CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 11話1
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 がたた──と付き添いの椅子を引き、逆向きに座って、背もたれをかかえる。
 個室の長椅子で目覚めたケネルは、窓辺の寝顔を呆然と見つめた。
 彼女はくーかー口をあけ、大の字になって寝入っている。くちゃくちゃの掛け布を腹にかけ、なんの頓着もない、ゆるみきった顔で。
 むに、と頬を突いてみる。
 彼女は顔をしかめて寝返りを打ち、うるさそうに枕をかかえた。もぐりこんだ枕にぐりぐり顔をこすりつけている。両手両足しっかと絡めて、掛け布をぎゅぎゅう羽交い締め。
 いわゆる爆睡。
 両腕を置いた背もたれに、ケネルは溜息まじりに突っ伏した。言い知れぬ徒労感に首を振る。
「なんで、こんなに平気なんだ……」
 昨日の危篤が嘘のような、既に見なれたすさまじい寝相だ。いっそ、あっぱれ。
 とはいえ、これまで彼女を眺めた朝とは、明らかに異なる点もある。常に彼女を取り巻いていた、仄かなゆらぎは、今や、ない。
 かすかな異変を慎重に探して、じっとケネルは寝顔を見つめる。
 頬をゆるめて苦笑いした。
「──あんたじゃなかった、、、、んだな」
 夢の石を使っていたのは。
 "人の世の望み、ことごとく叶える夢の石" だが、発動していたのは彼女ではない。崖の高みから落ちた時も。無人島でファレスを癒したのも。鋭利な刃物で刺されたファレスを、死の縁から引き戻したのも。
 彼女の首からこぼれた石は、シーツで静かにきらめいている。彼女はにせものだと笑ったが、あの石は紛れもなく──
「本物、か」
 ケネルは目を眇めて、つぶやいた。
 ふと、怪訝にそれを見咎め、シーツの石を取りあげた。ためつすがめつ覗きこむ。
「──ヒビ、か?」
 光が奇妙に屈折していた。
 硬く澄んだ翠石の中に、細かな線が放射状に入っている。だが、昨日発動した時は、こんなヒビは、どこにもなかった。ならば、一同が揃ったあの後か。いずれにせよ、彼女がこれに気づいたら、
「……怒るよな」
 まなじりつりあげ食ってかかる馴染みの形相を思い浮かべて、ケネルはげんなり嘆息した。この翠石のお守りは、彼女のお気に入りの装飾品だ。にせものと思っていて尚、肌身離さず身につけていた。いや、それ以前に、もう一騒動あるだろう。いくら処置が済んだとはいえ、背中を裂いたあの傷が消えてなくなるわけではない。その上、ゆらぎは消えうせた。やがて彼女が目を覚ませば──
 ごろり、と彼女は再び寝返り、はだけた腹を掻いている。
「……。痛いと言って、わめくんだろうな」
 ケネルは無言の上目使いで、ぽりぽり指先で頬を掻いた。
「──菓子でも買ってくるか」
 ご機嫌とり用の。
 本来そうした物品は、むずかる子供の目先を変える飴玉のようなものではあるが、この彼女にも通用すると、ケネルはこれまでの修練で体得している。
 やれやれと椅子を立ち、くかくか寝ている寝台をまわって、日ざしさしこむ窓辺に向かう。
 カーテンの裾が、ゆれていた。
 明るい窓辺に寄せられた寝台。かたわらに置かれた小さな卓。患者の付き添いや見舞い客が使うのだろう、入口の壁に寄せられた長椅子。家具調度はそれだけの殺風景なこの部屋は、診療所の中にある個室の一つのようだった。
 懐をさぐって煙草を取り出し、一本口にくわえかけ、ふと気づいて、又しまった。病室での喫煙は、やめておいた方がいい。以前、北カレリアの白衣の医師に、顔をしかめられたことがある。
 溜息まじりに窓枠にもたれて、ケネルは手持ち無沙汰に外を眺めた。
 そこは透明な朝日で満たされている。いや、壁にかかった時計の針は、既に十時をまわっていた。
