■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 9話19
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祭の雰囲気を盛りあげるべく、楽隊が演奏を始めたのだろう。背後の目抜き通りの方角から、陽気な調べが聞こえていた。
突如、歩道で捕らわれた女は、衛兵と揉めているようだった。拘束の根拠を求められたか、衛兵は無表情に振りかえり、この捕り物に道をあけた野次馬の一角をさしている。
見るからに柄の悪そうなごろつき達が、にやにやしながら眺めていた。 ロマリアで襲ってきたあの賊と人相風体が似通っているから、女のかつての仲間だろう。裏切り者を売り渡し、哀れな末路を見物にきたといったところか。
バラバラ軍靴で石畳を蹴立てて、衛兵が随所から急行した。女一人に二十人からの多人数だ。なるほど今日は衛兵の数が多かったが、それは祭の警備ではなく、通報を受けての出動だったらしい。つまり、あの女賊を逮捕すべく街中を捜していたのだ。
眼光鋭く並び立つ赤い制服の衛兵の中から、上官と思しき者が進み出た。灰色の口ひげをたくわえた、姿勢の良い初老の男だ。女に罪状を告げている。詐欺、恐喝、窃盗、殺人──呆れるほどの件数だ。凡そあらゆる犯罪に手を染めている。
食い入るように見ていたケインを、上官が事務的に一瞥した。「お前の子供か?」
「知らないね」
女は吐き捨てるように一蹴し、細い柳眉をうんざりとひそめた。
「てんで知らない、どこぞのガキだよ。──しかし、まさか、こんな所でパクられるとはね。たく。ついてないったら、ありゃしない。やっと金が入ったってのにさァ」
ケインの方には一顧だにせず、腐った様子で舌打ちする。確かに、あの罪状の多さでは、どんな大金を手にしたところで、一度収監されたが最後、生きて出所するのは難しかろう。女を突き出したかつての仲間は、その悪事の数々を裏の裏まで知り尽くしている。そんな確度の高い証言が出ては万事休すというところ。どこかに逃走しようにも、二十人からの衛兵に、既に囲まれてしまっている。もう、万が一にも逃げられはしない──
はっ、とエレーンは腕の子供に意識を向けた。
自分の母親と思いこんできた相手が、目の前で逮捕されたのだ。胸中の衝撃はいかばかりだろう。もしや、泣いているのでは──
おずおず顔を盗み見た。小さな体を硬直させて、ケインは固唾を飲んでいる。その顔は泣いてはいなかった。だが、事態はもっと悪かったのだ。
腕から逃れようとするように、小さな体が弱々しくもがいた。エレーンはとっさに、かかえた腕に力をこめる。
「──ケイン」
すっ、とケインが、左右の腕をすり抜けた。
一歩、二歩と宙を歩いて、とん、と背中が歩道に降り立つ。
ぎゅっと固く目をつぶり、ケインがあえぐように口を開けた。叫ぶかと思ったが、声は口から出てこなかった。その代わり何かが、歩道を矢のごとく駆け抜けた。
ほとばしり、地を這い、疾走する思念。声なき声が、向かいからぶつかる。"おかあさんに──"
──さわるな!
きゅっ、と大気が凝縮した。
体に密着する確かな質感。
オブジェの横にいた衛兵が、肩をつかんで、のけぞった。女をとりかこむ衛兵たちが、ばたばた道ばたに弾き飛ばされる。あたかも突風の通り道に居合わせたように。──いや、風などない。それは、大気がゆがんだような
──衝撃波。
青白い火花が地面で跳ね、石畳の端が砕け散った。
土塊がえぐれ、街路樹の幹をえぐって、パシン、パシン──と木片が鋭く飛散する。上空の高みで風がうなり、密度の増した大気が震えた。
熱波が大きくあおられて、唖然と見まわす衛兵たちに、波を打って襲いかかる。
衛兵の赤い制服が、次々道ばたの街路樹に当たり、首をことごとくうなだれる。
沿道から、悲鳴があがった。捕り物で道をあけていた人々も、無事というわけにはいかなかった。旋風の余波に髪をあおられ、誰も彼もが腕で顔を覆っている。
巻きあがる烈風に顔をしかめて、エレーンは前方に目を凝らした。
背を向けたケインは足をふんばり、左右の拳を握っている。華奢な背中は微動だにしない。何かに神経を集中している。いや、何かに狙いを定めている──?
