■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 10話6
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「頭(かしら)、そのまま、振り向かないで聞いて下さい」
昼の閑散とした廊下を歩き、扉を開けて入室すると、男はゆっくり寝台の横に膝をついた。
膝に置いた両手を睨んで、しばらく、じっと口をつぐみ、ようやく腹を決めたように、決然と顔を振りあげる。
「後で、あのハゲ引っぱってきますんで、まずは話、聞いてやって下さい」
真摯にきっぱり言い放ち、伸び放題の長めの茶髪を「頼んます」と振り下げる。
カーテンを閉じた寝台に、首長が背を向けて横たわっていた。そよ風にゆらめくカーテンの裾で、昼の日ざしがたゆたっている。首長の短髪の後ろ頭が、上側になった綿シャツの肩が、うららかに白く照らされて、昼下がりの館内は、ひっそりとして音もない。
茶髪の男は顔をしかめて首を振り、もどかしげに嘆息した。「なんか事情があるんすよ。のっぴきならねえ、やべえ奴が。だって、あのハゲ──」
息巻きかけた口を閉じ、ためらいがちに目を落とした。
戸惑った顔で言いよどんでいる。だが、思いあまったように嘆息し、ぼそり、と声を押し出した。
「……道で倒れた副長のことを、あいつ、放そうとしなかったんすよ」
心ここに在らずのそわついた様子で、手にした"それ"をもてあそぶ。
「追っ手が来てんのわかってんのに、ぐずぐすしてたら自分が捕まっちまうのに、あの客さらおうってんなら絶好の機会だってのに、副長を腕にかかえたままで、そこを動こうとしなかったんすよ。奴の所にレオンが行くまで。副長を無事に、そっちに渡し終えるまで。だってね頭(かしら)、あの時、あいつ──」
ぼそぼそ訴える顔がゆがんだ。男は茶髪をゆるゆると振る。
「泣いてたんすよ、往来で。あの客のこと捕まえて、人目もはばからずに街角で。信じられます? あの調子くれたハゲがすよ? だから後生です! 頭(かしら)──!」
キイ──と扉の蝶つがいが軋んだ。
切れ長の眼が廊下の壁で、ひらいた扉へ一瞥をくれる。
腕を組み、壁にもたれ、あるいは窓の外をながめやり、男たちが廊下に立っていた。身じろぎ、真顔で目をやった誰もが、革の防護服に身をつつんでいる。縦長の四角い顔に黒い顎ひげをたくわえた男、無表情な刈上げ、ひげ面で太鼓腹の中年男──バパ隊の第一班、いわゆる特務の面々だ。
バタン、と閉じたドアを見やって、ひげ面のロジェが顎でさした。「どんなだ、頭(かしら)の按配は」
隠しに両手を突っ込んだまま、茶髪の頭(こうべ)をたるそうにめぐらせ、ジョエルはぶらりと廊下へ踏み出す。
「駄目っすね。寝ちまってて起きやしねえや」
のどやかな昼陽あふれる静かな廊下を、一同は本部の出口へ向かった。
玄関廊下の突き当たり、外にあけ放った扉の向こうで、夏日がまばゆく輝いている。焼けつく日ざしに目をすがめ、ジョエルはぼそりとつぶやいた。
「──裏切り者、か」
陽に焼かれた煉瓦の壁で、やんわり陽炎がゆらいでいた。
石砂利の道に踏み出した背が、白い夏陽に吸いこまれていった。
テントに駆けこむ手前の小道で、アドルファスは足止めを余儀なくされていた。姿を見つけて駆け寄った部下から、予期せぬ報がもたらされたからだ。
──賊のものらしき死体を発見。第三間道、湖沼付近。
彼女が負傷した旨聞き及び、森に駆けつけたアドルファスには、寝耳に水の凶報だった。「敵襲」を告げた「指笛」が、その事実を示していた。この抗争の当事者が「部隊の者」であることを。だが、森はのどかに静まりかえり、木立の陰に潜んだ敵に不意打ちをくらわされるどころか、わめき声ひとつ聞こえない。そして、野草おいしげる茂みには、既に、物言わぬ躯が一体──。
この不気味な静けさが告げているのは、彼らにとって、まずい事態だった。
現場を仕切るザイに代わって、アドルファスは急きょ陣頭指揮をとった。
