CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話7
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「なんだよ、つれないじゃん」
 壁を枕に寝そべりながら、ダドリーは口を尖らせて文句を言った。
「なによ、昨日はどしたのよ」
 よう、と通路に現れたヒースは、隠しを探りつつ背を折って、床から膳を取りあげた。
 薄暗い通路に、溜息まじりに座りこむ。「そう言うなって。こっちだって忙しいんだ」
「なんで、そんなに忙しいのよ」
「──あのな。日がな寝転がってるあんたと違って、俺には日々の仕事があるの。マリーベルの世話だってあるし、飯も作らにゃならないし。あんたばかり構ってるわけにはいかないの」
 顔をしかめ、愚痴まじりに煙草をくわえる。
 嘘というわけではなさそうだった。今日のヒースは血色が悪く、うっすら隈まで目の下にある。寝不足らしく頬はこけ、オールバックできめている髪も、今日は何気に乱れ気味。いわく、仕事の合間に調べものをしていたとか。
 へえ、とダドリーは興味を引かれて身を起こす。「具体的には?」
「監獄の状態を見てまわっていた」
 特に、収監者の食事内容について。
 結論から言えば、それはひどいものだった、という。
 鉄格子から手を出して、煙草とマッチを受けとりながら、つまり? とダドリーは水を向ける。ヒースは面白くもなさげに紫煙を吐いた。
「横領だろ」
 ぶっきらぼうに言い捨てる。「よくある話だ。さもありなん、だな」
「つまりなに。監獄の運営費用を、誰かが懐に入れてたっての?」
「監獄の所長はすべて、指揮官殿の兼任だ」
「てことは、着服してたのって、あのバウマン?」
「何だってできるだろうさ。なにせ決裁者だ」
「いや、領主だろう、決裁は」
 皮肉な口調で放られた話の軌道を修正し、ダドリーは思案げに顎を撫でる。「ざっと見積もっても、食費、人件費、街中の獄舎の保全維持、運営費用は莫大だ。一任するには規模がでかい」
 ふと、眉を曇らせた。そうなれば当然、横領は、領主も了承済みということになる。ならば、やはり、
 ──グル、、なのか?
 向かいのヒースには悟られぬよう、ダドリーはそっと嘆息する。
 その話題のバウマンは、ふっつりと顔を見せなくなった。
 それまでは日に一度、気まぐれにやってきていたが、嫌みを言うのも飽きたらしい。もっとも、今となっては、どうでもいいが。
 そう、あんな俗物のことなど、どうでもいい。
 あとは、ただ待つだけ、、、、だった。手は、既に打ってある。
 なあ、とヒースに目を向けた。「それで、あのじいさんは? ほら、ここの牢番してた──。見つかった?」
「いや、まだだ」
 ヒースは苦い顔で首を振った。おそらく大怪我を負ったのだろう浮浪者の老人も捜したが、やはり、行方は知れないという。
 鉄格子越しの薄暗い通路で、ヒースは紫煙を吐いている。めがねを外して目頭を揉む、普段より険しい横顔を、ダドリーはつくづく眺めやった。
「なあ。俺たち、前に会ってない?」
 なんだよ、急に、とヒースは顔をしかめて面倒そうな顔。
 ダドリーは腕を組んで首をかしげた。「やっぱり、あんたも見たことあるわ俺」
 吐き出す紫煙に紛らせて「も?」とヒースは訊きかえす。「見たことある奴が、他にもいるのか?」
「そうなんだよ。見た気がするんだよな〜、コリンの顔も」
「──なんだ、いい加減だな」
 ヒースはあきれ顔で肩をすくめた。「コリンはただの街のガキだぜ。あるわけがないだろ、領主のあんたと知り合いだなんて」
「俺、人の顔覚えるの得意だぜ?」
 ちら、とダドリーは目を向けた。「やっぱ俺、自信ある。絶対俺たち会ってるって」
「悪いが、俺の方には覚えはないね」
 気怠そうに身じろいで、ヒースはつれなく片手を振った。「あのな。こちとら、トラビアの副官風情だぜ。あんたみたいな雲の上の存在とは、接点ってもんが端からないだろ」
「まあ、そう言われれば、そうなんだけどさ」
 だから、わかんないんだよな〜、とダドリーは解せない顔で首をかしげる。
 じっ、とヒースの顔を見た。
「あんたさー、うちの子になんない?」
 はた、とヒースが動きを止めた。「……あ゛?」
「俺、あんたみたいな奴、やっぱ好きだなー。マリーベルちゃんと クレストうちにおいでよー」
「てめっ! きさまっ! やっぱりかー!」
 たちまち額に青筋が浮かぶ。
「きさまやっぱりうちのマリーベルに目ぇつけてたな!? つか、親の俺にまでちょっかいかけるとは一体どういう了見だっ!」
