CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話5
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 陽がかげったことに気がついて、ダドリーはもたれた壁から背を起こした。
「あれ? ひとり? 兄貴はどしたの」
 通風口の日ざしの中で、地下の監獄を覗きこんだ少女は、不思議そうに首をかしげた。「マリーベル、兄貴なんていないよー?」
「この前、一緒に遊びにきたろ」
「コリンはお隣の子だよ?」
「……あ、ああ。そうだっけ?」
 しどもどダドリーは首をかしげた。そういや、コリンからも、そんな話を聞いていた。
 なぜ、そんな勘違いをしたのかと、このところの出来事を振りかえり、すぐに理由が判明した。あのメガネの副官ヒースの態度だ。先日、ティムの店に使いをやる時、当たり前のように「コリン」を呼んだ。その場には、実の子のマリーベルもいたというのに。あの気負うことのない自然な振る舞いは、あたかも父親のそれのようだった。
 やれやれと頭を掻いて、改めてマリーベルの顔を見る。「で、今日、コリンは?」
「王様ごっこ」
「なに。お前はやんないの?」
「もー。コリンってば、ひどいのよ?」
 少女はぷりぷり怒り出した。「マリーベルと約束したのに! お花つみに行こうって!」
「なら、お前もそっちに混ざればいいじゃん」
「だって、だめって言うんだもんっ! 女の子はだめだって!」
 あー。それで、とダドリーは、子供らの事情を了解した。
(それで、あぶれて、こっちに来たか)
 なによ、コリンってば、えらそうにぃ──とマリーベルはふくれっつら。
 そして、小さくても立派な婦女子マリーベルは、容赦なく裏切り者を糾弾する。ぷりぷりしながら訴える。男の身勝手さ、理不尽さを。
 その甲高い不平を聞きながら(確かに女の子は面倒なんだよな……)とかつてのガキ大将ダドリーは思う。足は遅いし、すぐ泣くし、なのに文句をつけたがる。要するに、シラけてしまう。そして、そうしてのけ者になった女子の愚痴を
(えんえん聞かされる俺って一体……)
 どんよりダドリーはたそがれた。確か、どっかの領主だったはずだ。
 気のない態度を見咎めて、マリーベルがまなじり吊りあげた。「もーっ! ちゃんと聞いてるーっ? ダド!」
「……はいはい。ちゃんと聞いてるよー」
 壁を枕にぐったり寝そべり、ダドリーは口を尖らせる。
(くっそー。調子のいいことばっか言いやがって)
 ぶちぶち顔を思い浮かべていたのは、目下の被告コリンではない。オールバックのあのメガネだ。
(なんだよー。けっこう仲良くなったと思ったんだけどなー。薄情だよなー。あのやろう)
 腹に置いた指先で、件のペンをくるくる回す。牢獄の天井に、反射の光がキラキラ踊る。めがねのヒースは、以来めっきり顔を出さない。
 あれから数日がたっていた。
 食事を持ってくる牢番は、軍服着用の若い番兵に変わっていた。食事は朝晩、その都度パン一個きり。芽が出たじゃが芋のスープでさえも、膳の上から消え失せた。あまりの乏しさに文句を言ったら、薄く色のついた茶が一杯、ようやく支給されるようになりはしたが。
 めがねの副官が約束していた「竹の葉に包まれた握り飯」は、とりあげられた財布と共に、翌日、通風孔から投げこまれたが、それも一回こっきりのことだった。戻ってきた財布の中身は、千カレント紙幣が十枚と小銭が少し。
 旅先で困らぬようにと中身は多めに入れてきたが、やはりというべきか、札はごっそり抜かれていた。バウマンが財布を没収した際、自分の懐に入れたのだろう。小額紙幣がまだいくらか残っていたのは、せめてもの情けということか。
