CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話11
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 調度品の飴色が、鈍く日ざしを弾いていた。
 品のよい長椅子に、金の額縁の肖像画。薄くかげった執務室。
 カーシュが拍子抜けして足を止めた。
「留守みたいだな」
 窓を背にした重厚な机。二つならんだ決算箱。中には、既決と未決の書類。誰の姿も、そこにはない。
 ダドリーは右手を目で示す。
「こっちだ」
 階段が天井へと伸びている。
 部屋を横切り、片隅の階段を駆けあがった。
「この上階うえがニックの居室だ。仕事の合間に仮眠をとるから」
 おうよ、とカーシュもすぐさま続く。
 のぼりきった左は、書斎だった。いや、広い書庫というべきか。壁に据えた書見台。壁に無造作に立てかけた梯子はしご。天井に届く大きな書棚が、四方の壁を埋めている。
 おびただしい量の蔵書だった。ずらりと居並ぶ背表紙の分野は、風土、風俗、天文、地理、歴史、科学、産業、芸術、と多岐にわたる。町の者が好むような下世話な雑誌も混じっている。とはいえ、それらの収集が興味本位でないことは、きちんとなされた、それらの分類が示している。
 思えば、領主ニコラスは、どんな客にも話しかけ、気のきいた話術と笑顔で、巧みに客を楽しませていた。
 誰とでもすぐに打ち解け、相手の話を真摯に聞いた。この困難な役回りを、社交の場で、私的な場で、常に容易くやってのけた。そう、聡明さとは、生来具わった資質ではないのだ。
 書庫の向かいは、アーチ型にくりぬいた壁。その先には、絨毯の通路が続いている。
 室内の無人をダドリーは確認、書庫を出て、通路へ急ぐ。
 突き当りの居室に踏みこんだ。
 室内に視線をめぐらせて、天蓋のある寝台に近づく。そこには案の定、横たわった膨らみ。声をかけるべく目を据える。
 あぜん、とその場で棒立ちになった。
 絶句の脳裏をよぎったのは、単純な問い。なぜ放置されている、、、、、、、、、? そばに執事もいないのか、、、、、、、、、、、? 
 同じ疑問を、カーシュも抱いたものらしい。しん、と静まった部屋を突っ切り、扉を開いて、向こうを覗く。
「きてみろ、癖っ毛」
 肩越しに見やった表情が硬い。
 立ちすくんでいたダドリーは、呼ばれてようやく我に返り、隣室に消えた連れを追う。
 窓辺に置かれた揺り椅子が、うららかな陽を浴びていた。
 天井の高い、広い部屋。金の房飾りのタッセルで、どっしりとしたカーテンが留められている。凪いだ外光を浴びた部屋。なめらかな飴色の調度品。しん、と何も動かない。
 先のそれより一回り大きいであろう寝台の前で、カーシュは足を止めていた。薄絹の天蓋を、片手でよけて。近寄り、ダドリーも覗きこむ。
 眉をひそめて、首を振った。
「夫人と娘だ」
 しん、と寝台に横たわった二人は、胸で手を組んでいる。
同じ、、だな、さっきのアレと。こっちの方も、首と両手がまっ黒だ」
 カーシュは困惑顔で顎をなでる。「やばくねえか、、、、、、? この部屋」
「出よう」
 ダドリーは嘆息、重苦しい気持ちで引き返す。
 それにぶらぶら続きつつ、カーシュが合点したように窓を見た。「どうりで誰もいないわけだぜ。それで、、、封鎖したってわけだ」
 閑散と凪いだ昼さがりに、声がどこか虚しく響く。
 あけたままの扉から、先の邸主の居室に戻った。
 部屋の中ほどで足を止め、カーシュが怪訝そうに振りかえる。
「おい、とっとと出ちまおうぜ」
 ダドリーは先の寝台の前で、主の顔を見おろしていた。白い寝具に横たわる顔を。
「……そっか。俺が悪かった」
 頬をゆがめて苦笑い。「これじゃあ、来られるわけがないもんな」