はっと視線を振り向けると、衛兵の赤い制服があった。今しがた女に罪状を告げた、あの口ひげの上官だ。尻もちをついた石畳の路上で、振り払うように首を振り、いぶかしげに見まわしている。手をつき、膝を立て、立ちあがろうとしている。もしやケインは、あの彼を、
──消そうとしている?
愕然と、エレーンは硬直した。かつての森の惨状が、真っ白になった脳裏を掠める。木立を濡らす大量の血しぶき。草葉に埋もれた千切れた手足。一瞬にして飛び散った大勢の賊。あれと全く同じことを、今ここで、やろうとしている?
「……だ、だめ」
どうにか押し出した声が震えた。半開きの唇がわななく。
「だめ! ケイン!」
ぴくり、と華奢な背中が強ばった。
的となった上官が、顔をしかめて右にのけぞる。左の頬に赤の線が走り、次いで弾かれたように血しぶきが飛んだ。狙いが外れた。いや、ケインが故意に外したのだ。こちらの制止の発声は、ぎゅっとケインが拳を強く握ったのとほぼ同時──。
ほっ、と胸をなで下ろし、エレーンは改めて通りを眺めた。
爆発に巻きこまれでもしたような、見るも無残な惨状だった。多くの衛兵が薙ぎ倒されて、路上の方々でうめいていた。街路樹の枝葉は千切れて飛び散り、あるいは幹から垂れ下がり、美しく整った石畳は割っ欠け、所々めくれている。沿道の人々は砂塵に咳き込み、店先を飾る椅子や卓は、脇に押しやられて引っくり返り──
「何してんだい!」
びくり、とエレーンは震えあがった。
突如、誰かに叱咤され、我が身をいだいて振りかえる。
声は件の女賊だった。衛兵がことごとく薙ぎ倒された歩道の上に、一人だけ支障もなく立っている。その顔が忌々しげにねめつけた。「なに、ぼさっとしてんだよ! 早く医者に診せるんだよっ!」
「え? あ、あの……?」
すさまじい剣幕にまごついて、エレーンはおろおろ通りに視線をめぐらせる。女が衛兵を気遣うとは意外だった。そもそも、彼らは確かに倒れてはいるけれど、吹き飛ばされた拍子に転んだり、体をどこかにぶつけたりと、直ちに運び込むほど重篤だとは思えない。第一、この大勢の衛兵を、自分一人でどうやって?──なにか腑に落ちない思いで、通りに視線をさまよわせる。はっ、と頬が強ばった。
破片が散乱した石畳の路上に、ぽつりと体が倒れていた。うつ伏せになった柔らかそうな頭髪、黄色いシャツの華奢な肩、ポケットのたくさんついた緑のズボン──
「……ケイン?」
あわててエレーンは踏み出した。だが、駆け寄ろうとするより早く、女がつかつか歩み寄った。その後ろで衛兵が、怒鳴りつけるように制止したが、「すぐに戻るよ」とぞんざいにあしらい、女はそれを一顧だにしない。
女の押しのけんばかりの勢いに、エレーンはすくみ、たじろいだ。女はうつ伏せのケインを凝視し、もどかしげに手を伸ばす。
びくり、とその顔が、天を仰いでのけぞった。
目を見開き、女が動きを止めている。
エレーンは怪訝に目を凝らした。すぐに異変に気づいて息を飲む。女の贅肉のない平らな腹から、硬質な異物が飛び出していた。本来そんな場所にあるはずもない、鈍く光る剣呑な金属──
刀剣の鋭い先端が、赤く血にまみれていた。事態を把握するより早く、新たな切っ先が、脇腹に飛び出す。続いてその下に、三つ目の切っ先──
棒立ちになった女の背中に、赤い制服が貼りついていた。いつの間に追ってきたのか、女のすぐ背後にいる。
