【ディール急襲】 第3部1章1話10

CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話10
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 円塔の螺旋階段を、ダドリーはどんどん降りていく。
 壁の細い狭間から、光がわずかに射している。反時計まわりに渦を巻く、古くいかめしい石段は、光さえも吸い込んで地の底まで続くようだ。
 カーシュも無言で後に続く。古い階段はやがて途切れて、灰色の石床が現れた。
 そこは、ひんやりとして無音だった。すべてが死に絶えてしまったように、塵ひとつ動かない。
 闇が静まり返っていた。円塔の最深部だ。
 壁に備えた燭台を手にとり、マッチで蝋燭に点火する。その乏しい灯りを頼りに、通路の暗がりを二人は進む。
 いくらも行かぬ間に行き止まった。左手にぽっかり空洞が、黒い口をあけている。
「どの辺りだ、ここは」
「地下だよ、城の」
 黒い洞に目を凝らせば、石壁に大きなアーチが穿たれていた。その先で、階段が天井へと伸びている。
 迷わずダドリーは足を向けた。アーチをくぐり、石の階段を登りきる。
 黒くいかつい鉄が張られた分厚い扉が現れた。ためらうことなく頑丈な扉を押しあける。
「お前、そんな無造作に!」
 あわてて肩を引き戻し、カーシュが素早く前に出た。「誰かいたら、どうすんだ」
 小声でたしなめ、だが、口をつぐんで目を凝らす。
「──なんだ、ここは。倉庫か?」
 がらんと壁のない、だだっ広い空間だった。
 積みあがった大型の木箱が、床を端まで埋め尽くし、闇に紛れて佇んでいる。
「貯蔵庫だよ、有事の際の。この城は古いからな。一階は貯蔵庫、入り口は二階って造りになっている」
「へえ。こんなの、今どき見ねえよな」
 闇に沈む貯蔵庫を突っ切り、向かいの階段へと足早に向かう。物珍しげに視線をめぐらせ、カーシュも連れの背に続く。「にしても、すげえ量だな」
「急な事態にも対処できる。仮に領邸を包囲されても、中の使用人くらいなら、十年だって養える」
 往く手を見据え、ダドリーは進む。
 階段をあがり、光射しこむ二階に出ると、カーシュが素早く追い抜いた。
 立ちはだかったその片手が、踏み込もうとした肩を制す。
「用心しろ、癖っ毛」
 天井の高い入り口広間だ。視線をめぐらせ、ダドリーもうなずく。
「ああ。どうも様子が変だ」
 壁一面の大窓から、鈍く夏日が射していた。
 天井の高い領家の居宅が、がらんと広く佇んでいる。
 城の古めかしい外観から一転、館の内装は豪奢だった。ガラス灯が天井できらめき、足元には、金糸があしらわれた分厚い真紅の絨毯が、隅々まで敷きつめられている。だが、二階にある入り口広間は、人影もなく閑散としている。
 これは奇妙な事態だった。使用人の姿がどこにもない。
 侵入を気取られた気配はなかった。窓の向こうの軍服も、日中の青芝をぶらつきながら、こっそりあくびを噛み殺している。もしや、どこかに集会している? いや、一人残らず招集すれば、領邸は機能しない。ならば、軍が領邸を封鎖した際、使用人に退去を命じたのか──。
「たく。どうなっていやがる」
「詮索は後だ」
 顎で促し、ダドリーは右手へ足を向ける。
「先に進もう」
 予期せぬ異状に胸は騒ぐが、階段のある廊下へ急いだ。考えこんでいる暇はない。どうにも都合が良すぎるが、誰にも出くわさないというのなら、それに越したことはない。
 手すりをつかみ、薄い階段を駆けあがる。目指す執務室はこの上だ。
 近づくにつれ、気が急いた。
 事態は刻一刻と悪くなる。速やかに領主を翻意させ、軍勢を商都から引かせねばならない。
 階段脇の壁の窓から、夏日がうららかに射していた。
 人影のない古い城は、何かの巨大な抜け殻のようだ。三階の踊り場に踏み込んだところで、カーシュが急に足を止めた。
「ひでえな、こいつは。どうなっている」
 戸惑い顔で立ち尽くし、辺りをしげしげと見まわしている。
 陽を浴びた赤絨毯に、ガラスが砕けて散乱していた。
 壁の窓が割れている。しかも、一ヶ所ではない。方々で窓が割れていた。そして、やはりというべきか、この階にも人影はない。
 あぜんとカーシュは窓辺に歩き、腰に手をあて、床を見る。「外から、石でも投げこまれたか」
「いや、違うな。石じゃない」
 ダドリーは眉をひそめて首を振った。
 石など、どこにも見当たらない。とはいえ、石に変わる物もない。ならば、何が窓を破ったというのか。
 恐ろしいほどの勢いで、窓を突き破ったのだろうことだけは想像できた。砕け散ったガラスの破片は、いずれも遠くまで飛んでいる。奇妙な事態が続いていた。使用人の不在、割られた窓──領邸で何が起きている?