「おい。なに笑ってんだ。不謹慎だぞ」
 カーシュが苦虫かみつぶしてたしなめた。「いくら親しい間柄だってよ」
「いや。今のは、そんなんじゃない。ちょっと思い出したことがあってさ。ああ、やっと思い出した」
 なぜ、あんなに領主になりたかったのか。
 くすくすダドリーは笑いつつ、目元をゆるめて主を見た。
「まだガキの時分から、俺は領主になりたかった。三男坊には望みなんかないのに、それでも領主になりたかった。あの頃の俺には、明確な行き先があった。けど、いざ、望みが叶ってみれば、利己と謀略が渦を巻くはかりごとの大海に乗り出せば、すぐに対岸が見えなくなった。すうっと目の前に霧がかかって、どんどん濃くなっていくように。ものすごい勢いで、どんどん、どんどん」
 カーシュは足を止めたまま、怪訝そうにながめている。ダドリーはがりがり頭を掻いた。
「最近わからなくなっててさ。俺、新米の駆け出しだから、周囲にいいように振りまわされて。古狸に小突かれて、目の前の事だけで手一杯で、いつもいつも無我夢中で。──どこへ行こうとしているのか、理屈では分かっていたんだ。それを言葉にすることもできる。けど、本当のところが、つかめていない。その実感がつかめない。ずっと、この手でつかんでいたはずが、知らない間にあやふやになってしまっている、それに、ある日突然気づくんだ。そんなもの初めからなかったように、空気に溶けて霧散して。けど、あわててたぐっても、捕まえきれない。それが自分で分かるから、じりじり焦って、苛ついて。なんか、すげえじれったくって。けど、今、やっと思い出した」
 息を吐いて、顔をあげた。
「ああ。はっきり手ざわりが戻った。どこへ向かおうとしてたのか、俺の船の行き先が。そうだよ。こんなに明確で、こんなに簡単で当たり前のことだ。──あんたが俺に教えてくれた。あんたがいたから、そう思った。俺も領主になりたいと」
 永久とわの眠りに就いている、当主を見つめ、語りかけた。
「ご苦労さん。あとは任せろ。後始末は俺がやる」
 しん、と静まった広い部屋が、白々と西日を浴びていた。
 白髪まじりの頭髪が、静かに横たわっている。領主の激務を一時離れ、体を休めたろうその居室で。
 下ろした手の平をゆるく握り、ダドリーは浅く息をつく。
 死に顔は、意外にも穏やかだった。今はそれだけが救いと言えた。この地を長らく治めた主は、堅実な手腕で国境を守り、民の安寧に心を砕いた。他人のために、ひたすら尽くした生涯だった。だが、最期は孤独で、こんなにも侘しい。
 彼の無念はいかばかりだったか。働き盛りの壮年で、まだまだ手腕をふるえたろうに。
 ああ、実にその通りだと、ダドリーはつくづく実感する。在りし日の彼の言葉を。
『 まったく運命という奴は、人を無差別に食らうのだから 』
 運命は、笑って肩にまとわりつき、手をとり、いざない、与えた玉座を奪い去る。
 ニコラスは、運命に食われたのだ。
 それほど異様な死にざまだった。
 胸で組まれた彼の両手は、燃えかすのように炭化、、していた。すべての水分が奪われたように、肩から下が干乾びて。うなじから肩の、肌の変色。この広範囲の黒斑はまるで──
 はっと気づいて、遺体の組んだ指を見た。
「……指輪は、どうした?」
 そういえば、領主の指輪が見当たらない。
 カレリア国の領主は誰でも「家紋入りの指輪」を嵌めている。持ち込まれる重要文書に、家紋を刻印するために。唯一無二のこの意匠を。看病の妨げになるなどの理由で、発病後に外したのだろうか。
「──なあ。とっとと引きあげようぜ」
 カーシュが痺れを切らして歩き出した。
 やむなくダドリーも、それに続く。仲の良い領主をひとり、残して去るのは忍び難いが、カーシュの落ち着かない気持ちも分かる。
