■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部5章 11話19
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薄茶の髪の輪郭が、満月の蒼光につつまれて、金の輝きを放っていた。
白いシャツが暗がりに浮きたっている。濃紺の夜空と、黒く沈む草木のただ中、風があるのか、ふわふわ髪が、闇の中でゆらめいている。
唖然とエレーンは絶句した。夏虫の鳴く夜更けの庭に、しどもど視線をめぐらせる。「ひ、久しぶりだね、ノッポ君。一人できたの? でも、なんで……」
「泣いたでしょー?」
あわててエレーンは頬をぬぐった。「──あっ、これはっ、別にそのっ!」
「だからオレ、助けにきた」
「ち、違うの、これは。誰かにいじめられたとか、そんなんじゃなくて──」
あたふた言いかけ、ふと気づく。
じっと見おろす向かいの顔を、上目使いでうかがった。「も、もしかして、今の──ドア蹴ってたのってノッポ君……とか言わないよね?」
ウォードは無表情で、闇の中に突っ立っている。
「えへへ。まっさかね〜。ごめんごめん……」と、あわてて、へらへらしていると、ウォードが無造作に身じろいだ。
「鍵があかなかったー」
え゛? とエレーンは固まった。いや、ただそれだけのことにしては、ものすごく物騒な音がしていたが……?
だが、本人はいたって大真面目。ガラスのような薄茶の瞳が、まっすぐ顔を見おろしている。
あっけにとられて見返して、ふと、彼の姿に気がついた。水でも浴びたように、シャツが肌に張りついている。白い裾は薄汚れ、長袖は乱れて、めくれている。
よく見れば、ウォードは汗だくだった。戸をあけようとしていた、というのは本当らしい。家でも壊しかねない勢いだったが──はっ、と懸念を思い出す。あれほど大きな音をたてたのだ。事務所でたむろしていた男たちが、たちどころに飛んでくるのではないか?
あわててウォードを振り仰いだ。「そ、そうだ! あの人たちは? 向こうの事務所に、恐そうな人がいっぱいいたでしょ?」
「寝てるー」
……ねてる?
今度こそ、あんぐり絶句した。毎度のことだが、想像を絶する回答だ。あぜんと事務所を振りかえり、そろり、とウォードに目を戻す。「……ね、ねえ、ノッポ君? もしかして、なんかした?」
「ちょっとねー」
ちょっとってなに。
顔をしかめて、エレーンは固まる。気軽な感じで言ってるが、意味がいまいち分からない──のは、そういえば毎度のことだった。なにせ相手はウォードなのだ。理路整然とした回答を、この彼に求めてはいけない。
とはいえ、妙に静かなのが不気味だった。
事務所の気配をうかがっても、暗がりに沈む屋内は、ひっそりとして音もない。あんなにガンガン蹴っていたのに、しん、と未だ静まったまま、全くなんの音沙汰もない。
ちょっとなんかしてきたらしいウォードは、面白くもなさそうな顔で、ぶっきらぼうに突っ立っている。
「……ま、まあ、そっちのことは、どうでもいっか」
(てか、訊いたら、もっと、ぐるぐるにわかんなくなるし)とその先の本音を内心で続けて、エレーンはほりほり頬を掻いた。
「あ、そんなことよりノッポ君。今までどこ行ってたの? ノッポ君がどっか行っちゃったって、ファレスがすんごく怒ってて」
そういえば、このウォードとは、あの朝、別れたきりだった。ロマリア学園都市にほど近い、放牧管理事務所にいた頃だ。丸太小屋手前の緑の丘で、彼は何事か言いかけては口をつぐむをくり返し、蝉がみんみん鳴く丘で、ぐっしょり汗まみれになりながら、悶々としていたことを思い出す。
「出かける時には、誰かに言ってから行かないと。ちょっと家出したかったの? ノッポ君、なんか悩みあるとか。あ、そうなら、あたし、話聞くけど。あ、ご飯は? ご飯とかはどうしてたの? ちゃんと食べてた? 寝る場所とかも困ったでしょ。みんな、ノッポ君のこと心配して──」
「エレーン」
ウォードがぶっきらぼうに遮った。
闇に浮かぶ白シャツの肩を、ぶらりと返して向きなおる。
「ホーリーが待ってる」
エレーンは面食らって口をつぐんだ。なぜ、突然、そんなことを言い出すのだろう。ホーリーというのは確か、彼の愛馬の名前ではないか。
「行きたいんでしょー? トラビアに」
びくり、と頬がこわばった。
不意をつかれ、驚き、うろたえ、呆然と仰ぐ。
ガラスのような薄茶の瞳が、じっと目を据えていた。どうやら本気で言っているらしい。ならば、彼が連れて行ってくれるというのか?
