CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 10話7
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 物々しくも張りつめた尋常ならざる雰囲気だった。怪訝そうに眉をひそめて、ケネルは視線をめぐらせる。「なんだ、この騒ぎは」
「おう、来たか、ケネル」
 部下の報告を受けていたアドルファスが、腕組みを解いて目を向けた。
「どうも、まずいことになりやがったぞ」
 苦い顔で顎ひげをなでる。「賊の死体は、今のところ十五だ」
「──十五? どういうことだ」
 驚き、ケネルが目をみはった。
 街に舞い戻ったジョエルには、街角に潜むケネルの姿を探し出すことができなかった。知らせが次々舞いこむその都度、急ぎ伝令が放たれたが、そのいずれの報告もケネルの元まで達していない。
 こうしてケネルが赴いたのは、街人の身形をした鳥師の一人が焦れたように走っていくのを、ケネルが見咎め、呼び止めたからだ。その伝令が持っていたのは、森から二番目に、、、、放たれた知らせ。曰く、
 ── 西の森にて敵襲発生。賊の遺体を一体、、発見。
 経過報告を聞く間にも第三陣が到着し、拠点は前にも増してごった返している。
 緊急・総出の捜索は、最初の遺体が発見された第三間道の西方から始まり、今や森の中央部にまで達していた。後は、東から南にかけての森の半分──東南方面を残すまでになっている。彼らの地図上の名称でいうなら、商都北門から見て南に位置する第一間道出口付近から、道の先が南西に出る第二間道にかけての区域だ。
 そうする間にも、森の奥から、続け様に急報が入った。
 ── 賊の死体を発見。第二間道、北西付近。
 ── 斬殺体を二体発見。第二間道、南寄り。
 森で発見された斬殺体は、これで都合十八体。そうした報告を逐一受けつつ、ケネルは小道の先を見やって、どこか解せない顔つきだ。
「たく。なんだって、こんなに死んでんだよ!」
 拠点に立ちこめる困惑と懸念を汲むように、仲間とともにたろむしていた一人が、苛立ったように吐き捨てた。
 苦い顔つきの防護服が、道のそこここにひしめいていた。森は戸惑いと動揺で騒然としている。
「一体何が、どうなっていやがる!」
「なあ、これ商都にばれたら、やべえだろ」
「たりめえだ。そりゃ、やばいに決まってる」
「──たく! 邪魔だなてめえは! さっきから!」
 忌々しげな罵倒が、片隅で聞こえた。
「うろちょろすんじゃねえよ、オカマ野郎が!」
 体格の良い古参の男に、見るからに不慣れな若い男が、邪険に肩をこづかれている。人垣の外をうろついていた、衛生班の新入りミックだ。まだ馴染めていないらしきその姿が、周囲のざわめきから浮いている。
 古参の男はミックを見ながら舌打ちし、忌々しげに吐き捨てた。
「このくそ忙しい時に、なよなよしやがって、この野郎!──ああ、そういや いたっけなァ? "獣使い"だって新入りがよ。お前、猛禽飼い慣らすのは、お手のもんだろ?」
 男の揶揄に、ふと、傭兵たちが顔をあげた。
 たちまち立ちこめた暗雲を察して、ミックはさりげなく後ずさる。逃げようとしたその肩を、男が素早く引っつかんだ。
 ミックの肩に耳打ちするように顔を寄せ、うかがうように目をすがめる。「ここらの獣、ちょいと操りゃ、敵の二十や三十、軽いだろ?」
「──あ、いえ、俺は、外のやつは──そういうのは訓練が必要なんで──」
 戸惑い、しどろもどろになったミックの顔に、剣呑な視線が集中した。唾を吐き捨て、隣の男が進み出る。
「たく! まずいことをしてくれたよなァ? あんまり退屈なもんだから、ちょっと気晴らししたわけか?」
