■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話12
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「……なぜ、あんたが、こんなに早く」
ダドリーはたじろぎ、唇を噛んだ。
いつかは来ると思っていた。
だが、予想以上に発覚が早い。今はまだ昼すぎで、普段ならば地下牢に、顔を出すような時刻ではない。
アーノルド=ヒースその人が、出口をふさいで立ちふさがっていた。
十名以上いるだろうか。背後に従えた軍服は。
全員、青い制服姿。領邸を封鎖した兵士たちか。異状を察して調べにきたのか。それとも、このヒースについて──
窓から射しこむ夏の陽に、ヒースの銀縁が冷たく光る。
身ごなしのどこにも隙はなく、片時も視線をそらさない。抵抗するなら、手傷を負わせるも厭わぬ覚悟。
本気、なのだ。
本気で彼は捕えようとしている。脱獄した囚人を。地下の陰気な牢獄を毎日のように訪ねてくれた、あの安閑とした気安さは、すっかり払拭されている。
ヒースが兵を目で制した。
無造作に近づこうとした途端。
返す視線で、カーシュを牽制。容易く踏みこんでこないのは、腕前を測りかねているからか。カーシュもそれを察したらしく、薄笑いを浮かべている。
そのヒースの判断は正しい。
カーシュは本職の傭兵だ。うかつに間合いに踏みこめば、ためらうことなく斬り捨てる。この場で乱戦に突入すれば、甚大な被害は免れない。
夏日を浴びた絨毯に、窓枠の影が落ちていた。窓を閉て切った室内は、仄暗く、蒸し暑い。
対峙したまま、硬直していた。
じっと探るようなヒースの視線。さすがに居心地悪くなったか、カーシュが身じろき、窓辺へ歩く。
「動くな」
すかさずヒースが牽制した。カーシュがあきれ顔で手を広げる。
「おもしれえ。本気でやろうってのか」
にやりと不敵に口角をあげ、すらり、と腰から剣を抜く。
「だったら、こっちも容赦はしないぜ。カレリア一の剣豪と、手合わせできるとは叶ったりだ」
「剣を引け、カーシュ!」
あわててダドリーは振りかえる。
「やめろ、カーシュ。遊びじゃない」
ヒースは言わずもがなの剣の達人。ドレフの錬兵所で教官を務め、王都の御前試合に召し出されるほどの剣の名手だ。
一方カーシュも、並ならぬ腕前の持ち主だ。カーシュが仕切る傭兵隊は、トラビアまでの道中で、哨戒部隊をあっさり下した。それを率いる長ならば、その実力は推して知るべし。
その二人がやり合って、ただで済む道理がないのだ。
やきもきダドリーは舌打ちする。
状況は最悪だ。
あと一歩という時に、今回の不可解な侵攻の舞台裏が見え始め、この事態を収拾する手掛かりをつかんだその矢先、彼が目の前に立ちはだかろうとは。よりにもよって、あのアーノルド=ヒースが。
だが、それでも突破して、国軍本部に指示せねばならない。商都からの撤退を。早急に彼らに伝えねばならない。あの秘書官に踊らされている、と。
緊張に乾いた唇を舐め、すばやく思案をめぐらせる。「聞いてくれ、ヒース、俺は──」
「なるほど、そういうことだったか」
ヒースが赤髪の連れに目をくれた。
「手引きしたのは、そっちの脱獄囚ということか。わずらわせてくれるなよ、ご領主さま」
「──違う。──違う! そうじゃないんだ!」
強くダドリーは首を振った。
「トラビアにきた目的は、いたずらに翻弄することじゃない。ここの領主を説得し、商都を解放するためだ!」
「だったら、なぜ、正式に面会を求めない」
とっさに詰まり、ダドリーは溜息まじりに視線をそらす。
