CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 10話9
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 そっと寄り添うように置いてあった、黄色いミモザの房に気づいて、ケネルは彼女の髪にさしてやった。これほど養生に不似合いな場所で見舞いというのでもあるまいが、枕元にあったというなら、彼女のものには違いない。その言い伝えは知っていた。"祭のミモザは、幸せを運ぶ"──
 普段はひなびた街道も、祭の今日ばかりは賑わしかった。
 蝉の音ふりしきる夏日の下、珍しく活気に満ちたトラビア街道を横断し、ミモザあふれる町中に入る。商店が軒を連ねる大通りのにぎわいをやり過ごし、建ち並ぶ民家の脇を抜け──乾ききった市街地を、ケネルは誰とも言葉を交わさず、ひたすら寡黙に歩いていた。
 大きな荷物を担いでいても、ケネルに興味を示す者はなかった。不審者を取り締まるべく巡回していた警邏でさえも、祭の小道具を運搬中とでも思ったか、一瞥をくれただけでやり過ごした。意図したことではなかったが、寝袋から覗いたミモザの房が一役買っていたらしい。
 町の熱気を後にして、ケネルは未舗装の畦道を歩いた。田園地帯はひっそりと、青い穂波を揺らしている。田畑にも、畦道にも、見渡す限り人影はない。年に一度のこの祭で、人々は町に移動しているのだろう。やがて、北からの向かい風にせせらぎが入り混じり、青々となびく田畑の先に、浅い小川が現れた。
 色とりどりの小石転がる、きらきら光る水面に、陽にさらされ乾ききった木造りの橋がかかっている。この小さな橋を渡ってしまえば、畑も民家もなくなって、一面立ち枯れた荒れ野になる。この辺りが手付かずなのは、内海からの潮風が農作物を作るのには適さないためだろう。つまり、東西に流れるこの川が、町の営みと荒野とを隔てる境界線というわけだった。
 橋を渡り、道なき荒れ野にケネルは踏み入る。
 午後の鈍い陽に半身を照らされ、薄茶の草海をひとり歩いた。いや、彼は今、一人ではない。肩に担いだ寝袋の中には、それでくるんだ賓客がいた。黄色の柔らかな花の下、彼女は血の気の失せた白い顔で、浅く息をついている。
 彼女に斬りつけた蓬髪の首長が、ひどく後悔していることも、気を揉んでいることも知っていた。だが、彼の密やかな同行の望みを、ケネルはさりげなく排除した。闇医師の手配を依頼した際、彼の反応が顕著だったからだ。
 ケネルは、見逃しはしなかった。「医者」という言葉を耳にして、アドルファスが血相変えたのを。彼にはかつて「商都の医者」に、幼い我が子を言葉巧みに取りあげられ、散々実験台にされたあげく死に至らしめられた曰くがある。以来、当の女医のみならず、医に携わる者全般に対して、深い恨みを抱いている。
 あの蓬髪の首長アドルファスが彼女を我が子も同然に思っているのは今や周知の事実であって、ケネルとて知らぬわけでもなかったが、だが、その強い愛着こそが、今は障害になりかねなかった。闇医師の姿を見た途端、一悶着持ちあがること火を見るより明らかだ。だが、時を浪費する余裕はない。予測可能な災いは、事前に排して然るべきだ。いや──あの首長を排した理由がそれだけではない、、、、、、、、ことは、誰よりもケネル自身が知っていた。
 人家が途絶えた荒れ野を往く、ケネルの黒髪を海風がなぶった。
 その足は、カノ山の海沿いのふもと、坑道出口へと向かっていた。商都の北方にそびえるこの山の地下には、迷路のような坑道が深く人知れず広がっている。