 ここは、建物の裏手に位置するらしい。草茫々の空き地をはさんで、窓の向かいに裏壁が迫り、左隣との境には、街路樹のような樹木が三本、青い梢をそよがせている。
 そのうららかな光景とは相容れない、昨日の坑道を思い出し、ケネルはわずか眉をひそめた。何かもやもやとして気分が晴れない。
 かの闇医師の指示に従い、首長と調達屋は坑道を出たが、ケネルは坑道内に留まった。あの闇医師は渋ったが、度々狙われた賓客を、面識のないあの医師と二人きりにはさせられない。とはいえ、体力は限界に近く、すぐに意識をなくしてしまい、気づけば夜が明け、あの長椅子の上だった。だが、意識を手放す直前に、奇妙な光景、、、、、を見た気がする。
「──どうなっている」
 医師の顔を思い浮かべて、ケネルは苦々しくつぶやいた。薄暗い坑道内は、それだけで十分非日常的な光景で、あの光景が夢かうつつか、今となってはわからない──。
 がさ、と草葉が際立って揺れた。
 ケネルは何気なくそちらを見、ふと、それを見咎める。
「あいつ──」
 部屋の戸口に取って返して、ほの暗い廊下に出た。
 たらいが伏せられた炊事場の、廊下の右手は突き当たり、窓から差しこむ陽光が、壁に並んだ二つの扉を、白々と照らしている。
 左に向かい、廊下の先を左に曲がった。こちらが裏手に通じる廊下、あの空き地の方向だ。
 建物の中はひっそりと、昼前の廊下には、人けがなかった。通風のためだろう、右壁の戸があいている。その向こうの室内には、ずらりと薬瓶が並んだ棚、書物の詰まった壁際の書棚、白いカーテンで仕切られた向こうに、事務机と椅子が二脚──診療室であるらしい。
 一瞥で行く手に目を戻し、思わずケネルは足を止めた。
 しん、とほの暗い、廊下の待合の長椅子に、黒くてむさ苦しい、ぼさぼさ頭が寝転がっていた。たくましい腕を腹で組み、ガーガーいびきをかきながら、大口あけて寝入っている。
「……アドルファス?」
 あの蓬髪の首長だった。ぼりぼり胸を掻き、無防備な寝顔。ここにいるということは、彼女を運んできたのだろう。──いや、まて。
 ケネルは微妙な顔で固まった。ぞわり、と何やら悪寒が走る。
 血まみれの彼女をかかえていては、商都の北門は通過できない。ならば、医師とはカノ山で別れ、坑道を使って戻ったはず。彼女を運んだのが首長なら、この自分を運んだのは……
 ぼんっ、とあの顔が思い浮かんで、よろり、と壁に手をついた。
 ゆるゆる力なく首を振り、ふんぞり返ったチョビ髭を、頭の中から追い払う。いや、贅沢を言えるような立場ではない。捨てていかれなかっただけでも上等だ。
 気を取り直して裏口をあけ、部屋の窓から見咎めた、空き地の左手へ、つかつか向かう。
「どうした。何かあったのか」
 草に埋もれてしゃがんでいた頭が、声に立ちあがって目を向ける。
 つるりと滑らかなその頬に、汗が一筋したたり落ちた。
 汗に濡れた前髪の下、瞳が食い入るように凝視している。絹のように細い髪。髪先がかかる薄い肩。整った服とはちぐはぐな、端が切れた古い突っかけ。
 はっと我に返lった様子で、あわてて彼が目をそらした。
 つかのま細い眉をひそめ、ためらいがちに口をひらく。「──あなたが、担ぎこまれたと聞いたので」
 どことなくたどたどしい、言い訳のような小さな声。いつもの人を食ったような様子はない。
「──あ、ああ。そうか」
 思わぬ様子に面食らい、ケネルもたじろいで目をそらした。今のは日ざしの加減だろうか。どこか強ばった彼の真顔が、いやに青ざめて見えたのは。そう、草に埋もれた薄い肩が、途方に暮れたように見えたのは。
 手をあげ、ケネルは笑ってみせる。「この通りだ。なんともない。心配をかけてすまなかったな、クロウ」
「──心配など、していませんよ」
 ぷい、とクロウが腹立たしげに目を背けた。
 不本意そうに、もごもご付け足す。「ただ、あなたにしては珍しいと思ったので」
