■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 9話25
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切り立った崖の縁から、足下の斜面を覗きこみ、発破師は軽く舌打ちした。
「──ち! どこ行った」
確かに斜面を転げ落ちたはずだが、あの姿が見つからない。
寸でのところで直撃をかわし、煙幕に紛れて逃げたらしい。即席の手榴弾をもてあそび、ジョエルはぼさぼさの頭を掻く。
「とっとと探しに行くとするか。ハゲがどっかでくたばる前に」
肩でぶらりと体を返し、崖下に続く道へと向かった。
「……ほらな。どだい無理なんだよ、連中を敵に回そうだなんて」
体中の痛みに顔をしかめて、セレスタンは土壁の傾斜にもたれかかった。
彼らが一息に殺さないのは、連行する必要があるからだ。処刑の前に、首長による審問がある。そうでなければ、とうに葬り去られている。特務の実力は折り紙つき、それは間近に見て知っている。
「大体分が悪いだろ、一対四だぜ」
ごちつつ膝に手を置いて、立ち上がろうと足を踏みしめ、大きな溜息で背を戻す。
ふくらはぎから入った毒のしびれは、今や手の先にまで及んでいた。それは全身に広がって、じわじわ感覚を麻痺させる。森には、特務が展開している。こちらの居場所は既に知れた。こうしてへばっている間にも、包囲網を狭めてくる。じわじわと。確実に。もう、どこにも逃げ場はない。
「……ここまでか」
詰めていた息を吐き出して、セレスタンは土壁に禿頭を預けた。ちらちら光を投げかける梢の隙間の陽光をながめる。
がさり、とかたわらの茂みが動いた。
「よう。ごくろうさん」
セレスタンは気だるく目を向けて、声に軽く手をあげた。
現れたのは、案の定の相手だった。色素の薄い茶色の髪、前髪の下の鋭い眼、筋肉質な痩せた体。"処刑班"を率いる特務の長、鎌風のザイ。
「無傷で突破とはな。やるじゃねえかよ」
「──いや、引っかかった、ダナンの罠に」
土壁の斜面にもたれたまま、セレスタンは親指で崖上を指した。
「ともあれ、間に合ったようで何よりだ。──メガネの奴がしつこくてよ」
ザイが珍しく溜息でごちる。
「メガネって誰。お前の女? どんな奴?」
「ラトキエ領邸使用人。チビで、タフで、頭でっかち。あえて喩えりゃ子犬ってとこかね。しっぽ振って、どこまでもどこまでもついてくる。欲しけりゃ、いくらでもくれてやる」
「──うっわ。ひっでえ。かわいそうだろ、メガネちゃんが」
非を鳴らすセレスタンに、ザイは面倒そうに肩をすくめた。「あいにく俺は、ヒトなんで。女もヒトの方がいい」
さて、とセレスタンに向き直る。
「ぼちぼち、こっちも始めるとするか」
どこかで、鐘が鳴っていた。
セレスタンは腕を持ちあげ、手首にはめた時計を見る。時計の針は、二時の位置。
「──祝いの鐘、か」
建国を祝う慶賀の鐘。
命運が尽きたこの時に、よもや祝福を受けようとは。始末に負えないこの皮肉に、苦笑いがこみあげる。セレスタンは片手をもちあげた。
「降参」
「──どうだかな」
ザイはそっけなく見下ろして、白けた顔で腕をくんだ。「油断がならねえからな、このハゲは」
「いや、ほんとだって。マジきつい」
セレスタンは力なく微笑って首を振った。
「……もう、だるくて動けねえよ。つか、お前とやっても勝てねえよ」
木漏れ日射しこむ静かな森に、祝祭の鐘が鳴っていた。
今ごろ街では歓声があがり、誰もが笑顔で、今日ある繁栄に、肩を叩きあっているだろう。空にまかれた紙吹雪が、色とりどりに舞う中で。
寄りかかった土壁に、セレスタンは禿頭をもたせかけ、穏やかな木漏れ日をながめやる。「……頭(かしら)、なんか言ってたか?」