 この坑道の存在は、この地を治める領家でさえ、把握してはいなかった。いや、利用価値の乏しい山裾のちっぽけな亀裂などには興味がないというのが実情だろう。山から大分離れた街道には村や町が点在するが、辛うじて最寄りといえる住民たちも、街外れの洞窟などには誰も見向きもしなかった。世間の喧騒から取り残された薄暗くじめついた洞窟などに関心を示す者があるとすれば、好奇心旺盛な子供らだろうが、川向こうの山という立地は、彼らの足にはいささか遠い。
 だが、遊民たちには事情が違った。この地下空洞の発見は、街への出入りに不便をきたしていた彼らにとって、計り知れない僥倖だった。大陸の地下に広がる密やかな道の利用によって、門番の立つ街中と外部を、通過が困難な国境を、いとも簡単に出入りできるようになった。彼らはまさしく金の鉱脈、、、、を掘り当てたのだ。
 そして今、街外れの坑道は、人目をはばかるケネルには、まさに恰好の居場所といえた。
 背を焼く日ざしは中天を過ぎ、もう、夕方の方が近い時刻だった。簡単な遮蔽板めかくしを脇にどけ、ひんやり湿った洞窟に踏み入る。
 岩場の窪みに雨水が溜まり、西日にさらされ、光っていた。きらめきながら筋を引き、坑道の奥へと続いている。入口から少し奥まった場所に、青白い光が降りそそいでいた。落盤でもあったのか、岩肌の天井が陥没し、ぽっかり風穴が開いている。
 黒く濡れた岩場を照らして、光の帯が降りていた。あたかも正しい居場所を示すかのように。
 その導きに従うように、光に向かってケネルは歩いた。不規則にうねる坑道は、山の地下へと伸びているため、ゆるやかな下り坂になっている。
 森を出る際、彼女をテントから連れ出そうすると、枕元でまどろんでいた青鳥の雛が、あわてて羽をばたつかせた。彼女になついたその雛は、払いのけても、しつこく突つき、阻止しようと躍起になったが、その抗議はまさに正しい、、、、、、
 テントで横たわる彼女を見る内、ケネルは腹を決めていた。
 外の荒れ地からは見通せない坑道の奥まった場所まで進み、風穴から降りそそぐ青い光の筋のかたわら、比較的平らな乾いた岩に、ケネルはようやく腰を下ろした。肩の寝袋を膝に下ろして、岩肌の暗がりに身を潜める。
 天井の風穴で視界の利くこの場所は、ケネルにとって好都合だった。入口付近なら外光があるが、明るい反面、人目に触れる。だから、そこに留まるつもりはなかった。これから起こる厳粛な節目に、外界の騒々しさはふさわしくない。誰にも邪魔立てされたくなかった。部下にも。ファレスにも。隊長の煩雑な任務にも。
「着いたよ。お疲れさん。よくがんばったな」
 ようやく彼女に声をかけ、寝袋のフードをどけてやる。
 彼女は眉をひそめて瞼を閉じ、凍えたように震えていた。唇を薄く開け、やっとのことで浅い息をつないでいる。
「まさか、あんたと二人で、洞窟に篭ることになるとはな」
 ぐったりもたれた黒髪を、ケネルは労わるようになでてやる。
「あんたとは、色々あったな。あんたときたら、国軍と俺たちをやり合わせてみたり、トラビアに連れていけとごねてみたり、ひとの布団に潜りこんだり、いつの間にか野営地を歩いていたり──何度度肝を抜かれたことか。まったく大した問題児だ。いつでも後をついて来て。どこへ行っても何をしてても、ガキみたいに追ってきて」
 それほどまでに執着したケネルが、こうして寄り添い、まして、その腕に抱かれていると知ったなら、彼女はどんな顔をするだろう。もっとも、驚くべきこの奇蹟を認識することはあるまいが。
 分厚い山肌で外部の音が遮断され、坑道内はひっそりとして静かだった。ここにある音といえば、天井の岩肌から染み出た水が、時おり、小さく滴るくらい──。
「覚えているか、あの日のことを。用事を済まして町から戻ると、あんたはゲルから飛んできて。子供みたいに裸足のままで、ふわふわした白い寝巻きで」
 あの日の草原の光景を、思い描くように目を閉じて、ケネルはやがて、くすりと微笑った。
