CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 9話24
( 前頁 / TOP / 次頁 )


 
 
 地を揺るがす地鳴りと同時に、セレスタンは足をとられた。
 野草おい茂る地面を見、黒眼鏡の眉を怪訝にひそめる。今の揺れは地震だろうか。さもなくば、雨水でゆるんだ山腹の斜面が土砂崩れでも起こしたか──。
 緑の森は先と変わらず、豊かな梢をそよがせている。
 ひっそりと穏やかな風光にほんのわずか意識を凝らして、奥へと足を踏み入れる。
 門衛のいる北門を駆けぬけ、トラビア街道にまろび出て、すぐさま彼女を捜したが、そこに姿は既になく、彼女の後を尾行けていたあの男の尻尾もつかめなかった。そう、左の頬に古い刀傷を持つ男、アドルファス隊第二班をまとめる長バリー。だが、バリーは過日のヴォルガで診療所送りにされたはずだ。遠いラデリアで謹慎中のあの男が、なぜ今時分、商都になど現れたのか──。そういえば、バリーの姿を見たという噂を、どこかで聞きはしなかったか。
 トラビアに続く街道は、普段はのどかに鄙びているが、祭の今日ばかりは人通りが多く、街道沿いの商店は、客の呼びこみに忙しい。よりにもよってこんな時に、視界をさえぎるこの人出──難航しそうだと閉口したが、祭の人出、まさにそれこそが幸いした。
 散々闇雲に街道を捜し、道を戻って聞きこむと、バリーの足取りは拍子抜けするほど呆気なく割れた。街道で呼びこみをしていた乾物屋が"それ"をはっきりと目撃していたのだ。
 森に踏みこむ女連れ──それは奇異なものとして、店主の記憶に残っていた。整備もろくにない森林は、原生林さながら足場が悪く、まして女連れで遊びに行くような小じゃれた場所では全くない。気軽に散策を楽しむには地形が平坦でないばかりか、むしろ高台などは急勾配で、小さな山といっても差し支えない。そんな起伏の厳しい寂れた森に、わざわざ踏みこむ物好きはいない。
 藪を掻いて進みつつ、セレスタンは黒眼鏡の眉をひそめた。彼女をバリーに渡しておくのは危険だった。早く取り戻す必要がある。だが、四方八方見渡しても青い森が広がるばかりで、一たび深く入り込まれてしまえば、どちらに進んだものか見当もつかない。森林保全の役人が定期的に見回っているのか野草の払われた道はいくつかあるが、どの道を選んだものかは分からない。
 歳月を重ねた地面には、枯れた枝葉が降りつもり、朽ち折れた大樹の根元で、芽吹いた野草が青くゆれる。
 人の手の入らぬ森は、緑梢を張り出す木々が主人だ。樹根は縄張りを主張するかのごとくに隆々たるうねりで盛りあがり、そこかしこに段差がある。草木はくっきりと匂いたち、いくえにも重なる緑梢が昼の夏日をさえぎって、静かな森のそこここに、神々しくも清らかな光の帯を射しかけている。
 目印も手がかりも見あたらない。焦れて苛々踵をかえす。ふとセレスタンは足を止めた。
 道から外れた奥の茂みに、気になるものが垣間見えたのだ。それは雨水の溜まったぬかるみと、それを乱雑に踏みしだいた複数の靴跡。バリーのものにしては、様子が奇妙だ。そう、数がいささか多すぎる。靴跡は十人からの大人数だ。バリーの他にも何者かいるのだろうか──
 ふと、とある顔が脳裏をよぎった。女賊の処刑を見物していたレーヌのごろつき。その中には、あのジャイルズの顔もあった。
 ジャイルズは、彼女が崖から転落し、急ぎ大陸を南下している時、馬群にちょっかいを出してきた与太者たちの頭目だ。夢の石を渡せと迫り、隊長に軽くあしらわれていた。道中何度も仕掛けてきたのも、つまるところ、あの輩。狙いは、あの彼女だった。
 森に彼女を連れ込んだバリー。森を踏み荒らす大勢の足跡。一体何が起きている──
「──姫さん」
 静かな木立に舌打ちし、せっぱ詰まって足を踏み出す。
