CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 11話13
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 ちっ、と舌打ちで顔をしかめて、しなやかな指先を引っこめた。
 眉を下げた困った顔で、デジデリオはやれやれと微笑う。
こいつ、、、が俺に、さわれればな」
 指先で引き出した首筋のチェーン、その先端の翠石が、窓辺の寝台のシーツの上で、キラキラまばゆく輝いていた。彼女は軽く手足を縮め、瞼を閉じて横たわっている。
 長く優美なまつ毛を伏せて、デジデリオは口元をゆるめる。姫のおてんばにも困ったものだ。瀕死の床から目覚めたと聞きつけ、人目を忍んで来てみれば、担ぎこまれた寝床に、もういない。どうやら、さっそく跳ねまわってきたらしいが、弱った体で炎天下を歩けば、疲れて眠りこむのも道理というもの。
「──さてと。どうしたものだかな」
 薄く口をあけた彼女の顔を、怜悧な瞳でじっと見つめる。
 寝台の枕元に手を突いて、狙いを定めた獣のように、ゆっくり、慎重に身を乗り出す。
 五番街に軒を連ねる人材斡旋業バッカー商会、その店舗裏手に設えられた、秘密裏な診療所の一室だった。家主はいわゆる闇医師と呼ばれるあの男。
 耳にかけた長髪が、彼の端正な横顔を隠して、静かな夕風にゆれている。
 人けのない一室に、ざわり、と風が吹きこんだ。
 
 
 
「──こいつは、ひでえな」
 あけ放った戸口から、くわえ煙草でながめやり、セレスタンは眉をひそめた。
 がらんとした板床が、夏日に白々と照らされていた。
 カーテンは千切れたままで垂れ下がり、枠だけになった窓枠が、ひしゃげて外れかけている。脚が折れた壊れた椅子は隅の方に寄せられて、へこんだ壁には攻撃的で粗暴な靴跡。
 惨たんたる、ありさまだった。
 ファレスが酔って、昨日さんざん暴れたのだという。部屋に散乱した物だけは大雑把に片付けたが、壁や窓は壊れたまま、未だ手付かずの状態だ。普段であれば、不意の使用にも対応できるよう速やかに修繕するのだが、今はうかつに手を入れられない。
 この拠点の外観は廃墟のようにうらぶれているが、あえてそう見せかけている。ここの用途は表向き、異民街で商売を営む者たちが「寝に戻るだけの場所」。そんな所から活気ある物音が聞こえては、敷地の外周で足止めしている官憲の注意を引いてしまう。ここはあくまで、打ち捨てられたすさんだ場所、そういうことにしておかねばならない。
 荒れた部屋の戸口を離れ、セレスタンは廊下をぶらぶら歩いた。件の部屋は、たしか廊下の端だったはずだ。
 あけ放った廊下の窓に、夏日が鈍く当たっていた。
 昼の本部の館内は、人けなく、ひっそりとしている。多数の死者を出すに至った森林地帯での抗争により、商都の官憲が動き出し、カレリアにいた駐留部隊は、早急に露営を引き払わざるをえなくなった。伴い、本部で寄宿していた人員も、既にあらかた引き揚げた。特命を受けた自班の数名を除いては。そうした中での、この事態だ。
 昨夜聞いた話によれば、暴走したファレスを諌めたのは、意外にもダナンとのことだった。あの寡黙な毒薬使いだ。そして、その後ファレスは酔い潰れ、レオンとロジェとで別室に運び入れた。だが、ファレスは他人に気を許さず、他人と同室では眠ることさえしなかった男だ。常に警戒を怠ることなく、まして無防備に酔い潰れるなど、以前の彼なら考えられない。それが平気で醜態をさらしたというなら、ようやく気を許した証なのかもしれなかった。だが──
 吐き出す紫煙に紛らせて、セレスタンは嘆息した。
「いい兆候なんだか、どうなんだか」
 つぶやき、ふと、足を止めた。
