CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 11話9
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 ばさり、と何かが、左の肩にかぶさった。
 なんだ、と舌打ちで振り向いた隅に、特徴のある赤い髪……?
「いい子にしてた〜?」
 肩に馴れ馴れしく腕を置き、人懐こい笑みを向けている。
「あ?──てめっ! 赤頭っ!」
 ぶん、とファレスは反射的に腕を振った。
 ひょい、と男は飛びのいた。隠しに突っ込んだ手を出しもせず。
 不敵な口元、赤い髪、物事を俯瞰するかのような不遜な態度、ラトキエ領邸関係者、名前はレノ。今日は、真っ赤な大輪の花が咲く真っ青な生地のシャツを着ている。金鎖を垂らした襟元ははだけ、裾は白いズボンの外。光の加減で赤褐色に見える双眸には、何かを面白がっているような光がちらつく。ファレスは腕まくりで睨めつけた。
「おう、てめえ、いい所で会った。ちょっと、そこまでツラ貸せや」
 ここで会ったが百年目。丁度むしゃくしゃしていたのだ。
 きょとんと口上を聞いていたレノが、お? と注意をそらして、またたいた。
「悪い。ちょっと待っててくれる?」
 にっこり笑ってファレスに背を向け、すたこら道を駆けていく。
 言い返す間もなく取り残されて、ファレスはぎりぎり拳を握った。「てめっ! ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ! 逃げんなコラ! 戻ってこい赤あた(ま)──!」
「邪魔よっ!」
 どん、と後ろから突き飛ばされた。
 わたわた両手を振りまわし、ファレスは靴屋の壁に突進する。
 激突寸前で踏み止まり、唖然と通りを振り向いた。
「あ、危ねえじゃねえかよ……」
 一体なんだと見てみれば、茶色い巻き毛の若い女が、両手を振って駆けていく。ばく進するその先は、どうもレノを追っているらしいが、当のレノはどこかといえば──
 追っ手の女よりはるか先、既に大通りを横断していた。
 すい、と肩が、建物立て込む街角に消える。
 続いて巻き毛も到着し、鼻息荒く通りを横断、レノが消えた街角へと続く。垣間見えた横顔に、鬼気迫る憤怒の形相。そして「待ちなさいよ卑怯者っ!」との雄叫びが、建物の谷間におどろおどろしくこだまする。
 ファレスは毒気をぬかれて立ち尽くした。
 行き場をなくした拳をひらき、ほりほり手持ち無沙汰に頬を掻く。あのふざけた赤頭にはこっちも心底ムカついていたが、巻き毛の迫力には及ばない。そういや最初に見かけたあの日も、
「──あの女たらしが。また同じことしてやがる」
 辟易として舌打ちし、ファレスは苦虫噛み潰して歩き出す。そう、あの日も似たような状況ではなかったか。もっとも追っ手は別人だったが。
 まったく軽薄なことこの上ない。ともあれ、とんだ横槍だ。憂さを晴らす絶好の機会だったのに。
 不完全燃焼の面白くない思いで、昼の歩道をぶらついた。祭の翌日、それも真夏の昼下がりの炎天下とあって、通りをぶらつく人影はまばらだ。
 連れが領邸に捕まった際、あのレノの素性についても調査のついでに探らせていた。「それ副長の私用っスよねえ……?」と嫌みで渋るザイとくむを促し。とはいえ結果はかんばしくなかった。内部事情を知りそうな者は、存外に口が固かったのだ。もっとも、素性は意外にも、たやすく割れた。
 それは統領代理が知っていた。遊民組織を取り仕切る統領に次ぐ立場ともなると、あちこちに顔が利くらしい。