 きらり、と何かが右手できらめき、反射的に飛びのいた。
 そらした頬を辛くもかすり、カッ──と何かが背後の樹幹に突き刺さる。とっさにそれを振り向けば、樹幹に突き立った黒い矢羽。黒光りする美しい矢羽だ。どこかで見たことがあるような──だが、思い出している暇はなかった。
 続け様に風がうなった。肩先を抜け、脇を抜け、鋭い軌道が突き刺さる。
 素早く地を蹴り、巨木の裏に滑りこんだ。
 盾にした樹幹から、相手の様子を慎重にうかがう。射手のいる方向は、前方右手の生い茂った葉陰、ジャイルズ一派の妨害だろうか。いや、連中の根城はレーヌの町中、そんな所で弓矢を使う者はない。他に弓矢を用いる者といえば、鳥獣を狩る猟師だが、それなら人など狙いはしない。そう、今のは意図的な攻撃、、だ。
 焦れて踏み出した爪先に、即座に鋭く矢羽が突き立つ。一体、これは誰の仕業だ。実戦に長けた玄人だ。この的確な弓さばき、正確な軌道。矢羽にしては珍しい光沢のある黒い羽──
「青鳥?」
 ふと、セレスタンは顔をあげた。あの矢羽は青鳥の羽、青鳥は鳥師が使役する特殊な鳥だ。伝のない矢師では入手できない。
「──レオン、か」
 遅まきながら、思い当たった。それと同時に、重大な事実に愕然とする。精鋭をそろえた特務きっての射手レオン、その彼がここにいるというのなら──草の葉ゆれるのどかな土道を凝視して、セレスタンは眉をひそめた。「──来たか」
 先程の不可解な地面の揺れは、地震などではなかったらしい。そう、あれは宣戦布告。発破師がこの先を爆破して、道をふさいでいたのだろう。この森には、既に特務が展開している。すぐにも後を追ってくる。
 一刻も早く、この場を離れる必要があった。一つ所に留まれば、みすみす取り囲まれることになりかねない。袋のネズミになる前に、レオンの足止めを突破せねば。
 そう、特務に捕まれば、ただでは済まない。かの首長による尋問の上、十中八九処刑される。嫌疑者と二人きりで引きこもった首長のテントは静まり返り、中でどういうやりとりがなされるものか、そう長くはない審問の末、嫌疑者たちは必ず落ちた。もっとも、かの首長の前に引き出されては、いかなセレスタンとて白を切り通せる自信などなかったが。
 黒と確定した後は、斬首の上、埋められる。人知れず、密やかに。かくいう自らも、これまでしてきたことだった。
「──ぞっとしねえな」
 禿頭の首をなでさすり、セレスタンは首を振った。
 血なまぐさい記憶を振り払い、意識を向かいのレオンに戻す。バリーやジャイルズ一味は気がかりだが、ここはひとまず、この窮地を切り抜けねばならない。しくじれば、悲願を達成することはおろか、彼女の顔を拝むことさえ覚束ない。
 木立の向こうに、人影を見た気がした。だが、すぐさまそちらに目をやれば、よぎった影は消えている。残された時間は多くない。レオンの手持ちの矢がきれる、次の用意が整うまでのわずかな時間が勝負だった。射手が動きのとれない内に、距離をできるだけ稼がねばならない。
 不意に、向かいからの飛矢が途切れた。すなわち、レオンの手持ちの矢が切れた──
 身を隠した巨木の裏から、セレスタンは走り出た。
 遅れることわずか数秒、空気が鋭く切り裂かれる。
 木の根を蹴りつけ、樹幹を盾にし、飛矢の中を駆け抜けた。そのわずか外側を、矢尻が掠め、飛び去っていく。不吉で荒い音を立て、次々矢羽が鋭く突き立つ。幹に、枝に、ぬかるんだ地面に。
「──なぜ外す?」
 木立の中を走りつつ、セレスタンは眉をひそめた。的にあててしまわぬように、慎重に外しているように感じられた。いや、そうとしか思えない。掠るか掠らぬかのぎりぎりの線で、レオンはきわどい所に打ち込んでくる。だが、彼らにすれば、無傷で連行する必要はない。むしろ、腕なり足なり射抜いてしまえば、容易く動きを封じられるだろうに。もしや、からかって遊んでいるのか? それとも、仲間だからと加減して──いや、呑気な顔はしていても、甘い男ではないはずだ。