ダドリーがいるトラビアに。
確かに、それが望みではあった。けれど、手を差し伸べたのは、考えもしなかったこのウォード。
いかにも唐突な申し出だった。彼は日頃、大抵のことには関心がない。というのに、なぜ急に、そんな気まぐれを起こしたのか。
とはいえ、連れて行ってくれるというなら、相手を選んでいる場合ではないのも、厳然たる事実だった。頼れる相手など他にない。急な話に戸惑いながらも、おすおず手を出しかける。
『 俺とくるか、残るかだ 』
あの声が脳裏に響いて、指の先が硬直した。昨日言われたケネルの言葉。
『 俺かあいつか、どちらかを選べ』
夏日が厳しく照りつける、時計塔の屋上だった。もしも、ダドリーを選ぶなら、
──ここには二度と現れない。
明朝、自分の姿が部屋になければ、ケネルはどう思うだろう。
ダドリーを選んだと思いはしないか?
そうなれば、ケネルは「二度と現れない」と言っていた。そうしたら、ケネルとは二度と
──会えない。
すとん、と唐突に胸に落ちた。硬く冷たい一つの鉛が。
それは唐突に現れて、まっすぐ落下し、在るべき場所に収まった。それこそが、ずっと出すことのできなかった結論だった。いや、選べる余地など、初めからありはしなかったのだ。
道は、とうに決まっている。そうだ、一体、何を浮かれていたのか。ケネルと行けるはずなどないのに。
奥歯を強く噛みしめて、くり返し心に言い聞かせる。
今、すべきことがある。
何をおいても、すべきことだ。ダドリーに会いに行かないと。己の罪をあがないに。あの日の言葉を取り消しに。
そして、ラトキエの軍勢を──復讐に猛った若き領主を止めるのだ。そうだ。彼を止めねばならない。多忙を極めるあの彼は、詳しい事情を知らないだろうが、アディーが世を去る二年前、あのアディーとダドリーは、
──彼らは既に和解していた。
かたく唇を引き結び、エレーンは顔を振りあげる。
「連れてってノッポ君! トラビアへ!」
迷いはない。迷っては、いけない。
じっと見おろすウォードの大きな手の平が、おもむろに両脇をすくいあげた。
向かいの肩に手を置いて、エレーンは窓を踏み越える。
こうこうと輝く月空に、ウォードが軽々と抱きあげた。
「……今、なんて言った」
ザイがもたらした報告に、ファレスは目をみはっていた。
「もういっぺん言ってみろ!」
声を震わせ、ねめつける。
二人が診療所から抜け出た翌日、そこから西に街路を隔てた異民街にある本部では、ザイがファレスの部屋を訪れていた。部屋の中にはセレスタン、そして、リナの姿もある。
愕然とわななくファレスを前に、ザイは足を踏みかえる。
「ですから客が、部屋から消えたと」
困惑もあらわに眉をひそめて、ファレスは膝に視線を落とした。セレスタンが戸惑いがちに覗きこむ。「……あの、副長。大丈夫すか?」
「──詳細は」
押し殺した声がした。
ファレスが顔を振りあげる。
「さっさと先を報告しろ!」
不穏な面持ちでねめつけられ、ザイはかいつまんで説明した。今しがた仕入れた情報を。
先日の抗争騒ぎがようやく片付いたばかりだった。ハジが代表を務める件のラディックス商会が、強盗に襲われたバリーの死亡を利用して、ラトキエ上部に圧力をかけたのだ。それにより、件の殺戮から目をそらし、抗争自体をうやむやにしようとの肚だった。そして、手慣れたハジの首尾により、目論みは難なく奏功し、件の大量の亡骸は、ゴロツキが分け前をめぐり仲間割れを起こしたものとして決着した。
