CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 11話18
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 それは未開封の手紙だった。
 まだラトキエ邸に勤めている頃、祖父が送って寄越したものだ。それが、なぜ、こんな所にあるのだろう。
 思わぬ出現に困惑し、だが、すぐに理由に思いあたった。
 二年前、結婚に伴い、寮の部屋を引き払ったが、その引越の支度をした時に、引き出しにあったこの手紙を、旅行鞄に突っこんだ。だが、馴染みのない新生活で目を通している暇がなく、ずっと、そのままになっていた。そして、今回の旅でこの鞄を出した際、旅先ならば読むこともあろうと取り除くことなく持ってきた。いつか開けようと思っていたから。
 確かに、いつかは読もうと思ってはいたのだ。だから、ずっと持ち歩いてきた。とはいえ、それが、今すべきことだろうか。こんなひどい有り様なのに?
 監禁された部屋を見まわし「もっとも……」と嘆息する。さりとて当面することもない。
 ラトキエの別棟に囚われた時には、死に物狂いで脱出しようと試みもしたが、あんな一世一代の脱出劇など何度もやり果せるとは思えなかった。そもそも部隊は商都を離れ、ケネルも明日までやってこない。こうして監禁されているのは、誰も知らないことなのだ。ケネル達がきてくれた、あの時とは状況が違う。
 床にちらばった手紙を集め、明るい窓辺へ移動した。手紙は全部で六通だ。
 寝台に腰を下ろし、窓からの月あかりで、封筒の表書きに記された、よく知る筆跡をぼんやり見おろす。
 ちくり、と胸の奥が痛んだ。祖父の死に目に会えなかったことが、今もしこりになっている。
 誰にも看取られることもなく、あの祖父が他界したのは、春もまだ浅い、寒い日のこと。あのアディーが他界して数日後のことだった。
 当時はまだ商都住まいで、祖父の世話をしていた叔母が、訃報を持ってやってきた時、祖父はすでに死後三日が経過していた。祖父が他界したちょうどその頃、叔母は家族旅行に出かけていて留守をしていたのだという。
 祖父の部屋を片付けに行くと、窓の端が割れていて、そこから寒風が吹きこんでいた。それで肺炎を起こしたらしい。
 それを見たとき、「動けない病人を一人残して、なぜ旅行になど出かけたのだ」と思わず叔母を罵っていた。叔母は負けじとなじり返した。「父を捨てて出て行った、お前に言われる筋合いはない」と。確かに、叔母の言い分ももっともで、領邸の寮生活にかこつけて、祖父の実の娘であるその叔母に、世話を押しつけていたのは本当だった。だからこそ我が身を守るため、とっさに過剰に攻撃したのだ。
 今にして思えば、それは自責の裏返しだったろうが、叔母の方も叔母の方で、長年続いた老人の介護で鬱憤をためていた事情があったのだろう、不出来な姪の動揺を斟酌するような余裕はなかった。そして、叔母からすれば、この姪は、実家の家業を潰した張本人だった。
 感情的に言葉を投げあい、決裂した。以来、叔母との仲は険悪になり、後に一家が商都を去るに至って、微々たる付き合いも完全に途絶えた。
 悪いことは重なるもので、祖父がこの世を去ったのは、家族も同様に心を寄せたアディーが他界した直後だった。その上、自らの不手際で、唯一の肉親のその叔母をも失った。
 ようやくそのことに気づいた時、自分がいよいよ天涯孤独になったのだ、と暗たんたる思いで思い知らされた時、辛うじて張りつめていた糸が切れた。
 打ちのめされ、寮の部屋に引きこもった。広い世間の荒波に突如一人で放り出されて、足がすくんで動けなかった。恐くて恐くてたまらなかった。渦まく世間を見まわして、どちらに歩いて行けばいいのか、それさえ分からなくなっていた。自分は一人ぼっちだった。