 相手の意図が釈然とせず、だが、それに気をとられたのが、まずかったらしい。射手との距離を大分離して、ほっと気を抜いたその矢先、まともに何かに吹っ飛ばされた。
 背後の樹幹で背中を強かに打ちつけて、セレスタンはうめいて首を振る。レオンの攻撃を気にするあまり、前方が疎かになっていた。一体何にぶつかったのか。
 膝を立てようとした刹那、人影が素早く飛びかかった。のしかかられ、仰向いた視界を、見慣れた顔が一瞬よぎる。しかと認識する暇もなく、森の景色が振り切られた。
「──痛てえかよ。こいつはお前が殺った羊飼いの分だ」
 血の混じった唾を吐き、殴られた顔をセレスタンは戻す。
 見下ろしていたのは、あの男だった。筋骨隆々の固い肩、黒い蓬髪、無精ひげ、太い首の金鎖──豪腕ロジェ。どうやら、レオンと連係していたらしい。ならば今のは、レオンが追いこんだ不注意な獲物を太い腕でなぎ払ったか、あるいは体当たりでもしたのだろう。いや、体当たりでは多分ない。それならとうに卒倒している。
 顔を歪めて首を振り、セレスタンは肩を起こす。その頬が問答無用で張り飛ばされた。
「お前の忠義はそんなにご大層なもんなのかよ! 年端もいかねえ羊飼い、なぶり殺しにしちまうほど!」
 なんとか殴り返そうにも、ロジェの拳闘の腕は確かで、ならば、巨体をはねのけるべく抗い、もがくが、この重量では容易ではない。
 ロジェが胸倉を手荒くつかみ、組み敷いた喉元を力任せに締めあげる。「──なぜなんだ! 姫さんはあんなに、お前を信用してたじゃねえかよ!」
 やりきれない憤怒で怒鳴りつけ、ロジェは声を震わせる。見下ろす瞳に涙がにじんだ。
「なんでだよ! なんでいきなり──俺たちは上手くやっていたじゃねえかよ!」
 声を詰まらせてロジェはなじり、セレスタンの肩にもたれた。うつ伏せた肩が小刻みに震える。
 押し倒された仰臥のままで、セレスタンは荒い息を整えた。おもむろに利き手をもちあげて、ロジェの広い背に、そっと置く。
「……懐にさ」
 うつ伏せたロジェが身じろいだ。セレスタンは頬に苦笑いを浮かべる。
「俺なんかの懐に、どうしてなんだか、飛びこんできちまったんだよな」
 虚をつかれ、ロジェが怪訝そうに顔をあげた。
 刹那、巨体がなぎ払わた。
 横の樹幹に激突し、顔をしかめたロジェをしり目に、セレスタンは素早く起きあがる。
「お返しだ」
 切れた口元を拳でぬぐって立ちあがり、木の根を蹴って、駆け出した。
 セレスタンの足の速さは、特務の中ではザイに次ぐ。ようやく肩を起こしたロジェや、足の遅いレオンでは、身軽なセレスタンには追いつけない。
 木立の間を駆け抜けながら、セレスタンは油断なく視線を周囲にめぐらせる。これで振り切れたと思うほど、セレスタンは楽観的ではなかった。レオンとロジェの位置は知れたが、まだ他の面子を見ていない。レオンとロジェがいるのなら、きっと彼らも出向いている。発破師ジョエルに毒薬使いダナン、そして、俊足を誇る鎌風のザイ。一体どこに潜んでいるのか──。
 緑梢を揺らす木立は高く、森は奇妙に穏やかだった。そして、不気味に静まっている。早足にまで速度を落として、木立の先を慎重にうかがう。
 途端、弾かれたように肩をそらして、セレスタンは振り向いた。
 その鼻先を一閃し、銀の切っ先がひるがえる。
 即座に飛びのき、辛くも避け、セレスタンは頬をゆがめた。チリ、とふくらはぎにかすかな痛み。着地の際に足を変にひねったか、立ち枯れた枝が刺さりでもしたか──足の異変に一瞥をくれ、目端をよぎった背後の光景に眉をひそめた。
「……糸?」
 木漏れ日さしこむ木々の間に、透明の糸が張り渡されていた。高い枝から足元まで一面に張られたそれらの糸は、梢を透過した陽を浴びて、きらきら光を反射している。