 おい、とカーシュが、腕を引っ張り、注意を引いた。
「妙な匂いがしねえか?」
 顔をしかめ、怪訝そうに見まわしている。
 むっ、と鼻をつく異臭がした。
 領邸は広く、扉は多いが、出所はすぐに突き止められた。この廊下に面した一室だ。閉じた扉が並ぶ中、そこだけ薄くあいている。
 素通りできずに足を向け、その扉の前に立つ。いや、おそらく看過しえぬ事態だ。
「──たぶん、アレ、、だな」
 顔をしかめて顎をなで、カーシュが苦々しく舌打ちした。
 ああ、とダドリーも真顔でうなずく。何かが腐ったようなこの匂い、場数を踏まないダドリーにも、扉の向こうに何があるのか見当はついた。
 扉の取っ手をカーシュは握り、その肩越しに目配せする。
「あけるぞ。覚悟しろよ、癖っ毛」
 真夏の強い陽光が、あふれるように射しこんだ。向かい壁の一面の窓だ。
 胸が悪くなるような腐敗臭が強まる。
「──なんでえ、こいつは」
 先行したカーシュの背中が、ためらったように足を止めた。
 立ちはだかった背をよけて、ダドリーは怪訝に覗きこむ。
 やはり、面食らって足を止めた。
 光あふれる室内に、天井に届こうかというほどの、巨岩が黒くそびえていた。だが、驚いたのは、威容をたたえた石にではない。
 静寂に満ちたその光景は、どこか不吉で不気味だった。
 目を引く巨岩の足元に、こぶし大の物体が、ばらばらと大量に散らばっている。焦げたような黒色だ。この巨岩のカケラだろうか。いや、石とはまるで質感が違う。そもそもそれらは形がいびつで、それ以前に、二本の足がはえている。鉤爪がある鳥の足だ。
 干乾び、炭化した鳥だった。
 カサカサに乾いた死骸が、ばらばら一面に落ちている。あたかも巨岩に挑み、ことごとく敗れ去ったかのように。
 散乱する死骸の中に、ひとり巨岩が佇んでいた。破られた窓から射してくる、うららかな昼下がりの陽を浴びて。
 カーシュは一瞥をくれだけで、つかつか中に踏み込んだ。ガラスの砕けた窓辺に歩き、室内に視線をめぐらせて、巨岩の右手、部屋の奥へと足を向ける。
 ぶわっ、と何かが、そちらの方向で湧きあがった。
 ぶんぶん部屋中を飛びまわる、耳障りなやかましい羽音。蝿だ。
「ああ、いやがった」
 カーシュは足元の床を見おろしている。顔の前を飛びまわる蝿を、うるさそうに手で払い「来てみろ」と顎で呼び寄せる。
 ダドリーは戸口から踏み出した。「あったか?」
「ああ。ちょっとばかり、だがな」
 カーシュが苦々しげに見おろしていたもの、それは仰向けに横たわった遺体だった。
 どうやら男であるようで、黒いズボンに革靴を履いている。この近距離にいて、それだけのことしか分からないのは、遺体の腰から上の部分が、こんもりと覆われているからだ。炭化した鳥の死骸で。
 カーシュは靴先で、床の男を蹴転がす。
 ざわり、と死骸の山が崩れて、遺体の横顔が現れた。
 すでに半分白髪のまじった、やや長めの頭髪だ。白シャツの襟からのぞく首筋にしわがある。おそらく初老の年代だろう。この期に及んであやふやなのは、人相が判然としないからだ。
「この鳥どもに襲われた、ってことか?」
 腑に落ちなげに顎をなで、カーシュは遺体をしげしげと見た。
 つぶれたザクロを見るようだった。くちばしで肉をほじられでもしたのだろう。目鼻も口も区別できないほどの傷みようだ。メッタ刺しの刺し傷は上半身に集中している。
 無残な遺体に眉をひそめて、ダドリーは遺体の周囲をうろつく。「鳥がその窓を突き破って、集団で襲いかかったっての?」
 窓が一面、割れている。鋭角の破片が、窓辺の床に飛び散って──はっ、と既視感に顔をあげた。今しがた見た廊下の窓。あれも、外から飛びこんだ何かによって、やはりガラスが割れていた──。
「なんだ。こいつは青鳥じゃねえか」
 驚いたような呟きに、ダドリーは怪訝に振りかえる。「こんなふうに集団で、人を襲う鳥なのか?」
「馬鹿いえ。そんなの聞いたこともねえよ。何がそんなに鳥どもの癇に障ったんだか」
 きらり、と何かが、横たわった遺体の手の辺りで光った。
 ふと見咎め、ダドリーはやり過ごした視線を素早く戻す。炭化した黒山の中、遺体の左の手の辺り──硬質の光だ。何かの刃。
「ノミだ」
