CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 11話8
( 前頁 / TOP / 次頁 )


 
 
 いかにも、ケネルがそこにいた。
 建物の日陰で腕を組み、壁にもたれて、たたずんでいる。
(ま、まずい……)
 そそくさエレーンは目をそらした。気まずくうつむき、冷や汗たらたら。
 ほの暗くむし暑い、ケネルが寝ていたあの部屋が、むくむく脳裏によみがえる。好き放題に罵倒して、部屋を飛び出したきりだった。つまるところ、今、一番顔を合わせたくない相手だ。それに──
 軽くもたれた肩を起こして、ケネルが屋上に踏み出した。
「そろそろ時間だろう。行ってやれ」
 ……んん? とエレーンは首をかしげた。
 うつむいた目をそろりとあげれば、ケネルの視線がずれている。目を向けているその先は、
「──あ、でも、俺は」
 隣で、ボリスが身じろいだ。
 ためらいがちに一瞥し、ゆらいだ視線が刹那かち合う。
 え? とエレーンは見返した。なにか奇妙な反応だった。なんだろう。たじろいでいるような、この場を離れるのをためらうような──
 ふい、とボリスが目をそらした。
 ケネルに軽く頭をさげて、「お疲れっす」と脇をすり抜け、階段の方に歩いていく。
「え?──あっ、ちょ、ちょっと!」
 肩透かしを食い、エレーンはおろおろ。
(こっちには、じゃあ、の一言もないわけ? てか、そんなことより──!)
 両手をズボンの隠しに突っ込み、ボリスはとんとん、塔の階段を降りていく。肩をゆすってぶっきらぼうに離れるその背は、もう、連れを振り向くでもない。
 なすすべもなく固まって、エレーンは呆然と見送った。それと同様、戻ったボリスを見届けると、足を留めて見ていたケネルが、視線を返し、踏み出した。
 ぶらぶら手すりに歩みより、隣まで来て、手すりをつかむ。
「何をしているんだ、こんな所で」
 風にさらされ、横顔で問う。
「……う、うん……それはあのぉ〜……」
 エレーンは爪先でのの字を書きつつ、えへへ、とそわそわ誤魔化し笑い。
 予想だにせぬ展開だった。祭も終わり、だあれもこない時計塔の上に、よもやケネルが現れようとは。そう、よりにもよって、あのケネルだ。そして、まさか二人きり、取り残されてしまうとは。
 なにせ、罵倒 して飛び出して以来だ。いや、それのみならず、言いつけ無視して単独行を決行し、けれど資金ショートでもろくも敗退、こっそり本部に舞い戻り、ケネルに内緒で飲食・宿泊、その後も言いつけ無視しまくったあげく、斡旋屋の知らない部屋で、気づけば寝ていた、という体たらく。ボリスから聞いた話では、部屋にはケネルもいたというから、これら諸々の反抗は、既に 発覚した とみた方がいい。つまり、再会した現時点で、前科が既に積みあがっている。となれば、
(……これ、絶対怒ってる、よね?)
 むべなるかな。
 しかも、保護された部屋さえ、ケネルに 無断で 抜け出てきている……。
 冷や汗たらたら、じっとり嫌な汗を掻く。
 事ここに至っては、言い逃れのしようもない状態だ。カミナリ落ちるの間違いなし。そう、これは立派な、
 ── 脱走、発覚
「今さら商都見物か?」
「まっ、まあねっ!」
 びくり、とエレーンは飛びあがった。ほほ、と反射的にたじろぎ笑う。「よ、よく、わかったわねえ、外にいるって」
「菓子箱が空っぽで、寝巻きが脱ぎ捨ててあったからな」
 ケネルは白けきった顔。今度はどこへ行ったかと思えば、といわんばかりの呆れ顔だ。
 ちら、と横目で流し見た。
「ボリスとデートか?」
「──ちっ!?」
 エレーンは息を呑んで瞠目した。
「ちちち違うわよっ? 違うわよっ? 別に、これは、そんなんじゃっ!」
 ボリスが消えた階段部屋をわたわたおろおろ見まわして、ぶんぶん両手を左右に振る。
 手すりに伸びて肘をつき、ふーん……? とケネルはじと目で見ている。絶対信用していない。
「ほっ、本当だってばっ! あたしは買い物に付き合っただけで! だって、一人でいたって退屈だし、ケネルはちっともこっちこないし、他に誰もいないしさあ、イガグリが買い物に行くっていうから、だから、ちょっと気晴らしに──」