 いや、きっちり十枚とはキリがいい。ヒースが空の財布を見て、身銭を切ってくれたのだろう。ちなみに、当面の用はこれで足りるが、番兵を買収できる金額とはほど遠い。やはりというべきか、ヒースのすることにそつはない。
 もっとも、金額を云々する前に、番兵の見極めが必要だが。融通の利かない石頭にうっかり話を持ちかければ、せっかくの財布もたちまち没収、元の木阿弥になってしまう。それにしても、
(腹減った……)
 周回し始めた少女の愚痴を、わざとらしい身じろぎで遮って、ダドリーは溜息まじりに顔をあげた。「あのさー。パパに言っといてくれる? 俺のメシはまだですかー?って」
「ダド、おなかすいてるの?」
「すんっごくな」
 情けない顔でうなずくと、ふうん、とマリーベルは見返した。
 あ、ちょっとまって、とスカートのポケットをごそごそ探り、はい、と窓から拳を突き出す。
「あげる」
 ぱっとひらいた手の平から、ぽろりと何かが転がり落ちた。
 カン──と牢獄の石床で弾み、ころころ手前に転がってきたのは、親指の爪ほどの大きさの、両端をねじった紙の包み。
「……ありがとな」
 ダドリーは飴玉を拾いあげ、光の窓に笑いかけた。
「あ、また酒飲もうよーって、お父ちゃんに言っといてくれるー?」
 ばたばた駆け去る足音にまぎれて「うんっ! 言っとく〜!」と声がした。
 
 ヒースと約束した握り飯は、翌日から、きちんと届くようになった。
 子供の使いなど、正直当てにはしていなかったが、なんでも言ってみるものだ。いや、この場合、取り持った相手が最適だったということか。意図したことではなかったが、めがねの副官に送りつけるなら「マリーベル」は最強の駒だ。
 そして、暇を持て余す獄中生活に、思わぬ友だちができていた。他でもない、ヒースの愛娘マリーベルだ。
 女の子はませている、とダドリー=クレストはつくづく思う。
 ある日「いいこと教えてあげる」と楽しそうに覗きこむなり、とんでもないことをぶちまけたからだ。
「いいことって何よ」
「パパの秘密っ!」
「──ヒースの? えーなになに?」
「あのね、パパ、お隣の、、、ママが好きよ?」
 思わず茶を噴きそうになった。
 それはつまり、コリンのママかー!?
 見知らぬ女の肩を抱くクールなメガネが脳裏をよぎる。
(おいっ!? あんたの娘、よそ様にとんでもないこと言ってるぞ!?)
 むくり、とあぐらで座りなおして、ダドリーは引きつり笑いで頭を掻いた。「そっ、それは、ちょおっとマズイんじゃないかな〜?」
(やるな。ヒース……)と舌を巻きつつ、これ以上、世間様に言い触らさぬよう、無邪気な女児をたしなめる。
「そんなこと言ったら、ママが怒るぞ〜?」
 むしろ修羅場だ。
 きょとん、とマリーベルはまたたいた。
「マリーベル、ママなんて、いないもん。あかちゃんの時、しんじゃったって」
 とっさにダドリーは言葉を呑んだ。
「……そ、そっか」
 たじろぎ、少女から目をそらす。ならばヒースは、ずっとこの子を、男手一つで育てているのか?
 怪訝そうな少女に気づいて、あわてて話の矛先を変えた。「あ、いや──けど、コリンのパパが怒るだろう? そんなことしたら」
 決闘だ。
「コリンのおうち、パパいないよー?」
「……へ?」
「マリーベル見たことないもん。コリンのおうち、ママとばあばしか、いないもん」
 母親が親と同居しているということは、夫とは死別したか、元より未婚の母なのか、いずれにせよ、ヒースと彼女は独り身同士という話か?