女のしなやかな体が硬直し、白くなめらかな喉が震えた。刃の根元から鮮血があふれ、女の服をだくだく濡らした。見る見るどす黒く広がったそれは、薄紫のブラウスを染めあげ、腹を伝い、スラックスを伝い、ブーツの足元へ滴っていく。
突き出たサーベルが引き抜かれ、女が路上にくず折れた。しなやかな手をつき伸ばし、額で分けたなめらかな髪が、落下にともない舞いあがる。その壮絶な光景が、いやにゆっくり視界の下方に沈んでいく。
ぼやけた視界の右端で、往来の人々がうごめいていた。沿道が驚き、どよめいている。どこかで女の悲鳴があがった。いや、光景だけが視界を流れ、声は耳に届かない。あるいは、その叫び声は、今、声を発したのは、他ならぬ自分だったかもしれない。
へなへな腰が砕け落ち、エレーンは路上にへたり込んだ。それから目をそらすことができなかった。見たくないのに、目を閉じることが、どうしてもできない。何度も何度も唾を飲んだ。喉がからからに渇いていた。頭が熱く、ガンガン鳴って、どくんどくん、と鼓動が耳元で大きく打ち鳴り、晴れた空が、いやにのどやかで──
「大丈夫すか!」
声が、耳に飛びこんだ。
噛みつくような男の声。ざわざわと人々の声が、街の喧騒が戻ってくる。
強く肩が揺すぶられていた。ごついリングの骨張った手が、左の肩をつかんでいる。誰かが耳元で怒鳴っていた。やきもきと。ほんの少し、じれったそうに。そうだ、少し前から、ずっと彼は──
「姫さん! しっかり! 姫さん!」
エレーンはのろのろ顔を見た。
あの彼が肩をかかえこみ、気を揉んだ様子で覗きこんでいた。気遣わしげに視線をめぐらせ「怪我はないすか」と尋ねてくる。幼子をなだめるように頬をなで、背中を暖めるようにさすっている。ほんのすぐ目の前にあった。あの禿頭と黒眼鏡が。
「……セレスタン?」
いや、彼とは先ほど別れたはずだ。なぜ、こんな所にいるのだろう。はぐれたロジェを捜しにきたのか? いや、ロジェがここを離れたのは、ほんのつい今しがただ。なぜ、途中で会わなかったのか──とりとめもなく、ぼんやりと、そんなことを考えた。もっと重要なことがあるような気がした。もっと、ずっと重大なことが──
はっとエレーンは硬直した。
現実をまざまざと思い出し、せっぱ詰まって路上を見る。
硬い石畳を肘で這い、女がのろのろ動いていた。歯を食いしばって顔をあげ、思う通りにならないらしいブーツの足を引きずっている。うつ伏せに倒れたケインを見据え、じりじりそちらに向かっている。路上に赤く尾を引いて。
不測の事態に、誰もがその場を動けずにいた。
沿道にたむろす人垣は、固唾を飲んで事態を見守り、女を刺した衛兵たちは、血まみれのサーベルをさげたまま、強ばった顔つきで立っている。
大股で歩けば数歩の距離を、女はようやく辿りついた。うつ伏せのケインに手を伸ばす。その手は覚束なげに左右に揺らぎ、柔らかな頭髪に指先がかする。
青白い顔で目を閉じたケインが、薄い眉をしかめて、身じろいだ。ゆっくり女に視線をめぐらせ、いぶかしげに目を凝らしている。その頬が、ほんのわずか、ゆるんだ気がした。
道に落ちた手が動き、石畳をさまよった。ズボンのポケットをのろのろ探り、何かをつかんで、そこから取り出す。それを体の脇にのろのろ引きあげ──
ぱたり、と手が路上に落ちた。
わずかに顔をあげていた、柔らかな頭髪が、地に落ちる。もう、疲れたというように。
女は歯を食いしばってケインに這いより、その頭を掻きいだいた。血まみれの体をよじるようにして、小さな体を引き寄せていく。我が身に取り込もうとするかのように。