 ケネルは手すりに腕を置き、その横顔でくすりと微笑った。
「体は、もう、大丈夫か?」
 エレーンは拍子抜けして口をつぐんだ。
「……あ、う、うん」
 うなずき、左の肩を一瞥。「そっちはもう、平気みたい。ちょっと背中かゆいけど、でも、怪我してからずいぶん経つし、だから、たぶん、そーゆーもん? 治りかけって、かゆいっていうし……」
 森で背中を斬りつけられた、そう思った昨日のあれは、夢だと結論づけていた。森の中を逃げている内に、どこかにぶつかるか何かして、意識を失ってしまったのだろう。だって、そうとしか思いようがない。もしも、あれが現実ならば、生きているとは思えない。
 ケネルは注意深く話を聞き、そうか、と溜息まじりに振り向いた。
「まだ、俺を怒っているか?」
 だしぬけに直視され、エレーンは一瞬言葉を呑んだ。
「──う、嘘言ったことなら、もういいわよ。あたしをここまで連れてきてくれたの、なんだかんだ言ってもケネルだもん」
 そうか、と視線を正面に戻して、ケネルは眼下の通りを眺めた。その横顔で小さく笑う。「そいつはよかった」
 向かいからの西風が、ケネルの髪をそよがせた。
 材木を運ぶ人足たちが、眼下の通りを歩いている。ケネルは手すりに腕を置き、街の屋根屋根をながめている。
「……あの、ケネル?」
 風に吹かれる横顔を、エレーンは上目使いで盗み見た。
「もしかして、ボリスのこと探してた?──あの、ごめんね、中々見つからなかったでしょう。行き先はっきり言わないから、あちこち歩きまわっちゃって」
「大そうな動機だな」
「──え゛?」とエレーンは面くらった。
 微妙な顔で氷結する。なにやら、そこはかとなく嫌な響きだ。今言った「動機」というのは、もしやボリスに明かした話──身近な人には 絶っ対に 知られたくない、あの 黒歴史 のことなんじゃ……?
 ケネルが思わせぶりに一瞥した。
「 " 大嫌い " を取り消しに行くのか?」
「いつから、いたのっ!」
 エレーンは驚愕、思わず詰問。
「いいいいつからケネル、あの場所にっ!?」
 えーっとねーー……と小首をかしげ、ケネルはくるりと振りかえる。
「 " 風が気持ちいいね " ?」
「──ねっ? じゃないわよ、ケネルのばかっ!」
 エレーンはぎりぎり拳を固める。「本当はいつからっ!」
「気になるか?」
 ふふん? とケネルが含みたっぷりで顎を出した。
 むむぅ、とエレーンは口をつぐむ。
「しかし、そんな動機とはな」
 西からの向かい風に吹かれて、ケネルは横顔で薄く笑った。
「いやにトラビア行きにこだわるから、何事かと思っていれば。それがそんなに気になるなら、俺からあいつに言っといてやるよ、天パー頭のあの領主に」
 たぶん地獄で会うだろうからな? と上目使いで小首をかしげる。
 とっさに言葉を返せずに呆気にとられて見ていると、くるり、とケネルが振り向いた。
「嘘って言っときゃいいんだろ?」
 ──そんな軽く!?
 あんぐりエレーンは絶句して、わなわな利き手で拳固を握る。「──ケネルっ!」
「トラビアで危険を冒すには、あんたの動機は、あまりに些細だ」
 う゛っ、と、エレーンは返事に詰まった。
 再三申し渡した結論を、ケネルはきっぱりくり返す。
「トラビアには行かせない。俺があんたを行かせない。もう、首を突っこむな。あそこは軍の前線だぞ。それぞれがそれぞれの立場で、まともに真剣にやりあっている。何もわきまえない素人が、掻きまわしていい場所じゃない」
「で、でも、あたしだって──!」
 むっとしてエレーンは言い返し、だが、とっさに先が続かない。
 ケネルの言葉は正論だった。動機は個人的なもの。自分のしこりを除くため。肩の重荷を下ろすため──。己の身勝手さを突きつけられて、反論さえも叶わない。
 せめて、ぷい、とそっぽを向いた。「も、もう、用は済んだんでしょー? ボリスも行っちゃったことだしさー、ケネルももう戻ったらー?」
「いや、あんたにも伝えることがある」
