■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 11話7
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夏日に白けた静かな廊下に、制服の裾がひるがえった。
白えり紺服、ラトキエ領邸メイド服。連れは籐かごを振りまわし、らんらん笑顔で闊歩している。ラナはたまりかねて振り向いた。「ね、ねえ。やっぱりご迷惑じゃないかしら」
「平気よぉ〜そんなの」
リナは気楽に一蹴し、らんらん鼻歌で廊下を往く。「だーい丈夫だって! あんなに元気そうだったもん」
「あれは気を使ってくれたんじゃない? 怪我をして休んでいるのに、そう何度も押しかけるのは──」
「へーきへーきっ! あいつが気なんか使うわけないってえ」
ばん! と扉を押しあけた。
「ふっくっちょお〜! あっそびっましょおーっ!」
満面の笑みで声を張る。だが、
「あーとーでー」
間髪容れずに断りのお返事。
え゛ と二人は固まった。
今日はやたらと親しげだ。いや、今の声はファレスではない。
どこかで聞き覚えのある声に、二人はきょろきょろ怪訝に見まわす。声の主を左手で認めて、ラナはぽかんとつぶやいた。
「……ザイさん?」
「はい、こんにちはー」
顔だけ戸口に傾けて、ザイが腕を組んでいた。
むう、とリナはこぶしを握る。「なんで、そういう意地悪いうわけえっ!」
「意地悪もなにも」
組んだ腕をゆるりと解いて、ザイはやれやれと背を起こす。「俺は事実を言ったまでスよ。今はちょっと無理っぽいんで」
「はあ? なにそれ。無理っぽいって、どーゆー意味よっ」
「──あの」
ラナが顔を強ばらせ、おずおずザイをうかがった。「やはり、体のお加減が? 昨日わたしたちが騒いだりしたから──」
「ああ、いえ、そっちの話じゃないっスよ。ただ──」
窓辺に寄せた寝台を、ザイは軽く顎でさす。
「用を済ませて戻ってみれば、あの通りのザマでしてね。どうも、なんか考えこんじまってるみたいで」
風吹く窓辺の寝台で、ファレスは体を起こしていた。とはいえ、養生しているふうではない。土足のままで足を投げ、柳眉をひそめて自分の膝を睨んでいる。その様子は、しんとして、彼がそこにいる気配にも、言われるまで気づかなかったくらいだ。
唖然とした二人の客を、ザイはまじまじと眺めやった。
「クロウから聞いてはいましたが、なんだって又きたんです? 堅い勤めのお嬢さんが、出入りする場所じゃないっスよ?」
むっ、とリナが振りかえる。「えーっ。でもおー!」
「でも、じゃないスよ。わかってんでしょ。この界隈は危ないっスよ?」
「だってえ! あの美少年がぁ!」
リナが口を尖らせて言うことには、昨日部屋にやってきたクロウが、本部への出入りを許可したらしい。むしろ勧誘したらしい。"できれば、明日も見舞いにきてね" と。
「──なに考えてんだ、あの野郎」
ザイは苦り切った顔で嘆息した。薄茶の頭を掻きながら、双子の客を振りかえる。「まあ、そういうことなら致し方ないっスね。じゃ、今日のところは大目にみるってことで。でも、あんまり気安く出入りされちゃ──」
「お邪魔しまあすっ!」
にぃ、と笑って、リナが脇をすり抜けた。
ふくちょおふくちょおふくちょお〜♪ とかごを振りつつ、窓辺に駆けよる。
「おっまったっせえっ!」
「……あの、お邪魔します」
戸口のかたわらに立ったザイに、ラナもぺこりと会釈をし、リナに続いて部屋に入る。
「ごちそうさまでした。旨かったですよ」
え? とラナは足を止めた。小首をかしげて振りかえる。「……あの?」
