力の加減をしなさいよ!」
「だって、おめえ、このガキがよ」
ケインがあんまり嬉しそうな顔をするものだから、ついついぶん投げてしまったらしい。
ファレスは膝に頬杖をつき、不貞腐って顎をしゃくる。
「でも、面白かったろ?」
肩に額をすりつけていたケインが、ちら、とファレスを振り向いた。ぎゅっ、と小さな拳を握る。
「お、おうっ!」
……おお?
「びびってねえよな。な?」
「なっ!」
むん、とケインは大きくうなずく。
(……な〜に、やせ我慢してんだか)
急に連帯した男どもに、エレーンは白けた目を向ける。
ファレスが苦虫噛み潰した顔で、腹を押さえて腰をあげた。「で、こいつの着替えは。買ってきたかよ」
「もっちろん。あ、でも! その前に!」
はい、ちょっとごめんなさいねー、と膝のケインを歩道に下ろして、エレーンは手さげ袋をごそごそ探る。
じゃじゃあん! と口で景気をつけて、満面の笑みで、さし出した。
「はい。幸せのおすそ分け!」
あ? とファレスが顔をしかめた。
その鼻先にあるものは、ゆでた卵の黄身のような、ほくほく丸いミモザの花。太陽の光を集めたような、明るく邪気ない、幸運のしるし。
仏頂面で、ファレスは手を出す。
「おい、釣りは」
風船から空気が抜け出すように、エレーンはげんなり嘆息した。
もーあんたはぁ! とふくれっつらでポケットをあさる。「シャツとズボンで四千カレント、それから下着が三百カレント。で、これがお釣り!」
ぺしり、と催促の手に叩き返す。
ひーふーみー……と手の平でそれを勘定し、ファレスが舌打ちで目を向けた。「足んねえじゃねえかよ、小銭がよ」
「だからー、お花の分だって」
あるでしょー? ここに。現物が。と顔の前でふりふり振る。
「てんめえ、あんぽんたん。なんで、こんな無駄遣いしやがる!」
「いーじゃないのよ、ミモザ祭なんだからあ」
ぽかん、と立っていたケインの前に「はい、ケインの分!」と笑顔で手渡し、ファレスにぶんぶん指を振る。
「いーい? ミモザ祭っていうのはねえ、ミモザの花をやりとりして、幸せをみんなと分かち合う日なのよ? そしたら、み〜んな幸せになれるでしょう?」
そう、一挙両得。一石二鳥。袖振り合うも多生の縁。
「配っちまったら減るじゃねえかよ、てめえの運が」
ファレスはぶちぶち真顔でごちた。
いくら出しても買えねえんだぞコラ、と更にしつこく愚痴りつつ、黄色いミモザを指先でつまんだ。鼻先にミモザをくっつけて、くんくん匂いを嗅いでいる。しばし、胡散臭げにためつすがめつ、あんぐ、と口を大きくあけた。
「食べようとすんなっ!」
口が閉じる寸でのところで、エレーンはあわててぶん取った。ファレスが不服げに目を向ける。「だったら、せめて、食えねえもんかと思ってよ」
「なんで、あんたはそーなのよっ!」
幸運の象徴ミモザの花を、事もあろうに食おうとするとは。そうまでして元が取りたいのか己は!──ふと、ケインが静かなのに気がついて、そろり、と肩越しにうかがった。
上半身裸のケインは、長いまつ毛を伏せがちに、ミモザの花をながめていた。小さなその手が、ふわふわの黄色を握りしめている。
ふっくら柔らかな子供の頬が、日に透けてしまいそうに白い。薄い胸をゆるく動かし、かすかに息づく小さな命。この世の者ではないような、天上の住人であるかのような、なにかとてつもなく神聖な生き物に思える。
青白い体の細い手足、ぺたんとした薄い胸、前に彼を見かけた時より、更に一回り小さくなった。そう、決して気のせいではない。やはり、ケインはずいぶん痩せた──
「で、肝心の着替えは」
ぶっきらぼうに割りこまれ、むぅ、とエレーンは振り向いた。
「買ってきたわよ、言われたとーり!」
まったく、気を揉む暇もない。ぶちぶち言いつつ、手さげ袋からシャツを出し、満面の笑みで、ぱっと広げる。
「どう? ケイン!」
花にうつむいた顔をあげ、ふと、ケインが振り向いた。
小首をかしげて、シャツを見ている。両手を下げてつっ立ったまま、ケインは何を言うでもない。反応のなさに戸惑いつつも、エレーンは笑顔でシャツを振る。
「ほ〜ら見て見て? かっこいいでしょう? 怪獣よー? ね、ケイン?」
ぷい、とケインが横を向いた。
「やだ。こんな、こどもっぽいの」
唖然とエレーンは固まった。
思わぬ反応にたじろいで、だが、めげずに、ぎくしゃく笑顔を作る。「な、なんでかなー? 怪獣こんなにかっこいいのにぃ」
「やだ! もっと、かっこいいのがいい! ダイのやつに、じまんするんだっ!」
なんだそれは野望か?