 それによれば、あの男レノは、母親がラトキエ宗家の直系であり、父親の知れない私生児らしいとのことだった。つまり、宗家の血族として領邸で起居し、貴族の子弟を名乗るにふさわしい教育を受けてきた。だが、貴族の姫君が出奔するなど、まして子供を孕んで戻ってくるなど、保守的な貴族社会では例がない。つまり、血統こそは直系でも、レノは異端の私生児だ。
 ご多分に漏れず、母子に対する風当たりは強く、レノは多感な思春期に非行に走り、酒と喧嘩と女遊びに明け暮れた。その母親も若くして病没し、レノの問題行動に手を焼いた当主が一時期トラビアへと厄介払いするも、そこでも他家の子女(ディールの縁戚らしい)に手を出して、ひと悶着引き起こす。ついには当主に勘当され、領邸を追い出されて今日に至る。
 街に放逐されたその後も、色々やらかしていたらしいが、ここ最近で際立っているのは、病気で先のない娼婦を請け出し、領邸の別棟に囲った件だ。しかも、娼館から請け出す際に、(箔がつくというただそれだけの理由で) 領邸子息の名を騙るというオマケつき。
 請け出した娼婦には気まぐれにちょっかいを出していたようだが、それも女の病状が悪化するまでのこと、ついに女が寝込んだと知るや、病人の世話をほうりだし、どこかへ姿をくらませた。つまり、この病気の娼婦こそ、クレスト領主と賓客が「アディー」と呼んで親しんだ、そして、かのアドルファスの幼い娘が商都の医者にとりあげられ、生体実験されたあげくに殺される、という悲劇の大元を作った女だ。
 ちなみに、このわがままで陽気な放蕩者は、「領家と王宮を結ぶ連絡役」という見た目だけは重要な役職に就き、その実、子供の使いのようなことをして(優秀な官吏が類似の実務をこなしている)常識では考えられない多額の報酬を取得している。一応、宗家の血族だから。
「おまたせ」
 すい、と気配が真横に並んだ。
 ぎょっと身構え、振り向けば、にんまりそこで笑いかけていたのは──
「待ってねえよ、てめえなんかっ!」
 ファレスは爪先立って、がなり立てた。「つか、てめえの女にぶっ飛ばされて、こっちは壁にぶつかりそうに──」
「あ、ゴメン。もうちょい待ってて?」
 言うなり、ぱっ、と走り出す。
 レノが駆け去り三秒としばし、背後から不吉な地響きが。
 次いで、すべてを薙ぎ倒すがごとき、すさまじい突風。
 とつじょ乱暴に吹っ飛ばされて、無防備に見送っていたファレスはくるくる──
「ぼさっと、そんなとこに突っ立ってんじゃないわよ!」
 苛立った罵倒が置き土産だった。
 両手を振って爆走していく。先とはまた別の女だ。体にぴったり張り付いた真っ赤な服とハイヒール。
 へいこら逃げる赤い頭は、今度は街角を右手に折れた。逃走ルートを変えたのは、先の女とかち合わないための方策らしい。
 今いた道に呆然と戻って、ファレスはほりほり頬を掻いた。
「……走りこんでんな、赤頭」
 あの足の異様な速さに、なんとはなしに納得がいく。そりゃ速くもなるだろう。毎日ああして鍛えていれば。しかも、常に真剣勝負だ。
「つまりは、あいつ、逃げ慣れてんのか」
 妙に感心しながらも、ファレスはぶらぶら歩き出す。本部の玄関を出た時は、大分気が立ってもいたが、妙なものを見物したお陰で(しかも二度も)、すっかり気がそがれてしまった。
 建物の壁で日陰になった石畳の歩道を、行くあてもなく一人ぶらつく。そうして二区画ほど、足を進めた時だった。
「お・ま・た・せっ!」
 すい、と赤頭が隣に戻った。
「なんで、わざわざ戻ってくんだよっ!?」
 爪先立ってファレスはがなった。「こっちは突き飛ばされてんだぞ! てめえのせいで! 女に二度も!」