「──それは、俺の立場では、できかねる。カレリアは、三つの領家が、平衡を保って成り立つ国だ。急場に一方と接触すれば、猜疑の念を抱かれかねない。だから、領主と話すには、密会するしか手立てがなかった」
門前で騒ぎを起こした隙に、街門を通過し、領邸へ向かう、そうした筋書きを描いていた。
話の真偽を見極めるように、ヒースは目をすがめている。「それで、話はついたか、領主とは」
「いや、彼とはもう、話はできない」
「どういうことだ」
「彼は死んだ」
鋭くヒースが息を飲んだ。「──あんたが殺したのか。この男と押し入って」
「ヒース。あれが、なんだか分かるか」
日ざしの翳った片隅に、ダドリーは視線をめぐらせた。天蓋つきの寝台が、ひっそり壁ぎわに佇んでいる。
ヒースは視線をそらさぬままで、示された壁に一瞥をくれた。軽く背後に顎をしゃくる。
兵がただちに確認に動いた。壁の寝台に歩みより、覆いの払われた寝台を、怪訝そうに覗きこむ。
ぎくり、とその肩が飛びのいた。
後ずさりつつ、首を振る。
「ひっ、ひっ、干乾びてるっ!」
ヒースがいぶかしげに訊き返した。「干乾びてる?」
事情がよく飲みこめないらしい。動揺しきりの軍服が、声を裏がえして報告する。
「ち、着衣等に乱れはなし。外傷もなし。しかし、首と両手が異様に黒く、死後かなりの日数が経過している模様」
ヒースがもの問いたげに眉をひそめる。ダドリーはおもむろに言葉を継いだ。
「この部屋は領主の私室。遺体はニコラス=ディール当人だ。妻子の遺体も、隣室にある。領主と同じ状態だ」
寝台にいた軍服が、ただちに隣室の扉へ走った。
壁をくぐって部屋に踏みこみ、あわてて扉に引き返す。肩を乗り出して、うなずいた。
「同じです! どちらも同様に干乾びています!」
「……皆、同じ死に方で」
ヒースのつぶやきに、ダドリーは言う。「他界の時期は、おそらくこの春先だろう。ここの当主とのやりとりが、その辺りで途絶えている」
「──それは、話がおかしいだろう」
ヒースが疑わしげにすがめ見た。「軍がまだ、動いている」
「あんたも気づいていたんじゃないか? 認めたくない気持ちは分かるが──。領主一家の病没の隠蔽。他領への侵攻。監獄運営費用の横領。これだけのネタが揃ったら、結論はもう一つだろ」
ダドリーは真顔で向き直った。
「国軍が暴走している。いや、秘書官が軍を抱きこんだのか。側仕えなら、領主一家の病没を、いち早く知る立場にある。それで使用人を追い出して、領邸を封鎖したんだろう。なにせ、この有り様だ」
「伝染病、ということか」
「おそらくは。領邸の封鎖が可能なのは、ひとりあの秘書官のみだ。すべてを承知で文書を捏造、軍をラトキエにけしかけた。捕らえるべきは、ネグレスコの方だ」
「秘書官は、いない」
向かいへの視線はそらすことなく、ヒースは慎重に言葉を紡いだ。
「部屋に行ったが、もぬけの殻だ。書類が床に散乱し、棚の戸や引き出しは、あけっ放しになっていた。物盗りにでも遭ったように」
「──さては逃げたな?」
カーシュがくつくつ喉で笑った。
「あり金持ってずらかったか。幹部連中が粛清されりゃ、そりゃ焦りもするだろうが」
ヒースが怪訝そうに目を向ける。「粛清だと?」
「だから、火事があったろノアニールで。軍の幹部が全滅した──」
ヒースをはじめとする軍服が、呆気にとられた顔をした。カーシュは苦笑いで顎をさする。「妙だ妙だと思っていたんだ。不自然だろ、幹部がそろって焼死だなんてよ」
「──どういう意味だ」
「わかってんだろ。本当に火災だったのかって話だ」
ぶらりと肩で向き直る。
