CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 9話23
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 幹が朽ちたか落雷で裂けたか、苔むした大木が、根元から横倒しになっていた。横転し空を鷲づかむ木根の下、地中の黒土が暴かれて、ぽっかり大穴が空いている。
 四方に広がる木根の下に滑りこみ、二人は身を潜めていた。森に息づく小動物のように。
 怒鳴りつけるようなわめき声が、遠くかすかに聞こえていた。森を踏み荒らす追っ手の足音。鳥が梢で羽ばたいて、細く長く鳴いている。この無作法な侵入者を、あたかも非難するかのように。
 向かいにそびえる苔むした根っこを、穏やかな日ざしが照らしていた。線の細い虫が陽だまりで舞い、静かな森林の湿り気が、肩をひんやりと包んでいる。
 かかえた膝に頬をすりつけ、エレーンは気だるく身じろいだ。黒土の湿った匂いが、むっとする。
「──乗ってこねえか」
 へえ、めずらしいな、と肩をすくめ、男は大仰に手を広げる。唇をわずか震わせただけで、何も言わずに首を振る相手を持て余したように嘆息し、やれやれと蓬髪を掻いた。「──よお、なんとか言えよ、おい」
 俺が誰だか分かるかよ──男は茶化す口調でそう言った。
 詰め所から強引に連れ出したのは、森で何度も狼藉を働いた、質の悪い頬傷の男だった。
 遊民部隊に故あって身を置くアドルファス配下のシャンバール人、名前はバリー。
 北門通りで女賊の顛末を見物していた十人からのごろつきは、やはり、ロマリア山中で襲撃してきた賊徒と同一らしかった。北門の詰め所から離れるや否や、刃物をちらつかせて追ってきた。狙いは、お守りにしている件の翠石、音に聞こえた「夢の石」だ。
 これまでも何度も仕掛けては、その都度煮え湯を飲まされた憤懣ゆえか、鬼の形相で森に踏みこみ、未だに執念深く捜している。商都の近隣、衛兵のいる街道の詰め所が間近というのに、それに頓着する様子もない。助けも呼ばずに樹海深くまで逃げこんだことから獲物の劣勢を抜け目なく見てとり、すっかり居直ったものらしい。そう、悪いことに孤立無援の状態だ。
「──ち。参ったな。また数が増えやがった。あいつら、あんなにいやがったのか。たく。どうやって、あれを突破したもんかな」
 茂みの陰から、うんざり様子をうかがいながら、こいつはホネだな、とバリーはぼやく。
 敵の追撃を振り切って気が昂ぶってでもいるのだろうか、今日はいやに饒舌だ。ろくに返事もしないのに、なんのかのと話しかけてくる。
「なんだってんだよ。調子が狂うな。今日はずい分しおらしいじゃねえかよ、いつもは小生意気に言い返してくるのによ」
 エレーンは気だるい体を掻きいだき、膝に顔をすりつける。「……悲しくないの?」
 敵の様子を引き続き見ながら、バリーは面倒そうに横顔で応じた。「なにが」
「そんなふうに、平然と。ケインもあの人も、あんた達の同族なんでしょ。なのに」
「どうせ、早いか遅せえかだ」
 さばさばと肩をすくめて、バリーは傾斜にもたれかかった。
「人なんてものは、どうせ、いつかはくたばるんだよ。ああ、副長も泣きはしなかったろ? 実際あんなことは、よくあるこった。まあ、こう言っちゃなんだがよ、あいつら遊民には、特にな」
「──他人事みたいな言い方するのね。自分の仲間のことなのに」
「は? 仲間。誰と誰がだ?」
 呆れた顔で振りかえる。バリーは片眉をあげて言い捨てた。
「あいにく俺は、生粋のシャンパール人でね。あんな連中の仲間じゃない」
 エレーンは眉をしかめて口をつぐんだ。「もっとも」とバリーは蓬髪を掻いて、頭上で揺れる梢をながめる。
「頭(かしら)だけは別だがな。あの人は紛れもなく俺の親父だ」
 怪訝にエレーンは見返した。「でも、アドの子供は、もう──」
「血はつながってなくても家族なんだよ。そういう形の家もあんだろ」
「……血は、、つながって、、、、、いなくても、、、、、
