〜 ディール急襲 第3部 〜

 
 
「──どこへ行く!」
 駆けぬけようとした男の体が、大きく宙にひるがえった。
 だしぬけに腕をつかまれて、苛立たしげに振りかえる。黒い頭髪、引き締まった頬、癖のない整った顔立ち──。
 肩で息をついている。まだ朝の六時というのに、ずい分とあわてた様子だ。その腕を強くつかんで、デジデリオは厳しいまなざしを向ける。
「落ち着け、ケネル。一体どうした」
 ケネルがもどかしげに舌打ちした。「ウォードが客を連れ出した。行く先はおそらくトラビアだ!」
「だから?」
 虚をつかれ、ケネルは続く言葉を呑む。
 たまりかねたように怒鳴りつけた。「放っておくわけにはいかないだろう! 奴は、客が思うほどガキじゃない!」
「俺は指示した、、、、はずだがな」
 デジデリオは軽く嘆息する。
「奴は危険だ。そんなことはわかっている。だから、そう指示したはずだ。手をこまねいていたのは、どこのどいつだ。──だが、今は、大事な時だ。客の奪還は他の者に任せろ」
「──だが! 相手は」
「他に任せろ。お前が行くことは許さない」
 強い語気で一蹴し、ひたとデジデリオは目を向ける。
「引き渡しは完了した。それは先方も了承済みだ。こちらに出向いて、当人を確認したからな。身柄を引き取りにくる前に、それが姿をくらませたとて、一体それがなんだと言うんだ。しょせん、それは向こうの都合だ。責任を問われる謂れはない」
「だが! 相手はウォードだぞ!」
「誰と行こうが、関係ない。客の勝手な判断だ」
 世にも不思議な対面を、セヴィランはつくづく眺めやった。事情を知らぬ者から見れば、二人は同年代以外の何者でもなかろう。狭間に生れし禁忌の者は、外見上の年をとらず、肉体が衰えることもない。たとえ彼の者が何百年生きようとも。
 多少強引な口振りながらも、デジデリオは諄々と諭している。日頃は無節操なことこの上ない、糸の切れた凧のごとき男だが、やはり父親だったということか。
 ケネルは無言で睨んでいる。苦虫かみつぶした面持ちで。
「勝手な真似は許さない。お前が投げ出せば、部隊はどうなる。お前には責任があるだろう」
 ケネルが痺れを切らしたように顔をしかめた。
 叱責を無視して進もうとする。その腕を強くつかんで、デジデリオは腕ずくで引き戻す。「──待て、ケネル!」
 鋭くケネルが振り払った。
「はなせ!」
 デジデリオが目をみはった。
 雷に打たれたように、棒立ちになる。
 驚いた顔を睨みすえ、ケネルが憎々しげに腕を払った。
 北門に向けて駆け去るその背が、歩道にみるみる小さくなる。
 デジデリオは追わなかった。追いつき、従わせるのは容易いだろうに、柳眉をひそめて立ち尽くし、無言でその背を見送っている。
 等間隔の街路樹が、透明な朝日に輝いていた。
 豊穣祭から二日が経ち、早朝の北門通りは、往来もなく閑散としている。無人であろう荷馬車が一台、道端に停めてあるきりだ。通りに面した多くの店も、まだ、かたく戸を閉ざし、歩道の石畳にも、人影はない。
 街路に立ち尽くしたその足が、ぎこちなく動いて身じろいだ。
「……まったく、近頃のあいつときたら」
 かすかに震える息をつき、デジデリオはばつ悪そうに苦笑いする。「親父面をするなとさ。──悪いな、セヴィ。少し出発を待ってくれるか。指示を出してこないとな」
「構わんさ」
 セヴィランは微笑って、うなずいた。事情は薄々察しがついた。彼は今、初めて反旗を翻されたのだ。従順だった最愛の息子に。
 早朝の歩道の石畳に、旅支度のザックをおろす。北門へ向かう途中だった。国境トラビアに向かうため、こんなに朝早く投宿先を出てきたのだ。
 あのクロイツに会いたかった。儲かっているとは言いがたい宿屋稼業を休業してまで、大陸をはるばる南下したのは、この積年の想いあったればこそだ。
 あの晩、領邸付近で目撃したが、恐らくはもう、商都にはおるまい。「死神は戦地に出没する」この噂が本当ならば、次に赴くのはトラビアだ。ノースカレリアで姿を見せたクロイツは、すでに商都まで南下している。
 デジデリオは苦い顔だ。やれやれ、あいつの尻拭いか、と溜息まじりで首を振り、晴れた朝空を、ゆっくりと仰いだ。
「ずっと、ガキのままなら、いいのにな」
 うつむき、困ったように苦笑する。「──なんで、でかくなっちまうんだか」
「デジデリオ」
 鋭く、セヴィランは一瞥をくれた。
「殺すなよ?」
 デジデリオが驚いた顔で振り向いた。
 セヴィランは足を踏みかえ、苦々しげに眉をひそめる。「お前には、簡単にできちまう、、、、、からな」
 そう、彼は容易くやり果せてしまう。能力の面でも。心の面でも。
 決して大袈裟な危惧ではなかった。何がしかの理由があれば、情など完全に排除できる男だ。
 デジデリオは絶句して見つめている。
 くすり、とおかしそうに顔をゆがめた。「……参ったな」
 くつくつ小さく苦笑いしている。
「なぜ、わかった?」
 愕然と、セヴィランは目をみはる。「──おい! 血をわけた息子だぞ!」
「どうせ、あいつだって、そう思っているさ」
 デジデリオは捨て鉢に肩をすくめた。「この俺を殺したいと」
「殺したいと思われるようなことをしたのかよ」
「わからない。──いや、たぶん、したんだろうな」
 辟易としたように嘆息し、デジデリオは頭を掻く。「あいつ、未だに根に持っているから」
「何をした」
「あいつの母親を見殺しにした」
 セヴィランは面食らった。
 苦虫かみつぶして目をそらす。「──そんなことをすりゃ、誰でも恨む」
 デジデリオはすがめるように目を細め、肩を返して視線をそらした。
「確かに、お前の言う通り──」
 早朝の石畳を、じっと見つめる。
「俺は選択を誤った。だが、選択肢は、、、、一つしかなかった、、、、、、、、
 諦念と達観の入り混じった横顔。
 たまらずセヴィランは目をそらした。胸に苦いものが込みあげる。覚えがあった。この、すべてを持て余すような表情に。永久に倦んだ者だけが持つ──。
 閉塞した気分を振り切って、あえて、さばさばと目を向けた。「だが、我が子を手にかける親がいるか。いくらなんでも、やりすぎだ。高々なつかない程度のことで」
「──セヴィ」
 苛立ちを含んで嘆息し、デジデリオは嘆かわしげに顔をしかめた。
「俺は時々、お前と話すのがじれったくなるよ。説明せずとも以前なら、一目瞭然、、、、だったろうに」
「── 一目瞭然?」
 奇妙な言い回しを聞き咎め、セヴィランは怪訝に見返した。「なんの話だ」
「身に覚えがあるんじゃないか?」
 思わせぶりに一瞥をくれ、デジデリオは薄青い朝空を仰ぐ。
「"力"を捨てたりしなければ、あるいは見えた、、、かもしれないぜ?──セヴィ、これは願望じゃない」
 そこにある"それ"を見つめるように、デジデリオはまぶしげに目を細めた。
「近い未来、、だ」
 
 
 
 
 

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