「花嫁が、飛びこんできたのかと思った」
 ぴちょん、と水が、どこかの岩場の窪みで跳ねる。
 岩壁の天井の風穴から、さっと朱が射しこんだ。荒々しい岩肌が、刹那、鮮やかに染めあげられる。
 山肌を照らす夕焼けは、しばらくそこに留まって、やがて弱まり、ふっつり岩場に消え入った。
 静かな空の高みから、遠い鐘の音が聞こえてきた。商都の時鐘。日没だ。
 商都の大通りで打ち鳴らされる、時計塔の「日暮れの鐘」が、祭の終わりを告げていた。
 それは同時に、命運が尽きる刻限の、到来をも意味していた。
「──逃げたか」 
 溜息まじりにケネルはつぶやき、そうだろうな、と苦笑いした。闇医師の捜索を請け負った、調達屋は姿を見せない。
 驚きも嘆きもしなかった。それがまともな判断というものだった。土台無茶な注文なのだ。己が首を差し出すために、わざわざ現れる馬鹿はいない。それどころか、とうに逃げ果せているだろう。
 行方が知れない闇医師を日没までに連れてくる、そんな都合のよい夢物語を、ケネルとて真に受けていたわけではなかった。むしろ、のこのこ顔を見せれば、調達屋を処断せねばならなくなる。傭兵隊は厳正を以て鳴る組織だ。虚言の始末をうやむやにしては、下に対して示しがつかない。怠れば、たがが弛み、やがて統率が取れなくなる。引いては成員の存亡につながる。
 とはいえ、そうした一方で、闇医師が来ないというのなら、打つべき手は残されていない。
 硬い岩壁にぼんやりもたれて、ケネルは天井の風穴を仰いだ。そこには、丸く切りとられた空があった。永久へと続く、遠く、果てない空の高み。
「──ここまでか」
 つぶやき、ケネルは背を起こした。
 万策尽きたこの期に及んで、認めぬわけにはいかなかった。すらり、と腰から刃を引き抜き、苦しげな彼女に目を向ける。
「長引かせて悪かった。今、楽にしてやるからな」 
 救える手立てがないのなら、苦痛をいたずらに長引かせるのは酷というものだった。森の拠点を引き払う前に、あの首長代理が言ったように。
 彼女の苦痛がどれほどのものか、生傷の絶えない傭兵には、肌身に感じて理解できた。そして、死が身近な傭兵たちは、ほぼ正確に知っていた。彼女の命の残りの長さを。到来する断末魔を。それを無理に引き伸ばすのは、はた我欲エゴでしかないことも。それはいっそ、拷問に等しい。
 片手で彼女をかかえ直し、ケネルは刃を持ち替えた。
「お別れだ、奥方さま」
 その顔を見つめるケネルの頬から、表情の一切が消え失せる。
 全ての希望が断たれていた。"死ぬなら楽に"とは、生ある者なら誰しも願う、根源的な望みのはずだ。膝元を離れ、動き出した刀身が、暗がりで鈍く光を放つ。
 さっ、と照射が、手の甲を照らした。
 不意の異変を見咎めて、ケネルは目をすがめて天井を仰ぐ。
 天井にうがたれた風穴から、鮮やかな光彩が射しこんでいた。坑道の黒い岩肌が一面、燃え立つように染まっている。
 夕陽の残り火、残照らしい。
 不意の客はやがて去り、蒼闇がひっそりと訪れた。窪みに溜まった地表の水が、岩壁の天井で乱反射していた。あろうはずもない水の揺らぎが天井で不規則に揺らぐ様は、閉じ込めた郷愁を掻き立てるような、どこか不思議な光景だった。そう、いつか見た、あの草原の夏日にも似た──。
 ふわふわ白いレースの裾が、草原の夏日にひるがえった。
 青い草を裸足で蹴りやり、彼女が名を呼び、駆けてくる。
 寝巻きの白が、両手を広げた満面の笑みが、脳裏に大きく広がって──
 とっさに、ケネルは目をそらした。
 視界にぼんやり、色彩が飛びこむ。暗がりに場違いな、ほのかな黄。