「くれたでしょ? 俺にクッキーを」
「──あっ」とラナはあわて顔。「あのっ、でも、あれは、そのっ!」
「ああ、ご心配なく」
相手の懸念をザイは制した。「大丈夫スよ、ちゃんとあぶって食いましたから」
「いえ、あの、すみません! あれは、その──」
ラナはもじもじうつむいた。消え入りそうな声で続ける。「……スフレのつもりで」
「……はい?」
ジージー蝉の音が舞いおりた。
午後の静かな一室に、うすら寒い風が吹き抜ける。
「──こいつはどうも」
たっぷり三秒経った後、ザイはばつ悪く頭を掻いた。「どうも、とんだ早とちりを」
「ご、ごめんなさい!」
がばっとラナが背を折って、膝まで赤面をくっつけた。「わたし、ああいうのは得意じゃなくてっ!」
「ああ、いえ、いいスよ」
恐縮しきりのその様に、ザイは所在なげに頭をかいた。「……なんだって旨いスよ、あんたが作ってくれたもんなら」
え? とリナが目をあげる。怪訝そうな反応に、ふと、ザイは我に返った。
「──ああ、いえ、こっちのことで」
だが、打ち消した時には既に遅く、ラナはしどもど、戸惑い顔で硬直している。
ザイはばつ悪く目をそらした。「お気遣いなく。あんたを困らせるつもりは毛頭ねえんで。それに、どうせ、俺らはもう──」
「かーまーかーぜぇー!」
開きかけた口を閉じ、ザイは額をつかんで、うなだれた。
「……頼むから、よしてもらえませんかね、力いっぱい 通り名 呼ぶのは」
呼んでいるのは窓辺のリナだ。
「ねえっ、副長ぜんぜん喋んないんだけどー」
繊細にしてぎこちない機微を、跡形もなくぶち壊したことなど、リナはまるで気づきもしない。ファレスに振り向き、首をかしげた。「それに、なんかぜんぜん食べないのよねえ?」
ペットが飯を食わない、と訴えるような言い草だ。
ザイはやれやれと向き直った。「だから端から言ってんでしょう。あんたの相手は無理ですよ」
リナはファレスにかがみこみ、「……どーしたのー? ほらほら好きでしょー? 好きだよねー? ねー?」とチェリートマトをちらつかせ、口元に持っていっている。
ファレスはじっと身じろぎもせず、相変わらず膝を睨んでいる。柳眉をひそめた気難しげな横顔、だが、その長い前髪は、赤いリボンでくくられている。
ラナが驚いて瞠目した。細い眉をきゅっとひそめて、毅然とリナに振りかえる。「リナ。もう失礼しましょう」
「えー? だったらこれは、どーするわけえ?」
リナはふくれっ面で、かごを見せる。中には、真っ赤なチェリートマト。
「副長さん、本当にお加減が悪いのよ」
「でも、こんなに買ったのにぃ」
ねーねー副長、どしたのよー? とリナはファレスを覗きこみ、ぺちぺち額を叩いている。
「──ちょっと、リナ」
あまりの狼藉にラナが驚き、おろおろ駆け寄ろうとした、その時だった。
「──ちょっと出てくる」
背もたれの上着を片手でつかんで、ファレスが寝台から立ちあがった。
寝台に片膝のりかかったリナを肩で無造作に押しのけて、部屋を突っ切り、廊下へ出ていく。部屋の一同には目もくれない。
横を無言で通過され、戸口付近にいたラナが、弾かれたように振り向いた。「──あのっ! でも、そんな頭で外に出たら」
「──待った」
後を追いかけたその肩を、ザイが素早く引き戻した。
片手でラナを引っかかえると同時に、そつなく戸口を蹴りつけて、駆け寄ったリナの進路をもふさぐ。
ぐえっ、と腹で二つ折りになり、むう、とリナが顔をあげた。「ちょっとお! なんで邪魔すんのっ!」
「今はよした方がいい」
「そんなこと言ったってえ!」
リナはやきもき廊下を指さし、通せんぼするザイの足を、両手でつかんで身を乗り出す。
