CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 11話11
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 廊下の開け放った窓ガラスが、夏日をうららかに弾いていた。
 異民街本部の館内は、がらんとして静まりかえり、蝉しぐれに包まれている。
「やっぱり、ウォードの仕業かな」
 ふう、と紫煙を吐き出して、のっそりとした大男は、指先で軽く灰を落とした。
 隣でもたれた太鼓腹も、顔をしかめて紫煙を吐く。「バリーが違うってんなら、そうなんだろ。他には誰もいねえんだからよ」
「でも、一人で敵二十ってどうよ」
 縦に長い四角い顔に短い顎ひげの弓使いレオン、そして、黄色いシャツの豪腕ロジェ、壁を背にして二人ならんだ足元には、吸い殻が数本落ちている。
 昨日起きたトラビア街道沿いの抗争は、意外な進展をみせていた。
 大量の亡骸を手にかけたのは、ウォードの仕業だと判明したのだ。その証言は、官憲に訴え出たならず者の敵将、ジャイルズの口からもたらされた。犯人の人相風体は、かのウォードをさしており、それについてはバリーも同様の証言をしている。いわく、バリーは抗争開始前に拘束されたため、一人の敵も倒してはいない。つまり、ウォードは、抗争相手二十余名を一人で葬ったことになる。しかも、彼女を特務に託してから、部隊が捜索に入るまでの短時間にだ。
 それは、いささか奇妙な話だった。
 彼我の圧倒的な勢力差もさることながら、亡骸が点在する地点はそのまま、ウォードが走破した軌跡を示している。それは、特務がウォードから彼女を託された第三間道を振り出しに、森の中央部を貫く第二間道、南東に伸びる第一間道と、実に森林全域に及ぶ。
 すなわちウォードは、二つの部隊が総出であたらねばならないほどの、踏破するだけで困難なあの広大な森林地帯を、尋常でない高速で移動しながら、敵を斬ってまわったことになる。あたかも木立を吹き抜ける風のように。あるいは疾走する獣の速さで。だが、そんなことが、果たして人なる身に可能だろうか。
 統領代理の予言めいた危惧が、現実のものとなっていた。
 ウォードを捨て置いた誰もが皆、認めざるをえなかった。ウォードの拘禁をくり返し急いた彼の判断の正しさを。ウォードを事前に捕らえていれば、賊徒殲滅の発生はなかった。特務が賊と接触しても、小競り合い程度で済んだろう。詰め所に駆け込まれることもなかったはずだ。
 今回の一件で、彼らは改めて思い知らされた。ウォードの力は並みではない、、、、、、と。
「なんで、あんな化け物になっちまったんだか」
 苦々しげに、ロジェは愚痴る。レオンも嘆息して、首をひねった。「けど、あいつ。なんで、あんな馬鹿な真似を」
 流血を好む傾向など、あのウォードにはなかったはずだ。華奢な手足をした幼な子の時分から見てきた二人は、彼の人となりをよく知っている。あのぼうっとした少年が関心をもつのは馬だけで、他人がどこで何をしようが、まるで構わぬふうだった。むろん自ら求めて争いはせず、まして殺傷に及ぶなど、彼には到底そぐわない。
 確かに彼は傭兵で、これまで幾度となく戦地に立ったが、兵士といえども、闘志のみで敵に斬りかかるわけではない。そんな負担を個人に強いれば、やがては心が破壊され、心身に支障をきたしてしまう。兵士の動因は号令だ。狂気にまみれた者でもなければ、生身の他人を殺傷するなど、容易にできるものではない。不可避の命が下って初めて、種の生存本能にかたく戒められた禁が破られ、同族殺害の歯止めが外れる。だからこそ戦闘部隊には、命じる長、、、、が必要なのだ。
 レオンはやりきれない顔で首を振る。「あいつが理由もなく殺すとは、俺にはとうてい思えないんだがな」
「姫さんやられて、キレたんだろ」
 ロジェは苦虫噛み潰した顔だ。
 ウォードは以前にも、行程途中の樹海の中で、乱闘騒ぎを起こしている。その時の原因も、かの賓客だったと聞いている。喧嘩の相手はあのバリーで、驚いて止めに入ったザイが、はずみで張り飛ばされて額を切った。