 目的の部屋の戸があいている。もう、外出したのだろうか。いや、ほんのかすかに話し声──扉の陰から怪訝に覗けば、果たしてそこには先客がいる。
 思わぬ相手を見咎めて、セレスタンは眉をひそめた。
「……女?」
 窓辺の寝台のつき沿いの椅子に、若い女が座っていた。だが、警戒厳重な館内で、異性の姿を見るのは稀だ。しかも──
 戸口にもたれて腕を組み、セレスタンはくわえ煙草でながめやる。「あれは確か──」
 白襟、紺服の清楚な制服。
 ラトキエ領邸使用人の身形。見覚えのある横顔は、あの賓客の元同僚、双子のメイドの片割れだ。あのくるくる様変わる豊かな表情は、おそらく妹の方だろう。名前は「リナ」
 多少の非難を声に込め、セレスタンは口をひらく。
「なんで、あんたがいるんすかね」
 官憲でさえも出入り不能な、この奥まった堅城に。
 もっとも、今は人員不足で、警備も監視も手薄だが。寝台にかがんだ顔をあげ、ふと、リナが振り向いた。
「あ。ハゲの人」
 目をまん丸くして指をさす。
 思わぬ率直さにとっさに詰まり、セレスタンはたじろぎ笑った。「……容赦ないすね、かわいい顔して」
 リナは小首を傾げてすがめ見る。
「どしたの? その眼鏡。前は黒い奴だったじゃない」
「ちょっと気分転換しようと思ってね」
「ふーん。そっちのが断然いいって。恐くないし」
「……どうも」
 セレスタンは苦笑い。以前とはうって変わった気安さだ。領邸の遊歩道で見かけた時には、ザイの後ろで固まっていたくせに。
 リナは値踏みの視線を走らせ、ふ〜む、と自分の顎をつかむ。「それにしたって、なんで黄色とか選ぶかな。ねえ、なんか、それってさ」
くい、と顎を突きだした。
「ちょいチャラくない?」
「ほっといてくれます?」
 セレスタンも対抗、顎を出す。そういや街でも──と思い出した。片付けをしていた人足に「お兄ちゃん、ちょっと手ぇ貸してよ」と気さくな笑顔で頼まれたのだ。黒い眼鏡で決めていた頃には、目さえ合わせようとしなかったのに。眼鏡の色を替えた途端、なんだかみんなにナメられ放題。
 まあ、そんなことはどうでもいいか、と廊下の窓に煙草を投げ捨て「で?」と話を元に戻した。彼女がここにいる理由。
 リナはふくれっつらで口の先を尖らせた。
「だからー。見てわかんない? お見舞いよ、お見舞い。あの美人な男の子が、又きてねって言うからさー」
 セレスタンは腕を解き、肩を起こして足を踏み出す。「へえ。クロウが、すか」
「もー。嘘じゃないわよ。なによ、まったく何度もさー」
「何度も? というと?」
「昨日も、あのひょうきんな人に、おんなじこと言われたのっ!」
「ひょうきんな人?」
 怪訝にセレスタンは訊きかえした。傭兵たちが出入りする殺伐とした拠点では、そうした形容はめったに聞かない。
 リナは焦れた様子で拳を握った。
「だからあ、ザイって人だってば」
 思わぬ名前に面食らい、セレスタンは呆気にとられた。
 ふと我に返って目をそらし、「──あー」と合点して口元をつかむ。そういやザイは、こと女性に接する際には、殊更に丁寧に、慎重にと心掛けていたようだ。どうも、そうとう懲りたらしい。あの賓客を恐がらせ、大ごとに発展した一件で。
「しかし、ザイがひょうきんとはねえ」
 思わず、セレスタンは苦笑いする。「……奴に聞かせてやりてえな」
 そんなふうに評されたと知れば、どんな顔をするだろう。武器を構えた包囲陣から、二の足を踏まれるあのザイは。
 ザイの戸惑う顔をうっかり想像してしまい、密かにくすくす笑っていると、リナが辟易として肩をすくめた。「けど、あの人も、ここにいていいって言ったわよ?」
「ザイが、すか?」
 ぽかんとセレスタンは見返した。釈然としない面持ちで、自分の顎をゆっくりとなでる。「……あいつ、よく許可したな」