 彼女の髪にさしてやったミモザだった。誰かにもらったのだろう幸せの証。そう "祭のミモザは幸せを運ぶ"──出し抜けによぎった口承に、彼女は幸せだったろうか、とふと訝る。不幸ではないに違いない。あれだけ望んだケネルの腕で事切れようとしているのだから。いや、そんなことが望みだろうか。本当は、ずっと前から知っている。彼女の望みは"幸福な花嫁" 生きて幸せになることだ。
 夏の草原で出迎えられたあの日、彼女は白い裾をひるがえし、顔中を口にした満面の笑みで、地を蹴り、胸に飛び込んできた。固い地面にひるむでもなく、相手が自分を受け止めないとは露ほども思わぬ踏ん切りの良さで。それは、相手に対する手放しの信頼。他ならぬ自分への、絶対の安堵──。
 カラン、と刃が足元に落ちた。
「──すまない」
 残響が暗がりに尾を引く中、ケネルは彼女を抱きすくめた。寝袋の肩に顔をうずめて、力なく首を振る。「……ごめん……ごめんな。俺には、できない」
 尋常ならざる壮絶な痛みは、傍で察して余りある。長く苦しませるのは忍びない、そのはずだった。なんて様だ、とケネルはうなだれ、己をなじる。
「ほとほと自分に嫌気がさした。こんなに苦しんでいるあんたさえ、俺には助けてやることができない。いや、誰ひとり、俺には助けられない。お袋も妊婦も羊飼いも。俺がもたもたしている内に、みんな無残に死んでいった。俺には、誰も助けられない。この俺には、誰ひとり──」
 ケネルは絶望に首を振る。底のない泥沼に踏み込んでしまったようだった。あの覇権争いが、そもそも不幸の元凶だった。この底なしの泥沼は、あの頭目らを粛清したヴォルガに端を発している。だが、ならば、あの時、妊婦の仇を打たなければ良かったかと訊かれれば、首を横に振らざるをえない。
 サランディーの妊婦の惨殺は、頭目らの腹いせだ。自分に身を寄せていただけの女が、不運にも争いに巻き込まれた──つまり、彼女が殺されたのは、他ならぬ己のせいなのだ。それを十分知りながら、彼女を嬲り殺した連中と何事もなかったように手を結ぶなど、到底できることではなかった。あのヴォルガは正しかった。今でも、ケネルは信じている。だが、正しかったはずの選択は、更なる生贄を招きよせ、羊飼いの娘まで殺された。今度は頭目らの子飼いの手で。
 つまり、未来永劫尽きることなく、こうした悲劇が続くのだ。自分が破滅せぬ限り。頭目らを撲殺した、これがその報いだというのか──。
 助けを求めて伸ばされた手が、次々目の前で潰え去る。自分に関わる女たちが、目の前で無残に死んでいく。子飼いなどには到底倒せぬ"戦神ケネル"の身代わりとして。
 かすかな予感がありながら、ケネルには何もできなかった。妊婦の時も、羊飼いの時も、惨事を食い止めることはできなかった。己が襲われるより余程こたえた。拳が自分に向かわねば、反撃の繰り出しようがない。姑息で陰湿な報復だった。だが、それは、ケネルの苛立った神経を、この上なく効果的に痛めつけた。
「……まったく、どこまで呪われる」
 ケネルは力なくうなだれる。歯車の狂った運命が、あざ嘲笑っているかのようだった。かつての選択の誤りを。
 だが、呪縛はそれだけに留まらなかった。無慈悲な運命は哄笑し、更なる試練を課したのだ。あたかも、戦神と呼ばれる彼が、その名に値するか試すように。
 己の皮肉な境遇を呪い、ケネルはやりきれない思いで首を振る。ついには、この手で殺せというのか。常に見守ってきたこの彼女を。
 できるはずが、なかった。
 全ての魔の手を斥けるように、彼女の体を抱きしめる。
「せめて、あんたと共にいる。ずっと、そばにいるからな。──いや、俺が言っても、あんたは信じないかもしれないな。なにせ、俺は"嘘つき"だから」
 なら、これなら信じてもらえるか? とケネルは静かに双眸を閉じた。苦しげに眉をひそめる彼女の額に手の平を置く。
