■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話6
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まだ幼い二人の子供は、頑として譲らなかった。
唇をかんで顔をゆがめ、首を横に振り続けた。
見るも無残な轢死体を、覆い隠してしまったことが災いしたか、彼らは未だに受け入れることができずにいる。
母と慕うその人は、街角を急に曲がってきた、馬車にひき逃げされたという。
木立の影が長く伸びた、春の終わりのことだった。
戸板の上にあぐらをかき、床の一点を見つめたまま、ダドリーは口を挟まず聞いていた。
昼さがりの、ほの暗い地下牢、内と外とを冷たく隔てる鉄格子の向こう側で、ヒースは煙草をくゆらせる。
ダドリーはためらいがちに口をひらいた。「──悪い。俺、そういう事情知らなくてさ」
あぐらで膳に座ったヒースは、微笑って、ゆるく首を振る。気まずい沈黙に耐えかねたのか、さばさばと身じろいで煙草をくわえた。「幼なじみでな、俺とカレンは」
夕陽が山端に落ちるまで、毎日一緒に遊んでいたという。幼い子供の戯れながら、結婚を誓い合ったこともある。
だが、成長した二人はやがて、別々の道に進むことになった。ヒースは入隊して商都に赴き、地元で評判の器量良しだったカレンは、使用人として領邸に仕えた。
それから短くはない歳月が流れ、赤子を連れて故郷に戻ると、カレンもやはり未婚の母となっていて、仕立物を引き受けて生計を立てつつ、つましく男の子を育てていた。幼子をかかえる片親どうし、再び親しく付き合うようになるまで長い時間はかからなかった。
あぐらの靴に両手を置いて、ヒースは気怠そうに紫煙を吐く。
「まさか事故にあうとはな。領邸に戻って、これから暮らしも楽になろうかって時に」
ふと、ダドリーは目をあげた。
促す視線に気づいたか、ヒースは困ったような笑みで頬を掻く。「事故にあう少し前だったか。実はちょくちょく見かけていたんだ、カレンが秘書官と話しこんでいるところを」
「秘書官と?」
ダドリーは息を飲んで向き直る。
「ネグレスコか」
ヒースが思わせぶりに片眉をあげた。「親しいんだな、秘書官殿と」
のん気な揶揄に、ダドリーは苛々と舌打ちする。
「親しくはないが面識はある。傲慢で欲深い野心家だ。だが、頭は切れる。そんなことより用件は! 領邸の秘書官が何の用で」
「──だから、打診だろ、復職の」
ヒースは面食らったように顔をしかめた。「人手が足りないんだろ、領邸も。ほら、そういう時には、勝手知ったる何とかって言うだろ」
ダドリーは眉をひそめて口をつぐんだ。どれほどおかしなことを口にしたか、ヒースに自覚はないらしい。
呆気にとられた相手の顔に、ヒースは居心地悪げに目をすがめた。「──なんだよ」
「なんでも」
ダドリーはあいまいに目をそらす。「──それで、どうすんの、コリンの坊主は」
煙草の手だけをあぐらから伸ばし、ヒースは指先で灰を落とした。
「俺が引き取ろうと思ってる。今はカレンのお袋が見ているが、あの人もいい年だしな」
「いいの? あんたはそれで。育てるつもりかよ、他人のガキを」
「他人じゃない、カレンの子だ」
不躾な物言いが気に障ったか、ヒースは眉をひそめて首を振った。「第一コリンは、元々俺の息子みたいなものだ」
ふうん、とダドリーは意外そうに見る。「人がいいんだな」
「──なんだよ、その顔は」
ヒースは苦々しげに舌打ちし、後ろの通路に両手をついた。
俺たちは、うまくやっていた──そう言い、背中に頭を倒す。「本当に、うまくやっていたんだよ、カレンと俺と子供らは。──俺たちは、家族だった」
「なんで、一緒になんなかったの?」
壁にもたれて足を投げ、ダドリーは天井に紫煙を吹く。「ああ、死んだ奥さんに気兼ねして?」
「生きているよ、マリーベルの母親は」
子供が物心つく前に、商都で離縁したのだという。
彼女はいわゆる良家の子女で、上司が持ってきた縁談だった。華やかな商都で育った彼女は、西の端のトラビアに「都落ち」した夫について、転居しようとはしなかった。
ダドリーは怪訝にヒースを見る。「家を出たのか、子供を残して」
親権を争い、揉めそうなものだ。
「まあ、邪魔だったんだろうな、新しい生活には」
物言いたげな相手の様子に、仕方なさげにヒースは微笑った。「彼女はそういう女だから」
短くなった利き手の煙草を、顔をしかめてダドリーは見る。
「だったら、あんたも、所帯をもてば良かったじゃんか。手のかかるガキを抱えているなら、その方が楽だろ、お互いに」