 ウォードの弱みが彼女であるのは、今となっては歴然だった。日頃は何事にも無関心だが、こと話が彼女に及ぶと、我を失い暴走する。ひるがえって、今回の事件だ。
 森に点在していた亡骸は、いずれも急所のみを掻き切られていた。それは反撃する間も与えずに、刃を振りぬいたことを示している。つまり、ウォードは初めから、殺す気で、、、、向かっていったことになる。
 乱心といわれても仕方のない事態だった。ウォードは無断で隊を抜け出し、今回の惨劇に及んだのだ。ウォードが勝手気ままに振る舞い始めている。確たる目的を胸に抱いて、それに向かって突き進んでいる。わけても一番重大なことは、手綱が利かなくなっている、、、、、、、、、、、、、ということだ。
 ひしひしと彼らは感じ取っていた。あの少年の自我の目覚めを。幼い殻が剥がれ落ち、本来の本質かおが徐々にあらわになるのを。ならば、森での凄惨な光景が、彼の本性の証左だというのか。
 ウォード捕縛の命令を、彼らはのらりくらりとはぐらかしてきた。だが、これでお茶を濁してはいられなくなった。正規の戦闘でないならば、相手は正規の敵ではない。それを殺めるのは単なる殺人。ならず者とはいえ、そうした非戦闘員を二十余名も殺したからには、近々厳命が下るだろう。
「──ウォードを殺せ、か」
 苦々しげに舌打ちし、ロジェはぼりぼり頭を掻く。「まったく、なんて災難だ。セレスタンの次はウォードかよ」
「ハゲはもう、けろっとして、あのとおり飄々としてるけどな」
 ゆるく首を振って嘆息し、レオンも腕組みで身じろいだ。「どこかに逃げていてくれればいいんだが。まだ近くにいるのかな」
「いるだろ。姫さんがいるからな」
 特務が商都入りして以降、ウォードは尻尾もつかませなかったが、常に彼女の周辺にいたはずだ。そうでなければ、森で倒れた彼女に駆けつけ、いち早く保護するなどという芸当をやり果せるはずがない。
 ふい、と姿をくらましてから、ずっと彼女を見ていたのだろう。街角の向こうで。祭の楽しげな人ごみにまぎれて。ガラスのようなあの瞳で。それでも接触しなかったのは、彼女のそばにはファレスやザイが常にいて、接近を阻まれていたからだ。だが、今回の騒ぎでロムは官憲に目をつけられ、街での活動を控えざるを得なくなった。素行の悪い与太者の言をどこまで信じたかは疑わしいが、官憲は本件を遊民の仕業と特定したらしいからだ。彼らは今、追われる立場だ。むろん彼女の周囲をうろつくのもまずい。つまり、これまで阻んできたウォードの盾は、実質消滅したことになる。
「──因果な商売だな、俺たちは」
 ロジェは顔をしかめて紫煙を吐いた。
 彼女の盾が消えたと知れば、ウォードは行動を起こすだろう。だが、部隊は退去し、商都を離れた。となれば、ウォードを追い立て首を狩るのは、商都に居残る特務の役目とならざるを得ない。
 こんな惨事を引き起こしては、もう、かばい立てすることも叶わない。接触し次第、速やかに命を断たねばならない。誤魔化しも取り成しも周囲の思惑を全てふいにし、ウォードは自分の死刑執行命令書に、自ら署名をしてしまったのだ。
 昼の館内は静かだった。
 今、この広い本部には、既に特務班の数人しか残っていない。いわゆる遊民の代表として外部との窓口を務める統領代理も、表向きの取り次ぎ所、バルサモ商会の一室に、世話係と共に移っている。
 異民街の店舗の大半は、用心棒や賞金稼ぎなど、いわゆるそちらの、、、、道の玄人が主な顧客であるのだが、街路に面した外回りには、鍋釜などの鋳物を扱う店もあり、一般客にも利用しやすい。
 この界隈では比較的大きな、統領代理が出向いた店は、人々が行き交う往来から一本入った路地にあり、領域の外回りに位置している。つまり、ここで官憲に対処してしまえば、奥まった場所に建っているこの真の拠点にまで踏み込まれることはない。
 後先構わぬウォードの無軌道な行動で、思わぬ窮地に立たされていた。ラトキエ、ディールの両陣営がトラビアで対峙する決戦時に、武装部隊の潜入が発覚すれば、上を下への一大事になる。悪くすれば敵対勢力と見なされて問答無用で巻き込まれる。