「な、な〜んだ! だったら、何も問題なし!」
 なはは、と心置きなくダドリーは笑った。マリーベルは「変なダド」と怪訝そうに顔をしかめている。
 ようやく事情が飲み込めた。コリンを自然に呼びつけた、ヒースのあの気負いない態度も。
 ヒースは隣家と家族ぐるみの付き合いがあるのだ。独り身どうし助け合い、互いの家庭に欠けたものを、それぞれ持ちより補いながら。いや、マリーベルが母親を失くしたのが赤子の時分というのなら、もはや、ひとつの家族も同然かもしれない。
 で? とダドリーは乗り出した。
「コリンのママって美人?」
 あのクールなヒースの想い人。どんな相手か気にかかる。
 マリーベルは目を輝かせてうなずいた。
「コリンのママ、領邸のメイドさんだったもん」
 へー、とダドリーはまたたいた。なるほど、ここの領主は面食いだ。
 腹ばいになっていたマリーベルが、頭を起こして立ちあがった。コリンに対する愚痴をぶちまけ、もう気は済んだらしい。
 ちら、とダドリーは横目で見た。
「あー! 暇だ暇だ退屈だー。退屈すぎて死にそうだー!」
 にっこりマリーベルを振りかえる。
「って、お父ちゃんに言っといてくれるかなー?」
「うんっ! 言っとく〜!」と窓の外から声がして、小さな足音が駆け出した。
 
 今のところ番兵に、バウマンと親しげな様子はない。
 息がかかっているようには見えないが、まだ油断は禁物だ。
 そして、ヒースはまだ来ない。今日も今日とて話し相手は、小さなお姫さまマリーベル。ダドリーは苦虫噛みしめる。
(たく、無視かよ〜。あのすかしメガネが〜!)
 よーし。こうなったら! とコキコキ肩と首とをまわして、すう、と息を吸いこんだ。
「マリーベルはかっわいーなーっ! すんげえ、この子かわいいなあっ! もー! 食っちゃいたいくらいぃぃっ!」
 通風孔から覗き込んでいたマリーベルが、左右の耳に指を突っこみ、顔をしかめて立ちあがった。「もー。ダド、うるさい〜。そんなおっきい声で言わなくっても、マリーベル聞こえてるよ?」
マリーベルはかっわいーなあーっ!
 お構いなしで、ダドリーは続ける。
「──もうっ! ダドのばかっ!」
 マリーベルがふくれて立ちあがった。「マリーベル、もう帰るっ!」
「あ、そ? じゃあなっ!」
 バイバイ、とその背に手を振って、しばし待つこと十分後。
 地下通路の石壁に、バタバタ乱れた靴音が、あわただしく響き渡った。
 通路側の鉄格子の向こうに、男が血相変えて転げ出る。
 あぐらで座ったダドリーは、笑って、ひらひら手を振った。「あっ。おっひさぁ〜。やだなー。すぐに来られんじゃないのぉー」
「あああああんたの所に、うちの娘はもうやらんっ!」
 はーはー肩で息をつき、男は前のめりで踏ん張っている。まなじり吊りあげた青の軍服。険しい形相のオールバックが額にしなだれかかっている。
 国境警備隊の副官ヒースは、つばを飛ばしてまくし立てた。
「娘はぜったい、やらんからなっ!」
「……わかってる」
 ダドリーは肩を引き、たじろぎ笑う。「今からそんなんで、嫁にやる時どーすんの」
「いいんだっ! 絶対嫁になんかやらんからっ!」
 断じて断じて断じてなっ! とぎりぎり奥歯を食いしばって唸り、ぐぐぐっと拳を硬く固める。
「で?」と後頭部で手を組んで、ダドリーは壁にもたれかかった。「ちょっと薄情なんじゃないの〜。俺が待ってんの知ってるくせに」
「──忙しかったんだよ、色々と」
 ヒースは渋面を作って膳を拾う。ズボンの隠しを探りつつ、よっこらせ、と腰を降ろした。「見つからなくてな、浮浪者が」
 箱を振って煙草を勧め、自分も一本、口にくわえて、思わせぶりに目をあげた。「牢番がこっぴどくやられたのを見て、ビビッて、ここを引き払ったらしい」
 事情が分かった、とヒースは続けた。