 カーテンを引いた寮の部屋で、くる日もくる日も、じっとうずくまっていた。誰とも口をきかなかった。食べもせず、眠りもしなかった。いつしか心身共に衰弱し、何も考えられなくなっていた。そんな時、あの言葉に引き戻された。
『なら、家族、、になろうよ』
 諭すように覗きこんだ、ダドリーの真摯な顔を覚えている。
『アディーが言ってたみたいにさ。でも、俺たちは、本物の、、、家族に』
 引き開けられたカーテンから、降りそそぐ白い日ざしが、いやにまぶしかったのを覚えている。
 
 ふっと気づいて、苦笑いして首を振った。
 封筒の筆跡を改めてながめる。懐かしい面影が不意に重なり、苦々しさが胸をよぎった。
 祖父は一代で事業を興し、かつては十人を超える使用人を使い、信用と敬愛を集めた人物だった。その祖父が、ひとりきりのうらぶれた借家で、人知れずひっそりと他界してから、もう二年も経っている。
『あいつらが生きておれば、こんな苦労を背負い込まずとも済んだものを』
 それが祖父の口癖だった。
『あいつらが黒耀石なんぞにうつつをぬかしたりせなんだら、こんなことにはならなんだ』
 そう言っては、どうにもならない不運を嘆いた。
 まだ幼い頃、両親は、黒耀石の出物があると聞きつけて北方に出向いた帰り道、積荷を満載した馬車の下敷きになって命を落とした。
 祖父のことは大好きだったが、両親を悪く言われるのは厭わしく、後を継いだ家業に精を出した。だが、素人の娘が、古株の商売人に入り混じって奮闘しても、たやすく大成できるほど、商売というものは甘くはなかった。
 めくら滅法の手探りの努力は、ことごとく空回りした。投資の失敗。売れ筋の見誤り。大量にかかえこんだ不良在庫。生き馬の目を抜く商都の市場は、頭でっかちの素人が一人前に成長するまで悠長に待っていてはくれなかった。
『いいか、エレーン。商売は堅実が一番だ。うさんくさい賭博なんぞに、決して手なんぞ出してはならんぞ』
 その頃には、すっかり寝ついていた祖父は、がんばれ、がんばれ、と背を押した。だが、何も知らない無責任な言葉が、無闇にふりかざす老人の気概が、ただただうるさく疎ましかった。
 ──あたしは十分がんばっている! これ以上あたしにどうしろっていうのよ!
 やりくりは厳しく、経営は日々傾いた。やがて、店の展望に見切りをつけたのだろう、雇い人が一人去り、二人去り、幼い頃にあやしてくれた古馴染みの番頭までもが、いつの間にか姿を消した。そして、無茶な経営を続けた店は、ついに破綻の時を迎えた。
 この不甲斐ない凋落が、歯がゆく、悔しかったのだろう。祖父は閑散と荒れた店をながめて、長く、深い溜息をついた。
 ──あいつらが生きておれば、こんな苦労を背負い込まずとも済んだものを。
 ラトキエの寮に入るため家を離れる旨、祖父に告げると、祖父は寝たきりの床の上で、嘆くように反対した。お前のような苦労知らずに、そんな大役が務まるはずがないと。
 憤然と家を飛び出した。
 苦労ならば、死ぬほどした。意地悪で老獪な同業者に、何度も騙され、蔑まれ。味方のはずの使用人でさえ、誰ひとり手を貸してくれはしなかった。ただ寝ていただけの老人に、自分の何が分かるというのか。
 祖父は手紙をしたため、送ってきた。「元気でいるか」「困ったことは起きていないか」「いつでも、こちらに戻っておいで」
 孫娘を労わる文面は、だが、歳月を重ねるにつれ、愚痴で占められるようになっていた。
 ──あいつらが生きておれば、こんな苦労を背負い込まずとも済んだものを。
 祖父からの手紙は、三日にあげず舞いこんだ。
 愚痴で占められた文面を思い、封筒に書かれたその筆跡を見ただけで、憂鬱な溜息が出るようになった。今では、同年代の仲間たちと、日々を楽しく過ごしていた。仕事が引ければ街に繰り出し、強固な絆で結ばれた信頼できる友も得た。
 颯爽と貴族が出入りする領邸の仕事は誇らしく、メイドの身分でこそあったけれど、その余光は華やかだった。身内だけが世界の全ての小さな女の子では、もう、なかった。