 確かに態度は軟化したが、それとこれとは話が別だ。館内への立ち入りは、組織の機密に関わってくる。そうした保守に、ザイは殊更に厳格だ。紛れこんだ部外者は問答無用でつまみ出す。あのザイなら、そうするはずだ。
「まー、昨日はラナも一緒だったし」
 むに、とリナは口を尖らせ、ぷりぷりしながら腕を組んだ。「なんか、あいつ、えこ贔屓すんのよねえ、ラナのこと」
 思わず、セレスタンは動きを止め、禿頭の眉をひそめた。
「……へえ、あいつがね」
 溜息まじりに頭を掻いて、ぶらぶら歩みを再開する。「そいつは初耳。あの大人しそうなお姉さんを、ね」
 きょとん、とリナが不思議そうにまたたいた。
「なんで知ってんの? ラナのこと。会ったことあったっけ?」
「──ああ、いや、あの」
 はたと、セレスタンは顔をあげた。関係者の情報はことごとく詳細に把握している、とは、本人を前にしては、さすがに言えない。
「あー、あの、ザイから話、聞いてたんで。それで、その──」
 さりげなくリナから目をそらし、しどもど禿頭を掻いていると、ふうん、とリナは肩をすくめた。寝台のファレスに目を戻す。別段興味はないらしい。「あっ、そうだ!」とスカートの隠しをあわてて探った。
「そうそう副長っ! 幸運のお守り!」
 指先でつまんだそれを振り、にいっ、とファレスに笑いかける。
「これ、今、すんごい流行ってんのよねえ。手首とか足首とか体のどっかに結んどいて、紐が切れると願いが叶うって奴。でも、どこ行っても品切れでさあ。見つけるの、ほんと苦労しちゃった!」
 鮮やかな糸が幾重にもよられた細い紐だ。ファレスの手首をとりあげて、鼻歌でねじねじ結びつける。
「見て見て? ほら、あたしとおそろいっ!」
 うれしい? うれしい? うれしいよねー? とファレスの顔を覗きこみ、自分の利き手に結ばれた、おそろいの紐をちらちら振る。
 ファレスは背もたれにもたれたままで、自分の膝をながめていた。いや、その目は何も捉えていない。ただぼんやりと目をひらき、起きてはいる、というだけだ。
 なんの反応も返ってこず、さすがにリナもたじろいだ。
「あ……なら、チェリートマト食べよっか!」
 取りつくろい、卓から籠をとりあげる。
「今日もばっちり買ってきたんだから!」
 チェリートマトをつまみあげ、「好きよね? 好きでしょ? 好きだよねー?」と、うつむき気味のファレスの口に、その手をいそいそ持っていき──
 ファレスが眉をひそめて顔をそむけた。
「ね、ねえ、食べてよ。ちょっとでいいから」
 ファレスは相変わらず無言のままだ。力なく首を振る。
 リナが唇を噛んで、手を下ろした。
「……なんとか、言ってよ」
 声を震わせ、じっと肩をこわばらせている。
 たくましくは見えても女の子。このつれない仕打ちには、さすがのリナも堪えたらしい。セレスタンは見かねて、なだめようと近づく。
 くるり、と唐突に振り向いた。
 その顔は、うるうる泣きべそ。
 両手を握って、すっくとリナは席を立ち、まずい物でもこえらるように、顔をしかめて、つかつか詰め寄る。
(ちょっとお! どーなってんのよ副長はぁっ!)
 握っていたチェリートマトをセレスタンの口にむぎゅうと押しこみ、非難がましく口パクで抗議。
(うんともすんとも言わないし! チェリートマトも食べないしぃ!)
 せっかくいっぱい買ってきたのにぃ、と壁ぎわの卓を指でさす。なるほど、そこには、籠いっぱいのチェリートマト。昨日も持ちこみ、持ち帰る羽目になったはずだが、懲りずに買ってきたらしい。肩越しにファレスをちら見して、くい、と親指でさし示す。
(もしかして、ぐあい悪いんじゃない?)
(見舞いにきたんじゃなかったんすか?)