「ねえっ! 副長! 冗談だってばっ! そんなちょんちょりんつけて外なんか出たら──」
……つか、ラナと扱い違くない? そのエコひいきモロじゃない? と腹のつっかえ棒をじとりと見、持ち主のザイに口の先をとがらせる。
廊下を歩くファレスの背中に、ザイはいぶかしげに目をすがめた。「──見えてねえな、あのざまじゃ」
仏頂面の長髪は、廊下の角を曲がっていく。ザイは顎をなでて小首をかしげた。「しかし、めずらしいこともあるもんだ。あそこまで副長が苛つくとはな」
「ちょっとお! なあにぶつぶつ言ってんのっ! 足どけてよっ!」
まなじり吊りあげたリナの抗議に、ふと、ザイは我にかえった。
「ああ、こいつはすいませんねえ」と押しとどめた手足をといて、ようやく二人を解放する。
ぱっとラナが赤面ですべり出、リナがむくれて腕をくんだ。
「もう! 行っちゃったじゃないぃっ! あんたのせいよっ!」
「……あんたねえ」とザイは嘆息。「うかつに近寄れば、吹っ飛ばされますよ。しってんでしょ? 街で泣かされたこと、ありましたもんねえ?」
「なら、どーすんのよ、あのリボンっ!」
「あんたが勝手にやったんでしょうが」
「だってえ! あのまま外に出るとは思わないもん!」
「頭に布きれくっつけたところで、別段障りはありませんよ」
「……副長さん、お気の毒だわ」
困惑したつぶやきに、ふと、ザイは口をつぐむ。
地団太を踏むリナの横、ラナが廊下を凝視していた。じっと唇を噛みしめる、深刻そうなその横顔。
「──しょうがないスね」
嘆息まじりに諦めを吐き出し、ザイはやれやれと肩を落とした。「苛ついた副長とは、正直かかわり合いたくねえんだがな」
ぱっと顔を輝かせ、ラナが両手を握って振り向いた。「──ザイさん!」
「わかりましたよ。あの布きれ、とってくればいいんでしょ?」
お気の毒なのは俺の方スよ、とザイは内心捨て鉢につぶやく。そう、苛ついたところへちょっかい出せば、飛んで火に入る夏の虫。腹をすかせた猛獣の前から、餌をとってくるも同然だ。下手すりゃ、餌食になりかねない。人けない廊下へ、気鬱に踏み出す。「来てください。送りますよ、通りまで」
「えー? いいわよ。子供じゃあるまいし」
リナが腰に手を当てて、小馬鹿にしたように嘆息した。「あのねえ、こちとら地元なの。商都で迷ったりしないわよ」
「この界隈でたむろしているのは、うちの連中だけじゃない。妙な輩の吹き溜まりっスよ」
いささか投げやりに、ザイは諌める。だが、廊下の先をやきもき見やって、リナは明らかに上の空だ。
案の定、そわそわしながら駆け出した。
スカートの裾をひるがえし、腕を振って駆けていく。ザイは舌打ちで念を押す。「いいスか、街で副長を見かけても、もう構うんじゃありませんよ!」
「……すみません。リナがご面倒をおかけして」
ぺこりと、ラナが小さくなって頭を下げた。
ああ、いえ、と視線を戻し、ザイは拍子抜けして頭を掻く。「……どういたしまして」
夏日が白々照らす廊下を、肩を並べて黙々と歩く。
リナが先に行ってしまい、ザイと二人きりで取り残されたラナは、ぎくしゃくはにかんだようにうつむいて、黙りこくって歩いている。
ひと気のない午後の廊下を、ぬるい風が吹き抜けた。
廊下に面したどの部屋も、窓や扉を開け放っている。昼の館内は静まりかえり、そのどこにも人はいない。沈黙が気詰まりになったのか、ラナが気まずそうに口を開いた。「……あの」
「なるべくここへは、近づかねえでもらえませんかねえ」
顔を振りあげた肩先の気配を、視界の隅に置きながら、ザイは軽く嘆息した。「あんたにうろつかれると、気が気じゃねえんスよ」