 世界は明るくひらけていた。
 もはや、物心両面で隔たった遠く離れた身内など、淀んだ陰気などろ沼の中、みじめに暮らす老人など、足手まとい以外の何者でもなかった。羽ばたこうとする足を、古いしがらみなどに引っ張られたくはなかった。
 ──あたしはうまくやっている。邪魔しないで。
 邪険な態度が伝わったのか、祖父からの手紙は、いつしか途絶えがちになっていた。
 手紙は開封することなく、引き出しの奥にしまいこむようになっていた。後でまとめて目を通せばいい。そう、いつか、、、、時間のある時に。
 
 
 苦い想いがよみがえり、エレーンは居たたまれずに目をそらす。
 祖父のことは、気にはなっていた。それは誓って本当だ。けれど、そうは言いながら、結局、祖父をひとりきりで逝かせてしまった。窓の割れた寒い部屋で。枯れ木のようにやせ細った体で。
 最後の手紙を受けとったのは、祖父が亡くなる数日前のことだったろうか。
 こうして手紙を見つけたからには、一通り目を通すのが孫娘の義務というものだろう。たとえ、そこには愚痴しか書かれていなくても。
 日付の一番古いものを取りあげて、なんの気なしに封をきり、一枚だけの便箋をひらく。
 びくり、と頬がこわばった。
 次の日付をあわててとりあげ、文面を見る。残りの手紙を、次々ひらいた。便箋を投げ捨て、次の封書の端を引きちぎり──
 最後の便箋を、持つ手が震えた。
 懐かしい筆跡に、なによりその文面に、意味を読みとる目が釘付けになる。
 たまらず立ちあがり、部屋の扉に飛びついた。
「あけてっ! ここをあけてっ! ここから出してっ!」
 どんどんどんどん! と力任せに扉を叩いた。
 肩までの髪を振り乱し、声を振り絞って懇願した。
「あけてっ! あけてよっ! あけなさいよっ! このドアをあけてっ!」
 無我夢中のその手から、古い便箋が床に落ちた。
 エレーン、と呼びかけで始まる文面には、六通すべて、同じ言葉が綴られていた。
 そう、ただの一言だけ。
 
『お前に、会いたいなあ』
 
「あけてっ! あけてよっ! ここをあけてえぇぇっ!」
 力の限り、ドアに叫んだ。喉が切れるかと思うほど。
 か細い力を振り絞り、真摯に綴った純朴な想い。もう返事も寄越さない、愛しい孫への寂しい願い。かつて自分を愛したひとの、声なき想いが流れこむ。
 ── お前の顔が、見たいなあ。
 ── 一度でいいから。
 ── 最後に一度、あの子に会いたい。わしの、かわいい孫娘に。
 読まれることもない未開封の手紙は、この旅の初めから、ずっと鞄の底で寄り添っていた、、、、、、、
 祖父の在りし日の笑顔が渦まき、がむしゃらに扉を叩いた。
『エレーン。お前に、会いたいなあ』
 あのくしゃくしゃの笑顔と共に、しわがれたあの声が、脳裏いっぱいにこだまする。
 多忙で迎えに来られない親の代わりに、まだ幼かった手を引いて、夕刻の道を歩いてくれた。親に会いたいと泣いた時、頭をなでて慰めてくれた。皺だらけの大きなあの手で。
 ──もう一度、お前に会いたいよ。
 窓の割れた質素な借家で、ひとり息を引きとった。もう動くこともできない体で、ただ、ひたすらに待ちわびて。
 待ちわびて。待ちわびて。待ちわびて。孫娘がよこす返事を。笑顔で懐に戻ってくるのを。
 ずっと目を瞑ってきた。
 仕方がないさ、と皆が言ってくれたから。皆それぞれの生活がある。だから仕方のないことだと。
 だが、胸に巣食ったしこりは重く、日々募る後悔は罪のように苦かった。他の誰の目は騙せても、自分の心を騙せはしない。古い手紙を持ち歩いていたのが、心中深くに沈めておいた罪悪感の何よりの証。
 本当はどこかで気づいていたのに、どれだけの想いを裏切ってきたのか。どれだけの願いを踏みにじってきたのか。今、それと同じように、目をそむけていることはなかったか? 毎日の楽しさに目を奪われ、置き去りに、、、、、している者が、、、、、、いやしないか?