ふん、とふんぞり返ったケインをながめ、エレーンはあんぐり口を開けた。
(……な、なんで、いきなり?)
これは一体どうなっているのだ? さっきまで、あんなに素直だったのに。そう、ケインが急に
──生意気になったー!?
後ろでやりとりを見ていたファレスが、ケインに鷹揚に顎をしゃくった。「おう、せっかく買ってきたんだ。着てやれや」
ぱっ、とケインが振り仰いだ。
「おうっ! きてみるっ!」
拳を握って、直ちに返答。なんでか、いちいち気合が入る。てか、なぜ怒鳴る。
呆気にとられて見ていると、ケインはもそもそシャツをかぶった。その後ろで、ファレスがふんぞり返っている。あたかも監督官であるかのように。
大きな頭をすぽんと抜いて何故かふんぞりかえったケインの顔と、背後でふてぶてしく突っ立ったファレス──そこに何やらつながりを感じて、二人の顔を交互に見る。
はた、と由々しき事実に気がついた。
──"ファレス"が伝染ったー!?
そう、これではファレスの子供版ではないか。
ほんのちょっと目を離した隙に、なんと強力な感染力。隔離すべきだったと今にして気づくが、時すでに遅し。彼の将来を危ぶみつつも、シャツの裾を引っぱって、服のしわを伸ばしてやる。
ふと、妙なことに気がついた。
「……なんか、前の服と、あんまり変わり映えしないわねえ」
そういえば、服をすっかり着替え終えても、ケインは又、ぶかぶかの服を着ている。
何故だろう。ケインの服が、いつも、こんなふうに、ぶかぶかなのは。
食料の袋を取りあげて、ふい、とファレスが踵を返した。
「来い、坊主。飯にするぞ」
「──うんっ!」
不自由な足を引きずりつつも、ケインが腕を振って駆け出していく。
「……ど、どこ行く気よ?」
路上に散らかした空いた袋を、エレーンはあわてて回収した。
二人の後にあたふた続く。先頭を行く横顔は、苦虫噛み潰したしかめっ面。なによ、かっこつけちゃって。
ファレスが足を向けたのは、北門付近に設置された「ゴンドラ船」のオブジェだった。舳先に装飾を兼ねた錘があり、縦に湾曲した細長い船体に、櫂をあやつる船頭が一人、西を向いてたたずんでいる。
その細長い船縁に、ファレスは無造作に腰をかけた。遅れて着いたケインを抱きあげ、自分の隣に座らせてやる。
(へえ。珍しい)
エレーンは意外な思いでまたたいた。あのファレスが子供を構ってやっている。もっとも、慈しんでいるというよりは、子分のような扱いだが。ケインもケインで、既にパシリの風格が。今にも「おすっ!」とか言い出しそう。そういや、ゲルの子供に囲まれた際の、ケネルにしても、そうだった。まったく、男という生き物は、なにゆえ、わざわざ序列に入りたがるのか……。ちなみに奴らが尻を据えているのは、高名なオブジェのはずではあるが、そんなことにはお構いなしだ。
奴らの傍若無人ぶりに困惑し、おろおろ歩道を見まわすが、ベンチの類いはどこにもない。
ならば、やむなし。
エレーンは肩を落として腹をくくった。
ちらちら視線を投げる通行人と、じろりと見やった衛兵に「あ、済んだら、すぐにどきますんで〜」とぺこぺこ笑って愛想を振りまき、そそくさ隣に腰かけた。
一同、ふてぶてしく居座って、弁当の包みをがさがさ広げる。オブジェも何も、あったもんじゃない。
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