「──ち、違う! 違いますよ! 俺は、なにも!」
 男に胸倉つかまれて、ミックは蒼白な顔で首を振る。
「知りませんよ! 俺じゃないすよ! 大体、野生の獣を仕掛けるなんて、そんなこと簡単にできるもんじゃ──」
「お前が来た途端なんだよなァ?」
 猫なで声が遮った。
 にやにや腕組みで見ていたのは、始めに捕まえたあの古参だ。薄笑いから一転し、険しい顔で睨めつける。
「たく、小生意気な面しやがって! あ? バードあがりの坊ちゃんよォ。てめえらは客にへつらって、へらへら媚びていりゃいいんだよ。ひとの仕事場にまで踏み込んで掻きまわしてんじゃねえぞコラ!」
 ミックの髪を乱暴につかんで、別の男が小突きまわす。
「くそガキが! 気軽にいたずらしてんじゃねえぞ! 気楽なバードのシノギとは、こちとら訳が違うんだよ。俺らは命張ってんだ。客に愛想ふりまきゃ済むような、てめえらの気楽なお遊びと、一緒にしてもらっちゃ困んだよ。あ、わかってんのかコラ!」
「──よせ!」
 ケネルが溜息まじりに制止した。
「けど、隊長」
 ミックを吊るし上げた三人の内の一人が、苛立たしげに振りかえる。
「けど、実際問題、一度に大勢を始末するなら、獣や猛禽を仕掛けるか、発破で吹っ飛ばすくらいしかありませんよ」
「──あ? てめえ、もういっぺん言ってみろ」
 全く別の方角から、凄みのある怒声があがった。
 拠点の西の片隅だ。配下から報告を受けていた、バパ隊の長ザイだった。
 ザイは切れ長の鋭い眼で、ぎろりと男をねめつける。「だったら、てめえは、うちの配下の発破師が、不始末しでかしたとでも言いてえのかよ!」
 腹に据えかねたような見幕に、男がひるみ、たじろいだ。
「い、いや、そうじゃねえよ。俺はただ……」
 媚び笑いをぎこちなく浮かべて、男はあわてて片手を振る。「そ、そう怒んなよ鎌風の。俺はただ、そういうやり方もあるんじゃねえかって、そう言いたかっただけじゃねえかよ。第一あれは、発破じゃねえやな……」
「死因は刀傷だ。咬傷でもない」
 そつなくケネルが引き取った。戒める口調で、一同に視線をめぐらせる。
「むろん獣の仕業じゃない。総員、速やかに持ち場に戻れ」
 一同、不承不承振り向いた。
 ぴりぴり、空気がひりついた。
 常にない不吉な事態に、どこもかしこも気が立っている。日ごろ冷静なザイまでも。
 ぐずぐず不服げにたむろす彼らは、承服しかねる面持ちだ。確かに無理からぬことだった。寝耳に水の彼らにすれば、これは飛びきり理不尽な災難だ。
「しかし、隊長。ちょっと、まずくありませんかね」
 案の定、一人が、顔をゆがめて腕を組み、東の方角をながめやった。
「こう街に近いんじゃ、すぐに官憲が飛んでくる。こんなに死人が出ちまっちゃ、下手すりゃ全員、縛り首すよ」
 武装部隊が問題を起こせば、穏やかな処分は望めない。まして隣国の傭兵ならば、いるというだけで疑われる。だからこそ、人目につかぬよう野営をし、不便な森林に潜んできたのだ。というのに、掟破りの短慮のせいで、全員にとばっちりが及んでいる。
 別の一人も腕を組み、緑の濃淡が果てなく続く、ひっそり静かな森の奥を、苦々しげに振り向いた。
「ねえ、隊長。早くここから逃げとかねえと、衛兵どもが突っ込んできて、全員仲良くお陀仏ですよ」
 ケネルは嘆息して首を振る。「まだ、バリーとウォードが戻っていない」
「けど、隊長! 早くしねえと──」
「とにかく!」
 鋭く遮り、ケネルが一同を睥睨した。
「愚痴も遊びも後にしろ。総員、直ちに現状を確認。各自、早急に持ち場に戻れ」
 厳しい口調で一喝され、一部がのろのろと移動を始めた。ミックをつるし上げていた傭兵たちも、渋々憂さ晴らしの手を放す。
「──あ、あの、隊長!──隊長!」