「仲間割れだろ、お決まりの。商都をぶん取った後の、分け前で揉めてよ。──おっと。そう恐い顔で見るんじゃねえよ。なあに、隣国じゃ、よくあることだぜ。皆殺しにして火をかける。建物ごと焼いちまえば、後腐れがないからな。後には何も残らない。死体も証拠も目撃者も。だが、そういうのは伝わるんだよな、どんなに隠したつもりでも」
思わせぶりに目をすがめる。
「そういう噂を、大方どっかで聞きつけたんだろ。それで青くなって逃げだした。そうなりゃ、秘書官ばかりの話でもねえだろ。幹部に繰りあがった連中も、泡食って我先にと逃げだした。なにせ、余計なことに首を突っこみゃ、てめえも消されかねねえんだからな。だが、いきなり
"上"が消えちまえば、現場は当然、大混乱だ。それで、てめえの上官に、指示を仰ぎにやってきた。違うか?」
冷やかしまじりの視線を向けられ、だが、ヒースは応えなかった。変わらず隙のない身ごなしで、赤髪の連れをねめつけている。
カーシュは蓬髪を掻いて肩をすくめた。「図星かよ」
いつも大雑把なこの連れの、思わぬ鋭さに舌を巻き、ダドリーはヒースを怪訝に見る。「けど、なんで、あんたがネグレスコの所に」
ヒースは顔をしかめて応えを渋り、だが、渋々というように口をひらいた。
「指揮官殿を探していた。ここの秘書官と親しいんでな」
「──バウマンが、ネグレスコと?」
意外な取り合わせに、ダドリーは眉をひそめて訊きかえした。そういうことか、と合点する。
「つまりはグルか。あの二人は」
なるほど、線がつながった。
これで監獄経費の横流しの件もうなずける。秘書官が仲間なら、関係書類の決裁も容易い。
「とにかく、秘書官とやらを捕まえねえとな」
赤髪の連れに促され、ダドリーはヒースに向き直る。「ああ。身柄を押さえるのが先決だ」
「動くな」
ヒースが切っ先を動かし、牽制した。
ダドリーは大きく嘆息する。
「もういいだろう。剣を下ろせ、ヒース。事の首謀者は秘書官で、責任を負うべき当主はいない。あとは、軍に事実を知らせ、撤退させれば収束する」
軍服の一団はひるんでいた。一連の急変に動揺し、完全に浮き足立っている。
ヒースは眉をひそめて目をつぶり、軽く息を吐きだした。「悪いが、見逃すことはできない。それでも、あんたは脱獄囚だ」
「──ヒース。事情は説明したろう。俺たちがやり合う理由はない」
「あんたが開放されるのは、"上"から指示が出てからだ」
「その"上"は何をした。指示書を勝手に捏造し、他領に侵攻したんだぞ。すでに、正常に機能していない。そもそも危急の一大事だ。通常手続きは排除できる」
ヒースは顔をしかめ、顎先をしたたる汗をぬぐう。「──あんたは脱獄囚だ」
「そこを曲げて、通してくれって言ってんだ!」
たまりかねて、ダドリーは怒鳴った。
じれったい思いで訴える。「ヒース。あんたの立場もわかる。だが、忠節は買うが、盲従は害だ」
「違うな。ちっとも、わかってねえよ」
見据えた目はそらすことなく、ヒースは顎先の汗を腕でぬぐう。「俺は、ここを動けねえんだよ。クビになるわけにはいかないんだよ。マリーベルが路頭に迷う」
「だったら俺が、あんたを雇う! それで問題ないだろうが!」
ヒースが面食らって見返した。
さわりと、どこかで風がゆれる。
閉て切った絨毯の床、梢の黒い影だけが動く。
あわただしい靴音がした。
並び立った一団の背後、執務室に通じる階段だ。
すぐに、わらわら転げこんできた。
それは三人の制服だった。だが、彼らの服地は、青ではなく、薄い灰色──国境守備隊、つまり、ヒースの部下たちだ。
「ふ、副官! 大変ですっ!」
血相変えて唾を飲み、一人が顔を振りあげた。
「敵襲ですっ!」
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