この話の厄介なところは、指笛が告げた「敵襲」を見た者がいないことだった。ほとんど情報がないために雲をつかむようにあやふやで、賊の一団の規模はおろか抗争の場所さえ特定できない。となれば、この現況を把握するには、森林を虱潰しに当たるしかない。敵襲を特務に知らせたバリーと、森の奥にいるらしきウォードに、帰還を指笛で指示するも、いずれも未だに返信がない。
それは、アドルファスの危惧を一層煽った。敵襲というからには、相手は一人や二人ではない。バリー、ウォードの両名は、戦闘を生業とする隊員の中でも、飛び抜けて腕の立つ傭兵だ。相手が五人や六人なら、二人は自力で対処する。だが、彼らを囲む一団が、二人の対処能力を大幅に上まわる数だとしたら? 未だになんの音沙汰もないのは、多勢に無勢で袋叩きにあい、二度と返事ができない状態で、むなしく埋もれているからではないのか──。
暗澹たる思いが胸に広がり、アドルファスは濃い眉の下、森の木立をもどかしげに睨む。ふって湧いた抗争は、最悪の形で終了したのではなかろうか。味方は全滅、賊は既に森から退却、あるいは、生き残りが森を出て、最寄りの詰め所へ駆けこんだ。仮にそうした事態なら、衛兵が万全の装備を整え、こちらへ向かっているはずだ。野蛮な遊民を一掃すべく。
この件は実のところ、集団的な抗争ではなかった。事実、本隊は関わっていない。だが、言い逃れはできない状況だ。なんといっても死者が出ている。だが、対処しようにも、判断材料はないに等しい。森で何が起きたのか、全体像が把握できない。
のどかな木立をじりじり睨んで、情報がもたらされるのをアドルファスは待った。
指示を出そうにも判断に迷う。衛兵が到着する前に、この森から撤収すべきか。武装した部隊が現場にいては、ただそれだけで具合が悪い。だが、バリーとウォードが戻っていない。二人を拘束されれば万事休す、いや、仮に二人が死んでいたとしても、遺体を衛兵に押さえられてはまずい。傭兵の成りをした二人を見れば、衛兵はすぐに特定する。抗争の相手は遊民だと。つまり、二人が戻らぬ内は引くに引けない状況なのだ。
さわり、と木立の緑がゆれた。
薄氷を踏むような危うい焦燥とは裏腹に、森にはとりたてて変化もない。
不気味な平穏を破ったのは、次の指笛の一報だった。
──賊のものらしき死体を発見。第三間道、湖沼付近。
たむろしていた傭兵たちが、ざわりと狼狽、ざわめいた。アドルファスは眉をひそめる。これで二体目。
だが、賊の遺体発見の報は、これのみでは終わらなかった。
知らせは次々舞いこんだ。四半時後に新たな二体、少し間をおき、もう一体──。
チリ──と嫌な胸騒ぎが、アドルファスの胸を焼く。
事態を追う目の端で、片隅のテントを盗み見た。あの彼女が保護されているテントを。だが、現場を片時も離れられない。第三間道に散っている第一陣に引き続き、二陣の二十余名が到着、昼下がりの森林は、武装した傭兵たちでごった返している。
ようやく体があいたのは、受け持ち区域を全員に割り振り、現場が一段落してからだった。
木陰で見ていた衛生班の見習いを、アドルファスはすぐさま呼びつける。
あたふたとついて歩く見習いから、彼女の容態を聞きながら、片隅のテントへ大股で向かった。それを凝視する横顔は、やきもきと翳り、強ばっている。それというのも、本部に飛び込んできたジョエルから「負傷したらしい」とは聞いたものの、今ひとつ要領を得なかったからだ。それで森へと急行した後、現場を仕切るザイを捕まえ、事の詳細を問い質したが、日ごろ率直なザイにして、今日は珍しく言葉を濁した。
『北門通りの騒ぎの後、この森に入ってから斬られたようです。斬った相手は不明ですが、敵襲の知らせがありましたから、まあ、恐らくは賊でしょう。ですが、それはそれとして、どうも、おかしなところがありまして──』
北門通りの騒ぎの折りには、彼女の様子は普段通りで、騒ぎに紛れて街道に出、この森に入っている。故に、負傷した場所は「森の中」と考えるのが妥当だ。だが、血まみれの服に裂け目はなく、既に重篤な状態で、わざわざ着替えたとも考えにくい。又、背中の患部は未処置で、じかに包帯が巻かれている──。
「──一体、どこのどいつの仕業だ!」
テントに向かって歩きつつ、アドルファスは苛々と無精ひげをこすった。
案内の見習いを押しのけて、テントの覆布を払いのける。
もどかしげに踏み込み、凍りついた。