 ケネルはうろたえ、視線を無為にめぐらせる。「……お前、どこから入ってきたんだ? まだ、店は閉まっていたろう」 
 クロウは細い指をあげ、事もなげに後ろを指した。「そこの路地からですよ」
「──路地? 角地か、ここは」
 草地の端へとケネルは歩き、旺盛な雑草の向こうを覗いた。なるほど、左隣との間に路地があり、先には、人が行き交う通り。伸び放題の草に埋もれて、部屋の窓からは見えなかったが、薄い木板が敷地のぐるりを申し訳程度に囲んでいる。
 感心しきりで、クロウを見た。「こんな細い道まで、よく知っていたな」
 苛立ったように目を閉じて、クロウは軽く嘆息した。「ここは師匠の家ですから」
「……知り合いなのか?」
「知りませんでしたか?」
 クロウは冷ややかに一瞥をくれる。「わたしはここで、薬草の知識を学びました。ここに植わっている薬草でね」
「……薬草? これが全部そうなのか?」
 ケネルはまごつき、見まわした。てっきり雑草だとばかり。だが、それらをよくよく見れば、見覚えのある花もある。つまり、建物裏手のこの草地は、空き地ではなく裏庭か──。ふと、立て札があることに気がついた。これらの薬草の案内だろうか。冷たい視線を避けるついでに、ぶらぶら歩いて、立て札を覗く。
 " 猛毒危険 "
「……。なに考えてんだ、あの医者は」
 絶句で、ケネルは首をひねる。
 人通りのある街中で、毒草を栽培しようとは。いや、建物裏手のこの場所は、薬草園ではなかったか? 
 ふと、医師の魂胆に気づく。
「……。あくまで侵入を阻む気か」
 盗人許すまじ、の強硬姿勢。非妥協的な徹底抗戦。だが、家主は確か、医者・・だよな?
 どうも何やら釈然としない思いで、物騒な立て札を肩越しに見い見い、ケネルは戸口に立ち戻る。敷地境の青い木々を、クロウが溜息まじりに指さした。「あれもトネリコ、あの、、世界樹ですよ」
「──こんな街中に、か?」
 ケネルは面食らい、見返した。樹海に自生する世界樹は、薬の貴重な原木だが、移植は困難を極めると聞く。
「まったく、疎い人ですね。見れば、わかりそうなものでしょうに」
 ぶっきらぼうに言い放つクロウの整った横顔を、ケネルはそっと盗み見た。一見、美少女と見まごうクロウは、周囲に一目置かれるほどの薬師だが、彼のそうした功績は、単なる幸運なめぐり合わせや、漫然とした努力の賜物などではなかったらしい。よもや、商都の片隅で、密かに修業を積んでいたとは。
 とはいえ、常に超然と冷めているクロウが、世俗的な栄達の類いに関心があるようには見えないが。そもそも、薄情そうな闇医師ならば、己の技量の分配を嫌い、にべもなく鼻であしらったろうことは想像に難くない。それに無理に教えを乞うて、食い下がったというのか。気位の高いこのクロウが。
 その姿が想像できず、どうにもしっくりこないながらも、ケネルはぎこちなく苦笑いを向ける。「知らなかったよ。とっつきにくそうなあの医者に、お前が弟子入りしていたとは。さぞ、莫大な見返りを要求され──」
 言いかけた口を、ふと、つぐむ。
 クロウがいぶかしげに促した。「なんです?」
「……何もないよな? あの医者と」
 同じ美麗な顔立ちでも、ここにいるのが副長ならば、なんら心配はないのだが、この弟は見るからに非力。どんな見返りを要求されたか、兄としては、いささか気になる。
 クロウが呆れたように嘆息した。「何がです?」
「あ、いや、だから──」
 詳細に踏みこむのは憚られ、あたふたする内、会話が途切れた。
 どよん、と重たいよどんだ空気が、夏の裏庭に立ちこめる。
 うっかり口を滑らせて、また顰蹙を買ったらしい。ケネルは手持ち無沙汰に頭を掻いて、夏の裏庭を無為にながめる。