 手の辺りを覆っていた死骸の山を靴先で払う。「この男は彫刻家か」
 画家や彫刻家を寄宿させ、作品の制作を依頼するのは、領家では、ままあることだ。家人の肖像画や、広間に飾る装飾品などを依頼する。黒光りするあの巨岩も、そうした素材だったのだろう。
 背後を圧するその気配を、何気なくダドリーは振り向いた。
 人の背丈より大きな岩が、濡れたようにぬらぬらと異様な輝きを放っていた。作業に取りかかる前だったのか、巨石にはまだ、傷一つ付けられていない。
「……神の怒りにふれたか」
 そんな言葉が口をついた。
 鋭くガラスの割れた窓が、外から射しこむうららかな光が、打ち捨てられた廃墟の様を──日々を打ち砕いた神の怒りを、彷彿とさせたせいかもしれない。
 物言わぬ石は、昼の凪いだ陽を浴びて、神々しくたたずんでいる。疾走と絶望の果てにある、最期の審判であるかのように。
 足を踏み出し、書類の積まれた壁際の机へと足を向けた。ともあれ、遺体の身元を確認せねば。人が一人死んでいる。
 無造作に積まれた革張りの本を脇にどけ、散らかった机の上から、書類の束をとりあげる。
 それらの紙面に描かれていたのは、雑多なモチーフ、書きなぐられた女神のイメージ。あの巨岩でフェイト像を掘り起こそうとしていたらしい。そして、線の引かれた設計図。受注書の買い付け記録によれば、あの巨岩は「黒耀石」 産地は「ノースカレリア」となっている。彫刻家の名はサミュエル=ビーン。知らない名だ。
 手にした書類を机に戻し、ふと、ダドリーは眉をひそめた。
 もう一度、書類を引っつかむ。引っかかったのは発注者欄だ。当主の名が二重線で消されていた。その上に記された別人の名。
「……ネグレスコ?」
 あぜんとダドリーはその名を見つめる。あの秘書官の名ではないか。領邸に彫像を置くならわかる。なぜ、個人がそんなものを発注するのだ? いや、それ以前に──
 胸が騒いだ。
 見れば見るほど奇妙だった。制作を依頼したのは、確かに当主のニコラスだ。だが、彼を雇用した後、依頼主が秘書官に変更されている。あたかも、当主と入れ替わったように、、、、、、、、、
 激しく割れた一面の窓から、ぬるい風が吹きこんだ。
 窓枠に残ったガラスの破片が、鈍く西日を浴びている。当主の署名の上に引かれた取り消し線。じわり、とおののきが立ちこめる。
「死後二日ってところだろうな」
 苦い顔で遺体にしゃがみ、腐敗具合を見ていたカーシュが、顔をしかめて立ち上がった。「たく。気味が悪りぃな。どうなっていやがる」
 辺りを見まわし、顎先の汗を腕でぬぐう。
 手にした書類を机に戻し、ダドリーは開け放った扉に向かった。
「出よう。ここは後だ」
 彫刻家の怪死も捨て置けないが、今、事態は切迫している。
 すぐさまやってきたカーシュと連れ立ち、無残な部屋を後にする。
 がらん、と無人の館内は、夏日に気だるく静まっていた。
 人けのない領邸は、廃墟のように静謐でうつろだ。閑散とした廊下を進み、ダドリーは連れに目配せする。
「急ごう」
 執務室の場所は知っている。
 こんな所でもたつけば、どこから現れるか分からない。いつも何かと邪魔立てをする、あの嫌味な秘書官が。
 今、捕まるわけにはいかなかった。秘書官を介さず話がしたい。領主と直接話がしたい。一刻も早く領主に会いたい。なぜ、こんな真似を仕出かした──。
 閉じたままの廊下の窓に、西からの陽が射していた。床を蹴る視界の端を、居ならぶ窓が流れ飛ぶ。往く手に、見慣れた扉が近づく。
 胸に、鈍く痛みが走った。
 苦いものがつきあげる。苛立ちと切なさがない交ぜになって、叫びだしたい衝動に駆られる。足を止めてしまいそうになる。地位も義務も責任もかなぐり捨てることができるなら、どれほど肩が軽いだろう。
 扉は、どんどん近づいてくる。
 かつて語らった光景が、ふっと脳裏に浮かびあがる。光あふれる重厚な部屋。羽ペンの置かれた広い机、なめらかな革張りの大ぶりな椅子。肘をついた手を組んで、領主がほがらかに笑いかける。トラビアの領主が事務を執る部屋──。
「──ニック!」
 強く床を蹴りやって、執務室の扉を押しあけた。
 
 
 

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