 彼らの目に触れる前に、姿をくらます必要があった。そうしたあわただしい動きの中で、特務が部隊と別行動をとり、こうして本部に残留したのは、「まだむり。おれは動けない」と渋るかの首長の身辺警護、ならびに官憲の動向を監視するためだ。むろん、諸々の片がつき次第、速やかに商都を引き払い、部隊に続くことになる。
「なにしてんだ。廊下なんかで雁首そろえて」
 手持ち無沙汰に突っ立っていたロジェとレオンの二人組は、たるそうに声を振り向いた。
 男がひとり、廊下の先に立っていた。
 短い髪、引き結んだ口、愛想のかけらもない無表情。切れ長の目を二人に据えて、男は廊下をやってくる。
「ああ、ダナンかよ」とロジェは嘆息、立てた親指で扉をさした。「荒れてんだよ、副長が。街から戻ったと思えばよ」
「──へえ」
 無愛想で寡黙な毒薬使いは乾いた声でそう応じ、片手で顎をひと撫でした。二人の斜向かい、扉の向かいで足を止める。
 ダナンの視線で促され二人が語ったところによれば、ファレスは本部に戻るやいなや、部屋で突然暴れだし、手がつけられない有り様なのだという。それまで部屋で寛いでいた二人は、あわてて廊下に避難して、以来こうして張りついている次第。
 ダナンは扉を顎でさす。「原因は?」
「──いや、だからアレだろ」
 ロジェは顔をしかめて顎を掻く。「ほらあの、姫さんのよォ」
「世話やいてたからなあ、お袋みたいに」
 レオンもやれやれと肩をすくめる。
 怪訝そうな顔をしてダナンは一瞬黙りこみ、「──ああ」と合点した顔でうなずいた。部隊の国外退去に伴い、彼女の世話も終了する。上着の腕をゆるく組み、閉じた扉を一瞥した。「静かじゃないか、荒れてるわりには」
「ま、ここ五分くらいのところはね」
 後ろ頭を壁にもたせて、弓使いレオンは一服する。
「ひっでえもんだぜ。副長、壁に蹴り入れてよ。俺なんか、椅子までぶん投げられた」
 豪腕ロジェも顔をしかめて腕を見る。黄色い半袖シャツから突き出た腕に、赤く大きな打撲痕。なだめようとして返り討ちにあったらしい。
 レオンも続ける。「でかい穴あいたからね、壁にぽっかり」
 ダナンは呆れた顔で二人を見た。
「なのに、ここで立ちんぼってわけか」
「……なんだよ」
 決まり悪げに身じろいで、ロジェが舌打ちで目をそらした。人けのない館内に、ダナンは視線をめぐらせる。「このだだっ広い建物だ。副長にここを追い出されても、いくらでも部屋はあるんじゃないか?」
「──だって、ほっとくわけにもいかねえだろうが」
 ロジェが忌々しげに言い返す。レオンも扉を顎でさした。「けど、うかつに入れば、即刻お陀仏──」
 こんこんこん、とダナンが軽く扉を叩いた。
「──なにしてんのお前!?」
 声を裏がえしてレオンが絶叫、ロジェが腕をつき伸ばし、ダナンの肩を引っつかむ。「ば、ばかっ! だめだって!」
「だから、めっちゃ機嫌悪りぃんだってばっ!」
「話、ちゃんと聞いてたのかよ! まだ、ぜんぜん収まってねえって──」
「副長、入りますよ」
 あわてて引き戻したロジェに構わず、ダナンは扉を押し開けた。
 びゅん、と何かが空気を裂いた。
 とっさにダナンは腕で弾いて、軌道を辛うじて顔からそらす。
 重く派手な音を立て、それが壁で弾け飛んだ。
 割れたガラスが床に転がり、窓からの光を浴びている。鋭く尖った何かの破片──
 酒瓶だ。
 荒事に慣れたロジェとレオンも、さすがに眉を凍らせた。避けるのが少しでも遅れれば、大ごとになっていただろう。頭を直撃すれば、死んでいる。
 当のダナンは顔をしかめて、瓶を弾いた防護服の腕をさすっていた。飛び散った破片で切ったのか、頬に一筋の赤い線。
 ひるんだふうもなく踏み出した。
「失礼します、副長」
「──よ、よせって! おいっ!」
 あわてふためく二人を無視して、ダナンは部屋の敷居をまたいだ。
 
 

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