賊の頭目ジャイルズが事実を訴え出ていたはずだったが、官憲が持て余す与太者の言と、被害者の生き残りである他国人の言──ひいては商都第二の大商館の言葉では、彼我の力を引き比べ、強い方になびくというのが、世の常というものだった。
ともあれ、頭痛の種を握りつぶし、ようやく落着したはずだった。というのに、息つく間もなく、この騒ぎだ。
「それと、もう一つ、報告が」
事情説明をあらかた終えて、ザイは改めて目を向ける。
「隊長が姿を消しました」
じっと話に聞き入っていたファレスは、辟易とした顔で舌打ちした。「──またかよ。あの野郎。まァた突っ走りやがってよ。──ザイ」
呼びかけ、ザイに目を向ける。
「早急に、部隊に伝令を出せ。指揮は当面、各隊の長に一任する」
ザイは身じろぎ、頭を掻いた。「向こうの頭(かしら)はいいとして、うちのは、まだ動けませんよ」
ギリ、とファレスは歯ぎしりした。「──バパが無理なら、コルザのジジイだ!」
「いませんよ、あの人は。今、別件で動いてますんで」
「だったら次点が誰かいんだろっ! 追って指示あるまで、トラムで待機! いいな!」
「トラムすか」
セレスタンが顎をなで、ファレスを見た。「なるほど。トラビアで何かあれば、背後につける位置ですね」
トラムとは、トラビアから南下した場所にある山間の地だ。ここに部隊を駐留させれば、国境の山に隠れつつ、トラビアの動向に睨みを利かせることができる。そして、情勢いかんでは、山の地下の抜け道を用いて、速やかに国外へ脱出できる、つまり、どちらにも身を処せる立ち位置だ。
続いて、連絡、補給等、当面必要な指示を出し終えると、ファレスは顔をゆがめて舌打ちした。
「それにしても、しょうもねえのはあの阿呆だ! なんべん言っても聞きやしねえ! たく! 何度も何度も何度も何度もっ! 今度はどこ行きやがったあんぽんたんんんっ!」
「トラビアでしょうねえ、行き先は」
ザイがそっけなく割りこんだ。夏日を浴びた窓の外から目を戻す。
「北門の下回りから報告がありました。客らしき女を見た者がいると」
ファレスが鋭く目を眇めた。
「ちなみに、若い男と一緒です」
「……若い男だァ?」
ひくり、とファレスの頬が引きつる。
わなわな不穏に拳を握り、ぎろりと顔を振りあげた。
「誰だァ! その男ってのはっ!」
一転、逆上、わめき散らす。
ザイはおもむろに腕を組んだ。「人相風体から、おそらくウォードと思われます」
「──ウォードだァ?」
ファレスは忌々しげに舌打ちし、せかせか寝台をすべり降りた。
「なんで、それを早く言わねえ!」
背もたれの上着を引っつかみ、苛立った足どりで戸口に向かう。
「おう! 行くぞ!」
戸口に向かって、ずかずか歩き、だが、ぴた、とその足が停止した。
どこか、そわそわ踵を返す。突進したその先は、寝台かたわらに据えられた卓。いや、
籠だ。
ファレスが籠をひったくった。両手を突っ込み、ガツガツ貪り食っている。鷲づかみでつかんでいるのは、真っ赤に熟れたチェリートマト。
ひょい、とザイが横からのぞいた。
「なにやってんです? 急ぐんじゃなかったんスか」
ぎろり、とファレスはねめつける。「見りゃあ、わかるだろうが」
「わかんねえから訊いてんでしょ」
口いっぱいのチェリートマトを、ファレスはもぐもぐ頬ばりながら、面倒そうに一喝した。
「腹ごしらえに決まってんだろ!」