「我、いかなる時も共に在り。かの者に忠誠を尽くすことを誓約する。大地と聖霊と運命神の御名において」
 汗で頬に張り付いた彼女の髪をどけてやり、そっと労わるように頬ずりする。
「これでずっと、あんたと一緒だ。何があっても、一人にはしない。あんたは独りが嫌いだからな」
 領主に去られた深夜の居室で、声を殺して泣いていた。
 日の暮れた草原のゲルで、自分の帰りを待ちわびていた。戻れば、安堵の笑みを向けた。どこへだってついて来て、握った裾を離さなかった。彼女はほんの一時だって、一人きりではいられない。
 口にしたのは誓詞だった。それは彼らに伝わる厳粛な儀式。これを口にしたが最後、この誓詞に縛られる。それは、こうしたものだった。常に彼女のかたわらに在り、どこまでも連れ立つと。冥土へ旅立つこの彼女と、これから先の道のりも、、、、、、、、、、
 あわてて後を追ってくる愛想笑いを思い出したか、ふと、ケネルは苦笑いする。「……前にも言ったろ。部下の不始末の責任はとる」
 目を細めて彼女をながめ、息を吐いて、つぶやいた。
「……俺も、もう、疲れたんだ」
 彼女の呼吸が、速く、浅くなっていた。
 薄くあけた唇から、浅い呼吸がやっとのことで紡がれていた。苦しげに息をつめては、あえぐように息を吐き、その眉はしかめられている。
 むずかる子供をあやすように、彼女を揺すり、さすってやる。その、、時が近づいていた。取り返しのつかない、決定的な別離の時が。
 断末魔の痙攣が始まっていた。抱きかかえた彼女から、徐々に体温が失せてゆく。今は脈を刻むこの体も、すぐに冷たくなるだろう──。
 ひっそりと湿った暗がりで、微かなきらめきが、ケネルの目を射た。
 あのお守りの翠石だった。彼女の首筋からこぼれ落ち、暗がりの宙で、ゆれている。
「──なぜ、消えた」
 責めなじる口調で、ケネルはつぶやく。石は硬質なきらめきを放ち、今や、ゆらぎは、どこにもない。
「この肝心な場面でどうして! なぜ知らん顔で黙っている。仮にもお前の主人だろう!」
 昼に夜に、絶えず修復してきたというのに。
「……教えてくれ。なぜ、こいつなんだ」
 ねめつけた視線が力を失い、ケネルは力なくうなだれた。
「こいつは何もしていない。小生意気でいい加減な、どこにでもいるお調子者だ。生贄が欲しいなら、この俺を連れて行け。何人も殺した大悪党だ。その方が割に合うだろう……」
 浅くあえぐ彼女の肩に顔をうずめた。「せめて、俺にも機会をくれ。こいつを助けてくれるなら、どんな運命も受け入れる。俺の命と引き換えにして構わない」
 銀の鎖でつながれた石は、暗がりで、ゆらゆら揺れている。両手でかかえた彼女の呼吸が、いよいよ薄く、荒くなる。石の無反応に業を煮やして、ケネルは腹立ち紛れにつかみ取った。
「まがい物でないというなら、今この場で証を見せろ。こいつの息を呼び戻し、ただちに負傷の修復を行なえ!」
 青白い閃光が、闇に走った。
 刹那ほとばしった発光に、洞窟の暗がりが隅々まで照らし出される。
 稲妻が走ったかのようだった。
 一閃が去った暗がりで、手中の石が薄ぼんやりと光っている。淡い緑のゆらぎをまとって。
 呆気にとられてケネルは見入り、そして、ようやく気がついた。石を握りしめた片手から、ゆらぎが立ちのぼっていることに。あの日、レーヌの仮宿で、彼女がまとっていたのと同じ、ほのかな緑のゆらぎだった。ケネルは呆然と我が手を見る。
「……そういう、、、、、ことか」
 するり、と手の平に滑りこんできた。
 意図せずつかみ取った手の中に、思わぬ気配が息づいていた。かたわらで揺れていた幻影の、握ればすり抜ける残像の、
 真実のしっぽを、ケネルはつかんだ。
 
 
 

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