 口の中でくり返し、ふと、エレーンは意識を凝らした。それは、あの群れで寝起きするようになってから、事あるごとに感じていたことだった。ケネルやファレスやザイたちは、それぞれ別個の他人だが、彼らの絆は強靭だ。それは家族のそれと匹敵する。
 家族の形──ぶっきらぼうに放られた言葉が、ひどく意識に引っかかる。それは胸に巣くう渇望と強く結びついている。正体を見極めるべく目を凝らすが、影の尾だけをそこに残して、素早くいずこかへと逃げ去ってしまう。そこに在るのはわかっているのに、どうしても手中にすることができない。
 つかみかけて逃がした影は、とても重要なものだった気がした。これまで培った認識を根底から覆しかねないほどに。けれど、今は気だるくて、もう、何も考えたくない。
「さっき、くたばった、あのガキな」
 森の深い梢の先を、バリーは首を倒して眺めやった。
「あれはあれで本望だろ。あれはあのガキの寿命だよ。どうせ、くたばる運命だった。なら、母親と一緒で良かったじゃねえかよ。それがガキの望みだろ」
 握りしめ続けた手の中のバッチは、手の平にぬるく馴染んでいた。青い竜の、ケインのバッチ。
「ガキなんてものは、みんなそうだが、どうしても母ちゃんに会いたくってよ」
 溜息混じりに、バリーは続ける。
「奴も迷子みてえに死に物狂いで探しまわって、やっとのことで引き当てたんだ。この広いカレリアで、たった一人を見つけ出す──生涯最期の土壇場で、てめえの望みをねじ込もうってんだから、まったく大した執念だぜ」
「──でも」
 とっさに、エレーンは口を開いた。隣の一瞥を目の端でとらえ、地面の一点を凝視する。
「そんなの、なんにもならないじゃない。そんな望みが叶っても。一緒にご飯も食べられない。一緒にお母さんとも笑えない。これからなのに、まだまだなのに……」
 しゃくりあげたその頬を、はらはら涙が伝って落ちる。
「──そうだな。だが」
 バリーは苦笑いして目を細めた。
「たぶん、あれはあれで良かったんだよ。不憫だとか哀れだとか、ひとは色々言うんだろうが、当のガキにとってはよ、あれが最高の死に場所だった。いや、あれに勝る花道はねえよ。ひとが真から欲しいのは、心の底の芯にあるのは、たぶん一つぽっきりだ。そいつをつかめる奴なんざ、そうざらにはいねえもんさ」
 頭上の梢にこだまを残して、どこかの枝で鳥が鳴いた。
 木立を抜けるその声に、森の懐の広がりと、空の高さを意識する。
 青梢の傘に守られて、森はしっとり涼やかだ。静寂の中に息づく森は、猥雑な街中とは別世界だ。ここにはわずかな乱れもない。森で起きた些細な事変は──どれほど無残な抗争も、広大な懐に呑まれてしまう。耳障りな追っ手の怒声も、いつの間にやら遠のいて、ふっつりと聞こえなくなっていた。あたかも吸い込まれてしまったように。
「お前は何を背負ってんだよ」
 ちら、とバリーが一瞥した。
「何かあったろ、父親とよ」
 面くらい、エレーンは眉をひそめて目をそらした。「……なんで、いきなり、そんなこと」
「いいじゃねえかよ、教えろよ。黙ってぶっ座ってたって退屈だろうが」
 しつこくバリーは食い下がる。いやに親しげな振る舞いで。
 それでもエレーンは押し黙り、膝に顔をすりつける。バリーは口を閉じて様子をうかがい、「──なら、俺からいくか」と大儀そうに身じろいだ。
「こいつは前に、どこぞのろくでなしから聞いた話だ」
 どさり、と重い音がして、背後の傾斜にもたれかかる。
「初めはなんのことはない、ほんのささいな諍いだった。隣村の連中が気に入らなくて、そいつら、、、、は官憲にちょっとチクった、隣に間諜が潜んでるってよ──ああ、ガキのほんのいたずらって奴だ。討伐隊が現れて隣の連中はびっくり仰天、それを笑い物にして溜飲を下げて、それで終わる話だった。だが何の手違いか、討伐隊はそいつの村にやって来た」
 頬傷のある横顔は、梢の先からさしこむ光をまぶしそうに眺めている。
「ガキどもは恐くなって、物陰でぶるぶる震えていた。隣近所が締めあげられて、親兄弟がぶっ殺されてる間中」
 うつぶせた膝の上から、ふと、エレーンは顔をあげた。似たような話を、以前にも、どこかで聞かなかったか? 