「なんでも、行ったら寝てたとか。どれだけ揺すっても起きなかったらしい」
「──あー、まだ治ってないんだっけ? 頭(かしら)の怪我」
「いや、単に眠かっただけだろ」
「で、報告は後回し?」
もたれた壁から、セレスタンは呆れ顔で頭をあげた。「──なんだよ不真面目だな。こっちは首がかかってんのに」
自由というか、気ままというか──と脱力してごちながら、元の土壁に頭を戻す。「……ま、そういう我がままも、らしいけどな」
「なぜ、抜かない」
足元で座りこむセレスタンを、ザイが呆れたように見下ろした。「立ち回りさせりゃ、お前の右に出る者はないのによ」
彼の腰の護身刀は、未だ鞘に収められたままだ。
セレスタンは苦笑いで手を広げる。「お前ら相手なら、素手で十分」
「そいつは余裕のあるこって」
ずたぼろの強がりを受け流し、ザイは懐を探って煙草を取り出し、一本くわえて火をつけた。
「じゃ、何はともあれ"降参"ってことで」
煙草の紙箱を軽く振り、セレスタンにも勧めてやる。
「ごくろうさん」
「……ま、お粗末さまでした」
長い指先でそれを受けとり、セレスタンも一服、空を眺める。
どこかほっとしたように頬を歪めた。
あぐらを掻いた地べたから、己を囲むごろつきを仰いで、バリーは忌々しげに舌打ちした。
彼女を街道方面に逃がした後、バリーはごろつきの居場所にあたりをつけ、足早にそちらに向かった。
可能な限り連中を引き付け、商都の正門方面へ逃走し、森林裏手の駐留部隊に、その足で渡りをつけに行く、その手筈だった。東の勾配にうがたれた密かな抜け道の存在は、遊民でなければ知らないはずだ。
思惑通りにごろつきどもを引きまわし、彼女の居場所とは逆方向に引き付けるだけ引き付けた。そして、バリーは愕然と立ち尽くした。
抜け道は、ふさがっていた。
通路をふさぐ土砂をながめて、バリーは忌々しげに舌打ちする。なぜ、よりにもよって今の今、地滑りなどが起きるのだ。
殴られた全身がずきずき痛んだ。ごろつきは見るからに苛ついている。この様子では、憂さ晴らしに血祭りにあげられるのは、まず間違いないだろう。少なくとも拷問される。女の居場所を吐かせるために。
せっぱつまって突破口を探るが、逃げ出せる手立ては見いだせない。何度も煮え湯を飲まされて、連中の苛つきは頂点に達している。この分では殴打では済まない。相手が人権のない遊民ならば、連中も容赦はしないだろう。好き放題に引き回され、挙句なぶり殺される。──冗談じゃない、とバリーは密かに震えあがった。こんな人の入らぬ山中では、野ざらしにしても、バレはしない。
唇の端をわななかせ、あわてて視線をめぐらせる。どこかに活路はないだろうか。ああ、まったく、なんて誤算だ──!
周囲を取り巻くごろつきの一人が、苦々しげに振り向いた。
「──ち! もう来やがった」
その声に、十人からのごろつきが、それぞれ胡乱に目を向ける。
木立の先に、気配があった。
誰かがこちらに向かっている。枯葉を踏みしだいて歩く音。生い茂る藪を掻き分ける音。何かを捜しているようだ。
手足に縄を打たれたままで、バリーはいぶかしげに目をすがめた。こちらに向かってくる気配──よもや、あの女ではないだろう。自分が指示した方角へ──部隊が付近に駐留している森林の西に出る道へ、素直に歩いて行ったのを確認している。ならば、誰だ? 他に人はいないはず。もっとも、周囲でたむろすごろつきどもは、こちらの仲間と固く信じて疑わないようだが。──いや、
ふと、バリーは思い直した。
あるいは、その通りであるかも知れない。姿の見えない女を探して、護衛が森に踏み入った。そうでもなければ、こんな寂れた森林などに、なんの用があるというのだ。
一筋の希望を見た気がした。
来るとすれば副長か。そうでなければ特務の誰か。北門通りには誰がいた? 今、商都には誰がいる?