 あたかも蜘蛛の巣のようだった。
 罠の手前まで追いつめられてしまったような、嫌な胸騒ぎを不意に覚えて、セレスタンは身構える。
 案の定、向かいの苔むした幹の裏に、おもむろに人影が現れた。手には、抜き身の短刀をもてあそんでいる。黒の短髪、切れ長の鋭い目、捉えどころのない無表情──毒薬使い、ダナンだった。
 ダナンはわずか眉をひそめ、セレスタンを無言で見つめ、身軽に地を蹴り、踏みこんだ。
 ひるがえった刃を避けて、セレスタンは飛びすさった。きらきらひるがえる銀糸の園を、よけた肩越しに素早く確認、忌々しげに舌打ちする。
 ダナンは無表情に歩を詰める。一歩、そして、また一歩。案の定、糸が張り巡らされた領域に追いやろうとしている。ひと度踏みこめば、足場は最悪。糸が手足に絡まって、たちまち身動きが取れなくなる。足でもすくわれれば万事休す──。
 刃をよける肩越しに罠との距離を計りつつ、セレスタンはじりじり移動した。ダナンの攻撃の隙を見て、手近な糸をなぎ払う。だが、糸にはかなりの強度があって、やはり、容易く断ち切れるような代物ではない。
 右方向からダナンの刃、背後は張り巡らされた糸の園、ダナンを振りきり前方の木立に駆け込もうにも、大木が派手に薙ぎ倒されて、すっかり道がふさがれている。
 先の爆音の意味するところを、ここへきて、にわかに悟った。あれは、この罠の仕上げの音だ。つまり、この先の逃げ道をふさいでいた──。
 残る脱出口の左手に、やむなくセレスタンは駆けこんだ。まんまと追い込まれた形になって、いささか気が進まない。案の定、それからどれほども行かない内に、道の先がなくなった。すっぱり地面が途切れている。
 崖だ。
 ダナンは無表情で歩を詰める。慎重に間合いを取りながら、セレスタンはじりじり後ずさる。だが、二人の無言のにらみ合いは、そう長くは続かなかった。切り立った断崖が、いよいよかかとまで押し迫る。
 舌打ちで肩を返して、セレスタンは崖の傾斜を滑り降りた。
 ぬかるんだ斜面に足をとられ、危うく転げそうになりながら、寸でのところで踏み止まる。だが、蜘蛛の巣の餌食になるより、まだましだ。
 すぐに、ダナンの顔が崖上に覗いた。だが、続いて降りる気配は見せず、ダナンは腰の鞘に刃を戻す。
「──ばかやろう」
 肩越しに言い捨て、踵を返した。
 セレスタンは土壁の斜面で踏み止まり、いぶかしげに眉をひそめた。そっけなく引いたダナンの背が、予定通り、と言っている気がして、嫌な覚束なさが胸に広がる。
 額の汗を腕でぬぐって、セレスタンは荒い息をついた。なんとか斜面で踏み止まって、滑落は免れたが、何やら身体が重くてだるく、なんだかいやに動きが鈍い。ロジェの馬鹿力に殴られたのが、今になって効いてきたのか──。
 前かがみの背を起こし、斜面にふんばった足を踏み出す。その足が、不意によろけた。
 とっさに足を踏みしめて、生地の切れたふくらはぎを、いぶかしげに見る。
 不調の正体をにわかに悟り、セレスタンは舌打ちした。今しがたの蜘蛛の巣だ。木々に張り渡した透明な糸は、獲物を絡めとるためのものではなかったらしい。
「……しびれ薬かよ」
 そう、糸の罠の真の狙いは、糸の外周に仕込んだ毒。
 しびれ始めた足を踏みしめ、体を引きずり、歩き出す。足が膨張したようで、どうにも足取りが覚束なかった。急速に喉が渇いて、セレスタンは梢を仰ぎやる。
 斜面に張り出した枝をつかんで、なんとか斜面に踏み止まる。異様に吹き出た汗をぬぐって、よろめきながらも歩を進める。あえぎながらも二歩、三歩──直後、すさまじい爆風にのけぞった。
 
 
 

( 前頁TOP次頁 ) web拍手


オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》