 悪臭もなければ死臭もないが、奇怪な病死者が横たわる部屋は、確かに気持ちのいいものではない。一家の世話をする執事さえ、どこにも姿が見当たらないのだ。彼らを滅ぼした災いが、いつ何どき、我が身に降りかからないとも限らない。あの秘書官に至っては、外部に醜聞が漏れぬよう、領邸を封鎖するあわてぶりだ。
「どうすんだ。これから、ディールは」
 歩きながら、カーシュがぼやいた。
「まだ、やり合ってる最中だってのに。ま、頭の領主が死んじまえば、指揮は後継ぎが引き継ぐんだろうが」
「ディールの当主に、後継ぎはいない」
 ダドリーは苦々しく首を振った。
「女の子が一人いたが、そっちの方も、今見た通りだ。つまり、ディールの直系は、これで絶えたことになる」
「なら、戦は終わりだな。領家、領家と息巻いたところで、こうなりゃ案外あっけないもんだ。しかし、まさか、伝染病で、、、、くたばるとはな」
 領邸の主と、夫人と子供、すべて同じ様子で亡くなっていた。
 ダドリーは眉を曇らせる。「いや、あの黒斑は──」
 どの遺体にもあった異様な黒斑。あの夏の友を思わせる──。商都のラトキエ別棟で、黒障病でこの世を去った──。
「正直思いもしなかったぜ、こんな形で幕引きとは」
 ああ、とどこか上の空で、ダドリーもそれに同意する。一体、誰が気づくというのか。かのディールの領主がすでに、この世の者ではないなどと。
 いや、気づくべきだった。国境の橋があがっていない、と知った時点で。
 長らく国境を守った領主が、隣の国の動向を睨み続けたニコラスが、失念しているはずなどないのに。この未曾有の緊急時に。
 今にして思えば、奇妙なことは他にもあった。
 クレスト領主に就任した旨、以前ニコラスに書き送ったが、ついに返信がなかったのだ。
 領主としての仕事の上に国境を守る多忙さは元より理解していたし、自分も日々の忙しさにかまけて忘れてしまっていたのだが、就任の知らせを受けとって、共に喜ばないような彼ではない。婚姻の承認式の日程も、交渉不調に終わってしまった。それについて説明の一つもなく。
 だが、返信自体は容易いはずだ。
 紙面に綴る言葉など「おめでとう」の一言でいい。それさえ無理というのなら、側近に代筆を頼めばいい。ニコラスならば、きっとそうする。如才ない彼ならば。どれほど多忙であろうとも。
 いつの頃からだったろう。そうした彼の変容は。
 音信が途絶えたのは春先あたり。ならば、その頃すでにもう、ペンもとれぬほどの重体だったか、あるいはすでに他界していた──?
「……春先、か」
 つぶやきを拾ったらしい、カーシュがふと振り向いた。「どうかしたか、春先が」
「ん──ああ、いや」
 時期が、なぜか引っかかる。近頃どこかで聞いた気がする。この春・・・に何があったというのか。
「用は済んだな、なんにせよ」
 カーシュが歩きつつ、一瞥をくれた。
「あとは知らせてやるだけでいい。商都をかこむ軍隊に。戦を吹っかけた領主は死んだ。これで戦はおしまいだ」
 ダドリーは苦々しく眉をひそめる。「ああ、終わりだ。これで」
 すべて。
「そこまでだ」
 割り込んだ声に、足を止めた。威嚇まじりの、険のある制止。
 はっと見やった前方に、あの男が立っていた。
 アーチ型にくりぬかれた壁に、黒のオールバックの銀縁めがね。軍服を数名従えている。
「……どうして」
 つぶやきが、緊張でかすれる。戸惑い、とっさに弁明が出ない。発覚するまで、まだ間があると思っていたのに。
「戻ってもらおう、ダドリー=クレスト」
 カーシュがすばやく身構えた。すらり、とヒースが剣を抜く。
「あんたは監獄の囚人だ」
 
 
 

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