 記憶を辿ると、黒々とした夜の森、淡々と話すファレスの白い顔がよみがえった。そう、あれは、アドルファスのヴォルガがあった、あの晩のことだ。
 あの蓬髪の首長には、戦と無関係な農村を壊滅させた過去がある。敵の攻撃拠点となっている間諜の村を殲滅する、それが彼らの任務だった。だが、騙され、利用されたと気がついて──戦意高揚を図るべく、村人の虐殺を敵の仕業と喧伝し、つまりは、かの村人を生贄にしたのだという真の目論みを事後に悟って、生き残りの子供を密かに保護し、手元に置いてかくまった。それがバリーを初めとするあの一派。そう、これは、他ならぬバリー自身の身の上話ではあるまいか──。
 ふと、バリーは口をつぐみ、苦々しげに顔をしかめた。
「──なんだ。お前、知ってんのかよ」
 誰だよ、ばらしやがったのは、と渋い顔で舌打ちする。
「そう哀れむような目で見るんじゃねえよ──因果は巡る、そういうこった」
 ばつ悪そうに苛々と吐き捨て、眉をひそめて目をそらす。
 バリーはしばらく口を閉じ、その先に続ける言葉を探していたようだったが、うまい言いまわしが見つからなかったか、観念したように嘆息した。困ったように苦笑いし、蓬髪の頭をがりがり掻く。少しぎこちない口調で言葉を続けた。
「だが、まあ、こう言っちゃなんだがよ、世間には存外よくある話だ。人ってのは大なり小なり、そんなものを背負っちまってるもんなんだよな」
 エレーンは怪訝に見返した。とても意外なことだったが、彼はどうやら、こちらが背負った肩の荷を軽くしようとしているらしいのだ。
 だが、何か釈然としない。今まであんなに刺々しく白眼視していたこの男が、今になって、なぜ急に? そういえば、今日は初めから何か様子が違っていた。好戦的な態度は鳴りをひそめ、友のように親しげで──いや、友人などより、ずっと親身だ。詰め所で衛兵との間に割って入り、そそくさ外に連れ出した時など、子が働いた粗相を詫びる親であるかのようだった。馴れ馴れしい男のこの手を未だ振り払うことができずにいるのは、端々ににじみ出る労わりを、どうにも拒みにくいせいではなかったか。
 態度が軟化したその理由わけが、エレーンにはどうにも計りかねた。親密な間柄になるような、何のきっかけがあったでもない。バリーとは、あの日別れたきりだ。バリーに森でさらわれかけ、見咎めたウォードがバリーを殴り、ザイが二人を止めに入ってウォードに吹っ飛ばされて頭を打ち、その隙にバリーは逃げ去って、それきり会ってもいないはず。そもそもどうして、古傷をえぐるようなそんな話を始める気になどなったのか。ずっと癒えない傷だろうに。癒えるはずもない傷だろうに。今でも直視などしたくない、封印したい過去だろうに。
「さあて、今度はそっちの番だ」
 照れくさそうに目配せされ、エレーンはたじろぎ、目をそらした。相手が古傷をさらけ出した以上、自分だけが意固地になって口つぐんでいるわけにはいきそうもない。
「……あ、……おとう、さんに」
「ああ」
 とっさに、あえぐように口を開くと、何気ない相づちで、バリーは促す。
「……あたし、あの」
 エレーンは逡巡して唇を噛んだ。先を強いられたわけではない。怒声で脅されたわけでもない。そもそも彼は勝手に語りだしたのだ。そのやり方は強引で、卑怯という気がしないでもない。けれど──
 心が大きく揺さぶられていた。
 彼が語った身の上話は根っこの部分がよく似ていて、とても平静ではいられなかった。底に流れる癒えない叫びが自らの"それ"と共振し、強い力で呼び覚まされる。心の底に押し込めた、深い場所に封じた"それ"が暴かれそうになってしまう。だって、ほんの軽い気持ちだったのだ。まさか、そんな大ごとになるなんて、まるで思いもしなかった──。
 頭の中は真っ白だった。何もかも吐き出してしまいたい衝動に駆られた。そう、これは、幼い頃からかかえてきた硬いしこりではなかったか。ずっと隠し持ってきて、けれど、ずっとずっと吐き出してしまいたくて仕方のなかった、本当は誰かに聞いてもらいたかった悲憤なのではなかったか。