入れ違いで出て行った見ない蓬髪の横顔に、微かな不審を覚えたが、かかずらってはいられなかった。
些細な違和感など吹っ飛んだ。つかのま目に飛び込んだ"それ"が、意識の全てを塗りつぶしていた。背中を染めた鮮血が。
一目でわかった。危篤だと。
水を張った手桶から、水に浸した布を取り、きゅっ、と、いかつい両手で絞る。
アドルファスは膝をつき、横たわったうなじの汗を拭いた。
彼女は苦しげに顔をしかめて、浅い呼吸をくり返している。それを見やる横顔に、表情らしきものはない。この彼の配下なら、そのいかつい横顔になんら異変も見出せないに違いない。だが、首長の素顔をよく知るバリー辺りの身内なら、わずかに強ばった横顔に悲壮な決意を見てとったろう。
彼女の全身に浮き出た汗を、アドルファスはぬぐってやる。ごつい手で丁寧に、壊れ物でも扱うように。細い肩、華奢な肘、白い手の甲、指の先──
ごついその手が、膝に置かれた。
関節が白くなるほどに、アドルファスは自分の膝をつかむ。
「……すまねえっ!」
歯を食いしばったその喉から、くぐもった嗚咽が漏れた。
うなだれた肩が小刻みに震える。白々昼陽がさしこむ中で、アドルファスは慙愧の念に首を振る。
「──俺があんな、馬鹿な真似さえ、しなければ!」
どうにも自制が利かなかった。あの時は寝ても覚めても、女医の顔がちらついた。実験動物のように我が子を扱い、死に至らしめたあの女医が。今となっては分からなかった。商都在住のあの女医と、遠い北方の領主の妾が、なぜ「同じもの」に見えたのか。
いや、それは間違いなかった。今でも、はっきりと知っている。妾宅にいた女こそ、我が子の仇であることを。
だが、憎しみに任せて暴走した、その代価は大きかった。
怨敵目がけて振りぬいた刃は、彼女の背中を切り裂いた。我が子とも思しきこの彼女を。敵に向けて振り抜いた刀で、自らがなぎ払われた格好だった。憎しみに任せた威力のままに。
己が憎しみのなれの果てを、まざまざと突きつけられていた。悔やんだところで、いかにも遅い。斬りつけるのは一瞬のことでも、生身の体に刻まれた傷は、容易く元には戻らない。まして、死線を歩む身ならば、人の手の及ばぬ領域だ。
絶望に打ちひしがれて、アドルファスはなすすべもなく首を振る。
時はゆるやかに降りつもり、陽ざしが白く注いでいた。
傭兵たちが闊歩する物々しい外部とはテントの布地一枚を隔てて、奇妙な静けさに満たされている。
辺りは白く、神聖だった。それはあまりに穏やかで、いやに明るく、安らかだった。だが、果てなく茫漠と広がるそこは、致命的な一事がありそうな、壮絶な予感を含んでいる。ひと度そちらへ行ってしまえば──足元に引かれたその線を、わずか一歩でも踏み越えてしまえば、二度と戻れはしないような。
白く輝くその線を、彼女は不思議そうに見おろして、透明にすけたその足で、ゆらりゆらりと踏み止まっている。綱渡りの綱を往くような、はかなくも、もろい足どりで──。
戸口におりた覆布の向こうに、あわただしい気配が駆け寄った。
「すいません、頭(かしら)! ご報告したいことが!」
「──おう。今、行く」
あぐらの背で受け答え、アドルファスはろくに聞きもせずに腰をあげた。いや、聞かずとも見当はついていた。
十二体目が出たことは。
采配を振る首長をとりまき、今や四十名を超える傭兵が、拠点のそこここにひしめいていた。見張り役の数名を残して、駐屯地に詰める大半が拠点に駆けつけた勘定だ。
一時舞い戻った傭兵たちが拠点の随所でたむろして、眉をひそめて話しこんでいる。そうする間にも、連絡を受けて戻ってくる者、それとは逆に、何かの指示に駆け戻る者。
「どうした!」
緑梢ゆれる小道から、若い男の声がした。
一同、弾かれたように振りかえる。
「──隊長!」
「まずいっすよ! 隊長!」
駆け寄った部下に馬を任せて、男はつかつかアドルファスへ歩く。肩につかない黒い頭髪、物に動じぬ沈着な双眸、分厚い革の防護服、そして、落ち着き払った揺るぎない所作──傭兵たちが待ちわびた、部隊の長ケネルだった。
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