 牢番を浮浪者がしていたのは、どうやら、バウマンの差し金らしい。塔に住みつく浮浪者に目をつけ「言うことを聞かねば、ここから追い出す」と行く当てのない彼らを脅し、ただ同然で働かせていたのだ。そのささやかな報酬が、大袋に入った廃棄されたパン。ちなみに、配膳の都度、出てきたスープは、世話をしていた牢番が、自らの食事を削り、分け与えていたものらしい。
 ダドリーは真顔で眉をひそめた。「それで、じいさんは、今どこに」
「わからない」
 ゆっくり紫煙を吐きながら、ヒースは首を横に振った。「どこかに連れていかれて、それっきり、だそうだ」
 鋭くヒースは一瞥を投げる。「そんなに牢番が気になるか?」
「俺が反応しなければ、あんなにひどい目にあわずに済んだ」
 ダドリーは顔をしかめて奥歯を噛み、だが、息を吐いて首を振った。吹っ切るように、視線を戻す。
「そういえば、どうなった? カーシュたち」
 ヒースは面食らった顔で口をつぐんだ。
 問い返すように片眉をあげ、ふと気づいた顔で、思い出すように天井を見る。「──ああ、一緒にいた賤民どもか」
「そういう言い方をするなよ、ヒース」
 ダドリーは腕組みで顔をしかめた。
「あいつらは賤民なんかじゃない。むしろ、順応力なんか、よほど高いぜ。聞いて驚け。俺なんか親友マブダチが、連中を率いるかしらだぜ?」  
 ああ、そうですか、とヒースは白けた顔でそっぽを向き、天井に向けて紫煙を吐いた。「あの後、一人捕らえたが」
「一人だけ?」
「他は全員逃げられた。連中、獣なみに素早くてな。もっとも、捕まえた奴にも脱獄されたが」
 やれやれ、と首をまわして、投げやりに頭を掻いた。
「仲間が迎えにきたようでな。監獄の鍵があけられて、そばで番兵が伸びていたらしい。たく。どうせ脱獄するんなら、一緒に逃げときゃ良かったものを。わざわざ座りこんで捕まったくせに」
「……ふうん」
 ぼやく相手に気づかれぬよう、ダドリーは素早く唇を舐める。
 で? とヒースの顔を見た。
「いい女?」
「──なんだよ、お前。やぶからぼうに」
 嫌な予感が走ったか、ヒースは身を引き、嫌そうな顔。ダドリーは思わせぶりに、にんまり笑った。
となりの奥さん、、、、、、、
 ヒースは一つまたたいて、絶句したように固まった。
 紫煙を吐いて、苦笑いする。「──すこぶるつきのな」
 光あふれる通風孔に、ゆっくり視線をめぐらせて、ヒースはまぶしそうに微笑んだ。
 
 
 幸いなことに番兵は、袖の下が通じる相手だった。
 品が届くまで時間はかかるし、手数料は高いものの、使い走りには応じてくれる。むろん、支障のない範囲で、という条件つきだが。
 具体的には、刃物は不可。便箋も不可。仲間と脱獄の相談をしかねない筆記用具の類いも不可。娯楽雑誌や新聞は可。包装紙はその場で回収。
 番兵の上官はバウマンのはずだが、この気怠そうな若者には、忠誠を誓う気などないらしい。半ば予期していたことではあるが、日に一度、嫌みを言いにくる指揮官殿は、部下に人望がないらしい。ちなみに、番兵に頼める物品は、戸板の下に隠せるものに限られる。
「……あれ? お前。もう来ちゃだめって、お父ちゃんに言われなかった?」
 ヒースが顔を見せた次の日の午後、やはり少女はやってきた。
 戸板の上に寝転がり、壁を蹴っていたダドリーは、怪訝な顔で窓を見る。
 光あふれる通風孔から、あのね、と少女は覗きこみ、にっこり牢内に笑いかけた。「ダドに、いいこと教えてあげようと思って!」
「──へえ。いいこと? なになになに?」
 ダドリーは興味津々起きあがる。そう、この少女は前回も、とんでもないネタを暴露していったのだ。
 すっかり気を良くしたようで、マリーベルは上機嫌で話し出した。「あのね。マリーベル、きのう、森でね──」
「森〜?」
 ダドリーは聞き咎めた。「だめだろ、森は」
「……だって」
「だってじゃない。お前はまだ小さいんだから。お父ちゃんにも言われたろ、門から外には出ないようにって」
「でも、マリーベル」
「あっ! さてはお前、しょっちゅう森に行ってるな?」
 顔をしかめて、めっと叱る。
 口を尖らせ、マリーベルはふくれた。「だって、白いお花、森にしかないもん」