「前みたいに大勢でこられちゃ、また女を取り逃すな」
頭目らしき痩せぎすの男が、苛立った口調で吐き捨てた。
「おう、お前」
足元のバリーを鋭く振り向き、片手で胸倉をつかみあげる。覗きこんだ目を、企むように細めた。
「ちょっと行って、話つけてきてもらおうか」
喉元を締められ、バリーは苦しげに顔をしかめる。「──話、だァ?」
「"女はレーヌに連れて行かれた" そう仲間に言ってこい。そうすりゃ、お前だけは助けてやるぜ?」
虚をつかれて口をつぐみ、バリーは戸惑い、目をそらした。
しばし、ためらい、上目使いで確認する。
「つまり、俺に裏切れってのか」
そうよ、と頭目は目をすがめ、さもおかしそうに、かか、と嘲笑った。
「連中の目がよそに向きゃ、ゆっくり女を追えるからな。そうすりゃ、お前は自由の身だ。どこへなりとも行けばいい」
「……自由」
バリーは眉をひそめて黙り込み、地面の一点をねめつける。「……俺は自由、か」
「そうとも、お前は自由だよ。用があるのは女だけだからな。──どうした。お前みたいな賤民でも、さすがに仲間は裏切れねえか? ああ、お前ら遊民ってのは、いつもべったりの仲良しだもんな」
「──仲良しだ? この俺があいつらとかよ」
ぴくりと頬を強ばらせ、バリーは心外そうに眉をひそめた。
「はっ! 笑わせるな。冗談じゃねえ。俺は同盟領の村で生まれた歴としたシャンバール人なんだよ! 別の国の血なんぞ、これっぽっちも混じっちゃいねえ。おうよ、生粋のシャンバール人だ。あんな小汚ねえ混血どもと一緒くたにするんじゃねえ!」
息を荒げて言い切って、片眉つり上げ、にやりと笑った。
「乗った」
不敵に言い捨て、バリーは挑戦的に頭目を見る。
「その話、乗ったぜ。おうよ、いいぜ、受けてやる。その役、俺が引き受けた」
「いいのかよ」
へっ、とバリーは頬を歪める。
「あんな女、かばいだてる義理はねえよ。大体、端から気にくわなかったんだ。遊民風情がでかい面して、ふんぞり返っていやがってよ」
「気に入った」
浅黒い頬をゆがめて、頭目は腕を組んで哄笑した。「そう言うと思ったぜ。お前はいい面構えだからな。ま、正直ってのは美徳だぜ。誰でも命は惜しいもんだ」
「その代わり」
バリーは抜け目なく要求をねじ込む。「本当に助けてくれるんだろうな」
「そいつは俺を信じろよ。俺は、約束は守る男だぜ?」
おどけたように手を広げ、頭目は手下を振り向いた。
「おい! こいつの縄を切ってやれ」
茂みがざわめき、いよいよ気配が近づいた。
バリーの縄を断ち切って、ごろつきどもは四方に散り、それぞれ素早く身を隠す。
「うまくやれよ」
「ああ、任しとけって。ヘマはしねえよ」
一人その場に取り残されて、バリーは縛られていた手首をさすった。衆人環視のただ中で、近づく気配を眺めやる。
やがて、茂みが大きく揺れて、木立から男が現れた。
長めの頭髪の、若い男だ。支給品の綿シャツと、同じく支給品の迷彩ズボン、そして、黒の編み上げ靴──見慣れた服装、部隊の一人、やはり、ロムだ。
バリーと対峙し、相手は怪訝そうに足を止めた。小首をかしげて眺めている。
思わぬ顔をそこに認めて、バリーは拍子抜けして眉をひそめた。「──お前かよ」
嘆息して蓬髪を掻き、無為に視線をめぐらせる。
観念したように向き直り、媚び笑いで目を据えた。
「ちょっとよ。あの女のことで、話があんだよ」
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