想いを全部吐き出してしまうと、気分が妙にさばさばした。
「……風が、気持ちいいね」
急に気が抜けてしまい、エレーンはぼんやりうつ伏せる。鉄の手すりが、硬く、冷たい。
西からの風に吹かれていた。
どこか、ふわふわと心許ない。ずっと胸に詰まっていた重石が、ごっそり抉り取られたようで。
『 甘めえよ、お前は。そういう連中に妾がいるのは、少し考えりゃ、わかることじゃねえかよ 』
ボリスが吐き捨てたあの言葉は、予期せず核心を射抜いていた。身の程を知らないとびきりの夢に、飛びつくべきではなかったのだ。つまり、
──選ぶ相手を間違えた。
ボリスに全て吐き出して、はっきりと、今、わかった。奥底に流れる本当の望みが。
それは大勢の人からかしずかれる、きらびやかな貴族の暮らしではない。ただ、もう一度、取り戻したかっただけなのだ。誰もが当たり前のようにして持っている、両親が笑う温かい家庭を。幼いあの日に取りあげられた、心から安らげる自分の居場所を。
誰もがうらやむ領邸の奥方、この贅沢すぎる現実は、望みとかけ離れすぎている。だから全てがうまくいかない。豪邸にいても辛いだけで、どんなご馳走も砂のようで、どんなに着飾っても面白くなくて。全て心を押し殺していたから、居場所が間違っていたからだ。
ボリスはしばらく、隣で風に吹かれていたが、いつの間にか、手すりにしゃがみ込み、手首の紐をいじっていた。手持ち無沙汰そうにしているのに、連れの心中を気遣ってか、帰ろう、とは言い出さない。
いつまで、そうしていただろう、心を見据え、現状をかみしめ、そして考えをめぐらせて、いつの間にか、気が軽くなっていた。
ふう、と息を吐き出して、エレーンは連れを振りかえる。
「……あ、ねえ、どんな願かけてんのー?」
手首の紐をいじっていたボリスが、ぎょっとしたように顔をあげた。
なんだよっ、と反射的にすごむその顔に、エレーンは思わず苦笑いする。「だって、その紐、お守りでしょー? 切れると願いが叶うっていうやつ」
ボリスは顔を引きつらせ、手首の紐を隠すように押さえている。「い、いいだろ別に!」
「なら、もしも一つだけ、なんでも願いが叶うなら、どんなことをお願いするー?」
警戒するように肩を引き、ボリスはじろじろ睨んでいる。ふと、うつむいて考えて、ぱっ、と顔を振りあげた。
「犬だなっ! 白くて、でかい犬がいい!」
ぽかんとエレーンは絶句して、あはは……とげんなり引きつり笑った。そんなちゃちな夢でいいのか? どんな願いも叶うのに?
敵はしごく大真面目、冗談などではなさそうだ。やれやれ、と教えてあげる。
「あのねえ、だったら、お金持ちになりたいって言っとけばー? そしたら犬なんか百匹だって買えるでしょーが」
え? とボリスは小首をかしげた。「……あ、そうか」
「──あんたってさ」
はあ、とエレーンは嘆息する。
「すんごい遠回りの人生よね」
てか、なんで気づかない?
「──そろそろ、いいか?」
別の声が割りこんだ。
ぎくり、とエレーンは震えあがる。
今の声はボリスではない。声がしたのは螺旋階段の踊り場あたり。そして、あの声の感じは、たいそうよく知っている──。
「……隊長」とボリスが、とっさにつぶやき、立ちあがる。
ぎくしゃく手すりから手を放し、そろり、とエレーンは振り向いた。
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番外編1 「メガネちゃん狂想曲」2
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