 ……え? とエレーンは見返した。ケネルの声には、背筋を正さずにはおれないような、有無を言わさぬ響きがあったからだ。
 ケネルが真顔で目を向けた。
「俺たちは、早急にカレリアを出る」
 え、とエレーンは訊きかえす。とっさに意味がわからない。
「部隊は既に、国境に向けて移動している。俺たちも明日には合流する」
「ちょ、ちょっと待ってよケネル! 明日ってなんで、そんな急に──」
 ケネルは溜息まじりに腕を組んだ。
「ちょっと、まずい事態になってな、あんたが気絶している内に、、、、、、、、、、、、
 含みをもたせて、ちらと一瞥。
 不意打ちの嫌みに、そそくさエレーンは目をそらす。「あっ──も、もしかしてバレたとか? 国軍に」
「いや、それはない。だが、駐留継続は難しくなった」
「──あ、でも、そうしたら」
 自分の立場に気がついて、エレーンは目を泳がせた。「そうしたら、あたしはどうすれば。今、一人で放り出されても──お金だって、あんまりないし」
 " 俺たちは " とケネルは言った。つまり、自分はそこに含まれていない。
「心配は無用だ。あんたが寝ていた診療所に、当面いられるよう手配してある」
 あんたの手荷物も移動済みだ、とそつなくケネルは付け足した。
「で、でも、怪我はほとんど治っているのに、いつまでも、あそこに居座るわけには──。だって、次の患者が入ってきて部屋をあけるよう言われたら? そしたら、あたし──」
「問題ない。医師が許可を出し次第、あんたの身柄はクレスト公館に移される。折を見て移送するから、あんたは何も気にしなくていい。つまり、今後あんたは、自領の屋敷で保護される」
「会えなくなるの?」
 はっとして、エレーンは顔をあげた。
「だったら、ケネルと会えなくなるの? そしたら今日で──もしかして、これで最後ってこと!?」
 ケネルはまっすぐ目を据えた。
「これで、最後だ」
 言い聞かせるように申し渡す。「あんたに会うのは、これで最後だ。俺の役目は終わったからな」
「……あたしのこと、引き渡すの?」
 エレーンは食い入るようにケネルを見つめた。呼吸が浅く、速くなる。
「領邸の人に引き渡す? それでもう終わりなの? ケネルは隣の国に帰って、それっきりになっちゃうの?」
 ケネルに飛びこみ、腕をつかんだ。
 半歩引いてそれを受けとめ、ケネルは困ったように目をそらした。応えあぐねたように視線をゆらす、苦々しげなケネルの横顔。
「ねえ、ケネル! 答えてよっ!」
 こみあげた癇癪をぶつけると、ケネルは小さく嘆息し、晴れた夏空をながめやった。
「──いつか」
 つぶやき、おもむろに目を戻す。
「いつか、すっかり片がついたら、戻ることもあるだろう。そうしたら、どこかに飲みにでも行くか」
「嘘!」
 エレーンは必死で首を振る。
「誤魔化そうとしてるでしょ! もう戻る気ないんでしょ! だから、そんなこと言うんでしょ! ケネル、そんなこと言ったことないもん!」
 突如、別れが舞いおりた。
 それはいかにも唐突で、衝撃的な出来事だった。ケネルが離れていく、さりげなく距離を置こうとしている、それが、わかった。わかってしまった。今、この手を放したら、ケネルに触れることは、二度と、
 できない、、、、
 冷たい予感に、血が凍った。凝視した唇が震え、冷たい闇が目の前に広がる。
 あの、、既視感が襲いかかった。
 ──蒼い日暮れの薄闇に、もう、一人でいたくない。
「いやよっ!」
 無情な現実を払いのけ、エレーンは激しく首を振る。
「そんなの嫌よっ! ひとりにしないで! 知ってるくせに──知ってるくせにっ! あたしの居場所はあそこしかないって! ケネルの横にしか居場所がないって! "いつか" なんて来ないもん! 絶対戻ってこないもん! だって、ケネル嘘つきだもん! だから、どうせ、あたしのこと騙して──」
 だが、その先の文句は続かなかった。
 顔を振りあげたその口を、ケネルの唇がふさいだからだ。
 
 

( 前頁TOP次頁 ) web拍手


オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》