 手荒な洗礼に揉まれたミックが、あわてた顔で呼びかけた。どうやら何か用があり、近くをうろついていたらしい。だが、面白くない顔の傭兵たちに進路を意地悪く阻まれて、ケネルに中々近づけずにいる。ケネルは見かねて手を振った。
「通してやれ」
 道をふさいでいた傭兵たちが、かったるそうに肩をすくめた。
 左右に割れた人垣を、ミックが「すいません」を連呼しながら、そそくさと掻き分けてくる。傭兵たちは道こそ退きはしたものの、隊長に向かう新参者を、胡散くさげにながめている。ようやく辿りついたミックの顔に、ケネルはおもむろに目を向けた。「どうした」
「──あ、あの、すいません、俺──でも、あの──」
 ケネルに近くで注視され、ミックははにかんだように視線をそらした。
 だが、しどもど顔を振りあげる。「あの、すいません、お忙しいところ。けど、あの人の方も急いだ方が──」
 遠巻きにして怪訝そうに見ている男たちを一瞥し、何事かはばかるように耳打ちする。
 ケネルは無言でそれを聞き、辟易したように嘆息した。頭痛をこらえでもするように、眉をひそめて目を閉じる。「──又か」
「……あの、隊長?」
 ミックが恐る恐る上目使いでうかがっている。ケネルは持て余し気味に頭を掻いて、何気なく視線をめぐらせた。途端、アドルファスが苦々しげに目をそらす。
「──あの、できれば、急いで欲しいんすけど」
 焦れたようにミックに急かされ、怪訝そうに見ていたケネルは、そちらに踏み出しかけた足を止めた。
 多忙のさなかに面倒事を持ち込まれ、多少の苛つきを感じつつ、やれやれと身をひるがえす。
「どこだ、場所は」
 こっちです、と促され、ケネルはぶっきらぼうに足を向けた。途中、アドルファスとすれ違いざま「しばらく頼む」と声をかける。
 急ごしらえと思しきテントが、拠点の隅に建っていた。
 物々しい喧騒からとり残されて、そこだけひっそりと静まっている。あれが彼女を保護したテントだろう。ミックが言うには、今度は賊に斬られた、、、、、、のだとか。
 せっぱ詰まったミックの様子に取りあえず足こそ向けはしたが、ケネルは実のところ、さほど心配してはいなかった。どうせ、助かる──そう高をくくっていたのだ。
 なにせ彼女は恐るべき力の持ち主だ。領邸裏手で脇腹を刺され、瀕死に陥ったあのファレスを、死の縁から連れ戻すほどの。いや、その言い方は正しくない。鍵は恐らく夢の石、彼女が肌身離さず身につけている、あのお守りの翠石だ。先日、本人に質した折りには、笑って否定していたが、それを揮う能力が、彼女の中には確かにある。ファレスが蘇生した先日の事例が、はからずもそれを証明している。
 だが、あの出血多量の状態で、蘇生するなど、いかにも無理だ。ファレスに備わった回復力がいくら桁外れであるとはいえ。戦地を渡り歩く傭兵は、人の死に際を見慣れている。ファレスを見舞ったあの場の誰にも、それは一目で分かったはずだ。あの時、ファレスは死んでいた、、、、、。にもかかわらず、彼は奇跡的に生還した。そう、奇跡的に、、、、だ。通常ありえない何らかの力が、そこに働いていなければおかしい。
 なぜ、彼女にそんな芸当ができるのか、理由は皆目わからない。携帯している翠石が、彼女を己の主と認め、特殊な力を与えているのかもしれない。あるいは所持が長くなるにつれ、奇石が発する不可思議な生気が、身体に影響を及ぼして、尋常ならざる力を帯びたのかもしれない。それというのも、彼女は怪我の治りが早い。ケネルやファレスも体の回復力は並み以上だが、彼女のそれは、それを更に上まわる。レーヌでの生還劇に至っては、本人が昏睡に陥って尚、得体の知れぬ緑の揺らぎが立ちのぼり、傷んだ体を修復していた。意識も自覚もないままに。つまり、危篤になろうが瀕死になろうが、勝手に自力で回復するのだ。どれほど傍が心配しようが、そんなこととは関係なしに。