「求婚したさ、俺だって」
ヒースは途方に暮れたように天井を眺めた。
「その方が良いと思ったし、実際それが自然だった。カレンには、ほんの赤ん坊の時分から面倒を見てもらっていたから、マリーベルも慕っていたし、今や母親も同然だった」
だが、彼女は頑として拒んだのだという。問い詰めても謝るばかりで、理由を聞いても、はっきりしない。
「俺には言いたくないことがあるようでな。だが、まあ、誰にでもあるか、隠し事の一つや二つは」
「……そっか」
そう言いながらも、ダドリーは眉をひそめた。その腑に落ちない表情には気づかぬようで、ヒースは苦笑いして紫煙を吐く。
「けど、駄目なんだよな、男親は。マリーベルが泣き出しても、理由がまるでわからない。恐がっているのか、悲しいのか、あるいは、どこか痛いのか。──参るよ。夜中にいきなり泣かれても、俺には、どうしてやることもできなくて」
大儀そうに肩を起こして、あぐらの靴に溜息を落とす。
「コリンのすることなら、ある程度はわかるんだがな。あのでかい瞳でじっと顔を見つめられても、何を考えているのか、さっぱりで。正直どう扱っていいのか、わからなくてな、女の子は」
「かわいそうだってさ」
ふと、ヒースが目をあげて、怪訝そうに見返した。
「あんたのこと、マリーベルが」
壁を枕に寝そべって、ダドリーは天井に紫煙を吐く。目だけを真顔で振り向けた。「ヒース。あの子はしょっちゅう、森に行ってる。あの日だけのことじゃない」
薄暗い通路の天井に、紫煙が薄く立ち昇った。あぐらにゆるく腕を置き、ヒースは穏やかに目を向けている。特別驚いた様子はない。事情は知っていたらしい。
「白い花を摘みに行ってる。コリンの母親にやるために」
体が痺れたような鈍い動作で、ヒースはのろのろと顎をぬぐう。「……うん。そうだな」
「信じているんだ。そうすれば、いつか、戻るって」
「──本当に」
疲れたように目頭を揉んで、ヒースは天井に微笑んだ。
「そうだったら、いいのにな」
壁にもたれた指先で、くるっ、くるるっ、とペンが回る。
天井を走る光彩を睨み、ダドリーは口を尖らせていた。
「──領邸の関係者、か。確かに、ありそうな話ではあるな」
今は亡きコリンの母親。ヒースの求婚を拒み続け、馬車に轢かれて死亡した。その前に、領邸の秘書官が接触していた──。
据わりの悪い違和感があった。
気丈に振る舞うヒースを前に、指摘するのは憚られたが、彼が語ったあの話には、領邸の日常を知る者なら誰しも、首を傾げざるをえない奇妙さがあった。
彼女が領邸を辞したのは、七つのコリンが生まれる前年。それが今になって、領邸の秘書官が会いにきた──?
ありえない──いや、そこまでは言わないにせよ、これは凡そ考えにくい話だ。
領邸の使用人と秘書官とでは、職域が大きく異なる。どちらも職場は領邸内だが、政務に携わる秘書官は、領主に次ぐ多忙さだ。まして、このトラビアは、他国と領土を接する国境。内政ばかりをみていては足らず、外部の動向にも、常に神経をすり減さねばならない。
仮に、使用人と個人的に親しい者がいたにせよ、あのネグレスコに限っては、色恋にうつつを抜かすことなどありえない。彼はそうした類いの人間ではない。むしろ、周囲で立ち働く使用人など、人とも思っていないだろう。
領邸の秘書官は閑職ではない。そんな男が出向いてきたというのなら、よほど重大な用件だ。そこには看過しえぬ何かがある、おそらくは外聞をはばかるような──だからこそ、使いの者も寄越さずに、わざわざ自ら出向いたのだ。
秘書官の用向きとは何だったのか。使用人絡みで問題になることといえば、まず考えられるのは窃盗だろうか。
高価な調度品の紛失が今になって発覚したのか。だが、家政は執事が扱う範疇だ。秘書官自ら仕切るとなれば、何か外向けの事由だろう。対外的に障りのある書類の類いでも持ち出したのか。さもなくば──
ダドリーは眉をひそめ、天井でゆれる光を睨む。
「……一体、何を見聞きした」
執務室の扉の陰で。
そう、早すぎた彼女の死が、事故ではなく事件だとしたら──。
ふと瞬いて、顔をあげた。
窓からの光が、かげったのだ。見れば、何かで通風孔がふさがっている。ごそごそ動く気配と物音。
ひょい、と幼い顔が出た。
「──あっ? なんだよ、お前。薄情じゃんか」
ダドリーは顔をしかめて肩を向けた。「ぜんぜん顔、見せないでよ〜」
「だって、ぼく、忙しかったんだ、お仕事で」
一人前の言い草で、コリンは肘を突いて腹ばいになる。
(……子供が仕事?)とダドリーは瞬き、マリーベルのふくれっつらを思い出す。「──ああ、王様ごっこって奴か」