 建物裏手の右側は、いくぶん草が刈られている。不要な物が出してあるのか、木箱が二、三、壁に積まれ、公園などで見かけるベンチが、野ざらしの背を向けている。その壁から隅の樹木へ、ロープが二本張り渡してある。壁下には、石造りの水場と、立てかけられた洗い桶。つまり、ロープは洗濯用か──。
「では、わたしはこれで」
 クロウがそっけなく踵を返した。
 不甲斐ない相手に、業を煮やした、という風情。とっさにケネルは顔をあげる。「──あ、クロウ!」
「何か、ご用が?」
 足を止めた肩ごしに、クロウが白けた一瞥をくれた。
「……い、いや、いい。気をつけて帰れよ」
 無用な一言を、しどもど付け足す。
 冷たい苛立ちを身にまとい、ふい、とクロウが肩を返した。
 裏庭を突っ切り、木戸を開け、細い路地へとさっさと出ていく。
 姿が消えたのを確認し、はあ〜……とケネルは脱力した。さながら、反抗期の娘の機嫌をとる、不慣れで健気な父親のように。
 拳でとんとん、気疲れした肩を叩いて、雨ざらしのベンチに向かった。
 懐の隠しを探りつつ、野ざらしのベンチに身を投げる。紙箱を揺すって一本取り出し、溜息まじりに煙草をくわえた。二人きりの兄弟なので、できることなら仲良くしたいが、クロウの態度はかくの如しだ。
 理由は薄々わかっている。クロウが弟であることを、ケネルは公にしていない。それが彼には気に食わないのだ。
 だが、恨みを買う稼業では、どうしても身内に累が及ぶ。残党の標的にされたが最後、非力なクロウでは太刀打ちできない。あの心許ない弟を、危険にさらすわけにはいかなかった。標的が父の方なら、勝手にどうとでもするだろうが──。
 はっと、ケネルは目をみはった。
「だから、あいつ、そんなに無理して……」
 にわかに事情を合点して、座ったまま身をよじった。クロウが去った裏庭が、青い草先をゆらしている。
「……それほどの価値は、あの男にはないのに」
 苦い溜息で、背を戻した。
 ようやく、すっかり理解した。先の違和感の正体を。決して崩さぬ横顔の裏で、あのクロウが秘めた想いを。
 クロウと恐らくは同じ動機で戦功をあげてきたケネルには、それは痛いほど理解できた。父に認められた兄に対する刺々しくも苛立った態度も。時折みせる挑発的な言動も。どうにもならない歯がゆさも。だからこそクロウは、ここに通いつめたのだ。
 知りうる限り、彼らは二人きりの兄弟だった。
 年齢不詳のあの父には、囲った女は大勢いたが、子はことごとく死産となり、たとえ生まれても成長することなく死亡した。そうした中でも、クロウは奇跡的に生きのびた。だが、父は我が子と認めなかった。
 年中多忙で、女たちの待つ隠れ里には、ほとんど戻らない生活だ、というのが表向きの理由のようだが、実際のところは、尋常ならざる際立った身体能力が、クロウにはなかったためだろう。つまり、自らと同様の性質を、父はクロウに認めなかった。
 特殊な才を示したケネルが実子であるということは、もはや疑いの余地もなかったろうが、ケネルほどに突出した才を、父はクロウには見出さなかった。
 だからこそクロウは、名立たる闇医師を探し出し、揺るがぬ才を手に入れた。自分を無視する父親に、己が存在を示すために。
 冷たく崩さぬ横顔にクロウの意地を見た気がして、ケネルはひとり苦笑いする。
「どうぞ、隊長」
 洗濯ロープを眺めた視界に、何かが横から割りこんだ。
 マッチの先にともった火。
 いつの間に、後ろにいたのだろう。まるで気配に気づかなかった。
 声で相手の見当をつけ、ケネルは苦笑いして火をもらう。一服して、目をあげた。
「気がきくな、セレスタン」
 
 
 
         ※ 作中「トネリコ」の表記が出てまいりますが、実際の樹木とは異なります。
           何とぞ、あしからずご了承くださいませ。

 
 

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