 そうだ。あの驚くべき力を用いて、彼女はこれまで自力で危機を脱してきた。ならば、今回とて同様だろう。まして、生死に関わる事案なら、むしろ、行使しない理由がない。尚のこと己に力を揮う、そのはずだ。
 そもそも、結果の知れた筋立てに、かかずらっている暇はない。すべきことは山のようにある。一刻も早く事態を収拾、適切な手を打たねばならない。森中に散乱する遺体の後始末をどうするか、バリーとウォードの身柄の確保、並びに二人からの事情聴取、駐屯地への撤退の頃合、官憲への対処等々。それらは全て時間との勝負だ。今こうしている間にも、隊列を組んだ衛兵が続々と踏み込んでいるやも知れないのだ。
 件のテントが近づいた。
 やれやれと頭を掻いて、ケネルはつかつか歩みより、ばさりと戸口の覆布を払う。特別なんの感慨もなく、無造作に一歩踏みこんで、
 息を呑んで凍りついた。
 毎度のことと慢心していたその顔が、みるみる緊張に強ばっていく。
 白い包帯を赤く染め、黒髪の背が横たわっていた。ほんのわずか口をあけ、寝袋に片頬をついている。うつぶせの顔からは血の気が失せはて、顔横の手は軽く握られている。首からこぼれた翠石の上で、青鳥の雛がまどろんでいる。
 時が止まってしまったかのような、白くうつろな陽射しの中で、浅い呼吸が、やっとのことで紡がれている。
「……なぜ、今になって」
 立ちつくしたケネルの口から、困惑と狼狽がこぼれ落ちた。
 ケネルは声もなく瞠目した。危篤の原因は一目で分かった。あの時斬られた、、、、、、、背中の傷だ。アドルファスが斬ったあの時の。それが今になって開いている。どんな治療も受け付けなかったあの傷が。何をしても何度縫っても"斬られたばかり"に戻ってしまう、けれど、それ以上は悪くもならない、あたかもそこだけ時が停止したかのような不可解極まりないあの傷が。だが、ケネルの驚きは、そればかりではなかった。
 これまで見てきた光景とは、それは大きく異なっていた。テントの外の凡そ誰にも見えない事実を、ケネルははっきりと認識していた。
 それ、、がすっかり消え失せていたことを。
 就寝時、弱った時、彼女の全身から立ちのぼっていた、あの仄かな緑のゆらぎが、、、、、、
 ここまで案内してきたミックが、背後で恐る恐るうかがっていた。気遣わしげに覗きこんでいる。
「──おい、見習い」
 押し殺したケネルの声に、ミックがびくりとすくみ上がった。
 ケネルは背を向けたまま、じんわり汗ばんだ拳を握った。
調達屋を、、、、、呼べ」
 
 
 ふっ、と体が軽くなった。
 常に微弱に引っぱり続けていた糸が、ぷつん、と不意に断ち切れたように。
 本部の寝台で療養していたファレスは、面食らったように眉をひそめた。
 視線を怪訝そうにめぐらせる。鬱陶しく絡みついた糸が、不意に消え入ったような解放感。この、どことなく心許ない、空虚さを含む感覚を、ファレスは経験として知っている。恐らく──いや、確信していた。
 "先予見"が実現したのだ。
 警告を発して明滅し続け、曖昧な形でうごめく"それ"は、然るべき時が到来し、現実となって具現すると、跡形もなく消えていく。
 だが、大小さまざま数多うごめくそれらのどれ、、が、時を迎えて結実したのか、この時のファレスには知る由もなかった。
 ただ、ふっと唐突に掻き消えた懸念が、いかに大きなものであったのか、どれほど心を占めていたのか、ほんのつかの間で理解した。
 そう、喪失感は大きかった。しばし放心したほどに。
 
 
 

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