「うん! ぼくが王様なんだ!」
コリンは得意顔でうなずいた。
そういえば、マリーベルは、あれから一度、顔を見せたきりだった。その理由は何となく分かる。
父親のヒースが、このところ毎日のように顔を見せていた。つまり、オオカミのいる監獄に、か弱い愛娘が近づかぬよう見張っているのが、もうミエミエ。
そして、今日の訪問者は、近ごろ久しいあの男児だった。
「どんなことすんの? 王様って」
水を向けると、コリンはたじろいで小首をかしげた。「あ、えっと、それは……」
「書類仕事?」
「しょるいしごとって?」
「だから、署名の真似事──って言っても、お前にはまだ、わかんねえか」
そうだなあ、と頭を掻いて、ダドリーは少し考える。「紙に、お前の名前を書くのか?」
「そう! 書くんだ! 紙に名前を!」
コリンは大きくうなずいた。顔をしかめて、片手を振る。さも「仕事のしすぎで手が痛い」というように。
ダドリーはすくい上げるようにコリンを見た。「戦争ごっことかは、しないんだよな?」
「しないよ、そんなの」
コリンは嫌そうに顔をゆがめた。「名前を書くのが、お仕事なんだ。だから、今日もいっぱい、書いたんだ」
「だったら入れてやれよ、マリーベルも。友だちだろ?」
「──そうだけど」
とたん顔を強ばらせ、コリンは口を尖らせる。「でも、だめだよ、マリーベルは。女の子だもん」
「そりゃ、男どうしの付き合いも大事さ。けどな」
腕を組んで、ダドリーは諭す。「だめだろ、約束すっぽかしちゃ。マリーベル怒ってたぞ?」
だって、とコリンは不服顔。ダドリーは真顔で目を向けた。
「コリン。一度した約束は、何があっても、必ず守れ。軽々しく破っちゃ駄目だろ。他人に言った言葉には、責任ってもんがあるんだぞ。お前はもう、七つだろ」
王族や領家の子弟であれば、処罰される年齢だ。民に向けて発した言葉は「子供のしたこと」では済まされない。そうした身の処し方を、ダドリーも幼少のみぎりから、叩き込まれて育ってきた。
「とりに行こうって言ってた花、ママにあげる奴なんだろう」
コリンがひるんで目を泳がせた。
ぷい、と視線をよそにそらす。「──いいんだ、そっちは」
「よくないだろ。せっかくマリーベルが一緒に」
「いいんだってば! もうすぐママ、帰ってくるから!」
え? とダドリーは面食らった。
コリンは拳を握って訴える。
「だって、ママが言ったんだ! いい子にすれば、すぐ戻るって! だから、がんばってお仕事すれば、ママもすぐに帰ってくるんだ!」
ぷい、とコリンが、踵を返して駆け出した。
壁から知らず乗り出した肩を、やれやれとダドリーは戻す。まったく子供という奴は、少しもじっとしていない。今、そこにいたかと思えば、すぐにいなくなってしまう。
頭の後ろで手を組んで、コリンのこわばった顔を思い起こす。
「至難の業だな、あれを納得させるのは」
挑みかかるような幼い顔。その瞳が言っていた。自分はまだ諦めないと。大人たちが諦めても、決して降参しないのだと。
もやもやと胸がふさぐ。あの姿が脳裏をよぎった。ひっそりとした緑の森で、ひとり花をつむ少女。まだ、たどたどしい足どりの。あの幼い少女も又──
ダドリーはやりきれない思いで目を閉じた。白い花を摘みに行く少女が、老婆の誤魔化しを信じたように、コリンもまた信じているのだ。自ら編み出した方法で、母親を必ず取り戻せると。
彼らは信じて疑わない。彼らの淡い世界では、それが唯一、筋の通る解釈だからだ。
子供たちは、それなりに、世界をゆがめて受け止める。人が死ぬということが──昨日までそばにいた人が、消えてしまうということが、どうしても納得できないから。
これまでの生涯の体験を、ありったけ掻き集め、幼いなりに考える。泣いてもわめいても駄目ならば、どうしたら我が意を通せるか。
そして各々、これと信じる有効な手立てを実行に移す。
そして、じっと待ち続ける。それぞれの方法で。子供なりの理屈をつけて。かたくなに。ひたむきに。走り去った少年の、歯を食いしばったかたくなな横顔──はっ、とダドリーは背を起こした。
「……やっぱりだ」
いささか呆然と窓を見る。通風孔の向こうには、夏の青空が広がっている。
のろのろと顎をなでた。
「あいつ、誰かに似てるよな」
ふとした拍子によぎる表情。その都度、掠め去る薄い記憶。
ずっと前から、よく知る誰か。幼子に宿る、よく知る面影。あれは一体誰だったか──。
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