ザイはまじまじ見返した。
「なんか生き生きしてますねえ。ついさっきまで、ぼさあっと抜け殻みてえになってたのに」
「あんだよ? 俺はいつだって生き生きしてるぞ?」
ぷっくり頬をふくらませ、ファレスはもぐもぐザイを見る。
「なんか、ウキウキしてません?」
「なにがっ?」
ひらいた戸口に手をかけて、やりとりを眺めていたセレスタンが、そわついて廊下を一瞥した。「副長! 早く追わねえと」
「おう、ハゲ! 俺の上着、お前が持て!」
ばさり、とファレスは上着を投げつけ、己は籠を引っつかむ。肩を返して、二歩ほど歩き、だが、なぜか再び足を止めた。
踵を返し、リナの前まで立ち戻る。
「……悪りぃ。忘れてた」
真顔でリナの顔を見る。突っ立ったリナの手をとった。
片手でごそごそ籠をまさぐり、リナの手に、それをのせる。
「お前の取り分だ」
しごく真面目に言い渡す。それは一掴みのチェリートマト。
リナは反応なく突っ立ったままだ。ファレスは顔をしかめて舌打ちした。「……なんだよ。足んねえってのかよ」
渋々籠をまさぐって、さらに三つばかりつまみ出す。それをリナの手に上乗せし、真顔ですごんで顔をあげた。
「これっきりだからな! これ以上はまからねえからな!」
更には、ぐぐぐっとリナの手の平を握らせる。これでおしまい、というように。
さっさと相手に渡してしまうと、ファレスはくるりと背を向けた。
せかせか歩いて、既に戸口で待っていたザイとセレスタンに合流する。三人それぞれ肩を返して、部屋を出ようとした矢先、ふと、ファレスは振り向いた。
「おい、おかちめんこ。お前もとっとと外に出ろ。いつまでもぐずぐず遊んでんじゃねえぞ」
「副長のばかあっ!」
びたん、と何かがファレスの額にぶち当たった。
ころん、と床に落ちたのは、真っ赤に熟れたチェリートマト。
それを確認するもつかの間、ビシバシ続けざまに飛んできた。
「なによっ! 散々心配させといてえっ!」
リナが憤怒の表情で投げつけている。ファレスはたじろぎ、一歩引く。「──な、なんだ? いきなり」
「なによ! けろっと元気になっちゃってえっ!」
あぜんと突っ立ったファレスの腕を、ひょい、とザイが横からとった。
一同あわてて部屋から退却。三人並んで、うららかな廊下をつっ走る。
腕を振ってわたわた駆けつつ、ファレスは首をひねって横を見た。
「おい、なに怒ってんだ? あの女」
ひょい、とザイが肩をすくめる。「知るわけないでしょ?」
「たく。もったいねえことしやがってよ〜。つぶれちまったら、食えねえじゃねえかよ」
「──そこすか」
ひとりセレスタンだけが、額をつかんでうなだれた。「……もー、副長は〜。今度あの娘にどこかで会ったら、後ろからとび蹴り食らうくらいは覚悟しといた方がいいっすよ?」
「あ? なんで俺が」
ファレスは不服そうな顔。「ちゃんと、あいつにも、やったじゃねえかよ。恨まれる筋合いは、これっぽっちもねえ!」
「……。もー。だから、そういうことじゃなくってですねー」
「なんだよ。間違ったこと、なんかしたかよ」
「あんたは初歩の初歩から間違ってますよ」
いつの間にキャッチしたものか、ザイは口をもぐもぐしながら、しみじみ肩越しに振りかえる。「なんか、すごい見幕だったスよねえ……」
建物の玄関を顎でさし、隣のファレスを一瞥した。
「ともあれ、先を急ぎましょ? ウォードが一緒じゃ、猶予もねえし」