「……お、親子?」
セレスタンの腕にすがりつつ、エレーンは唖然とつぶやいた。「でも、さっきはあの人、知らないって──」
「それ以外の、一体何に見えるってんだ」
よく知る声が予期せず応えた。
沿道だ。
はっとエレーンは振りかえる。
人垣の肩を押しやって、男が一人現れた。年季の入った革ジャンに、薄茶色した長い髪。
「たく。半端な真似しやがって。どうせなら、一発で仕留めろよ」
頬をゆがめて足を引きずり、いやにゆっくり歩いてくる。
「……ファレス」
セレスタンの手を借りながら、エレーンはおろおろ立ちあがった。通りを所在なげにぶらついていたが、ようやく戻ってきたらしい。いや、捕り物に群がった人垣に阻まれ、戻れなくなっていたのだろう。
眉をひそめたどこか難しい顔をしたファレスと、血だまりの二人を交互に見る。「ど、どうしようファレス! あの人が!──ううん、ケインが──!」
ファレスは大儀そうに手で制し、這いつくばった女を見下ろした。
「痛てえか?」
ぎょっとエレーンは見返した。
おろおろ瀕死の女を見る。「ちょ、ちょっと! なんてこと訊くのっ!」
言うに事欠き、何たる暴言。だが、それに続いた思わぬ言葉に、エレーンは、え、と口をつぐんだ。
「──悪りィな。代わってやれねえよ」
ファレスは大儀そうに膝に手を置き、血溜まりの横にあぐらを掻いた。そこには一片の揶揄も含まれていない。むしろ、あるのは無骨な労わり。
地べたに転がる女の顔を、ファレスはつくづく眺めやった。
「無茶しやがる。何をそんなにおたついてんだ。相手は殺生免責の官憲だぜ。命令無視すりゃ、ぶった斬られることくらい、てめえだって心得たもんだろうによ」
何かをその手に握ったままで、ケインは目を閉じている。
女に語りかけるファレスの姿を、エレーンは目の端に置きながら、女の腕にかかえられたケインの様子をうかがった。ケインは目を閉じ、されるがままになっている。華奢な足を投げ出して、あれきり全く動かない。
ささやかで場違いな違和感が、意識を引っ掻き続けていた。あの時、ケインは何をしようとしていたのだろう。相手の気配に目を開けて、間近に迫った母親を見、意識的に手を動かした。何か伝えたいことでもあったのか。
見るともなく見ていた拳を、ファレスの手が取りあげた。ケインの意図がファレスにはわかっているようで、小さな拳をおもむろに開いて、もぎ取るようにして何かを取り出す。
「ほらよ」
子供の頭を掻きいだく女の手にねじ込んでやる。
「こいつを、あんたにやりたかったらしい」
ほっそりとした女の指から、"それ"がふわふわとこぼれていた。陽光のような丸い黄色、ゆで卵の黄身のような明るいミモザ。慶賀のこの日に、大切な相手と分かち合う安らぎ。かの者に幸多かれと。それは、明るく邪気ない幸運のしるし。
──幸せのおすそ分け。
勝ち逃げかよ、と呟いて、ファレスはケインの頭に手を置いた。
「ちゃっかりしてんな、このガキは。てめえが一番欲しかったもんを、最期の最後に手に入れちまうってんだから」
え、とエレーンは聞き咎めた。
息を詰め、幼い顔を注視する。もしやまさかと思っては、あわててそれから目をそらし、必死で打ち消してきたけれど──。
薄く開いていた唇を閉じて、エレーンは身じろぎもせずにケインを見つめた。
たった今、ケインが死んだ。
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