「お花〜? 花なんか、そこらにいくらでもあるだろ」
「森にしか、ないもんっ! 白いのはっ!」
「白でなくてもいいじゃんか。あ、門のとこに、黄色いのあったぞ?」
「だめなのっ! 白でなくちゃ!」
「……もー。マリーベル」
 思わぬ頑固さにほとほと弱り、ダドリーは渋い顔で腕を組む。「女の子の一人歩きは危ないんだぞ? 外は色々物騒だし」
「ぜったいぜったい白でなきゃだめなのっ! だって、パパがかわいそうだもん」
「──パパが?」
 ダドリーは面食らった。
 なんでヒースが? と話の飛躍に首をかしげる。じれったそうにマリーベルは続けた。
「コリンのママにあげるんだから、白でなくっちゃ、だめなんだもん! だって、コリンのばあばが言ったもん! 白いのって! もっといっぱい、お花がいるの! いっぱい、いっぱいお花がいるの! まだぜんぜん足りないの! だから、コリンのママ、お空から、、、、帰ってこれないの」
「……え?」
 とっさに意味がわからない。
「マリーベル、知ってるもん。夜にパパ、泣いてるの」
 ダドリーは鋭く息を飲んだ。
 ようやく話を理解して、冷たい塊が胸に落ちる。思わず、手の平をかたく握る。
「──花なんか、やったって」
 死んだ者は、戻ってなどこない!──やり場のない苛立ちが、喉元まで突きあげる。だが、あどけない少女の真剣な顔が、懸命に睨む曇りない眼(まなこ)が、激情の噴出を許さない。
「……ごめん。なんでもないよ」
 唇を噛み、苦々しく目をそむけた。こんな幼子を前にして、言えるような言葉ではなかった。だからこそ、コリンの祖母も返事に窮して、ひとまず、そう言ってなだめたのだろう。まだ「死」を理解しない子供らの質問攻めを。
 嫌な動揺を誤魔化して、戸板の上に寝転がる。「──あー。えーと──なんの話してたんだっけ」
 水をさされたマリーベルは、だから〜! とふくれた。「マリーベル、森でおじちゃんに会ったんだってば!」
「──ふーん。あっそー。よかったねー……」
 いつもどこか飄然としたヒースの顔が脳裏をよぎった。
 窓からの光を眺めていた、うっすら微笑んだ横顔の輪郭──。
「……ダド、つまんない?」
 ふと、気づいて振り向けば、マリーベルが強ばった顔で見つめていた。
 ずっと語りかけていたらしい。その顔はうるうる涙目。心ここに在らずの態度に傷ついたらしい。
「あっ?──ご、ごめんな、ごめんな、マリーベル!」
 あわてて、ごろ寝から起きあがる。
 急いで接ぎ穂を思い出し、媚び笑いで水を向ける。「ああっと──おじちゃんって、どのおじちゃんかな〜?」
 猫なで声でご機嫌とるが、少女は泣きだしそうに「へ」の字口。「だからあ〜。あのおじちゃんだってば!」
「あ、いや、でも──あの、って俺に言われてもさ」
 彼女とご近所を共有していないダドリーは、引きつり笑いで頭を掻く。
「ほらあ! ダドも知ってるでしょー?」
 マリーベルがじれったそうに顔をしかめた。「のっしのっし歩くクマさんみたいな、おじさんだよ! 頭がぼっさぼさで、まっかっかで!」
「──まっかっかな、ぼさぼさ頭?」
 ダドリーは鋭く息を飲んだ。「それってまさか……カ……カ……」
 あんぐり、わなわな口をあける。
「カーシュ!?」
「しらない! もういい! ダドのばかっ!」
 指さしたのと、ぷい、と顔をそむけたのが、同時だった。
 短いスカートの裾を払って、マリーベルは立ちあがる。機嫌を損ねた少女の足が、バタバタ彼方へ駆けていく。
 昼下がりの牢獄に、夏の風が吹きこんだ。
 少女がいなくなった通風孔から、夏の日ざしが射していた。うららかで、あたたかな──
「……やっと」
 我知らず喉を通ったその声は、ほんの少しだけ掠れていた。
 牢獄の湿った石壁を、見るともなくダドリーは見つめる。その口元が、にやり、と不敵に笑みを作った。
「やっと、流れがこっちにきたか」
 
 
 

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