「じゃあ、気をつけた方がいいんじゃないの?」
 特に息を切らしたふうもなく、ふうん、とレノは小首をかしげた。「二度あることは三度あるっていうし」
他人事みたいに言ってんじゃねえよっ! 元はてめえのせいじゃねえかよっ!」
「でも、やったの俺じゃないし?」
「──てっ、てめえっ! 赤頭っ! のらりくらりとっ!」
 絶句した口が続かずに、ファレスはぎりぎり拳を固める。口が達者なこの男には、どんなに詰問しても勝てる気がしない。のれんに腕押し。さすが阿呆の上官だ──チッと舌打ちして顔を背けた。「たく! なんなんだよ、あの獰猛な女どもはよ!」
 せめて、下手人を罵倒する。レノは考えるように首をかしげた。
「親しいお友だち?」
 この期に及んで、ぬけぬけと。いや、更には、あろうことか、
「あ、本人に言えば? 不服なら」
「わっかんねえのかよ! 気にくわねえんだよ、てめえのことがっ!、、、、、、、、、
 そ? とレノは肩を返して歩き出す。「俺は気に入ってるけどな、お前のこと。顔キレイだし」
「俺は男だっ! 女じゃねえっ!」
「だから? キレイなら俺は、どっちだっていいけどな、男でも女でも」
「てめえ、ちったぁ恥を知れや! 女ったらしの軟派野郎が!」
「だからなに」
 両手を隠しに入れたまま、レノは肩をすくめて振り向いた。
「女ったらしで何が悪い。人生は楽しくあるべきだ。どうせ同じ時間なら、楽しく過ごした方がいい。お前はそー思わない?」
 それで毎日ナンパに勤しんでいる、ということらしい。ファレスは苛々拳を握る。「にしたって、お前にはでかい領邸があんだろが。暑い日中に、なんでいんだよっ!」
「だって、ここ、俺の庭だし?」
 ああ言えば、こう言う。
 あっさりとうなずくと、レノは首をまわして空を仰いだ。「それに、なんかこう、呼ばれ、、、ちまってさ」
「呼ばれたって誰に──ああ、今の女どもか、追いかけっこしてた」
「いや?……んー、誰だろ。ガキかな、女の」
 ファレスは額をつかんで嘆息した。「誰だかわかんねえ奴、探してんのかよ。つか、ガキにまで手ぇだしてんのかよ。節操がねえってのか見境がねえってのか、お前の頭はそれしかねえのか」
「他に何が?」
 きょとん、とレノはいかにも不思議そうにまたたいた。ファレスは苦々しく舌打ちする。「あんだろうがよ、金とか地位とか飯とかよ」
「どーでもよくね?」
 ファレスは頭痛のし始めた額をつかんだ。「なら、お前にとって、女ってのはなんなんだよ」
「恋愛はお遊び」
 きっぱり、レノは断言する。一考の余地なし、との潔い態度だ。
「よっく言うぜ。危うく殺られかけてたくせしてよ」
「そっ。遊びは真面目にやらないとな」
 ファレスは軽く嘆息した。「そういや、完璧に逃げてたな」
「んー。なんかもーね、反射的に。ほら、いつものことだから」
 レノは悪びれる様子もなく肩をすくめる。
「女なら、てめえんとこにもいんだろがよ、狂暴なあのメイドどもとかよ」
「あー。あれはダメ」
 あえなくレノは手を振った。「使用人には手ぇ出すなって、アルの奴が恐ええんだもん」
 この「アル」──つまりはアルベールの愛称だが、それはラトキエ当主の子息の名である。この男の女遊びを見越して、きっちり釘を刺したらしい。正解だ。
 レノは歩き出した横顔で言った。「水晶館ってとこ、定宿にしてる。商都こっちに滞在する時は」
「水晶館? てぇと、南街の裏通りのアレかよ。だが、確か、あれは──」
 唖然とファレスは隣を見た。
「娼家じゃねえかよ?」
「なに。知ってんの?」
 知ってるも何も、商都で連れを見つけたあの日、人手がないと門前払いを食らった店だ。良さげな噂を聞きつけて、わざわざ遊びに行ったのに。