 もぐもぐ咀嚼しながら言い返し、セレスタンは溜息まじりで寝台に向かった。「悪いに決まってんでしょ。腹に穴があいてんすよ?」
 とたんリナが、わたわた寝台に駆け戻った。
 付き添いの椅子にしがみつく。この部屋一番乗りの己が優位性を顕示&死守。
 はい、ちょっと、ごめんなさいよ、とセレスタンはあっさり押しのけた。
「副長、失礼します」
 寝台の端に片膝をつき、ファレスに軽く身をかがめ、その額に手を当てる。
「……熱は、ないようですけどね」
 普段のファレスにそんな無礼を働こうものなら、即刻飛びのき反撃されるだろうが、今日のファレスはされるがままだ。文句を言うでも、振り払うでもない。
 抜け殻のようにうつろだった。
 たしかに目は見えている。耳も聞こえているだろう。だが、応える気力が彼にはない。
 予想を超えた無気力さだ。セレスタンはたまりかね、たじろぎ笑いで覗きこんだ。「ね、ねえ、副長? 元気出して姫さんの見舞いに行かなくちゃ。ね?」
「姫さんって?」
 不穏な声音に、はた、と気づいて見下ろせば、ひくり、と頬をこわばらせたリナが、ゆらりと不穏に振りかえる。
 ふつふつ何かが、おどろおどろしい感じで煮えたぎっている……セレスタンは気押され、ごまかし笑いで、たじろいだ。「──え──あっと、その」
「ちょっと誰よ! 姫さんってえっ!」
 リナの癇癪が爆発した。
 ぐい、と両手で胸倉つかまれ、セレスタンはへらへら後ずさる。「あっ、いや、そんな別に大した話じゃ──」
「誤魔化す気ぃ!?」
 舌鋒鋭くリナは追求。
 寝台の端に膝裏があたり、のけぞり返ったセレスタンの上に、憤怒の形相でのしかかる。「言いなさいよ! 言いなさいよ! どこの女よ! さっさと言いなさいよこのハゲっ!」
「ちょ、ちょっと待って。落ち着いて──あんたみたいなお嬢さんが知らない男に乗っかっちゃダメでしょ」
「うるさいっ!」
 ぺちぺち禿頭をたたかれて、あたふた逃げるセレスタン。「わかった! 降参しますから!──はい、俺の負け!」
「──いい」
 え? とセレスタンは振り向いた。
 乗りかかったリナを体の上から押しのけて、いぶかしげに身を起こす。今、割りこんだ掠れた声は──。
 ずっと口をつぐんでいたファレスだった。
 だが、今のはまぎれもなく否定の言葉、つまり「行かない」と言ったのだ。あの彼女の話なら、いつもなら顕著な反応があるのに。
 短く、だが、きっぱりとした否定だった。
 予期せぬ事態だ。いつもの切り札が通用しない──セレスタンは焦った。「あ、でも、あの、副長?」
「もう、あれは俺の管轄おれの じゃねえ」
 ファレスは膝に目を据えたままだ。淡々とした、静かで乾いた声音には、およそ感情という感情が欠落していた。事実のみを口にしている、というふうに。
「……副長」
 呼びかけはしたものの、その先の言葉が続かず、セレスタンは困惑して口をつぐむ。
 コンコンコン──と扉が外から叩かれた。
 ふと、セレスタンは戸口を見る。誰だろう今時分。館内に人は、もうほとんど残っていない。いぶかる間もなく、半開きの扉が無造作にひらく。
 廊下に、男が立っていた。
 さらりとした薄茶の髪、前髪の下の鋭い双眸、筋肉質な痩せた体。かたわらにいるリナを見て、ザイは顔をしかめたが、意外にもそれを咎め立てるでもなく、一瞥をくれただけで視線を戻した。
 つかつか足を向けた先は、うつろに座っている寝台のファレス。
「出番スよ、副長」
 名を呼ばれ、ファレスがぼんやり顔をあげた。
 鈍い動作で振りかえり、いぶかしげにザイを見る。
 そして、鋭く息を飲み、ファレスは愕然と目をみはった。
 このそっけない特務の長は、思わぬ知らせを携えていた。それは風雲急を告げる深刻な報告。
 ザイは目を据え、きっぱりと言った。
「客が部屋から消えました」
 
 

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