 本当は気づいていたくせに。
 ずっと気づいていたくせに。ずっと、ずっと見ない振りで。
 膝から力が抜け落ちて、扉にすがって、へたり込んだ。
「……ダド、リー」
 うなだれた唇から、かの者の名がこぼれ落ちる。
 ずっと見ない振りを続けてきた。この安楽な日常が崩れ去るのを恐れていたから。けれど、まだ間に合うのなら。
 だって、こうしている間にも、彼が自分を待っていたら?
 もしも、もしも、万が一、たったひとりで待っていたら?
 死がちらつく暗闇のさなかで。
 焦燥が身を焼いた。ごまかし続けた渇望が、今、はっきりと像を結ぶ。
「お願い……お願い……お願い、あけて……お願いだから、ここをあけて……」
 懇願する声がかすれる。
 喉が詰まって、息が熱い。涙が後から後から頬を伝う。
 別れは、突然舞い降りる。
 今日肩を並べた人と、明日にも会える保証など、どこにもありはしないのだ。けれど、まだ間に合うのなら、彼がまだどこかにいるなら、すぐにも、そこへ飛んで行きたい。
 両親の時にも、そうだった。アディーの時にも、そうだった。ケインの時にも祖父の時にもバリーの時にも、そうだった。いともたやすく人は
 ──死ぬ。
 ダン! と音がとどろいた。
 びくり、とエレーンは硬直した。とっさに何が起きたか、わからない。すぐに、誰かが扉を蹴り飛ばしたらしいと気がついた。
 どこかを蹴りつけるような音は続いた。扉といわず壁といわず、手当たり次第、ひっきりなしだ。苛立ちまぎれに蹴り飛ばしているように思えた。もしや、怒らせてしまっただろうか。あまり、やかましく騒いだから。
 血の気が引いた。
 なすすべもなく、立ち尽くす。自分をここに閉じこめた、アールと呼ばれた、あの眼鏡の男だろうか。
 身も凍るような破壊音は、しばらく続いて、ようやくやんだ。
 灯りの届かぬ暗がりで、扉は不気味に静まっている。
 かたずを飲んで扉を見つめ、エレーンはじりじり後ずさった。まだ、そこにいるのだろうか。あの扉があいたが最後、ここに踏みこんでくるのだろうか。うるさい囚人を懲らしめに。
 一体、何をされるのだろう。
 問答無用で殴られたブルーノの姿を思い出し、体が小刻みに震えだす。自分はもしや、とんでもない相手を怒らせてしまったのではあるまいか……
 ガタ──と、どこかで物音がした。
 続いて、ガタガタゆする音。何かを強く揺さぶっている。何を──
 ──窓だ。
 この部屋に踏みこもうとしている!
 とっさに背後を振り向いた。濃紺の夜空を切り取った窓に、逆光になった人影がよぎる。瀟洒な鉄格子がガチャンとあけられ、窓が大きくひらかれる。
 さわり、と夜風が頬をなでた。
 濃紺と黒に沈む庭。冴えた満月を背景に、逆光になった男がたたずんでいる。
 男は白っぽいシャツを着ていた。背が高く、痩せている。背に浴びた月光に、髪の輪郭が透けている。
「……ノッポ君」
 思わぬ相手をそこに認めて、エレーンは目を見ひらいた。
 
 

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