「おう。なんだか知らねえが、とにかく急ぐぞっ!」
シンシン蝉しぐれの廊下の先、閉じた扉の向こうから、リナのわめき声が聞こえていた。
それにさかのぼること小一時間前、ボリスは街路を歩きつつ、顔をしかめて首元をさすっていた。
「──ちっ! なんなんだよ。あんのキツネ野郎はよぉ〜!」
離れゆく後ろ頭を肩越しに見やって、苦々しげに舌打ちする。件の斡旋所を出た途端、街角に潜んでいたザイが、いきなり物陰に引っぱりこみ、胸倉つかんで締め上げたのだ。そして、たった今聞いた話を洗いざらい吐かされた。
ザイはどうやら待ち構えていたらしく、聞くことだけ聞き出すと、ふい、と大通りに肩を返した。ちなみに、上司でもなんでないので、ザイに報告する義務などないのだが。
一夜明け、改めて件の店を訪ねて、ボリスら三人は驚いた。応接の椅子で喫煙していた留守番の女に、エレーンが姿をくらました旨、聞かされたのだ。
日陰の街路を歩いているのは、いつも一緒の三人だ。ボリスの左は、黒眼帯の痩せぎすジェスキー、右のいかめしいオールバックは、ゆうべ酔って乱入したブルーノ。ちなみに、中央のボリスだけが小柄なので、三人横並びで歩く様は、真ん中だけが極端にへっこみ、おうとつが激しい。
そろそろ日盛りが近いとあって、歩道を歩く人影はまばらだ。軒を並べるどの店も、がらんとして人けがない。車道に馬車も通らない。
「……なあ。俺、ずっと考えてたんだけどさ」
湯気が立つような道の先を、ボリスはドングリまなこで睨んでいる。
「あいつ、森でゴロツキどもをぶっ殺したろ。あれ、もしかして、バリーの仇とったんじゃねえか?」
たるそうに歩いていた連れの二人は、怪訝そうな顔で黙りこんだ。
三秒後、意味を汲みとり、ぎょっと後ずさって振りかえる。
「「ウォードがかよっ!?」」
しばし、あんぐり絶句して、まじまじボリスの顔を見る。
ボリスは決まり悪げに舌打ちした。
「……なあんてな」
いがぐり頭をガリガリ掻いて、口をとがらせ、往く手を睨む。
呆気にとられたジェスキーが、目をすがめてうかがった。「……だって、まさか、そんなことするかよ。あのウォードだぜ?」
「だから、言ってみただけだって!」
ボリスは苛立ち、舌打ちした。大きく息を吐き出して、晴れあがった空を、さばさば仰ぐ。
「けど──なんでかな。なんでか、そんなふうに思っちまったんだよなあ。……うん。奴がそんなこと考えるわけがないんだよな」
ジェスキーは肩をすくめる。
「あのキツネ野郎も言っていたが、何かのはずみで切れちまって、それで片っ端から血祭りにあげた、とか大方そんなところだろう?」
事実、ウォードは常に単独行動で、他人に哀れみをかけることはおろか、実戦で連携したことさえない。
「にしてもよ。あの野郎もあの野郎だよな」
ブルーノがもどかしげに割りこんで、忌々しげに舌打ちした。
「買い物にきたんじゃねえんなら、早く言えってんだよな。そうしたら何も俺だってよ……」
ばつ悪そうに頬を掻き、ぶつぶつ不服げに呟いている。酔いはすっかり覚めたらしい。
ブルーノもジェスキーも、ゆうべ店から追い出された後、彼女の旅の目的を、ボリスの口から聞いている。
「そんなことより、どこ行っちまったのよ、あの小うるさいじゃじゃ馬は」
左端のジェスキーが、顔をしかめて肩をすくめた。その棒っきれのような細い足で、靴先の小石を蹴り飛ばす。「無責任だよなあ、あの医者も。預かった患者さらわれといて、ごめんでもなければ、捜しますでもない。ま、しょせんは闇医師、その程度のもんか」