「いや、あそこの女将がいい女でさ〜」
「そういや、お前、住んでないなら、なんで領邸にいたんだよ。あの南の回廊に」
「あの日はちょっと用があってな。ま、言ってみれば、ご機嫌伺い?」
「──ああ、当主が寝たきりだとか言ってたな」
 ふと、ファレスは思い出した。あの時レノは、こんな砕けた身形ではなく、黒の上下で正装していた。当主は重病、もう明日をも知れぬ身だ。いかな軽薄な放蕩者も、さすがに見舞いに出向いたらしい。
 それはそうと、とレノは見まわし、くるりとファレスを振り向いた。
「なに。お前、今日はひとり?」
 油断していたその胸に、ぐさっと言葉が突き刺さる。
 忘れかけていた彼女の面影が呼び覚まされて、ファレスは苦虫噛み潰した。「関係ねえだろ、てめえに(は)」
「なになに一人? ひっとっりぃっ?」
 右から左から、ひょいひょいレノが執拗に覗く。ここぞとばかりに。
 イラッ、とファレスは拳を固めた。
「うっせえな!」
 ぶん、と力任せに振りかぶる。
 ひょい、とレノは飛びのいた。拳の風圧に押されたように。
 ファレスは、ぐぬぬ……と歯ぎしりした。どうしてなんだかこいつには、いつだって絶対に当たらないのだ。
「へえ? 本当にオカッパはいねえようだな」
 ぐるり、とレノは見まわして、にっこりファレスを振り向いた。「いや、感心感心。言いつけ通り手ぇ切ったか」
「──うっせえよ」
 面白くない舌打ちで、ファレスは歩みを再開する。いちいち癇に障る男だ。
 レノは笑って、その肩を抱いた。「なー、オカッパなんかより、俺と組まない?」
「あァ!?」
 振り向きざまに食ってかかったファレスの肩に腕を置き、「あそこ」とレノは指をさす。
 二人組の、若い女がそこにいた。長い黒髪の清楚な女、右手に、短髪の利発そうな女。
「どっちが好み?」
 見やった耳元で、レノがささやく。
 ふむ、とファレスは考えた。「──髪の、長い方だな」
「決まり。んじゃ俺は、ショートヘアのかわいこちゃんな。で、声かけるの、お前行く? 俺、最近、調子悪くて──あ、それとも、自信ない?」
「馬鹿いえ」
 けっ、とファレスは吐き捨てた。「まだ商都にきてから数日だが、すっげえいい女、ものにしたぜ」
 そう、前に一度成功している。なんかゴージャスなナイスバディーだ。もっとも顔も覚えてないし、ザイとセレスタンは難癖つけたが。
「へえ、そいつは頼もしい」
 レノはぱちぱち拍手せんばかり。周囲の目をはばかるように、ちら、と視線を走らせた。「もちろん知ってはいるだろうが、こういう時には、まずは笑顔だ。それから、ああいう大人しそうな女の時には──」
 顔を近づけ、ごにょごにょ耳打ち。
 ……む? とファレスは聞き耳を立て、
「おう、行ってくる」
 うむ、と力強くうなずいた。
「んじゃ、先鋒は任せたから」
 ばいばい、と笑顔で手を振るレノ。「落ちたら呼べよ〜?」
 道往く女の二人連れに、ファレスはすたすた歩みよった。
 片手をあげて、言われた通りに、にっこり笑顔。
「どっかに一発しけこまねえ?」
 ぎょっ、と二人が引きつった。
 声をかけられた黒髪が、ふるふる硬く手を握り、思いきり天に振りあげた。
「あんた何よっ! この変態っ!」
 ぱーん! ととどろくビンタの音。
 張られた横面もそりと戻して、ファレスは顔を振りあげた。「てんめえ! いきなり何しやが──!」
「大丈夫ですかっ! おじょーさんっ!」
 どん、と何かがファレスの肩を突き飛ばした。
 壁に激突したファレスのかたわら、ささっと素早く割りこむ人影。
「おい、きさま! ど変態っ! お嬢さん方に手を出すな!」