「ち、ちがうちがう。話を聞けって。そっちはおまけで、引き抜きたいのはあんたの方──」
マリーベルは絶対に渡さんっ!
 今にも食いつきそうな勢いで、ふるふる拳を握っている。先日、危険人物と見なした領主を、根っこの部分では信用していなかったらしい。ちなみに、こと話に娘が絡むと、人が変わるので要注意だ。そして既に、冷静さなど、かけらもない。
「やー。マジで、うちの人員に欲しいと思って」
 ダドリーはたじろぎ笑いで後ろ頭を掻いた。
「冗談ぬきで、あんた、なんで、国境の警備員なんかやってんの?」
 おそらくヒースは腕が立つ。ふとした身ごなしから、それは分かった。ちょっとした気配にも、素早く耳を澄ましている。
 はたと正気に戻ったヒースは、あぐらで天井をながめやった。
「なんで、と俺に言われてもな」
 国境警備隊の主な職務は、出入国審査と事務手続きに当たる審査所の警備、周辺の巡回等が専らで、不法入国者を取り締まり、逃亡の際には、実力で阻止するくらいが関の山だ。いわば、軽装備の警邏に近い。
 国境には、正規軍ではなく、こうした準軍事組織を置いているが、これは武装した軍隊を配しては、隣国の誤解を招く恐れがあるためだ。
 もっとも、カレリア国は平穏で、警備隊の任務といっても、通り一遍の定常作業を日々こなしているにすぎなかったが。
 翻ってヒースを見るに、そんな他愛ない鄙びた組織で、体を持て余しているような人材ではない。立ち居振る舞い、ぬかりなさ、周囲への目の配り方、不意の襲撃にも怯むことのない揺るぎのない冷静さ──一言で言えば、優秀だ。本来所属する軍で鍛えたのだろうこの資質は、大規模な軍にいてこそ、活かされるべきものだ。そればかりか、大勢を束ねることのできる統率力さえ、この彼には備わっている。
 彼が部下から慕われていることは、確かめるまでもなく明白だった。
 先日、事を構えた際にも、街門を守る守備隊が、遅れて駆けつけたヒースを見つけ、ほっと一斉に表情をゆるめた。彼が来たから大丈夫、そういう顔を、彼らはしたのだ。夕暮れのあの光景だけで、日頃の関係を知るには充分だった。ヒースは部下からの信望があつい。番兵でさえ容易く裏切る、あのバウマンとは大違いだ。
 あの時、ヒースの登場で空気が変わった。流れさえ一転した。一瞬で優劣が覆された。
 機転、卒のなさ、統率力、どれをとっても、バウマンよりも器が上だ。ヒース本人に会いさえすれば、誰でもたちどころに分かるだろうに。
 常々抱いていたその疑問が、知らず口からこぼれ出た。「あんたほどの奴が、なんでナマズの下にいるんだ?」
「兵隊に上官は選べない」
 あぐらで煙草をふかしつつ、ヒースは気だるそうに肩をすくめた。「まあ、どこへ行っても、あんなもんだろ、上なんてものは」
「いや、いくらなんでも、あれはない」
 ダドリーは顔をしかめて舌打ちする。「あんなカスは、めったに見ない」
「そのカスを、組織の上に据えたのは誰だ?」
 ヒースは白けた一瞥をくれた。「人事は領邸の縄張りだろう」
 ダドリーは苦虫かみつぶして目をそむけた。
「軍事はラトキエの、、、、、管轄だ」
 昼でも薄暗い監獄の通路に、紫煙がゆるくたゆたった。
 古い塔の地下牢は、ひっそりと湿っている。西日射しこむ通風孔から、人の声が遠く聞こえる。
「──なー、ヒース」
 壁を枕に寝転がり、ダドリーは向かいを一瞥した。
「なんかあったろ」
 あぐらの先に腕を伸ばして、ヒースは通路に灰を落とす。「べっつに?」
「あー。そういうこと言うんだ?」
 じと目で、ダドリーは腕を組んだ。「俺たち、ダチだろ? 隠し事すんなよ」
「あんたは恩人じゃなかったか?」
「なんか騒がしいと思わない?」
 なんとなく──そう、なんとなく、外の空気があわただしい。
 ヒースは、そうか? と空とぼけた。明かすつもりはないようだ。
 そよ風吹き込む通風孔から、鈍く西日が射していた。物音の気配を探るべく、ダドリーは密かに目をすがめる。その目の端で、だったら、なぜ、とヒースを見た。目の下の隈、こけた頬。しかめっ放しの険しい面持ち。
 なぜ、そうもやつれている、、、、、、
 
 その晩のことだった。
 通風孔からの月光に、不意に影がさしたのは。
「よお、待たせたな」
 星空を背景に覗きこみ、人影は笑いかける。
 ダドリーは膝を立てて立ちあがり、男を仰いで不敵に笑った。
「ああ。マジで待ちかねた」
 
 
 

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