「だな。留守番の派手な姉ちゃんも、わかんないわねえ、とかふざけたこと抜かしやがるし」
ブルーノも、お手あげというように手を広げた。「"なんでも、ゆうべ若い男が押し入って、どこかへ連れ出されたようなんですよね〜"
って、どんだけてめえは他人事なんだよ。にしても、あのヤバい連中を、全部一人でやるってよ──」
鋭く、ジェスキーが一瞥した。
「ウォードだろ。そんな真似ができる奴は、そう多くはいないからな」
ブルーノが顔をしかめて頭を掻いた。「たく。あの坊やも余計なことをしてくれるもんだぜ。けど、どこまで連れてっちまったんだか」
「それ、心当たりがある」
じっと口をつぐんでいたボリスが、道を睨んだまま口をはさんだ。
「あの、くるくる頭の領主んとこだ」
右隣のブルーノが、怪訝そうに顎をなでる。「──まさか、トラビアってか?」
「たぶん──いや、きっと、そうだ。あいつ、すっげえ、こだわってたから」
「……トラビアかよ。たく。よりにもよって戦地かよ〜」
「おい、だったら尚更、急ごうぜ」
もどかしげにジェスキーが割りこみ、北門方面を顎でさした。
「じゃじゃ馬になんかあってみろ。バリーに顔向けできねえじゃねえかよ」
街角の壁にもたれて、やりとりを聞いている人影があった。
「──トラビアか」
にやり、と笑い、男は眼鏡を押しあげる。
背後の人影に目配せし、カツン、と街路に踏み出した。
外套を羽織った旅装姿の数人が、音もなく後に続いた。ひるがえった裾の下、棍棒や長剣の先が覗いている。
頑丈そうないずれの靴にも乾いた泥がこびりつき、いずれの肩も使い込んだ背嚢を引っ掛けている。外套で覆われた胸の下、使い込んだ胸当てが垣間みえる。
一人が忌々しげに口元をゆがめ、腫れた頬を手の甲でぬぐった。「──たく。あの若造が。いきなりぶん殴ってきやがってよ。俺らを誰だと思っていやがる」
ゆうべ店の戸を叩く者があり、あまりにしつこいので扉を開けてやったところ、白いシャツを着た男が、いきなり中に踏みこんできたのだ。ランプのほの暗い灯かりの中、一瞬状況がつかめずに、怪訝に窓辺から振り向いた時には、全員が殴られ、失神していた。姿を見たのは一瞬だったが、背の高い、若い男だった、と男たちは記憶している。
別の一人も苦々しげに唾を吐き、外套の裾をひるがえす。
「いい度胸していやがる。なめた真似をしてくれたもんだぜ」
道の先を行く三人から片時も目を離すことなく、旅装の一行は、影のように後を追う。獲物をつけ狙う野犬のように。
指で眼鏡を押しあげて、すっとアールが目をすがめた。
「ケリ、つけさせてもらうぜ」
ウォードに伴われたエレーンが、
それを追うファレスと特務が、
バリーの遺志を継ぐ三人が、
そして、煮え湯を飲まされた男たちが、
おのおのの意地と面子をかけて、商都の地を一斉に蹴った。
それぞれが、それぞれの想いを胸に、トラビア街道を急ぎ往く。
目指すは西方。国境の地。じりじり夏日照りつける中、一路西へと、ディール、ラトキエの両陣営が虎視眈々と形勢をうかがう決戦の地へと踏み出した。
それぞれの足が飛び出していく。
灼熱に焼けた真夏のさなかへ。
*2013.08.17 第2部 5章 完結
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