 思う存分罵声を浴びせ、左右の女の肩を抱く。「ささっ、ボクが来たから大丈夫!」
「……あ?」
 ひりつく頬を涙目で押さえて、ファレスはぽかんと見返した。今、正義の味方的セリフを吐いたのは、誰あろう共闘を組んだはずのレノではないか。
 レノは、吊り目の腕組みで睨めつけている女二人の肩を抱き「ささ、こっちに」と避難誘導、すたすた道を歩き出す。
 ぴた、とその足を、不意に止めた。
「そうそう、それと、もう一つ」
 くるり、とかかとで振りかえり、びしっと指を突きつける。
「今度手ぇ出しやがったら、その命、ないものと思えよ」
 ねっ? ねっ? 今の決まってたぁ〜? と二人の女の肩を抱き、うふふきゃはは、と去っていく。
 あまりの事態に思考が停止し、呆気にとられて見送ったファレスは、一拍遅れて我に返った。
「──あっ、あんの軟派野郎っ!」
 まんまとダシに使われて、ぎりぎり地団太、ゲンコを握る。
「覚えていやがれ! 赤頭っ!」
 気晴らしに街に出てきたというのに、泣き面に蜂とは、このことだ。
 
 
 
 夏の風が、さえぎられていた。
 ケネルの肩で。体温で。
 背をすくいあげるようにして、ケネルが肩を持ちあげていた。その手から力を抜け、とん、とかかとが地面に戻る。
 よろめいた肩を、ケネルが支え、受け止めた。
 頭の中は真っ白で、何が起きたか分からない。あるのはただ、頬にシャツの湿った感触──。
「俺とくるか」
 朦朧としたまま声を聞き、朦朧としたまま顔を見あげる。ケネルが静かな瞳で見おろしている。
「俺とくるか、この先ずっと」
 はっ、とようやく我に返り、エレーンはとっさに目をそらした。「あ、でも……あたしはまだ、トラビアに……」
「明朝には、商都を発つ」
 きっぱり、ケネルは言い切った。
「俺とくるなら、俺があんたを一生守る」
 予期せぬ事態に、エレーンはおろおろ言いよどむ。「あ、あの……なら、後で、トラビア行ってから、合流するっていうのは」
「残ると言うなら、これまでだ。ここには二度と現れない」
「──そんな!」
 思わぬ宣言に、言葉を飲む。
 息を吐いて、ケネルは続けた。「ここは紛れもない開戦国だぞ。これ以上、この国に留まる理由は、俺たちにはない。あんたを商都に送り届け、背中の傷を医師にも診せた」
「だ、だけど、ダドが──」
「承知なら、あんたを連れていく」
 強い口調で言い立てられて、エレーンは凝視したまま唇をかむ。
 むくれた顔をあえて作って、ケネルに顔を振りあげた。「じゃ、じゃあケネルは、あたしにダドを見捨てろっていうの?」
「そうだ」
 びくり、と肩が跳ねあがる。
 断言されて面くらい、エレーンは大きく目をみはった。
「……ケネル」
 唇の端が、慄然と震える。
 思わぬ冷淡な言葉だった。
 はっきり、ケネルは言ったのだ。あの彼を
 ──見捨てろ、、、、 と。
 ケネルの髪がなびいていた。
 こちらの決意を促して、じっとケネルが見おろしている。
 風が、上空で鳴っていた。
 強い風が吹いている。ばたばた旗が鳴っている──。
「……あ、でも……だけど……」
 砕けた心が千々に乱れて、混乱の極みで目を伏せた。「で、でも、ケネル……だけど、あたしは……」
「俺とくるか、残るかだ。俺かあいつか、どちらかを選べ」
 迷いと哀願をぴしゃりとはねのけ、ふと、ケネルは目をそらした。
 何かに耳を澄ましている。
 すぐに、らせん階段を駆けのぼる、あわただしい靴音が聞こえてきた。
 
 

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