 得体の知れぬ焦燥に駆られ、胸が苦しくて仕方なかった。この際、相手は誰でもいい。後の事などどうでもいい。一刻も早く解放されたい。もう、一時も我慢できない!──胸からほとばしる奔流のままに、エレーンはあえぐように顔をあげる。「──あのね、あたし、お父さんに」
 素早く、バリーが片手をあげた。
 訴えかけた唇の前に、人さし指が当てられている。口をふさげ、という合図。
 耳に、森のが戻ってきた。梢がさわさわ揺れる音。茂みが服とこすれる音。野草を踏みしだく複数の足音。
「嗅ぎつけやがったか」
 耳を澄まして舌打ちし、バリーは傷のある頬をゆがめた。「こんな所じゃ援護はねえし、指笛しらせも隊まで届くかどうか──ま、こっからじゃ無理だろうな」
 狩人の声が迫っていた。草木を薙ぎ、駆ける音。草の根わける勢いだ。
「こりゃ、捕まりゃ血祭り間違しなし、か」
 難しい顔で顎をなで、バリーは思案するように眉をひそめた。「……二人一緒じゃ逃げ切れねえな」
 膝を立てて立ちあがり、へたりこんだエレーンの腕を引っぱりあげる。
 いい案がある、と振り向いた。
「ここで二手に別れるぞ。東は正門に向かう道、西は街道へ出る道だ。──一か八か、こいつは賭けだ。どっちに食らいつこうが恨みっこなし。だが、こうすればお互い、日没まで生き延びる可能性が、無しから半々に跳ねあがる」
 上着の懐から、銀の硬貨を一枚取り出す。
「裏なら東、表なら西だ」
 ピン、と硬貨が弾かれた。
 それはきらきら木漏れ日を弾いて、片手で覆ったバリーの手の平が開かれる。
「──表だな」
 ズボンの隠しに硬貨を突っ込み、西への道を指さした。
「お前は西の道を行け」
 じゃあな、とバリーは片頬で笑い、ぶらりと逆方向へ肩を返す。だが、数歩あるいて、足を止めた。
 しばし、ためらうように背を向けたまま立ち尽くし、蓬髪の後ろ頭を背中に倒す。
「──なあ、止めた奴も、、、、、いたのかな」
 エレーンは面食らって見返した。「……え?」
「さっき、衛兵に向かっていった、メイドの姉ちゃんがいただろう。ああいう姉ちゃんみたいなのがよ」
 途方に暮れたように突っ立って、バリーは空を眺めていた。わずかにひらけた梢の先の、遠く青い夏の空──。
 その革ジャンの背を見ていたら、ふと、彼が見ているものに気がついた。彼が眺める空の下には、彼の故郷の広い大地がひろがっているのではあるまいか。ならば、今のは故郷の話? 彼の村を生贄にした、故郷にいる同盟幹部の──。
 すがるような郷愁をそこに見て、エレーンは唇を噛みしめる。何かのためらいを振り切るように、バリーが肩越しに振り向いた。
「この国が好きか」
 虚をつかれ、エレーンは面くらって言葉を呑んだ。バリーは笑って目を据える。「この国が好きかよ、奥方さま」
「──う、うん」
 あわてて、ようやくそれだけ返すと、「そいつは良かった」とバリーは笑った。軽く手をあげ、歩き出す。
 目の前でひるがえった蓬髪に、はっ、とエレーンは我に返った。賊がこっちに来たら、どうしたら──
 とっさに後を追いかけて、ふと、足を押しとどめる。
 知らず伸ばした手を戻し、軽く拳に握りしめた。彼は二度と振りかえらない、そんな気が強くしたのだ。そう、決然と歩く広い背は、覚悟を決めた、そんなふうに見えた。
 ひとつ軽く息をつき、エレーンは蓬髪に背を向けた。
 静まりかえった森の道を、言われた通り、とぼとぼ歩く。賊がこちらに現れたら、その時は一巻の終わりだろう。バリーと違い自分には、賊をやり過ごせるような腕力はない。まして、誰の助けも期待できない。自分が森にいることは、ファレスもケネルも預かり知らぬことなのだ。たとえ悲鳴が聞こえても、バリーも戻りはしないだろう。道を二つに分けた時、彼は未来を賭けたのだ。硬貨が弾いた二分の一の確率に。
 親しげな笑顔と語り口が、かの蓬髪の首長に似ている気がして、うっかり気を許しかけたが、そうした態度も何もかも、一時だけの暇つぶし──。
「……見捨てられちゃった」
 体中から、力が抜けた。
 足手まといを切り捨てた、つまりは、そういうことらしかった。首を倒して木漏れ日をあおぎ、エレーンはひとり、西への道を歩きだした。
 
 
 

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